「CEROレーティング変更DLC」という未来


2014年10月23日、国内においてベセスダ・ソフトワークスの新作『サイコブレイク』が発売される。開発はかつて『バイオハザード4』のディレクターを務めた三上真司氏率いるTango Gameworksだ。

さて、本作は日本国内において非常にユニークなプロモーションを展開している。それは予約特典の内容だ。店舗別・期間限定・地域限定など、予約特典をからめる商売そのものはビデオゲームにかぎらない。国内外を問わず非常にポピュラーなものといえるだろう。

『サイコブレイク』はそのカテゴリに「年齢別」という枠を新設するに至った。『サイコブレイク』のパッケージ単品のCEROレーティングは「D(17歳以上対象)」である。これを「Z(18歳以上のみ対象)」相当の表現内容に置き換えるDLC――「ゴアモードDLC」を、CERO Zのタイトルが購入できる人を対象とした予約特典として付属させるというのだ。なお、17歳以下のCERO Dまでしか購入できない人にも、それ専用のDLCを用意するとのことである。

 


「抜け道」ではない

 

DLCを適用することによってタイトルのCEROレーティングを実質引き上げてしまう手法であり、レーティングの意味を瓦解させそうな仕組みと読みとれるかもしれないが、すくなくとも『サイコブレイク』だけを例にとるかぎり、ある前提条件が変わらない限りは問題になる可能性は薄いと考えられる。

前提条件とは「ゴアモードDLCが予約特典限定アイテムであり、今後再配布等が一切なされない」ということだ。この点さえ変わらなければおそらく問題にはならないだろう。

「ゴアモードDLC」は予約時に18歳以上であることが証明できた人のみ手に入れることができる、と説明されている。発売後の再入手という手段も考えていないということだ。つまり発売後に新品・中古問わずパッケージ版を買ったところで、ゴアモードDLCを入手する方法はもはや存在しない。予約時の年齢確認を厳密にしてさえいれば、発売後に「CERO Zのサイコブレイク」を入手することは不可能になるため、17歳以下の人物が「CERO Zのサイコブレイク」にふれる機会は永遠に失われる。発売前と後とで擬似的にゾーニングをするわけである。このことから、本件がCEROレーティングの枠組みを変えるような内容ではないことがわかる。

また、CERO審査自体は現行の審査基準に応じて行われるため、ここまでして手に入れたものだからといって海外版と全く同じ表現内容になるとは限らない。ベセスダの高橋氏は「海外となるべく近い表現のもの」と言い表しており、最終的な規制内容についてはまだ未定となっている。売り方としても表現内容としても、現在の運用基準に限りなく沿ったかたちで運用可能であり、およそ抜け道などとは程遠い内容である。

 


『サイコブレイク』が変えるかもしれないもの

 

しかし、本作のこの施策には可能性が存在する。「CERO Zのパッケージタイトル」という存在そのものを消し去るかもしれないという可能性が。極端な話、本作のこの施策が本当にうまくいくのであれば、店頭からZ指定のパッケージソフトはなくなるのかもしれない。

仕掛け人であるベセスダの高橋氏は、GameWatchのインタビューでこう発言している。

「ロリポップチェーンソー」はDとZの両方を出しましたよね。あれも意図としては同じことだと思うんです。Dでプロモーションして、Zで予約を取る。でも、これだと店頭が困ってしまうんですよね。在庫が積み上がるリスクがそれだけ増えるし、それ以外にも問題が出てきます。

2種類のCEROレーティングを持つパッケージの同時販売は確かに小売りへの負担は大きいだろう。まして片方がZ指定ともなれば当然だ。限定版の同梱物の関係で限定版・通常版でCEROレーティングが異なるタイトルが最近登場したが、これはCERO AとBの違いにすぎず(限定版のみCERO B)、インタビューで触れられている『ロリポップチェーンソー』の事例とは比較できない。

そうした問題に対する本作の取り組みは確かにスマートだ。予約時に年齢確認が必要なのは通常のZ指定タイトルと同様だし、発売後はソフトそのものはD指定なので棚を別にするなどという必要はない。いずれも通常の業務範囲でほぼ対応可能だろう。店舗に要求される対応の手間も確かに最小限にとどめられているように思う。

