PS5『Marvel’s Wolverine(マーベル ウルヴァリン)』レビュー。『Marvel’s Spider-Man』ゲームを作ったスタジオの新作は「十数時間でわかるウルヴァリン」。良い意味でも悪い意味でも

開発会社の実力が十分に発揮できていないように思えた、非常に惜しい内容に収まってしまっているゲームと言えるだろう。

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ゲーム業界にて近年主流となった、作品を原作とするIP展開の手法。その典型的な作品が、『Marvel’s Wolverine』である。その姿は「十数時間で分かるウルヴァリン」という映画と形容できるものだ。しかし、筆者は椅子に座って映画が観たいのではなく、コントローラーを握ってゲームがプレイしたかった。

『Marvel’s Wolverine』はInsomniac Gamesが開発し、SIEが販売するアクションアドベンチャーゲーム。対応プラットフォームはPlayStation 5。発売日は9月15日を予定している。内容としては、ウルヴァリンを主人公とした完全オリジナルストーリーが展開される。紆余曲折を経て「チームX」というミュータント復興チームに再加入したウルヴァリンは、人間こそが至高の存在であるという狂信的な思想を持つボリバー・トラスクをはじめ、ミュータントを虐げるヴィランたちと戦いを繰り広げていく。本作のプレイにあたっては、SIEからPS5コードの提供を受けている。

これはゲームの映画化である

本作の全体像を端的に表現するなら、それは「ゲームの映画化」と呼ぶことができる。シネマティックな映像演出やリニアな構造を取り入れつつも、プレイヤーごとの創造性を発揮し、各々の物語を生み出せるようにした、「映画をゲーム」にした作品はこの世にごまんとある。しかし、本作はそうではない。ゲームフローが単にリニアな構造である、というだけでなく、プレイヤーの自意識でもって、プロットラインを逸脱することを許さない。構成要素が戦闘アクションとストーリー以外存在せず、プレイヤーの進行を阻む一切の要素が作中から取り除かれており、すさまじいゲームスピードと軽快なテンポのもと、ウルヴァリンの物語が一直線に突き進んでいく。体感のプレイ時間はちょうど長編映画一本ぶん……。実際は十数時間程度ではあるが、スタッフロールを観終えたあとに筆者へ訪れた感覚は、まさしく劇場の照明が上がった時のものだった。

しかし、筆者は疑問も覚えた。「私はゲームを遊びたかったんだが……。」本作は「ゲームの映画化」と呼べる作品である。ゆえに、ただスクリーンを眺めていれば、与えられた遊びをこなしていればゲームが終わる。斬新な体験を提供するわけではないのはもちろん、プレイヤーごとの創意工夫を発揮する余地がほぼなく、体験内容が徹底してゲームに対し受け身であり、昨今の業界における流行を踏まえれば、「ゲームをクリアしてもらうためのゲーム」とも形容できる。とはいえ、筆者が作品に対して思うのは、物足りなさであり、残念さである。

ウルヴァリンらしい操作体験

では、具体的なゲーム内容の説明に移ろう。本作の構造は「ウルヴァリンが出てきて、殺す」を最後までひたすら繰り返すものになっている。ストーリーの進行とともに移り変わるフィールドを少し移動して、広々としたロケーションに着いたら敵がうじゃうじゃと湧き出てくる。それを高速で殺す。すると物語が進行するので、移動。そして敵が現れ、ウルヴァリンが殺す。エンディングまでずっとこの調子である。本作の特徴を挙げるとすれば、それは「戦闘に特化している」という点だろう。

体験の味変としてよくある「謎解き」や、フィールドを往復する「サブクエスト」、ロケーションに応じた「戦闘するかしないか」「武器は何を使うか」の選択はまったく存在しない。戦闘と、シネマティックなカットシーン。それが本作のすべてだ(オマケとしては簡単な収集要素と、戦闘や移動のタイムアタックチャレンジ、そして強くてニューゲームが用意されている、程度だ)。実態としては敵をひたすら屠り前進していく、古き良きアクションゲームに近い。

