『うみねこのなく頃に』を今こそ遊んでみよう。賛否の向こうにある「愛がなければ視えない」魅力

『うみねこ』の赤字や青字が飛び交うメタ推理合戦や、ファンタジックなバトルは強烈な印象を残すが、そこだけを切り取ってしまうと、本作が何を描こうとしていたのかを見失ってしまう。

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Steamでは日々数多くのゲームがリリースされている一方で、個人や少人数チームによる国産タイトルには大作の話題に隠れながらも、独創的なアイデアや強いこだわりを持つ作品が少なくない。本連載「見逃してない? 国産Steamタイトル発掘録」では、同人・インディーゲームを中心に、国産Steamタイトルを毎回1本ずつピックアップして魅力を伝えていきたい。


魔法×ミステリー×メタフィクションADV

連載第7回となる本稿では、同人サークル07th Expansionが手がけたビジュアルノベル『うみねこのなく頃に(以下、うみねこ)』を紹介。『ひぐらしのなく頃に』に続く「なく頃にシリーズ(When They Cry)」第2弾として2007年に発表され、本編全8エピソードにわたって展開された作品だ。Steamでは2016年に前編となるEP1~4を収録した『うみねこのなく頃に』、2017年に後編となるEP5~8を収録した『うみねこのなく頃に散』が発売された。

物語の舞台は1986年10月4日、伊豆諸島に浮かぶ孤島・六軒島。莫大な資産を持つ右代宮家の親族会議が開かれるなか、島に伝わる「黄金の魔女」ベアトリーチェの伝説とともに、不可解な連続殺人事件が幕を開ける。台風によって島から出られず、電話や無線も故障した閉鎖空間に残されたのは18人。存在しない「19人目」の気配が漂い始め、次々と凄惨な殺人が起きていく。魔女の仕業なのか、人間による犯行なのか。主人公・右代宮戦人は、魔女の存在を否定しながらベアトリーチェと推理合戦を繰り広げ、六軒島で何が起きたのかを追い続けることになる。

本作を語るうえで避けて通れないのが、「魔法」の存在だ。クローズドサークルで起こる連続殺人・密室・不可解な死体といった本格ミステリの要素を並べながら、魔女や魔法という幻想的な要素を堂々と持ち込んでいる。ただし『うみねこ』がリリース当時に大きな賛否を呼んだ理由は「魔法が出てきたり、真相が隠されていたりしたから」ではない。

むしろプレイヤーが事件の謎を推理し、真相を解き明かすことを期待して読み進めていくなかで、物語が「真相を暴くこと」に対して問いを投げかけるような構成へと変化したことだろう。推理することを強く促されてきたプレイヤーほど、「裏切られた」と感じたのは無理もなく、未プレイでも結局評判が良いのか悪いのかよく分からないゲーム、というイメージの方も多いのではないか。

『うみねこ』の赤字や青字が飛び交うメタ推理合戦や、ファンタジックなバトルは強烈な印象を残すが、そこだけを切り取ってしまうと、本作が何を描こうとしていたのかを見失ってしまう。確かに読者へ謎を提示し、推理を促す作品だが物語が進むにつれて問われるのは「事件の真相は何なのか」だけではなく、「そもそも真相を知ることにどんな意味があるのか」という問いだ。

重要になるのが、「チェス盤をひっくり返す」という作中の思考法だ。自分が見ている盤面を正しいとして固定するのではなく、一度すべてを疑い、相手の側から盤面を見直す。自分に見えている事柄だけを根拠にして相手を断定するのではなく、「もし相手がこういう立場だったら?」と考えてみるのだ。単に事件のトリックを見破るためのテクニックというだけではなく、目の前にある出来事を別の角度から捉え直すための姿勢であり、ゲーム全体を貫く思想でもある。

それは物語の鍵となる言葉「愛がなければ視えない」にもつながっている。ここでいう「愛」は、友愛・恋愛感情だけを指す言葉ではない。目の前の人物を「犯人」や「被害者」として見るのではなく、何を考え・何を望んで行動したのかを想像すること。つまり『うみねこ』がプレイヤーに求めているのは、情報を組み合わせて答えを導き出す能力だけではない。目の前にある情報を事実として受け取るのではなく、自分が当然だと思っている解釈を疑い、別の角度から人物や出来事を見つめ直す想像力も求められているのだ。

