Hollow Knight』のおもしろさをつかむには、すこし時間がかかるかもしれない。あらゆる物事の展開が、じつに静かに進行していくからだ。グラフィックは美しいが静的で、テキストによる語りは最低限。主人公はクワガタのような角をもつ小柄な戦士。ゲームをはじめてすぐにたどり着く街には数軒の家しかなく、しかもすべての扉が閉ざされている。ベンチのそばにひとりで佇む老人――というか、老いた虫――は、かつて栄えた王国が存在したことを言葉少なに語るのみ。目を引くものといえば、街のはずれにぽっかりと口をあけた小さな古井戸だけだ。そこに入りたいという気持ちからというよりも、ほかにするべきことがないからという理由で、プレイヤーは小さなクワガタの戦士をこの古井戸のなかに飛び込ませることだろう。そして飛び込んだが最後、二度とこの作品を忘れることができなくなる。

本作は2014年から開発が進められていたメトロイドヴァニアの2Dアクションゲームだ。使用されるすべてのグラフィックが手描きという、とんでもない触れ込みとともに開発が告知され、われわれの期待を密かに煽りつづけていた。その成果は確かなものだ――筆者がこの古井戸に飛び込んでから現在に至るまで、かわいい絵柄ながらダークな雰囲気にまとめられているグラフィックには、飽きるということがない。100種類以上の敵と30種類以上のボスのアートには個別のものが用いられているし、背景、オブジェクト、キャラクター、光源、そのほかありとあらゆるグラフィカルな事物にアセットが用意され、すべてが最高の品質にまとまっている。

「メトロイドヴァニア」というのは、ジャンルの名前だ。小さなマップが上下左右に隣接し、それらが連続して配置されている形式のゲームで、この迷路のようなマップを自由に探索し、キャラクターを成長させていく。その名が示す通り、『メトロイド』と『悪魔城ドラキュラ(英題:キャッスルヴァニア)』のゲームシステムを組み合わせ、応用して作られているものを指す。

テキストによる物語ではなく、システムとグラフィックの無言の力によって、本作の序盤は展開していく。ジャンプや攻撃などの単純な入力系統の確認から、最初の敵を倒すあたりは、ただただ映像の美しさに驚嘆するばかりだろう。しばらくマップを徘徊するうち、本作のアクションが戦闘だけではなく、『ドンキーコング』や『アイスクライマー』などの古典の遺伝子を引き継ぐプラットフォーマーであることも了解されてくるはずだ。プレイヤーは着実に歩みを進めつつ、本作が提示するさまざまな要素を確認していく。地図を手に入れ、ほかの冒険者と出会い、小さなボスを倒し、遺蹟に残された詩歌を読み、温泉に入り、鍵のかかった扉を開け、隠し部屋を見つけ、新たなアビリティを手に入れはじめるころには、いつのまにかこの大迷宮から出る気がなくなっている。このゲームは、とても静かにプレイヤーの心に忍び入るのだ。

ある時点では到達できなかった場所に、新しいアビリティを覚えてから再訪すると進めるようになっているといったような、メトロイドヴァニアの定型的技法も随所に活かされている。もしもこのジャンルに覚えがないのなら、すばらしい初体験を楽しめるだろう。

本作のおもしろさは「迷う」ことにある。もちろんそれはメトロイドヴァニアに共通のものではあるが、独特なのは、新しいエリアに入ったからといって地図がすぐに更新されるわけではないところだ。エリアのどこかにいる測量家から地図をもらわなければならないのだが、その測量家がどこにいるのかというヒントがないため、場合によってはかなり長い時間、地図上の空白のなかをさまよい続けることになる。どちらに行けばいいという一本道な作りではないので、すこし頭を使って行くべきところを見定めていかなければならない。この感覚は抑制されたフラストレーションを引き起こし、どうしても先に進めたいというプレイヤーの気持ちを否応なく煽り立てる。

膠着した状況を打開するのはやはりプレイヤーのひらめきなのだが、その局面でグラフィックとゲーム性の完璧な調和がやってくる。ちょっと抽象的な言い方になるが、お許しいただきたい。まったく見知らぬ場所を探索している場合において、あるひとつのエリアからべつの新しいエリアに進む瞬間、プレイヤーはそのことを認識していない。しかしながら、前進するにつれて徐々にグラフィックが変化していき、やがて見知らぬ場所が目の前に現れるとき、プレイヤーは理性ではなく感覚で新しい場所に足を踏み入れたことを知る。この変化を強調するのが、エリアごとの様々なテーマに分けて描かれているものの、つねに美しいグラフィックと、その感動を引き立てる音楽だ。黙々と操作を続けたのちに現れる新しいエリアを見たとき、その美しさにあてられて、満ち足りたため息が漏れることだろう。