作品の中核を成す戦闘については、体験のバラエティこそシンプルにまとまっているものの、大量の敵を捌くという形式を通じて「ウルヴァリンらしい」体験に仕上がっている。操作の簡単さと、構成要素がほぼ無いゆえに必要な、歯ごたえある難易度を両立しつつ、彼の能力である無尽蔵の回復力「ヒーリングファクター」と獣性をゲームに落とし込んだものだ。作中にて戦場に赴くと、大量の敵が一斉に出現し、狙撃、銃撃、タコ殴り。囲まれたと思ったらあの手この手でウルヴァリンの体力を削ってくる。

こちらはワンボタン入力で可能なパリィアクション、回避行動、遠方への急速接近を使いこなし、HPを回復する攻撃を積極的に繰り出すことで、削られるHPよりも早く敵を殲滅することが求められる。両の爪で敵を肉塊にし続けると、怒りのボルテージをイメージするゲージが上昇。一定値に達することで、必殺の攻撃を連続で繰り出すことができるようになる。

また、倒されてもゲージを0にすることで復活することが可能。いかにウルヴァリンの怒りを効率よく溜め、高速で敵を片付けるか、という点でプレイヤーの練度上達が分かりやすい(ちなみに、被弾するとスーツがボロボロになるだけでなく、筋組織が剥がれて、体内の金属が剥き出しになる。回復すると、肉体の損傷だけ元に戻るという演出がクールだ)。

一方、ボス戦では繊細な操作が求められるのが、平時とのギャップを感じて非常に面白い。敵を攻撃して回復するのが本作の仕様ではあるが、ボスは当然ながら簡単に攻撃させてくれることはない。よって、パリィや回避を習熟していないと勝てないようになっている。敵を高速で殺害する血みどろ体験から死にゲーのようなスリリングな死闘へのスムーズな転換があるわけだ。

このギャップを通じて、ボスキャラクターの「格」と呼べるものが自然に立ち上がり、プレッシャーを与え、物語の山場という状況に強い説得力を付与している。先述したように、本作はひたすらシンプルな戦闘を繰り返すゲームになっている。それでも心地よさを感じることができたのは、平時の華やかな殺戮ショーと、ボス戦の緊張感ある死闘という転換がテンポよく行われるからだ。

そして、本作のストーリーについては……ネタバレを考慮して具体的な内容を言及することはできないが、抱いた印象として「かなり大味」である。筆者は精細な語り口が好みなのだが、軽快なテンポで一気にゲームが進行する都合上、これはある種仕方ないことでもあると、筆者は納得している。ハリウッド映画のお約束を踏まえつつ、暴力的でハードボイルド、身内に甘く、繊細な心を持つ「ウルヴァリン」という複雑なキャラクターを分かりやすく端的に表現している。また、ウルヴァリンは日本通のキャラクターとして著名であることにも焦点が当たっており、日本人のキャラクターが登場することはもちろんのこと、映画館やゲームセンターが点在する、精細かつファンタジックに描かれた新宿、歌舞伎町が出現。映画「ウルヴァリン:SAMURAI」を思い起こさせる面白い風景だった。

今はゲーム単体を売るのではなくIP活用の時代

キャラクターを活かした、ヒロイックで心地よい戦闘体験と、大味だがウルヴァリンを分かりやすく表現するストーリー。これが本作の体験である。しかし、両者ともに受け身な体験である。戦闘は敵を高速で捌く方向性であるため、プレイヤーが上手くなるほどパリィからの一方的な蹂躙になり、操作体験が単調になっていく。戦闘用のロケーションも戦いやすさを意識しているお陰で内容が似たりよったりであり、ゲームの進行と共に、出された敵をひたすら処理する受動的かつ似たような体験が目立っていくのだ。カンフル剤として機能する、攻防のせめぎあいを導入したボス戦の数は平時の戦闘数と比較して少ない。

ストーリーについても基本的にカットシーンが主体となって進行する。QTEや、逃走する敵を追いかける移動体験も組み込まれているが、インタラクションには乏しい。そして、受動的な体験が主体になると何が良くないかと言えば、飽きが来て、疲労を感じるのである。遊びやすさはあるが、10時間以上も椅子に座って映画を観続けるのは、並大抵のことではない。

