『ゴッド・オブ・ウォー ラグナロク』レビュー。思春期の息子と神々の黄昏、新たな神話は続編に相応しい造形美を誇る

 


「私たちの目標は、壮大かつゆるぎない、心に響く体験を提供することでした。 開発している間、世の中の情勢もこういったテーマとの相関があるように感じられ、少しずつチームの意識がプレイヤーの皆さまを温かく包み込む“毛布”を作りたいと思うようになりました」。

『ゴッド・オブ・ウォー ラグナロク』のレビュー用コードとともに送られた、本作の開発元であるSIEサンタモニカスタジオからのメッセージである。

稀代の傑作という評価を受けた『ゴッド・オブ・ウォー』の続編として登場した『ゴッド・オブ・ウォー ラグナロク』は、まさに現代に語られるべき神話として相応しい作品に仕上がっている。前作で評価されたアクション体験をストレートに継承しつつ、ハートウォーミングな物語をじっくりと展開する。血塗られた復讐譚から始まった神殺しの伝説は今や、恐ろしく困難な現実に傷ついた私達の心を包む、温かな毛布となった。

*本稿は、ソニー・インタラクティブエンタテインメント(以下、SIE)提供レビュー用コードでのプレイにもとづき執筆。また本記事内には『ゴッド・オブ・ウォー』『ゴッド・オブ・ウォー ラグナロク』に関する軽度のネタバレと捉えうる内容あり

『ゴッド・オブ・ウォー ラグナロク』は、2022年11月9日発売のPS4/PS5向けアクションアドベンチャーゲーム。2018年にリリースされた『ゴッド・オブ・ウォー』の続編作品であり、開発は引き続きSIEサンタモニカスタジオが担当している。前作において光の神バルドルを殺害したことにより、ラグナロクの到来が現実に迫る中、クレイトス&アトレウス親子の間には「家族で平穏に暮らしたい父」と、「ラグナロクの阻止という使命感に燃える息子」という意見の対立が起こっていた。思春期の息子と神々の黄昏。壮大で心温まる物語が展開されていく。


続編にふさわしい造形美


シリーズの新たな神話を紡ぐべく、前作『ゴッド・オブ・ウォー』が発売されたのは4年前のこと。視聴覚的な演出を通じた「芝居によって物語る行為」と、ゲームプレイを通じた「言外の手法による物語る行為」の完全融合を大きな特徴としていた作品であった。卓越したアートワークと役者陣の真に迫る演技、新たなゲームプレイが、全編ワンカットという演出技法により一体となる。システムとストーリーが不可分の状態にあり、別個に捉えることができないのだ。さらには始まりも終わりもなく流れ続ける時間を演出し、語らずともプレイヤーに世界の実存と背後にある歴史を想起させる。「家族愛」というテーマを作品の全身で表現する、まさにゲームでしか成立し得ない物語体験をユーザーに提供することに成功したアクション・アドベンチャーだった。

旧シリーズから刷新されたアクションは、常にゲームオーバーの緊迫感を伴いながら、暴力的に肉を裂き敵を焼き尽くす心地よさや、旧シリーズから続く野性味溢れる感触を提供するものであった。倒しがいのある強敵もメインストーリーの外にて複数用意され、やりこみが直接反映される内容に仕上がっていた。それと同時に、全編ワンカットという演出技法や、戦闘が1人では完結しなくなったことによって、クレイトス自身の加齢=シリーズが辿ってきた年月や、作品が持つテーマを表現するための媒体としての役割を持つようになった。

キャラクターの能力向上はそれ自体が家族の絆が深まっていく様子を表現し、アトレウスとの連携を通じて生まれる新たな戦術は、物語の進行による2人の掛け合いの変化をスパイスとして、プレイヤーに子の成長を通じたクレイトスの心境の変化を直感的に認識させるものであった。作中登場する、2人で解決していく謎解きのギミックも同様である。『ゴッド・オブ・ウォー』のゲームシステムは、旧シリーズ作と比較して新鮮な遊びの体験をプレイヤーに提供するだけでなく、システムとストーリーを完全融合させることで、表現したいテーマを言葉だけでなく態度でも示す、特異な物語体験を提供するためのもう一つの柱になっていたのだ。

