『アサシン クリード ブラック フラッグ RE:シンクロ』レビュー。リメイクにより文脈から切り離された、「前作が存在しない続編」

『アサシン クリード ブラック フラッグ RE:シンクロ』は原作が背負っていたシリーズの歴史という魅力を継承しておらず、ゆえに「前作が存在しない続編」という歪な姿に落ち着いてしまっている。

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作品発表の初報を聞いた際、嬉しさよりも驚きと不安が勝ったのを覚えている。今その作品を世に出すのかと。原点回帰に応える方針にも関わらず、『アサシン クリード II』や『アサシン クリード III』ではなく、原点から距離がある『アサシンクリードIV ブラック フラッグ 』をリメイクするのかと。実際のところ、筆者が抱いた不安は的中した。『アサシン クリード ブラック フラッグ RE:シンクロ』は原作が背負っていたシリーズの歴史という魅力を継承しておらず、ゆえに「前作が存在しない続編」という歪な姿に落ち着いてしまっている。

※本稿はUbisoftから提供されたレビュー用コード(PS5版)でのプレイにもとづき執筆している。



変化球をリメイクする意味

本題に移る前に、記事中における重要な観点として、筆者が「リメイク作品」を評価する際における注目点を提示しておこうと思う。それは、「ユーザーに対して今遊ぶべき十分な理由を提示できているか」だ。筆者が普段寄稿しているレビューにおいてもこの点は重要視されているが、「リメイク作品のレビュー」においてはことさら強調したい。

というのも、基本的にあらゆるコンテンツの魅力はコンテンツ単体で完結していない。コンテンツが発表された時代や、鑑賞した際の状況も深く関わっている。そして、その状況はコンテンツがリメイクされたところで再現はできない。ゆえにリメイク作品の魅力について評価する上で重要なことは、オリジナル版をとりまく環境を通じて生まれた感動の代わりとなる要素を、作品に組み込むことができているのか、ということだ。

たとえば、リメイク元である『アサシンクリードIV ブラック フラッグ』は『アサシン クリード』~『アサシン クリード III』を通じて発生したマンネリ感に対処する「変化球」として生まれた側面がある。長期的に採用し続けたパルクールに対する、大海原の航海体験(『アサシン クリード III』の発展型)が導入された。歴代主人公が段階的な成長物語を扱っていたのに対して、当該作品の物語はピカレスクだ。主人公は終始、自己中心的で野蛮な海賊であり、人間的な成長は最終盤になる。、こうした「変化球」として用意された作品中の各要素が、「今回は一味違うぞ」という、作品単体に収まらない状況や関係性を通じた感動も生んでいたのだ。

また、『アサシンクリードIV ブラック フラッグ』の内容は『アサシン クリード III』の直接的な関連作品となっており、この後に続く『アサシン クリード ローグ』までプレイすることにより、物語体験としては美しく締まった形になる。

一方、リメイク作品となる『アサシン クリード ブラック フラッグ RE:シンクロ』は、シリーズにおいて行われている原点回帰の方針によって生まれた2作品目のゲームとなる。アクションRPG形式の作品を作り続けたゆえに発生したマンネリと「初期作からの乖離」を埋めるべく、初期作のエッセンスを取り込んだ『アサシン クリード ミラージュ』に続き、「アクションRPGではない頃の人気タイトル」としてピックアップされたのだと思われる。

特にアクションRPG形式の最新作『アサシン クリード シャドウズ』のプレイ後に本作を手に取ってもらいたいという意図がマーケティングの方針から伝わってくる。「アサシン クリード」シリーズは長期的な展開の中で何度も体験のマンネリ化に悩まされており、今回はアクションRPG形式と回帰方針の作品を交互に提供することで対処しているのだろう。

とはいえ、「2つの味を交互に食べるような手法」は、マンネリ化を形式的には防いでいるものの、作品の体験向上に寄与しているわけではない。『アサシン クリード ブラック フラッグ RE:シンクロ』はシリーズの「変化球」として、原典が持っていた切れ味を現代に懐かしく再現する作品であると同時に、シリーズの歴史を無視して、なぜ「変化球」をピックアップしたのかという理由をユーザーに十分に提供できていない。「前作が存在しない続編」という状態を脱却できていないのだ。

ゆえに、クオリティの高い大ボリュームなゲームにも関わらず、遊ぶ理由が「ノスタルジー」以外になく、物足りなさも感じるチグハグなゲームである。たとえるなら、料理漫画の対決シーンにおいて、食事を提供する順番の戦略がしばしば登場するが、本作は商品としてその戦略性に欠けている。娯楽には「触れるタイミングも重要」ということがよく分かる作品だ。

