『METAL GEAR SOLID V GROUND ZEROES』 豪華な前菜と、それがもたらす「幻肢痛」

『METAL GEAR SOLID V GROUND ZEROES』は、コナミ及び小島プロダクションが手がける「メタルギアソリッド」シリーズの最新作である。

本作のパッケージ裏にはこうある。「本編『ファントムペイン』へと続く序章」。その通り、本作『GRAUND ZEROES(以下”MGSV:GZ”と略称)』は、本編からその序章を切り出したような内容であった。

 


「フォトリアル」の世界

 

「新世代FOXエンジン」を自称する本作の描画エンジンが描き出すグラフィックの出来は素晴らしい。本作の冒頭の「暴風雨の中崖から潜入したスネークがアップになり、そのままゲームスタート」という演出と、その直後に襲い来るサーチライトの鮮やかな眩しさは説得力抜群である。かつて本シリーズでは 『METAL GEAR SOLID2:SONS OF LIBERTY』でも風雨の表現に挑んでおり、当時他に追随するものは無かったであろうクオリティの風雨表現を実現していたが、本作のそれは『MGS2』をはるかに凌ぐ表現力と説得力を持っている。

 

スタート直後。ここからゲームクリアまでイベントシーンも含めて全てワンカットでゲームが進行する。 暴風雨とライトの光が大変美しいが、静止画だとイマイチ伝わりづらいのが残念。
スタート直後。ここからゲームクリアまでイベントシーンも含めて全てワンカットでゲームが進行する。
暴風雨とライトの光が大変美しいが、静止画だとイマイチ伝わりづらいのが残念。

 

それ以外では光の表現にも非常に力が入っており、サーチライトのハレーションや雨でほの見えるライトの筋、島内を巡回する装甲車のヘッドライト、敵兵が異変を感じた時に向けるライトの光、常夜灯の青い光といった色とりどりの光源が、任務の舞台である孤島の暗闇を見事な対比で描き出している。このように時に大袈裟すぎるほどに強調される光源処理をはじめ、単なるリアリズムでなく「フォトリアル(パッケージ裏より)」を自称する通り、大胆な映像的誇張を織り交ぜつつ、本作のグラフィックに独特の存在感と説得力を持たせることに成功している。

 


現実重視

 

ゲーム内容として前作にあたる『METAL GEAR SOLID:PEACE WALKER』までと大きく変化した点は、ステージ全体が巨大な単一のマップとして表現され、ステージ攻略中の「エリア切り替え」や「読み込み時間」といった要素が排除されていることだろう。『MGSV:GZ』の舞台となるキューバの孤島は島の端から端までスネークを走らせて1分弱と「オープンワールド」と呼べるほどは広くないが、スネークも敵兵もステージである孤島の軍事基地全体に常にアクセスすることができる。そこには「エリア切り替え」や「読み込み時間」といったゲーム的な都合は存在しない。

この結果、本作はシビアなリアリティを得た。「発覚したらとりあえずエリアを切り替えて敵配置をリセットしつつ態勢を立て直す」というようなビデオゲーム的な行動が通じなくなっているので、自然と事前の偵察やエリアマップの確認が重要となってくる。本作のスネークは「正確に視界内にとらえた敵兵・監視カメラといった敵性オブジェクトをマーク」という能力を持っており、一度マークしたオブジェクトであれば、自分が立ち止まっている間は「気配」という形で常にその位置と距離を把握できるようになる。この能力を使用して敵兵の動きを把握、マップと目視でエリア内の地理を把握し潜入ルートを考案、コントローラを握り直していざ実践、というこの一連のゲームプレイは非常に緊張感があって楽しい。

 

一度マークしてしまえばウォールハックよろしく様子がわかる。 距離がZZZとなっているのは麻酔がきいている敵兵。
一度マークしてしまえばウォールハックよろしく様子がわかる。
距離がZZZとなっているのは麻酔がきいている敵兵。

 

『METAL GEAR SOLID3:SNAKE EATER』以降おなじみになっていた「カモフラージュ率」も今回は数値が隠されており、数値に頼らずに「どういう姿勢で、どの程度隠れていれば、どの距離まで近づいて大丈夫か」という情報を自分の感覚で把握しなければならなくなっているのも大きな変更点だろう。カモフラージュ率が導入されてから、どうしても敵兵そのものというよりは「敵兵の視界を支配するカモフラージュ率という数値」とやり取りしている印象が拭えなかったのは確かなので、いっそ数値は見えなくしてしまえというのは英断である。自分が潜入し生きながらえているのが数値の力ではなく、敵兵の眼を盗み欺いているからだという静かな快感を感じることができるからだ。「フォトリアル」が生み出す誇張されたグラフィックと、数値情報を極力排したゲームシステムが、この点において見事にかみあっている。