直接の続編である『ゴッド・オブ・ウォー ラグナロク』のゲームシステムもまた、大枠としてはこの性質を受け継いでおり、ベースに変化はほとんど観られない。三人称視点からのスリルある戦闘、武器種と属性の違いによるアクションと戦法の取捨選択。本作では中距離から遠距離のレンジで高速戦闘を可能にするクレイトス第3の武器が登場するものの、アクションから得られる戦闘体験に関して、劇的な変化はない。本作のストーリーや後述の要素と合わせて、クレイトスは既に円熟した存在と解釈することもできる。また、新たに探索しがいのあるフィールドが複数追加されたものの、ゲーム全体的には前作と比較して「新しい」と感じるロケーションは決して多くない。これに関してはそもそも原作に相当する北欧神話の世界が9つしかなく、一度訪れた世界に再訪する機会が多いことが挙げられる。


一方で、「アクションを通じた物語体験の提供」に関する部分には大きく手が入っている。「アトレウスパート」の追加である。本作では物語の進行に合わせ、前作では幼い相棒という立ち位置に留まっていたアトレウスを、独立したプレイヤーキャラクターとして操作することになる時間が何度もやってくる。プレイヤーはアトレウスとしてフィールドギミックに挑み、アトレウスとして敵を倒していく。スキルや装備などのカスタマイズ要素も簡易ながら用意されている。物語の構造としてはクレイトスパート→アトレウスパート→クレイトスパート……という具合である。弓矢と魔術を主軸とした彼の戦闘アクションは、シューター要素に近接アクションを絡めた、クレイトスとは性質が異なる内容になっている。それでいて、シリーズらしい心地よい豪快さ、クレイトス操作時と「変わらぬ楽しさ」を提供している。

そしてこの「アトレウスパート」の存在そのものが、本作のテーマである「親離れ子離れ」「親と子それぞれの成長」を体現しているのは言うまでもないだろう。アトレウス1人で敵を倒せるようになったという事実は、作品内世界での時の流れを直感的に感じさせてくれる。戦闘を通じて得られる変わらない楽しさは、彼がクレイトスの息子であることをプレイヤーに対し強く印象付ける。アトレウスがそばに居ない間に操作するクレイトスは、どこか気楽で、同時に寂しさが漂っている。アトレウスパート中では解決できないフィールドギミックや、クレイトスとは異なるアプローチで解決するギミックを用意しているのもユニークである。単にプレイヤーに対しフィールド再訪の動機づけを与えるだけでなく、彼がまだ成長途中の子供であるということを表現できている。操作感の異なる「アトレウスパート」を導入したことによって、ゲームプレイにおけるマンネリを解消しているのも素晴らしい。物語りながらプレイヤーに刺激を与える、一挙両得のデザインになっているのだ。


ただ、「アトレウスパート」の導入は、前作からのアクション体験を一変させるものではない。本作はわかりやすく新しい要素が少ないことも合わせて、遊びの変化という点で見れば前作から発展が停滞しているという認識を持つ人もいるだろう。シリーズ作品において、どこまで前作の要素を引き継ぎ、新しい体験を提供するのかというさじ加減は永遠の課題である。ただ、停滞した状態に留まること自体は悪ではない。私が思うに「またコレなのか」と「コレがしっくりくる」の差や、「新しくて面白い」と「変わりすぎて理解できない」の差は、受容者側の態度の問題もあるが、作品がユーザーに向けて納得のいく説明を行えているか否かではないだろうか。

その点において、『ゴッド・オブ・ウォー ラグナロク』は「あまり変化しなかったこと」に関し、ユーザーへの説明を十分行えていると考えている。前作において本シリーズは「芝居によって物語る行為」と、ゲームプレイを通じた「言外の手法による物語る行為」の融合を成立させた。つまり、武器や魔法を使って敵を屠るという行為が、ゲームとしてのシステマティックな遊びからクレイトス親子の生活における習慣の1つに変質した。クレイトス親子という存在を形成するアイデンティティの1つになった。

生活習慣がたかが数年の経過で劇的に変わることは不自然であり(それこそ、ギリシャ神話から北欧神話の世界に転居するくらいのことがなければおかしいだろう)、長年の修行を経て体得したであろう技術が変質するのもまた不自然である。クレイトスのアクションの変化のなさをアトレウスと比較した際、円熟した存在と解釈できると述べたのはこのためである。私が再び親子の住居や、ニブルヘイムの地を訪れたときに、「またコレか」ではなく、「そうだよコレコレ」と帰省したときのようなノスタルジーを覚えたのは、ゲーム部分を単なるゲーム部分ではなくすことによって、代替不能なシリーズ共通の個性に仕立て上げているからだ。続編にふさわしい仕様の1つと言えるだろう。