美しい思い出がそのまま姿を表した

『アサシンクリード ブラック フラッグ RE:シンクロ』は、脳内にある美しい思い出をそのまま画面に出力するという点において、実に素晴らしい作品である。「現代的なオープンワールド」に仕上がるような調整が全面に施されており、時代と共に進歩してきたハードウェアの描画技術と相まって、時代錯誤の不便さにより思い出が傷つくことなく、甘美なノスタルジーにプレイヤーを浸らせてくれる。ゲームを最後までスムーズに遊ばせるための工夫を通じて、終始快適な印象を維持したまま、エンディングまでたどり着くことが可能だ。

具体的には本作のアクションに関して、ゲームスピードを落とさない設計=「ゲームの止め時を意識させない設計」が徹底して施されている。マップ探索中のローディングがほぼ消滅していることをはじめ、戦闘においては原作にて作中後半に入手する武器が、プレイ開始早々に使用可能になる。

戦闘スタイルも変化している。原作は極めてカウンターが強く、受け身主体の体験になっていたが、本作は能動的に攻めることでも一撃死を簡単に引き起こすことができる。道中で敵に進路を妨害されても爽快感に身を任せて世界を歩き回ることが可能となり、この仕様によってステルスアクションが苦手でも窮地に立たされることはない。いわゆるノルマクリアの遊びであるフルシンクロがなくなったことも含めて、プレイスタイルの強制に伴う束縛感が存在しない。

海戦については攻撃と防御、両方のアクションがゲームの進行に伴い強化されるため、攻撃を受ける船体の向きを意識せずとも、なかなかゲームオーバーにはならなくなった。難易度の面では、ミッションの内容にも手が入っている。原作には敵から見つからないようにステルスする尾行形式のミッションが数多く存在していたが、尾行に失敗してもクエストが中断されることはなくなった。尾行失敗のペナルティはクエストクリアのヒントが獲得できなくなる、程度に留まっている(暗殺ターゲットの場所を自力で割り出すことになるなど)。このほか海中探索や銛を使った漁、拠点の拡充など「原作の中で直感的に存在をイメージできる」要素が追加。上述したゲームの止め時を意識させないデザインとあわせて、プレイヤーの思い出を壊さないどころか、「そういえばこんなゲームだった」と思わせるような手法である。

『アサシン クリード III』の続編にならないような工夫

筆者は冒頭で、本作に対する印象に関して、「前作が存在しない続編」という状態を脱却できていないと述べた。何も本作は前作が実質的に存在していないことに対し、無対策のまま世に出たわけではない。フォロー自体は入っている。

詳しい内容に触れる前に、まず『アサシン クリード III』『アサシンクリードIV ブラック フラッグ』の繋がりについて説明しておきたい。この両者は『アサシンクリードローグ』を含めた「3部作」として、一貫した物語体験の繋がりがある。『アサシンクリード』から『アサシンクリードⅡ』シリーズに至るまでに語られた「アサシン教団は自由を守る組織だ」ということ。そして「自由とは素晴らしいものだ」という意見に対し、自己批判を行った3部作「ケンウェイ・サーガ」と呼ばれている。

そして、『アサシンクリードIV ブラック フラッグ』は3部作の2作目に相当する。よって、『アサシンクリードⅢ』をプレイ済みである、という前提の描写が作品に組み込まれている。これは単に作中登場人物の設定が共通しているというだけではない。物語体験に関しても『アサシンクリードⅢ』の「発展型」になっている。

『アサシンクリードⅢ』の物語はアメリカ独立戦争時代。ネイティブアメリカンである主人公「コナー」がアメリカの「自由」のために戦うも、その自由の中に彼が所属する原住民族は入っていなかった、という内容になっている。主人公の宿敵は彼の父「ヘイザム」であり、自由を嫌っていた。人を自由にさせれば暴れまわり平和を乱すと。それを正に体現したのが祖父である『アサシンクリードIV ブラック フラッグ』の主人公「エドワード」である。(なお、ヘイザムが自由を嫌う理由はさまざまな因果によるものである。)

一見すると、『アサシンクリードIV ブラック フラッグ』の物語は「自由に暴れまわった」主人公が因果応報の果てに落ち着く物語になっている。しかし、自由の意義を再考する『アサシンクリードⅢ』、ひいては自由の素晴らしさを語った『アサシンクリードⅡ』シリーズまでの内容を踏まえることで、自由の意義と責任についてより深く考えられるようになっている。時代背景はあったにせよ、自分の意思で決めた船の掟に則り、殺戮と強奪を繰り返した生き方は素晴らしいのか。自由に殺し奪った因縁がめぐって息子は『アサシンクリードⅢ』で孫と殺し合うことになるのではないか……。さらに言えば、俗に言う「現代編」パートに関しても両タイトルの結びつきは非常に強い。

