『ペーパーマリオRPG(2004)』には、生まれの性別は男性だが、女性として生きたいと望む「ビビアン」というキャラクターが登場する。けれど、彼女の家族はそれを認めてはくれない。同作では、ビビアンが自らを「三姉妹」だと名乗っても、「どこが 三姉妹だよ!あんたオトコじゃないかい!」と否定されてしまっていた。
一方、先日発売されたリメイク版『ペーパーマリオRPG』では、この「あんたオトコじゃないかい!」というセリフは削られている。そのほかにも、オリジナル版発売から約20年の時を経たリメイク版では、ビビアンに関する表現には細かく変更が加えられているのだ。これは、単にポリティカルコレクトネスのための変更だと思われているかもしれない。けれど、ここには開発元インテリジェントシステムズの、ビビアンに対する深い愛があると筆者は感じている。そのことを、いち『ペーパーマリオ』ファンとして、そしていちトランスジェンダー当事者として伝えたいと思った。
本稿は、そんなリメイク版ビビアンの新たな表現を詳しく見ていくとともに、その「意図」を探っていくものである。これは、発売前に筆者が書いたビビアンの性別にまつわる表現を予想するコラムに対する答え合わせにもなっている。「ステージ4」までのビビアンの表現のネタバレを含んでいるため、あらかじめ留意してほしい。
もう誰もビビアンを「男」とは言わない
リメイク版ビビアンの表現の中で特に徹底されているのは、ビビアンを「男性」と見なすテキストがもれなく変更になっている部分だ。原作でビビアンは、敵やNPCについて分析してくれる仲間「クリスチーヌ」による解説において、「カレ」や「弟」と呼ばれていたが、これらの男性を示す三人称はリメイクでは使われなくなった。メニュー画面からみられるビビアンの説明文にも、原作では「ホントはオトコのコ」と記載されていたが、「体はオトコのコで ココロはオンナのコ」というテキストに変更された。
ビビアンは、クリスチーヌの解説にて、「ひょっとしたら私よりもカワイイかも」とまで言われており、生まれの性別は男性でも、可愛らしい女性のように見えるという設定をもっている。こういうキャラクターは今では「男の娘」と呼ばれることが多いが、原作『ペーパーマリオRPG』が発売された当時はこの単語は一般的には使われていなかった。のちに「男の娘」という単語が使われるようになると、ビビアンはファンの間で男の娘として親しまれるようになった。
しかし、一般的には男の娘とは、性自認が男性のキャラクターを指すことが多く、あくまで「女性として生きたい」と考えているビビアンは少しニュアンスが異なる。現在のジェンダー観でいえば、ビビアンはトランスジェンダー女性といえるキャラクターだが、「トランスジェンダー」という単語もまた当時はあまり国内で使われていなかった。そのため、当時のビビアンは「オカマ」や「ニューハーフ」といった概念に近い表現だったと考えられる。そして、そのような人々を第三者が「男性」と見なす描写について、「当事者の感情を傷つける可能性がある」といった社会通念上の懸念は、今ほどには浸透していなかった。
しかし少なくとも、ビビアンは“原作の時点で”女性として生きたいと考えているキャラクターだった。そのため、ビビアンの生き方を否定し、性自認を認めない描写はリメイクでは極力排除したのだと思われる。特に、メニュー画面における「ホントはオトコのコ」のテキストは、いわば「地の文」に近いキャラ解説である以上、開発元がビビアンの性自認を認めない姿勢になってしまうので、真っ先に変更する必要があったと思う。クリスチーヌも、原作同様に心優しいキャラクターとして描くのであれば、「カレ」や「弟」という呼称はもう使わないだろう。
信頼できる相手だからこそ言えること
新しいビビアンの表現において、もう一つ印象的だったのは、ビビアンの性自認についての「アウティング」がなくなり、すべてビビアン自身によるカミングアウトとなるように変更されたことだ。
アウティングとは、第三者が当人の性自認や性的指向を了承を得ずに暴露してしまうことをいう。まだLGBTQIA+の人々の存在が完全に受け入れられているとはいい難い昨今、自身がゲイであるとか、トランスジェンダーであるとかを周りに明かすことにはリスクもあり強い勇気が必要で、当人のタイミングでしかるべき人に明かすことが心を守ることにつながる。特に学校や会社などのクローズドな場では、アウティングによって生まれた心無い噂が当人の耳に入ったりといったこともある。
原作では、三姉妹の長女であるマジョリンが、ビビアンに対して「あんたオトコじゃないかい!」と言い、のっけから生まれの性別を明かしてしまう。ビビアンは、クリスチーヌの解説を見るに、はたからは女性に見えるキャラクターであり、生まれの性別を明かすことはトランスジェンダーであることをアウティングすることと同義だ。
これはビビアンが自らを「カゲ三姉妹」と名乗ったことを否定するためのセリフであり、マジョリンはビビアンの性別を男性だと思っているので、「三姉妹じゃなくて三人組だ」と訂正した形である。リメイク版では、マジョリンは「あんたオトコじゃないかい!」とは言わなくなったが、「三人組だ」と訂正するテキストは残される形になった。マジョリンがビビアンの生まれの性別をアウティングすることはなくなったが、ビビアンを女性だと認めていないというニュアンスは残されている形だ。
それに対してビビアンは「アタイもココロの中では妹だから…」と返す。心の中では妹だから、三姉妹だと思いたい。体がオトコのコだから「カゲ三人組」なのではなく、ココロがオンナのコだから「カゲ三姉妹」だと名乗ったのだ。マジョリンがあえて三人組だと否定した理由は、マジョリンからは明かされなくなり、ビビアン自身の口から少しぼかされた表現でプレイヤーに説明されるかたちになった。
