『エルデンリング』、海外メディアから「社会事象」と勝手に結び付けられる。「本作は批判乗り越えた、ビットコインも大丈夫」など意味不明な主張

 

『エルデンリング』にまつわる“こじつけ”記事に、海外コミュニティからの批判が寄せられている。大ヒットの影響か、『エルデンリング』を「パンデミック」や「暗号通貨」と絡めた記事が登場。その奇妙な内容に、ツッコミが殺到しているのだ。

『エルデンリング』は、フロム・ソフトウェアが手がけたアクションRPGだ。本作は『ダークソウル』シリーズなど同スタジオ過去作のゲームプレイを色濃く受け継ぎつつ、舞台を広大なオープンフィールドへ変更。多くの新要素も盛り込んだ新作となっている。本作は2月25日の発売直後から大ヒットとなり、リリースから約2週間強で世界累計出荷本数1200万本を突破した(関連記事)。SNS上などでは、国内外で連日コミュニティがゲームについて語り合い、弊誌含む各ゲームメディアも数々の話題を伝えた。『エルデンリング』は、一種の社会現象的な状況も生み出したといえるだろう。

そうした高い人気ゆえか、ゲーム系でないメディアについても、『エルデンリング』をテーマに盛り込んだ記事を発表する様子が散見される。そして、先ごろ公開されたあるふたつの記事が、本作コミュニティから批判を集めているようなのだ。


批判を受けるふたつの記事のうち片方は、米一般紙The New York Timesが4月13日に公開した、『エルデンリング』についての所感を述べた記事である。こちらは要約すると、『エルデンリング』の高難易度なゲーム体験を新型コロナウイルスによるパンデミックになぞらえ、人々と繋がり協力することの大切さを伝える内容となっている。

そしてもう片方は、暗号通貨の話題を中心として伝える海外メディアCoinDeskが4月14日に公開した記事だ。こちらは「『エルデンリング』は批評を耐え凌いだ、ビットコインもそうなるだろう」と、理解しがたいタイトルだ。同記事では、『ダークソウル』シリーズや、『Demon’s Soul』『Bloodborne』『SEKIRO: SHADOWS DIE TWICE』をいわゆる「ソウル系作品(Souls games)」としてカテゴライズ。そして、それらの“ソウル系作品”が辿ってきた道のりが、「暗号通貨(Crypto)に似ている」との主張を展開する内容となっている。

『エルデンリング』と関係性が薄いと思われるパンデミックや暗号通貨を絡めた記事に対し、ゲーマーコミュニティの反応は厳しかった。The New York Timesの担当ライターによる記事紹介ツイートには、記事の内容に対する多数ツッコミが寄せられた。CoinDesk公式による記事紹介ツイートも同様で、ユーザーからミーム画像による「何をいっているんだお前は」などの手厳しいコメントが投じられ、全体としても記事に否定的な意見が中心となっている。どうやら、多くのユーザーにとって両記事の主張は、納得のいく内容ではなかったようだ。また、YouTuberのYongYea氏はこれらふたつの記事にまつわる動画を公開して「本当にバカげた(Really Dumb)」記事であると明言。動画中でも数々のポイントにツッコミを入れている。

では、具体的に両記事のどこが問題とされているのか。テーマからツッコミどころが多いが、改めて指摘されている点を整理しよう。The New York Timesの記事については、まず『エルデンリング』の難しさとパンデミックに伴う苦難を重ねている点が、的外れだと指摘されているようだ。また、文中にある「長期のパンデミック中である現在以外で、『エルデンリング』がこれほど成功したとは考えづらい」との根拠の薄い主張にも反論が集まっている。