 


忍耐

 

グラフィックやリアリティを重視したベースシステムは非常に魅力的なのだが、それはゲームスピードの大幅な低下をもたらした。基本的な立ち回りが「偵察による敵性オブジェクトへのマーク」に支配されるようになった。前述のとおり、本作にはプレイヤーが確認できる数値情報がほとんどなくなった。ソリトンレーダーも復活しなかった。その結果、敵をマーキングしつつジリジリと暗がりから暗がりへ走る忍耐のゲームになった。

これは実のところ「楽しい」と思う時間よりも「イライラする時間」のほうが長かった。積み重なったリアリティが、しばしばプレイヤーへのストレス要素として襲い掛かってくるからだ。とくに厳しいのが敵兵の視界で、プレイヤーが「どの程度隠れられているか」を正確に判断する数値的・客観的な材料が無くなった結果、発見されるにしろ発見されないにしろ納得感が薄くなってしまった。「え、そこからでも見えるの?」というような状況がしばしば発生する。発見された際のペナルティも重く、戦闘状態の敵兵はやたらと目が良くなるのでダッシュで逃げてもなかなか撒けず、なんとか撒いても暫くの間警戒状態として身動きできないほどに警備が強化される。しかも本作は戦闘状態・警戒状態の解除タイマーが表示されないため、いつかもわからない警戒解除を待ってじっと暗闇で息を潜めることになる。

 

この密度の敵性オブジェクトが蠢く緊張感。 これは警戒モード時の画面だが、これらがそれぞれにそれなりの意思を持ってスネークを探しにくる。
この密度の敵性オブジェクトが蠢く緊張感。
これは警戒モード時の画面だが、これらがそれぞれにそれなりの意思を持ってスネークを探しにくる。

 

 

もちろんそのような数値は表示されない、見えないのが本来の姿であり本作の目指すリアリティであるはずなのだが、そのせいで思った以上にプレイングを縛られている気分になってしまう。手持ちの武器が少ない初回プレイ時(本作はミッションクリア時のランクに応じて新しい武器が解禁されていく仕様)などは特にそうで、かと言ってはじめから隠密潜入を諦めて敵兵を全て殺して回るランボープレイに走ると、それはそれでゲームプレイが大味なうえに難易度まで下がりすぎてしまって純粋につまらない。

この忍耐こそが潜入任務であるり本作の醍醐味であると言われればそれはうなずくしかなく、実際にその厳しさがあるからこそ任務達成時や、潜入そのものがうまく行っている時の快感につながるという面はある。実際、この息苦しさはおそらく意図的に作られており、一概に欠点というわけではない。それでも『MGSV:GZ』の範囲においては、ゲームプレイがいささか窮屈すぎるように感じる。

付け加えるとするなら、本作がリアル・シリアス一辺倒で、これまでのシリーズが持ち合わせていたユーモア成分がすっかり無くなってしまっているというのも息苦しさの原因としては挙げられるかもしれない。本作は徹頭徹尾シリアスで陰鬱なストーリーのまま進行し、最終的にいかなる解決もカタルシスもなく終わってしまう。恒例の無線通信にも遊びの要素は皆無で、ゲーム中はポーズメニュー呼び出し時以外はマップ表示中だろうが無線通信中だろうが時間が止まらない。作中のスネークと同じく、プレイヤーにも心休まる時間はないのだ。

 


「未完」のゲーム

 

私が本作のメインミッションを「前知識なし」「極力殺害なし、発見なし」というポリシーのもとプレイし、クリア後のリザルト画面に表示されたプレイ時間は57分だった。リザルト画面のプレイ時間にデモシーンの時間が計算されるかは調べていないが、それでも全体のプレイ時間は90分を超えていないだろう。長いか短いかで言えば短いプレイ時間だったと答える。とはいえ、私はプレイ時間の短さを批判するつもりは全くない。その大部分が忍耐であったとはいえ、プレイ中に濃密な時間が過ごせたのは事実であるし、それに対する満足感もある。本作は楽しいゲームである。

私が問題に感じるのは、本作が「完結していない」という点だ。それはストーリー上のこともに限らず、本作を一本のビデオゲームとして見た場合もそうだ。本作はゲームとして完結していないのだ。

一例をあげよう。本作には車両の概念があり、敵が巡回に使用するジープや装甲車という車両は、何らかの手段でもって敵兵を排除できればそのまま乗り回す事が可能で、移動手段などに利用することができる。

できるのだが、本作においてそれはあまり意味がない。そもそも車両を使用しなければならないほどステージが広くない。「救出対象人物を乗せて逃走する」というアクションもないではないが、やはりステージの狭さが邪魔をして、その要素を十全に活かすことは難しい。