そのため、おそらくこの時点ではマリオたちはまだビビアンの性別について正確に認識できていない。クリスチーヌによるその直後の解説において、ビビアンを「弟」ではなく「末っ子」と呼ぶ形になったのは、クリスチーヌにビビアンの性別を否定させないためと、性別を認識していないためという二つの意図が含まれると思っている。
そして、ステージ4の「ウスグラ村」にて、もう一度マリオはビビアンと出会うことになる。このときのマリオは「名前と身体」を奪われているというピンチの状態であり、ビビアンは彼をマリオだとは認識できていない。そんな状態でも自らを顧みず、自身を助けてくれた彼にビビアンは惚れ込む。そして、そんな彼ならば信頼できると判断したのか、「じつはアタイ… 体は オトコのコ だけど ココロは カワイイ オンナのコなの」と自らの性自認をカミングアウトする。
このセリフは、原作の何か別のテキストが変更になったものではなく、リメイク版で新たに追加されたものである。リメイク版では、このセリフに至るまでの一連のシーンにおいて、徹底してビビアンの性自認をアウティングすることを避けてきており、この時点でビビアンの性自認を知っているのは本人と三姉妹だけだ。つまるところこのセリフは、ここにきてついにビビアンが、信頼できると判断した相手であるマリオに自らの意思でカミングアウトを行うという、リメイク版だけの新たな表現であるといえる。
あくまで作品としての魅力が第一
原作の時点でのビビアンの性自認を尊重し、ビビアンを真正面からトランスジェンダー女性として描く選択をしている本リメイクだが、これらの変更は、原作の雰囲気を壊さないように丁寧に調整されている。重要なのは、ビビアンの性自認についての描写は、変にセンシティブなものとして描かれていないことだ。ビビアンが「体はオトコのコで ココロはオンナのコ」であることは、あまり引き伸ばさずさらっと描かれる。
ステージ4のシナリオにおいて重要なのは、ビビアンがトランスジェンダー女性であることよりも、ビビアンが敵であるマリオをマリオだと認識していない状態で惚れ込み、のちにマリオだと発覚した時にビビアンがマリオについていく選択をするという一連の流れである。トランスジェンダー女性としての描写は、あくまでそれらメインのシーンを阻害しないよう、本作のポップな雰囲気を壊さないかたちで描かれている。
上述した、マジョリンが「三人組だ」と訂正するシーンに対するビビアンの返答にしても、この問題に対して関心がある人でなければサラッと流せるような描写だ。本稿は、トランスジェンダー当事者としてあえてこの部分を強く取り上げているが、本リメイクにおけるビビアンの表現というのは、当事者から見て堅実であるだけでなく、本作を遊ぶ大多数の人に対しても受け入れられうる自然な描写になっていることも評価すべき点だと思う。
作品における表現が、LGBTQIA+の人々や人種差別問題への配慮のために影響を受けることに対して、拒否感を示すユーザーの声はいまだ根強い。一方で、古い倫理観による表現をそのまま残すことで当事者を傷つけたり、誤解を生んだりすることも当然ある。どちらに転んでも批判を受ける可能性があるという意味で、ビビアンの性自認はどうしても扱いづらい題材であると思う。
だから、筆者は本リメイク発売前において、ビビアンの表現は原作からほとんど変えない選択をすると思っていた。原作には、マジョリンのトランスフォビアの表現が残っているけれど、家族に性自認を認めてもらえないというのはいまだトランスジェンダーに起きうる問題であり、現状を知ってもらうという意味では必ず変えなければいけない表現ではない。もっともらしく言っているが、ようは「原作の表現を変えない」ことで、「波風を立たせない」ことがもっとも賢い選択ではないかと筆者は考えていたのだ。
けれど、実際には、そんな筆者の陳腐な考えは見事に打ち砕かれた。本リメイクにおいて、開発元インテリジェントシステムズは、「今ビビアンを魅力的に描くならばどうするのか」ということに、真正面から向き合っている。作品の魅力を崩さず、ビビアンのアイデンティティを否定せず、むしろ原作よりも魅力的なキャラクターにしてやろうという、開発元の熱意と愛が明確に感じ取れた。
今回のビビアンの表現の変更について、批判をする声は比較的少ないと感じている。これは、リメイクの新たな表現はビビアンに対して優しいものにはなったが、性格や設定が変えられたわけではないということが一つの理由ではないかと思う。ポリティカルコレクトネスへの批判の根底にあるのは、あくまで変化に対する懸念なのであって、一人のキャラクターが「女性として生きたい」と望むことそれ自体を否定する人は多くはないのではないかと思えた。
なお、原作英語版では、ビビアンが最初から女性として描かれるかたちに変更となっていた。筆者はリメイク版英語版の表現も確認したが、ビビアンの描き方は日本語版のものに統一されたようだ。これについては元々原作の時点で英語版でのビビアンの設定変更に対する批判が多く、原語である日本版のビビアンがトランスジェンダー女性であることは有名だったので、ファンの声を優先した結果であると思う。
『ペーパーマリオRPG』リメイクは、あらゆる面で原作の魅力に向き合った調整がなされている。ファンの期待を裏切らず、むしろそれを軽く超えてきた理想的なリメイクといえる作品だった。ビビアンの表現は、あくまでそのうちのいち要素でしかない。にもかかわらず、ここまで丁寧にビビアンというキャラクターの魅力と、LGBTQIA+を取り巻く問題の双方に向き合ってくれたことを、いち当事者として、いちファンとして本当に嬉しく思っている。