今回『うみねこ』を紹介するにあたって、当時「裏切られた」と感じた読者のことを無視するべきではないと思う。EP1~4では、戦人とベアトリーチェによる「魔女か、人間か」という対立が作品の大きな軸として描かれ、プレイヤーもまた戦人と同じ立場に立って六軒島で起きた事件を推理していった。それだけ長い時間をかけて謎を追い続けた末に、物語の側から「真相を明らかにすること」を問い返されれば、「自分がしてきたことは何だったのか」と感じる人がいたとしても不思議ではない。ミステリーとして提示された謎に対して答えを求めるのはごく自然な姿勢だからだ。

インディー・同人作品を「発掘」する本連載において、なぜ同人ゲームとは言えすでに広く知られている『うみねこ』を取り上げるのかと思った読者もいるかもしれない。今回の「発掘」は、まだ知られていない作品を見つけ出すという意味だけではない。『うみねこ』は、結末やシナリオをめぐる賛否や、「ミステリーとして成立しているのか」といった側面が前面に出て語られやすかったように思う。だからこそ今回は「発掘」を拡大解釈して、『うみねこ』の魅力を掘り起こしてみたいと考えたのだ。まさに「愛がなければ視えない」という言葉の通り、私に賛否の向こう側にあるものを見ようとする姿勢がなければ、この記事を書こうとは思わなかっただろう。

また『うみねこ』が特別に好きな理由として、作品全体に「物語を読むこと」について考えさせられる側面があることが挙げられる。各エピソードは六軒島で起きた事件を記した「メッセージボトル」を起点として描かれ、プレイヤーが読んでいるのは「六軒島で起きた真実」だけではなく、誰かによって書かれ、誰かによって読まれ、誰かによって解釈された物語でもある。そうなると、事件そのものだけでなく、「なぜ作者は物語を書いたのか」という問いが生まれてくる。なぜ魔女が登場するのか、なぜ同じ事件を異なる形で描くのか、なぜこのような物語の構造を選んだのか。こうして「作者の意図」を想像し始めると、『うみねこ』は単なる殺人事件の物語ではなくなっていく。

個人的な話になるが、「作者はなぜこの表現を選んだのか」「この作品は何を描くために、こういう形になっているのか」と考えながらゲームを読む姿勢は、筆者自身のゲームレビューにも大きな影響を与えている。ゲームの設定や物語をただ受け取るのではなく、背景にある意図まで想像する読み方を、強く意識するようになったきっかけのひとつが『うみねこ』なのだ。


「愛がなければ視えない」がキーワード

『うみねこ』は、凄惨な殺人事件と魔女による残酷なゲームを描く作品だが、長きに渡る物語を最後まで読み終えて振り返ったとき、根底にあるのは驚くほど優しい物語だ。人間は他者のことを完全には理解できないからこそ、目の前にある情報だけで決めつけるのではなく、その人がなぜそうしたのかを想像する必要がある。すべての真実を暴けば人は救われるのか、それとも……。

本作を読み終えたあとに残るのは、謎解きの達成感だけではない。長い時間をかけて登場人物たちを見つめたからこそ生まれる切なさや愛おしさ、「もっと早く相手のことを考えていれば」という悔しさが残る。最初は理解できなかった人物の行動が、物語を読み終えたあとにはまったく違って見えるだろう。そのときに感じる感情こそ、『うみねこ』が「愛がなければ視えない」という言葉で描こうとしたものなのではないだろうか。

改めてになるが、「ミステリーとして期待していたものと違った」という評価だけで、『うみねこ』を終わらせてしまうのは、個人的にはあまりにも惜しい。本作はミステリーであり、ファンタジーであり、家族の物語であり「物語を読むこと、物語を作ること」について考えられる作品でもある。それを8つのエピソードに詰め込み、プレイヤー自身の「読み方」まで作品の一部にしてしまったことこそ、『うみねこ』が今なお唯一無二だと思える理由だ。

また、原作を読み終えたのであれば、コミカライズ版まで手に取ることを強くおすすめしたい。特にEP8は原作で描かれた物語を補完するだけでなく、ゲームでは余白として残された部分にも踏み込んでいるため、原作を最後まで読んだうえで触れることで、六軒島の物語をまた違った角度から味わえるはずだ。

『うみねこのなく頃に』シリーズはPC(Steam/Windows)向けに発売、コンソール版は『うみねこのなく頃に咲 ~猫箱と夢想の交響曲~』としてPS4/Nintendo Switch向けに展開中。

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Yuuki Inoue
Yuuki Inoue

RPGとADVが好きなフリーのゲームライター。同人ノベルゲームは昔から追っているのでそこそこ詳しい。面白ければジャンル問わずなんでもプレイするのが信条。

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