パブリッシャーがこうした2バージョンの制作の手間、そして頒布方法の展開を惜しまないのであれば、いずれはこの方式が主流になるのかもしれない。これはそれくらい魅力的な手法だ。あくまで高橋氏の「Z指定ソフトはD指定ソフトに比べて商売上不利」という発言を前提とするならばだが、店頭ではD指定相当の一般タイトルとしてあつかわせてもらえ、情報に敏感で表現にこだわるマニア層に対して確実な予約を要求することができるこの方式は実にスマートである。そうなってしまえば、もはやZ指定パッケージなどという肩身のせまい代物をわざわざ作る必要がない。後追いでZ表現化が可能であることを『サイコブレイク』は実証してみせたのだ。

本作の場合は予約特典DLCという扱いだが、CEROレーティング解除キーを有料DLCとして販売するという手段もあるだろう。とくにXBOX Liveの場合、Z指定関連の商品は決済にクレジットカードが必須という独自制限があるため、18歳未満はDLCを購入できない仕組みが存在する――という言い訳はできる。

 


表現という人質

 

この方式は非常にスマートだ。誰も損をしないように見える。小売店も、パブリッシャーも、そしてゲームの購入者も、誰も損をしないようにみえる。

しかしだ。それでは、発売日以降店頭に並ぶ「CERO Dのパッケージ」はいったい何なのか。もう二度とCERO Z相当の、本来の姿になることのかなわないパッケージは誰に向けたものなのか。それを手に取るのは誰なのか。

思うに、この施策で本当に損するのは、やはりゲーマーなのではないだろうかと思う。なにせベセスダはZ表現を人質にして、様子見すら許さない「確実な予約」をマニア層に対して要求してきたのだから。発売後に流通するすべてのパッケージを表現規制された"不完全版"とすることと引き換えに、彼らは「Z指定相当」というあらたな商売道具を手に入れた。

CEROに・条例に・規制にと色々言葉を並べてみたところで、いま存在する事実はそれだ。ゴアモードDLCは『サイコブレイク』の価値を高めることはない。それは本作がもともと持ち合わせていたものを元に戻すだけの話であって、パッケージ版はそれを持たない中途半端な存在であることが約束されているだけの話だ。

そして、パブリッシャーも、われわれゲーマーも、それが「商売道具たりうる価値」を持つことをすでに知っている。少々昔の事例だが『バレットストーム』というタイトルがあった。もともとは多彩な武器とステージギミックを駆使して、押し寄せる敵を気持ちよくミンチにしていく爽快系シューターだった。が、海外版で存在したゴア表現が国内版ではすべてオミットされた結果、こちらの攻撃に対するリアクションが非常に味気ない駄作に成り下がってしまった。

表現は時にそのゲームの根底の面白さ、楽しさに直結するし、われわれは前例からそれをイヤというほど知っている。『サイコブレイク』がそうではない、ゴア表現なしでも十分に成立するゲームである保証はないし、実際に発売されたあと、それを確認してからではもはやZ表現版の入手はかなわない。まったくの新規IPに対する「予約という博打」を強要するに値する、憎たらしいほどにうまい商売である。

 


諸刃の剣をたずさえた『サイコブレイク』

 

本作のこの試みが成功するかどうかはまだわからない。私のように眉間の皺を増やしながら予約票を書いた人数が想像以上に多いかもしれないし、パッケージ版の微妙な立場が災いしてパブリッシャーの思惑通りにはいかないかもしれない。だが、はっきりと言えることがある。そもそもそうした議論や表現の違いすら吹き飛ばすパワーを『サイコブレイク』が持ち合わせていることこそが、今は最も望ましいのだ。

色々と書いてきたが、この取り組みが注目に値する内容であることは間違いない。失敗であればそれまでだし、もし一定の成果が認められて成功認識が共有されるのであれば他社もそれに続くだろうし、その結果として店頭のZ指定パッケージの数は確実に減少するだろう。それが良いことなのか悪いことなのか、私にはまだわからない。

ただ、一介のゲーマーである私としては、どうかこういう商売はこれっきりでありますようにと願わずにはいられない。誰が得をし、誰が損をするのか。まだ検討の余地はあるだろう。


ビデオゲームとアメコミとバイク(盗難被害遭遇済)をこよなく愛する30台前半。レトロゲームも最新ゲームも等しく同じ大切なプレイ対象である。 幼少期に出会った『マーブルマッドネス』の衝撃でビデオゲームに目覚め、なぜか実家に転がっていたMSX2+に親しみ、バーチャルボーイに立体視の未来感を植えつけられゲーム人格が形成されていった。STGからRTSまでどんなジャンルも遊んでみるが女の子がいっぱい出てくるゲームは苦手。