一方、リメイク作品である『アサシンクリード ブラック フラッグ RE:シンクロ』は『アサシンクリードⅢ』までの因縁を踏まえた内容にはなっていない。メニュー画面から観られる「歴代作品」の一覧に上記の作品群は掲載されておらず、『アサシン クリード シャドウズ』のプレイ後に本作を手に取ってもらいたい、という意図のもと、当該作品と本作には繋がりがあるような描写が追加されている。

そのため、本作では『アサシンクリードⅢ』を未プレイでも「自由」について考えられるよう、新キャラクターと物語を追加したり、カットシーンの内容を変更することで、主人公の内面をより細やかに描写しようと試みている。また、現代編に関してはアレンジされ、「もし作中のキャラクターが自由を謳歌していなかったら」というifを扱う物語群が導入された。

不明瞭な「アサシンクリード」の今後

しかしながら、『アサシンクリード ブラック フラッグ RE:シンクロ』は「前作が存在しない続編」という歪な状態であることには変わりない。なぜなら、シリーズの流れを無視して『アサシン クリード シャドウズ』の後にユーザーが触れる作品であることを優先した結果、原作の時点で持っていた「変化球」の部分がさらに強調されかえって前作ありきの部分……「『アサシンクリード』らしい部分」が作品の中で浮いてしまっている。「アサシン」のゲームではなく、「海賊」のゲームとして内容が強化された結果、「アサシン」の部分が邪魔に感じられるのだ。

先述したように、原作はシリーズの異端児であることが売りのゲームであった。プレイヤーと開発者が作り上げたゲームプレイの歴史があったからこそ、「アサシン」のゲームとして面白かった作品なのだ。だが、本作は『アサシンクリードⅢ』を未プレイという前提のもと体験が成立するような工夫が施されている。アサシンブレードを使わずとも簡単に一撃死が取れるし、前作ありきの物語体験に関しては、前作に直接関係ない海賊キャラクターたちの描写を強化することによって埋め合わせを図っている。つまり、“関連作品があるからこそ『アサシンクリード』と言えるゲーム”から関連要素を取り去り、原作の特徴である『アサシンクリード』らしくない要素を強化するしかなかった結果、「アサシン」のゲームではなく、「海賊」のゲームとして内容がリメイクされたのだ。

ゆえに、なぜ主人公がシリーズの敵であるテンプル騎士団と戦うのか、アサシン教団に所属するのか、さらに言えば宿敵であるバーソロミュー・ロバーツのキャラクター設定、エンディングの内容など、『アサシンクリード III』ありきの要素が行き場をなくしており、結果として強調された作品の中核となっている「海賊らしい要素」……海戦もまた、既に関連作品へ輸出され、珍しい体験ではなくなっているのも相まって、タイトルの歴史や関係性も含めた面白さを提供していたリメイク前と比較すると、本作に物足りなさや欠落感を覚える。

さらに言えば、リメイクにあたって本作に施されている工夫は「現代的なオープンワールド」体験を提供するものや、コンテンツのボリュームアップに留まっており、独自性のある要素が存在したり、要素同士がシナジーを形成しているわけではない。その結果、シンプルな構造に変化した入力体験と、シンプルにボリュームが増したコンテンツ量が衝突しており、ゲーム後半になるほど体験としては快適ではあるものの、変化に乏しく、退屈になっていく。飽きが来るまえにゲームが終わるような、ユーザーのニーズを超えて洗練されている作りにはなっていない。

物語を作品単独で掘り下げるための新規ストーリー群のクオリティもピンキリであり、素晴らしいものもある一方で、原作の現代編の代替になるifストーリーのように薄っぺらいものもある。クオリティが安定していないことが残念である(特にストーリーの見せ場となる場面において、主人公のボイスデータがリメイク前のままになっているミスは本当に残念だ)。

結局のところ、筆者が述べたいままでの批判に関する原因の大半は、“いきなり『アサシンクリードIV ブラック フラッグ』のリメイクを世に出すことにしたマーケティング手法”によるところが大きい。なぜ今、ユーザーに本作を遊んで欲しいのか、近年問題続きの『アサシン クリード』シリーズを開発側は今後どうしたいのか、本作をプレイしても伝わってはこなかった。答えを読み取れないゆえに、筆者の頭には疑問が浮かび、疑問ゆえの物足りなさを覚えたのだ。

筆者としては人気作のみをピックアップするのではなく、たとえば狙いをもってリメイクをする『バイオハザード』シリーズや『ドラゴンクエスト」シリーズのように、作品の歴史をユーザーと再構築するような、ファンに寄り添い、新規層を開拓する丁寧な商品の展開方法を採用してほしいと思っている。

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Takayuki Sawahata
Takayuki Sawahata

娯楽としてだけではなく文化としてのゲームを知り、広めていきたい。ジャンル問わず死にゲー、マゾゲー大好き。

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