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『アークナイツ:エンドフィールド』ストーリーに感じる「満足感と欠如感」の正体を考えてみる。水と油な要素、メインとサブで分かれる構造の課題
『アークナイツ:エンドフィールド』ストーリーに感じる「満足感と欠如感」の正体を考えてみる。水と油な要素、メインとサブで分かれる構造の課題はシナリオ付きのアクションゲームであると同時に、工業シミュレーション要素を組み込んでいるゲームでもある。その課題。

『アークナイツ:エンドフィールド』に関して、本作をプレイする以前、筆者は疑問に思っていたことがあった。「アクションゲームなのに工業要素で何を語るの?」という疑問である。工業要素が本作の物語体験に介入する余地があるのか、という問いだ。本作はシナリオ付きのアクションゲームであると同時に、工業シミュレーション要素を組み込んでいるゲームでもある。
しかし、本作の工業シミュレーション要素はアクションRPGにおけるシナリオ展開の形式にそぐわない。にも関わらず、本作は物語上のモチーフとしても工業要素を採用している。主人公たちは工業を主要産業とした会社組織に身を置き、事あるたびに組織の管理人であることを名乗る。それに果たして意味があるのか、という疑問を抱いていた。
今回、本作のバージョン1.2に相当する「春の暁、訪れし時」をプレイしたことで、この疑問が氷解した。同時に、本作が抱えている課題と、未来への期待が筆者の中に浮かび上がってきた。本稿は『アークナイツ:エンドフィールド』がストーリーを描く上で水と油である「工業シミュレーション」と「アクションゲーム」を、現代の3Dゲームの物語体験へどう接続しようとしているか、そして筆者が未来に期待していることについてまとめたものである。
運営型アクションRPGとは作劇の実験場

では、「工業シミュレーション要素はアクションRPGにおけるシナリオ展開の流行にそぐわない」と考える理由の説明から始めていこう。本作に限らず、3Dのキャラクターモデルと広大なフィールドを採用しているアクションゲームは、キャラクターが棒立ちで会話する状況を減らすべく尽力してきた。アクションゲームとはキャラクターを動かし続けるゲームであり、棒立ちで会話する状況とは、ゲームにプレイヤーの操作権が奪われてしまう状態……すなわちアクションゲームではなくなってしまう瞬間である。
ゆえに、時に背景を動かし、時にカメラをぐるぐる回すことで、「動かしている錯覚」=映画的な演出を提供する。多様なゲームプレイをしながら裏で会話が進行したりもする。プレイ中に入手可能なアイテムとして、いわゆる「音声ファイル」が生まれたのもこの運動によるものだ。
アクションゲームたるもの、常に画面が動いてなければならない。そのうえで、本作のようにキャラクターを販売する形式の運営型ゲームは作劇上、さまざまな制約を乗り越える必要がある。簡単にいくつか例を挙げると、以下のようになる。
・群像劇を構成する必要がある。
・少ない主要人物かつ同じ舞台で長期的な物語を構成する必要がある。
・定期的なマネタイズのため、月間連載の方式になる。
・長期的な物語であることと、月1展開の短編であることを両立させる必要がある。
・同じ物語の中で主要人物全員が1度は主人公役を経験する必要がある。
・表現規制や対象年齢の区分、客層に合わせつつ、グローバル展開可能な表現内容にする必要がある。
・山場に戦闘アクションを組み込む必要がある。
・成婚や恋愛が難しい中国、韓国の状況を反映した流行として、恋愛色を強調した「美少女」ゲームへの回帰運動が起きている。
こうした条件を背負った本ジャンル(運営型ゲーム)はさながら「作劇の実験場」という様相を呈している。そのうえで何故、「本作の工業シミュレーション要素は類型ゲームにおけるシナリオ展開の形式にそぐわない」のかと言えば、操作中にキャラクターが華々しく動かないからである。
定速で稼働する工場と、波乱万丈な展開で視聴者の心を揺り動かす体験=ドラマは相性が悪い。本作の工業システムは商品であるキャラクターのセールスポイントと関係もない。戦闘アクションよりも目立ってはいけないものを一貫性のある形でアクションゲームに取り込むことは極めて難しいのだ。