なぜこのような内容になったのか、と想像すると、さまざまな理由が想定される。ウルヴァリンというモチーフとゲームという媒体の相性……ウルヴァリンが戦闘中に変幻自在な攻撃をしたり、謎解きをしたり、お使いを頼まれている光景を観たいだろうか。ウルヴァリンには暴れて、悩むこと以外に似合う姿などあるのか。ゲームのプレイヤー層が多様化したことを通じて、複雑なシステムに慣れていないカジュアルユーザー向けの調整をしたとも想定できる。そうした中で筆者としては、マーベル・シネマティック・ユニバースの宣伝媒体として、ぜひとも最後までクリアしてほしいという狙いが大きいと考えている。

というのも、遡ること2024年。マーベル・スタジオのケヴィン・ファイギ社長が“MCU映画数本で「おなじみのX-MENキャラクター」を目にすることになると語っており、直近のタイトルでは「スパイダーマン:ブランド・ニュー・デイ」にて、本作にも登場するウルヴァリンの関連キャラクター「ジーン」が登場している。次作となる「アベンジャーズ:ドゥームズデイ」にも、かつてX-MENを演じたキャストの出演が発表されている。2028年5月5日には新作映画の公開が予定されており、近年のマーベルは会社の方針として、「ウルヴァリン」も含むX-MENキャラクターを推したいという意向があるわけだ。

同時に、近年のゲーム業界のトレンドにIP活用がある。ゲームは販売するまでに莫大な費用を必要とし、その上で売れるか分からないという博打状態にある。そのため、開発会社は売れたゲームの商品寿命を延ばすべく、中古対策をはじめとした多種多様な工夫を重ねてきた。そして、現在流行しているのがゲームを原作としたマルチメディア展開である。多様なメディアに派生作品、グッズを作ることで、原作から派生へ、派生から原作へという循環を生み出す狙いがある。

今回、『Marvel’s Wolverine』の内容が「ゲームをクリアしてもらうためのようなゲーム」になっていたのも、映画からゲームへ、ゲームから映画へ、という循環を作るためだと筆者は考えている。新作映画に「ウルヴァリン」の関連人物が登場するたび本作の宣伝をすることが可能になる。内容が単純ゆえにクリアも難しくない。本作をプレイ後に映画を観れば、スムーズに物語を理解し、ゲームで観た場面を劇中描写と重ね合わせながら楽しめることだろう。

とはいえ、本作の内容はIP展開に適した形ではあるとは思うものの、ユーザーに向けて提供したいゲーム体験の最新形態として、ゲームである必然性があまり感じられない。多様なゲームが続々と登場する昨今において、なぜ戦闘とカットシーン主体である、古い形式のゲームを、安くない料金を払い体験させたいのか、という意図が最後まで伝わってこなかった。筆者としては、Insomniac Gamesに対し、さまざまな創意工夫のある入力体験を提供する開発スタジオであると認識している。『ラチェット&クランク』『Marvel’s Spider-Man』など、過去作で見られた素晴らしい実力が、今回は鳴りを潜めているように思えたのは残念である。

総じて、『Marvel’s Wolverine』は戦闘、そしてカットシーンを通じて「ウルヴァリンとは何か」を伝えることには成功している。その姿は「十数時間で分かるウルヴァリン」という映画、と形容できる。一方で、2026年発売の最新ゲームとしては全体的に採用している形式が古く、本作を優先してプレイする訴求力に欠けている。開発会社の実力が十分に発揮できていないように思えた、非常に惜しい内容に収まってしまっているゲームと言えるだろう。

‎©2026 MARVEL  
©2026 Sony Interactive Entertainment LLC. Developed by Insomniac Games, Inc. 

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Takayuki Sawahata
Takayuki Sawahata

娯楽としてだけではなく文化としてのゲームを知り、広めていきたい。ジャンル問わず死にゲー、マゾゲー大好き。

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