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ゲームの「個人開発者」は、“どこまでひとりで作れば名乗れるのか”巡り開発者間で議論白熱。揺らぐ“外注OK”のライン
英語圏のXを中心に、ゲームの「個人開発者」という言葉をめぐって議論が起きている。

英語圏のXを中心に、ゲームの「個人開発者」という言葉をめぐって議論が起きている。議論の背景には、ゲーム開発の環境が変化するなかで、「個人開発者」という言葉が状況ごとにさまざまな意味をもってきている現状があるようだ。
本当に“ひとり”で作っているわけではないかも
今回議論の口火を切ったのは、ゲームアナリストのEsty氏だ。同氏はとあるゲーム開発者が投稿したとみられる文章のスクリーンショットをXにアップし、その表現に対して異議を唱えた。この文では、筆者は自らを「個人開発者(solo dev)」と名乗りつつ、アートやプログラム、翻訳などはお金を払って外注していると伝えている。これについてEsty氏が、「本当にひとりで作っているわけではないのに“個人開発者”を名乗るのは不誠実である」といった主張を展開。さらに「貢献した人がいるならクレジットに名前を載せるべき」とも述べ、個人開発者という言葉について一石を投じた。
そんなEsty氏の主張について、当のゲーム開発者たちからさまざまな意見が寄せられている。Esty氏に賛同する開発者としては、たとえば3Dアクション『Eyes Of The Sky』を開発中のAzure Dev氏が存在。同氏は「完全に同意する」と述べ、自分はチームで唯一のプログラマーかつゲームデザイナーだが、個人開発者ではないと反応した。ポストによると、Azure Dev氏には報酬を払って手伝ってもらっている小さなグループがあり、彼らなしで開発は成り立たないという。また別の開発者による賛同意見として、『1BIT CASTLE REMAKE』などを手がけるkantal氏も「個人開発者とはすべて自分で作っていることを意味しており、誰かを雇った時点で個人開発者を名乗るのは不適切だ」との見解を共有。そのためkantal氏の考えでは、実際にはゲームの“個人開発者”はほとんど存在していないという。
またクレジット表記の観点から、Esty氏に賛同する意見も見られる。たとえば『K-Popアイドルストーリーズ:デビューへの道』を制作中のWisageni Studioは、自らの経験を交えた見解を披露している。同スタジオはアウトソーシングとして仕事を請け負ったものの、クレジットに名前が載らなかった経験があるのだという。こうした外注契約では、クレジットに名前を載せないことが最初から条件に入っていることも多く、受注者のポートフォリオ形成の観点から見て悪影響があると語った。個人開発者を名乗っている場合、他者の名前を自作品のクレジットに入れることに消極的になる開発者もいるということなのかもしれない。とはいえWisageni Studioは「ゲームへのあらゆる貢献が認められるべき」との持論を述べ、外注した開発者のクレジット表記の必要性について多くの開発者から賛同意見が寄せられている。
どこに線を引くべきか
一方で、たとえアートやその他の要素を外注していても、個人開発者を名乗ることは問題ないとする意見も寄せられている。たとえば2Dライフシム『retro life』を開発中のCheeseHead GamesのNick氏は、「通常フリーランサーは開発チームの一員とは見なされないため、アーティストを雇っても個人開発者を名乗るのは問題ない」とする見解を披露。また見下ろし視点シューター『Phantom Squad』を手がけたCtrl Freak氏も、「自分はゲームのレベルデザインやアート、音楽のためにフリーランサーと契約し、彼らの名前をクレジットもしているが、それでも自分を個人開発者だと考えている」と投稿した。実質的にスタジオを個人で運営しており、ゲームの大部分を自分一人で制作しているなら、個人開発者を名乗れるという見解だろう。またCtrl Freak氏は、「これはどこに線を引くかの問題であり、ふつう個人開発者もゲームエンジンやプログラミング言語まで一人で開発したりはしない」と指摘している。

さらに業界の現状に踏み込み、個人開発者という肩書き自体が一種のブランド価値を生み、一人歩きしてしまっているのではとの分析も見られる。たとえばローグライクRPG『Path of Achra』を制作したUlfsire氏は、「自身もかつては“個人開発者”という肩書きに過剰な誇りをもっていたことがある」と自らの経験を共有。続くポストで「そういった場合では他者の貢献を明確にすることが、障害とみなされてしまうことがある」として、個人開発者を名乗る開発者側の心理が語られた。またボクシングシム『Rising Spirit』を開発中のAeterponis氏は「個人開発者やゼロ予算といった言葉はマーケティング戦術として利用されており、注目を集めるために使われるケースもある」と投稿。販売戦略として意識的に個人開発者を名乗るケースもあるとの見解を伝えている。
定義を厳密にしすぎれば、実際に当てはまる人はいなくなる
このようにゲーム開発者のなかでも、“個人開発者”という言葉の認識はさまざまのようだ。近年はアセット販売や共用ゲームエンジンの普及など、個人規模でも利用しやすいリソースの発展により、かつてより少人数でのゲーム制作が現実的になっている。こうした状況があるなかで、「どこまで一人でやっていれば個人開発者と見なせるのか」という疑問も生じつつあるのだろう。
ちなみに過去にも、『Manor Lords』の公式サイト上などで“個人開発”をアピールする表現が用いられていた点が議論を呼んだ事例がある。同作はGreg Styczeń氏による個人開発から始まったプロジェクトながら、Epic MegaGrantからの資金を獲得したのち、Hooded Horseとパブリッシング契約を締結。外部チームと協力しながら開発が進められており、スタッフロールでもGreg Styczeń氏のほかにさまざまなスタッフの名前を確認できる。宣伝上は“個人開発”とも表現されていたものの、むしろ小規模なスタジオよりも多くのスタッフが関わっている可能性が指摘されていた格好だ(関連記事)。

同作のように当初は個人開発作品であったとしても、パブリッシャーとの契約によって一部作業が外部委託される事例はある。“チームとして開発していなければ個人開発”といった定義だけではしっくりくる分類が難しい状況はありそうだ。テストプレイやローカライズ、作品によってはコンソール機への移植など、ゲーム開発への貢献のかたちはさまざま。またフォント、音声素材、3Dアセットなどを、ライセンス購入も外部委託もせずにすべてひとりで制作することは困難だろう。文字通りの意味で、最初から最後まで個人でゲームを制作してリリースするのは現実的ではないかもしれない。
そうした背景もあり、“個人開発者”の定義を厳密にしすぎれば、実際に当てはまる人はいなくなる、という実感もゲーム開発者のあいだにはあるようだ。ゲームの開発環境が多様化するなかで“個人開発”の定義が難しくなっており、「インディーゲーム」という表現の使われ方とも共通するところがあるだろう(関連記事)。人それぞれ“個人開発者”という言葉に抱くイメージが変わってきていることがうかがえる議論である。
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