もちろん、建築や物流といった「動画映えしない遊び」をドラマへ変換すること自体は、不可能ではない。成し遂げているゲームは(買い切り作品ではあるが)存在している。本作の参照元である『デス・ストランディング』はもちろん、近年では『ぽこ あ ポケモン』の人気が分かりやすい。両者ともに何か建造物を建てる際にプレイヤーの葛藤を発生させる。建造物が他プレイヤーやNPCの生活圏に与える影響を考える時間が、作品における物語と重なることで、静かにドラマが発生するのだ。
一方、本作では建造物を建てる際に葛藤を覚えることはない。世界に強い生活感を覚えるほど、NPCの往来が発生しているわけでもなければ、建物が他プレイヤーに与える影響も軽微だ。もとより『アークナイツ:エンドフィールド』は工業シミュレーションが得意ではない人も想定した作りになっている。いちいち「ここに電柱を建てたら迷惑だろうか」と葛藤させていては、それがストレスになってしまう人もいるだろう。プレイヤー個々人に異なる葛藤はドラマの根源であり、本作はそれが生まれないよう、スムーズな建設体験を心がけている。「工場建設は映えず、作品のセールスポイントと関係がない」「工場を建設する際に葛藤を生まないようなゲームプレイ」。こういった理由から、本作の工業シミュレーション要素は類型ゲームにおけるシナリオ展開の形式にそぐわないと筆者は考えているのだ。
メインとサブの両輪で作劇する

そうした事情を踏まえて、現時点で『アークナイツ:エンドフィールド』が採用しているのは物語を2つの方向性に分けるという手法だ。本作はメインクエストとサブクエスト、両方をクリアすることで、作品を通して語りたい内容を捉えることができる。メインクエストはアクションゲームらしさを意識しつつ、映像描写と戦闘アクションのアピールを担当する。サブクエストは動画映えに縛られること無く、工業に関連するテーマを描く。
具体的に言えば、前者は幅広いユーザー層を飽きさせないよう、簡単な謎解きと派手なカットシーンという動的な要素で時間を埋める構成を採用している。立ち話になる会話シーンはなるべくキャラのモデリングを多角的に映すことで、シネマティックに見せている。作中語られる専門用語の数こそ多いが、キャラクターを操作し、映像を鑑賞しているだけで楽しめるエキサイティングな構成を意識している印象だ。幕間の休憩ポイントも用意されている。
語られる内容自体も、「探求すべき真実の障害となるものを、戦闘アクションで排除する」という方針になっており、主人公が記憶喪失という設定も相まって、物語の全容が分からない状態のままでも納得できる。序盤の展開らしい内容である。デート方式のキャラクター掘り下げストーリーも組み込まれており、実に現代らしい構成と言える。

かたやサブクエストは主に会話劇がメイン、かつ尺にこだわらない方針だ。会話劇ゆえに、さまざまな陣営の人物とコミュニケーションを行い、世界の在りようと、隠された真実を探求する。それを行うにあたって、工業システムを通じ作成されたアイテムを使う場面がまま登場する。アクションゲームなのに「動画映えしない」工業要素で何を語るのか、という疑問の回答は主にサブクエストが担っている。工業地帯の開発段階によって進展していくストーリー群はその回答例として分かりやすい。
本作は初作となる『アークナイツ』から100年後の世界を舞台にしており、さまざまな差別溢れる世界から100年が経った結果、民族の垣根を超えた交流が行われるグローバル化を成し遂げている。しかし、世界は技術の恩恵を受けられるか/否かを通じた、分断が発生している。
『アークナイツ:エンドフィールド』の舞台となる世界を統治しているのは各々が特筆すべき技術を持った組織達だ。Google(Alphabet)やAmazonが統治している世界とイメージしてみれば分かりやすいかもしれない。技術とは単なる製品の生産能力ではない。社会規範を作る力であり、使用する技術によって界隈が発生する。
『アークナイツ:エンドフィールド』の世界は技術の恩恵を受けられない界隈を馬鹿にしてレッテルを貼る人間が絶えない一方、技術的恩恵を受けられないがゆえに正しい情報を掴めず、扇動されて反社会的活動を行ってしまう人間も絶えない、現実に似た状況が広がっている。(作中登場する敵が仮面を被るのは、『アークナイツ』に登場する組織同様、扇動された匿名者であることをイメージしているのだろう)。
この世界におけるプレイヤーの役割は、技術を用いて規範を作るのではなく、技術を用いてさまざまな人を助け、グループ間の橋渡しをすることでもある。このようにメインとサブの2つの構造に分けることによって、そもそもジャンルに適合しないモチーフを語りに使っている本作だが、現時点における「限界」も感じられる。
3Dは作劇において枷なのか、ブレイクスルーはあるのか