また、本作のアクションに劇的な変化はないと述べたが、微細な進化は数多く成されている。その典型例として挙げられるのは謎解きギミックである。前作における謎解きは至極単純、『アンチャーテッド』や『ゼルダの伝説』シリーズからそのまま持ってきたかのような内容だった。だが本作は『ゴッド・オブ・ウォー』シリーズならではのアレンジが入っている。武器の反射軌道を予測して的当てをしたり、弓矢で壁につけた紋章を利用して属性の連鎖爆発を起こしたり。戦闘においても、パリィと回避の選択の重要性が高まり、よりプレイスキルが反映される遊びごたえのある内容になっただけでなく、攻略に際してパートナーとの連携が必要な敵が増えている。パートナーが自動でおこなってくれるアクションも増え、積極的な援護が望めるようになった。豊富なアクセシビリティ設定の追加や細かなリトライポイント、難易度設定の存在によって、プレイヤーの間口を広げる施策も十分に成されている。DualSense ワイヤレスコントローラーによるハプティックフィードバックも体験に対する没入を促進するため効果的に作用している。

総じて、『ゴッド・オブ・ウォー ラグナロク』のゲームシステムは前作から大きくは変わっておらず、感覚としては懐かしさが勝る、安定した面白さの供給を狙った仕様になっている。それでいて、着実な進化を遂げた、続編にふさわしい内容に仕上がっている。その態度はまるでゆっくりと成長をし続けるクレイトス親子のようだ。なかでも新たに導入された「アトレウスパート」は、一見プレイアブルキャラクターを1人増やしただけであるが、芝居とゲームの融合を果たしている本作であるがゆえに、物語上の演出として、ゲーム中のカンフル剤として、まばゆいくらいの存在感を放っている。


断絶を肯定し尊重する物語


では肝心要となる本作のストーリーそれ自体の出来栄えはいかほどか。前作の物語は、紆余曲折あって北欧神話の世界に流れ着いた戦争の神クレイトスが、再び家庭を設けるものの、自身の過去に対する恐怖もあってか、我が子に対する態度を模索し続ける、いうなればシングルファーザーの子育て奮闘記であった。父親としての接し方が掴みきれず、前に出られないクレイトスと、有り余るパワーに振り回され歩みを止めることができない息子アトレウスの関係性の変化が、コミュニケーション不全に陥っているフレイヤ&バルドル親子や、ろくでなし兄弟であるマグニ&モージとの対比を通じ丁寧に描かれていた。極めて個人的なあったかいホームドラマと、北欧神話を舞台にした壮大な冒険が一体となって描かれた物語の構成は見事であり、最高峰のアートワークや劇伴、役者陣の真に迫る演技も相まって、ゲームの歴史に名を残すほどの内容に仕上がっていた。

『ゴッド・オブ・ウォー ラグナロク』のストーリーについて、結論からいえば前作に引けを取らない素晴らしい内容だった。ただ同時に、事前の報道通り、2部作にするのか3部作にするのかという開発陣の議論の跡が読み取れるような内容でもあった。本作もまた、ホームドラマにラグナロクにまつわる北欧神話を絡めた、いうなれば叙情詩と叙事詩を同時に紡いでいるような形態になっている。前作と異なるのは作品が掲げるテーマだ。「親離れ、子離れ」。前作が「互いの距離を詰めていく物語」であったとするならば、本作は「互いの距離を遠ざけていく物語」と言える。ティーン・エイジャーになれば誰しも親に言えない秘密を複数抱えるようになり、独立した自身の世界観を形成するものだ。そして親は子供のことをすべて把握することができなくなる。個を獲得した子供は、親の世界観の外へ外へと向かっていき、互いに異なる世界を抱えているがゆえに相手の理解を求めて衝突することになる。

本作のストーリーにおいて素晴らしいのは親離れ子離れ、ひいては「断絶の肯定」というテーマをこの現代で非常に丁寧に描いているという点である。クレイトスは言う。「どうして親の気持ちをわかってくれないのか」と。アトレウスは言う。「わかってくれないのはそっちの方だ。クソ親父」と。アトレウスパートの存在を基盤として、作品内には終始、親子の間に距離感が漂っている。クレイトスは息子のことがすべて把握できなくなる心配から苛立ち、アトレウスも父親が過去を打ち明けないことや、まだ子供なんだからという態度にストレスを感じる。