そもそも過去作『DARK SOULS III』からして、発売から約4年で累計1000万本を販売する人気作である。たしかに『エルデンリング』の発売されてからの勢いは桁違いであり、「巣ごもり需要」の影響が一定あった可能性は否めない。しかし、基本的にはフロム・ソフトウェアが地道に築いた大きなファンベースと販売努力の成果であろう。ほかにも、同記事ではスクリーンショットと動画がなぜか「スマホで直接画面を撮影したかのようなもの」となっている点もツッコミを呼んでいるようだ。本体のキャプチャー機能やキャプチャーボードを利用しないのか、という指摘である。同記事は、ゲームプレイ体験にも触れており、ほかプレイヤーの助けを借りるように、現実でも人に助けを求めることで困難にも立ち向かえるとの結論に着地している。その体験談としての記述は理解し得るものの、そこに至るまでの主張が、総じて要点を得にくい内容となっている。


そして、CoinDeskの記事は「ソウル系作品は大衆受けしないゲームだった」との旨を強調。これまでのフロム・ソフトウェア作品は、「難しすぎる」「難易度選択オプションが必要だ」といった多くの批判を受けたものの、それでも作品の軸がぶれなかったがために、成功したのだとしている。そして同記事の論理は、「批判を受けてもぶれなかったことで成功したソウル系作品と、暗号通貨は見過ごせないほど似ている」と突如飛躍する。同記事は唐突に、ビットコインのブロックチェーンにおける最初のブロックが採掘されたのと、『Demon’s Souls』が日本でリリースされたのは同じ2009年であるとの豆知識を披露。強引な結びつけを展開している。

また同記事は、「ソウル系作品と暗号通貨は、市場競争において創造的・イデオロギー的破綻が起きた時期に時を同じくして登場し発展していった」と主張。ソウル系作品はスタンダードから外れたゲームであったと主張しつつ、『Call of Duty』シリーズや『アサシン クリード』シリーズを「大衆向けのありきたりなゲーム」の代表とし、比較対象として批判している。全体的に理解に苦しむ論理が展開され続けるものの、要旨を強引に取りまとめるのであれば「批判に晒されてきたニッチなソウル系作品が大成功できたのは、大衆の声に迎合せず、彼らがほしがっていると自ら気づいていないものを一貫して届けたから。ならば、同じく批判に晒されるも一貫したビジョンを貫き通す暗号通貨などもいずれ大衆に受け入れられるはずだ」といった旨の主張らしい。

しかしながら、ゲーム作品である『エルデンリング』と、暗号通貨を重ね合わせること自体にかなり無理があるだろう。暗号通貨やブロックチェーン技術については、その投機性から胡散臭いイメージで語られたり、悪質な事業者の活動などが取り沙汰される場合もしばしばだ。また、計算資源の消費から発生する、環境負荷に対する懸念などでも批判を受けている。CoinDeskはそうした状況に対して「批判を受けていても、革新的なものは大成功するのだ」と主張したかったのかもしれない。


ただ、CoinDeskが、ニッチで、これまで批判に晒されてきたと述べる”ソウル系”諸作品は、『Demon’s Souls』から『エルデンリング』までメディア評価自体は概ね高い(Metacritic)。また、上述の『DARK SOULS III』の累計1000万本販売を始めとして、過去の各作売上も好調である。フロム・ソフトウェア作品が「難しすぎる」などの批評を受ける面はあるにしても、それは大成功した『エルデンリング』でも同様だ。そもそも暗号通貨やブロックチェーン技術と違い、フロム・ソフトウェア作品は環境負荷や詐欺への懸念などで批判されたことなどない。『エルデンリング』をイノベーションのシンボルとして扱い、「だから暗号通貨も大衆に受け入れられる」と主張すること自体がナンセンスであるといえる。

ゲーム作品に現実の様相が反映されていたり、売上から世情が見えたりするケースもたしかにあるだろう。しかしながら、パンデミックの苦難と『エルデンリング』での試練は同じではないし、『エルデンリング』が多くの人に受け入れられても暗号通貨へのイメージが改善するわけではない。『エルデンリング』が全世界でヒットを巻き起こしている。その人気に乗っかりたいメディアも多いのだろう(弊誌とて例外ではない)。とはいえ、的外れなこじつけは、情報として無益といえる。丁寧にゲームを扱い伝えるよう、筆者もメディアに携わる者として心を引き締めたい。