だが、それはあくまで本作だから――序章である『MGSV:GZ』だから意味がないだけだ。舞台がこの手狭な孤島だから意味がない。逆に、広大なフィールドを駆け巡ることになることがニュースリリースやPVからも読み取れる本編『ファントム・ペイン(以下”MGSV:PP”と呼称)』では、乗り物は重要な意味を持つだろう。「乗り物を運転できる」というアクションは本来『ファントム・ペイン』のために存在するのであり、そして、その地続きの序章であるから『MGSV:GZ』でも乗り物に乗ることができる、それだけのことだ。

 

このように装甲車をジャックすることも可能で、装甲車に乗っている間は顔を見られないので敵兵にバレない。 が、装甲車にはスネークしか乗ることが出来ないので攻略上の意味が薄い。 ジープなど捕虜と一緒に乗れる車両もあるにはあるのだが、車両で行き来するには『MGSV:GZ』のフィールドは島も道も狭すぎる。生身で走ったほうが話が早い。
このように装甲車をジャックすることも可能で、装甲車に乗っている間は顔を見られないので敵兵にバレない。
が、装甲車にはスネークしか乗ることが出来ないので攻略上の意味が薄い。
ジープなど捕虜と一緒に乗れる車両もあるにはあるのだが、車両で行き来するには『MGSV:GZ』のフィールドは島も道も狭すぎる。生身で走ったほうが話が早い。

 

本作は『MGSV:PP』ありきのタイトルであるためか、こうした「MGSV:PP向けの要素のチラ見せ」が非常に多い。その多くは『MGSV:GZ』というゲームの短さや舞台の狭さと噛み合わないか、そもそも無意味な存在になっているか、あるいは存在にすら気付かれないだろう。本作の「薄さ」の正体はそれである。本作のエンディングの後に『MGSV:PP』という本編が存在することを前提に設計されているのに、肝心の「本編」が抜け落ちている。にもかかわらず、本作はあくまで序章としての作りに徹しており、本編の不在をケアする内容にはなっていない。むしろ積極的に本編への継続性をアピールする内容になっている。本来はパッケージとしても成立し得ない「完結していない」タイトルにもかかわらず、である。

それを「序章だから」「先行体験だから」「エピソード販売だから」とすべて容認するのは、私にはいささか乱暴に映る。たしかに本作は「未完成」などでは断じてない。序章として、前菜として、つまみ食いとしてはこの上ない完成度である。一方で、本作が単体のゲームソフトとして存在するのはやはり疑問だ。共に在るべき「本編」を欠いており、ストーリー作品としても、一本のゲームタイトルとしても、まとまりを欠いた「未完」のタイトルのように見えるからだ。

しかしながら、悩ましいことに『MGSV:GZ』を踏まえると『MGSV:PP』への期待が高まるというのも確かである。本作で垣間見ることのできるリアリティをフルに活かしたゲームがどうなるのか、本作で匂わせた『MGSV:PP』向けの要素――たとえば無力化した敵兵をヘリで拉致できることなど――はどのように活かされるのか、何に使うのか。私はそれを見てみたい。そう思わせるだけのパワーが『MGSV:GZ』にはあった。本作がたとえただの前座であったとしても、本編たる『MGSV:PP』のおこぼれに過ぎなかったとしても、本作は素通りするにはあまりに魅力的すぎる。だからこそ私は残念でならない。もう少しだけ本作に「本編ではないこと」に対するフォローがあったなら。もう少しだけ土台となるボリュームと、独立性があったなら。――それならば、プレイ後の印象はずっと変わっていたはずだ。

さて、前菜たる本作に続くメインディッシュ「本編」が味わえるのは来年のことだという。「ファントム・ペイン(幻肢痛)」とはよく言ったものだと思う。私はこれから、今はまだ存在しない、しかし本作からは失われた「本編」への渇望に、『MGSV:PP』の発売まで苦しむことになるのだから。

 

果報(PP発売日)を眠って待つ兵士たち。なにげZZZ表示がバグっている。 このように兵士を一箇所に集めると不意に消滅したりやたら処理落ちしたりするので、なんだかんだでやはり未完成だったのかもしれない。 本写真も実は逆Vの字に敵兵を並べておいたのだが、視点を動かしているうちに一人消えてしまった。
果報(PP発売日)を眠って待つ兵士たち。なにげZZZ表示がバグっている。
このように兵士を一箇所に集めると不意に消滅したりやたら処理落ちしたりするので、なんだかんだでやはり未完成だったのかもしれない。
本写真も実は逆Vの字に敵兵を並べておいたのだが、視点を動かしているうちに一人消えてしまった。

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