だが、両者はその距離感をゆっくりとゆっくりと受け入れていく。互いに異なる存在であり、互いに異なる立場、視点を持っていることを改めて認識すること。「理解できないことがある状態」を理解すること。複雑な事象を単純化せず、何も当てはめることなく良しとして受け入れること。それは自立であり、成長であり、尊重である。SNSの普及を通じて他者とつながっていることが常態化した昨今。自分の考えでは決して受け入れられない意見と出会う機会は以前より格段に増えることになった。すべてを理解できないこと、強制できないこと、断絶を肯定していく親子の物語は、そうした現代の世情に深くマッチしており、今だからこそ体験したい内容になっている。


これを支えている本作のアートワークは、次世代機の性能をフルに活かした、前作を上回る仕上がりだ。なかでも筆者が驚いたのは、生物に関するモデルの多さである。小鳥や小動物、不思議な姿をした虫や生き物が、不意に目を逸らすと視界に写り込んで生き生きと動く。これによって背景そのものに躍動感が生まれ、実在性が増す。さきほどゲームシステムに関する項目の中で「アクションゲームらしい遊びがクレイトス親子の生活習慣に変質している」と述べたが、いくら演出でゲームと物語の境を溶かしたとても、立っている舞台が生活にふさわしい世界になっていなければ元も子もない。「これはゲームなんだ」と一歩離れた認識をさせる瞬間は極力減らさねばならない。本作が成り立っているのはこうした美しさだけでなく、本当に存在する世界として神話を描き出す工夫があってこそだ。

また、役者陣の演技も素晴らしい。ゲームを始めてまず、プレイヤーが気づくのはアトレウスが声変わりしていることだ。口調も10代らしいやんちゃ坊主風に変わっている。ここでプレイヤーは時の経過に気づき、グッと本作の世界に引き込まれる。クレイトスの威厳漂う声色、ミーミルの近所の気のいいおっちゃんのような話し声。本作にはどれも欠かせないピースである。

ここまでストーリーや視聴覚表現における素晴らしい点を述べてきたが、物足りなさを感じた点も存在する。まず指摘したいのは、非常に丁寧に描ききっているホームドラマに対し、神話の戦い、特に終盤の内容が良くも悪くも小ざっぱりとしていることである。本作はあくまで、ラグナロクによる滅びの運命や、復讐者としての運命に対する抵抗、すなわち事件に至るまでの過程や個人の物語がメインであり、事件そのものがメインではないということは重々承知しているのだが、筆者としてはもう少し尺を取ってじっくり描写してほしかった。世界の滅亡という壮大な事象のスケールが若干小さく感じられてしまった。ちなみに、神話の要素を強調する物語に関しては、おもにサブクエストにて描かれている。そのため、神話についてほとんど取り上げていないわけではない。

また懸念点としては、本作のテーマには「理解できないことを良しとする」ことが含まれていることが挙げられる。つまり作中では原理が説明されない、人の手に及ばない事象が度々発生する。この演出に対して、「鑑賞者は神の視点ですべて把握していたい」「すべてロジカルに説明してほしい」という鑑賞のスタンスを取っているユーザーはおそらく苛立ちを覚えることだろう。これはあくまで人の好みによって左右される部分であり、問題点ではない。

さらに本作は、前作のクリア後要素まですべてやりこんでいる前提のもと話が進んでいく。具体的に言えば、サブクエストをすべてクリアし、隠しボスであるヴァルキュリアの女王シグルーンまで討伐している状態だ。一応、前作のあらすじはゲーム内で確認できるのだが、本作は作中世界の時間の経過を演出の一部として大切にしている作品であるため、可能な限り前作をプレイして、経験を自らの血肉に染み込ませてから遊んだほうが良い。


本作を開発したSIEサンタモニカスタジオは、「プレイヤーの皆さまを温かく包み込む毛布を作りたかった」と語った。血塗られた復讐譚から始まった神殺しの伝説は今や、恐ろしく困難な現実に傷ついた私達の心を包む、温かな毛布となった。稀代の傑作と評価された前作に引き続き、『ゴッド・オブ・ウォー ラグナロク』は現代に生まれた神話として歴史に名を残すだろう。