ここでいう「限界」とはつまり、「本来なら分ける必要がない物語が技術的な理由から分割されていること」。物語体験がメインクエストとサブクエストに分かれていること自体に関する必然性の欠如だ。上述したように、メインクエストは動画映えするシネマティックな内容を、サブクエストは映えない文章表現や工業を重視している。両方とも扱っているテーマは同じく「真実の探求」だ。言ってしまえば、メインとサブでそれぞれが独自性を出しているのではなく、さまざまな理由からメインでは扱えない内容をサブに回している状態である。
これの何が問題かと言えば、本来なら1本化するべき内容が必然性無く分割されてしまっているケースが存在し、物語内容が全体的に淡白になってしまっているのだ。語る必要がある内容が存在するものの、動画として描くことができない→テキスト化、もしくはサブクエスト化するという方針を通じて、本作のストーリーを体験していると、何かしら欠けている感覚が常につきまとってくる。結果として、3Dのゲームであることが表現の枷になっているように思える。
その例として筆者が挙げたいのが、バージョン1.1に相当する「潮起ち、故淵離る」のメインクエストだ。主人公であるタンタンが、暴走する兄に対処しつつ、所属する組織の長を引き継ぎ、主人公陣営に所属するまでの流れを描いている。しかし、なぜ兄が暴走したのかは事件内容を映像で描けない都合上(殺傷描写に対する規制への対処や、次バージョンに販売する武陵所属のゾアンに対するヘイトコントロールも考えられる。)、作中資料を読み込まなければ分からず、今後タンタンが組織の長として乗り越えていくべき問題の内容はサブクエストをプレイしなければ十分に理解できない。ゆえにメインストーリーだけをなぞると、重要な情報が欠如したまま進行することになり、内容としては物足りない。

続くバージョン1.2「春の暁、訪れし時」ではそもそも3Dで描けないもの(をメインクエストに出さないようにすることで問題の解決を試みている。本バージョンのメインストーリーは無駄な時間がほぼ存在せず、進化し続けているカットシーンおよび、ジェットコースターのような体験を味わえる。とはいえ、描くべき内容が分割されていないわけではないため、物足りないことには変わりない。
筆者としてはサブクエストになっている襲撃事件の追悼式典に関する物語群について、メインに組み込んだほうが良いと考えた。メインだけを体験すると、敵を倒しっぱなし。勝ちっぱなしになってしまう。(バージョンの売りであるゾアンのクエストを行うタイミングが敵を倒した直後しかない、という商業的な理由があるのは分かる。クオリティも高かった。その後に式典の話を続けると「話が長すぎ」という意見が出るのも想像できる)。

ただ、ここまで意見を述べてきて何だが、そもそもとして、本作の物語体験を洗練させる必要性はあるのだろうか。上述したように本作のようなゲームは作劇において非常に制限が多い。十分ではないだろうか。ゲームにおける物語体験はそこまで重要ではない、という意見もあるだろう。筆者としては……そうは思わない。今後も大いにクオリティを向上させてほしいと思っている。なぜなら開発会社であるHypergryphは『アークナイツ』において、メカニクスを通した独自性のある物語体験を成立させているという前例が存在するからだ。
ゆえに物語における工業要素の強化を通じて、作劇上の制約がユーザーに伝わってしまっている現状を打破してほしい。描くことができないことがある今から、唯一無二の世界を描く未来へ歩み続けて欲しい。具体的には『デス・ストランディング』における国道建設のような、プレイを快適にするレイド形式のクエストがやりたい。工業組織の物語なのだから、重機やロボの操作といった場面を通じて、他ジャンルの遊びを取り入れても自然だろう。本作に実現してほしい希望はこの他にもたくさんある。
『アークナイツ:エンドフィールド』はサービス開始から約4か月。まだ1年目の新人である。そして、運営型ゲームの1年目は中身以上に「未来への期待感」でユーザーを引っぱるものだと思っている。願わくば、2年目、3年目と期待させ続けて欲しいものだ。
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