ところで、本作の音楽はすべてオーケストラであり、エレクトロの要素はまったくない。それ自体で充分に鑑賞に値する楽曲群、そして完璧に作り込まれたSEは、すべてが手描きで描かれたグラフィックと完璧に調和し、優れた雰囲気を演出している。

すこし閑話に逸れてみてもいいだろう。プレイヤーが次に進むべき道を選択できる、一本道でないゲーム(ノンリニアなゲーム)は、ひとつの大きな物語を順序立てて語るのに不向きだ。したがってノンリニアなゲームは、ひとつひとつの目標が達成された後、本筋の物語の展開ではなく、べつのものでプレイヤーの好奇心を満たさなければならない。たとえば、おなじくノンリニアなゲームである『Fallout』シリーズはフィクションとアイテム、『Hyper Light Drifter』は新しいグラフィックと物語の欠片を、目標達成の褒賞として用意している。それでは『Hollow Knight』が個別の目標達成時にプレイヤーに与える褒賞とはなにか――ありのままに言って、先に挙げた二作が用意したものの合わせ技である。

いつ果てるとも知れない巨大な地下迷宮にはさまざまな墓碑や遺蹟が残されており、プレイヤーはそこに書かれているものやその形から、かつて栄えた王国とその周辺でなにがあったのかを類推することができる。たとえば、首都らしき街の中心に鎮座する「Hollow Knight」の像。あるいは英霊たちの眠る墓所に立てられた「Dreamer」たちの像。ひたすら迂回を続けながら首都まで等間隔に続いている「巡礼者の道」の立て看板。いそがしくマップを行き来している最中に何度も読み返していると、こういった物語の欠片が頭のなかでだんだんと組み立てられていき、立体的な理解が導かれてくる。そのパズルの重要なピースが、入り組んだ迷宮のいちばん奥に配置されているために、物語を知る感動が探索の褒賞となっている。

文語体というほどのものではないが、テキストは全編通じて18世紀ごろの英文学の香りがする文体だ。個人的には、舞台の登場人物のような角張った語調のキャラクターたちのテキストがお気に入りである。

そして、その物語の欠片は単体で置かれているわけではなく、たとえば新しいアビリティや、特殊能力を変更できる「チャーム」といったアイテムと一緒になっている。新しいアビリティはキャラクターの動きや、タメ技などの基本的な攻撃動作を追加し、探索できる範囲の拡張に繋がる。「チャーム」は戦闘にかかわるさまざまな能力を付与する装備品で、アクションにおける戦略性の組み立てに役立てられる。つまり、ひとつの目標を達成するごとに、物語もゲーム性も、どちらも満足させてくれるような作りになっているのだ。この終わることのない探索と褒賞のサイクルが圧倒的な中毒性をもたらし、プレイヤーに止めどきを見失わせる。

戦闘そのものも申し分ない。入力系統は水のように滑らかだ。ひとつひとつの敵はそれぞれ異なる方法で攻撃を仕掛けてくるし、その対処法を覚える喜びも充分にある。プレイヤーが確実に迷うであろうことを考慮してか、すべての敵を倒さずとも進めるような案配になっているのも好ましい。なにより優れているのは、つねに挑戦的ながら予想できない難易度のボス戦だ。いくつかのボスは、とても上手くやれば初見で倒せる程度の強さだが、時折どれだけパターンを覚えて集中しようとも、容易には倒せないような強敵が現れる。「チャーム」のセットを付け替えたり、あるいは極限まで操作に集中して倒すことができれば、たぐいまれな達成感がやってくる。

そもそもの話だが、敵キャラクターの絵柄と動き自体、眺めていて楽しい。

本作はグラフィックとテキストからなるフィクション、プラットフォーマーとアクションからなるゲームシステムがしっかりと組み合わさり、優れたプレイフィールを実現している。こんな言い方を許してもらえるなら、本作は「良いゲーム」の条件を完全にクリアしており、欠点というべきものがほとんど見当たらない。不満があるとすれば、それはメトロイドヴァニアというジャンルが含有する避けがたい問題点、たとえば物語が一本道でないとか、どこに行くべきかわからないことがあるといった、楽しみを確保するために仕方がない犠牲のような部分だけだ。あるジャンルの最高の作例がジャンル自体の弱点を露わにするというのは興味深い現象だが、本稿ではその点には深入りせず、むしろ本作がそのような偉業を成し遂げたことを喜ぶに留めておくべきだろう。

『Hollow Knight』はしっかりとしたメトロイドヴァニアの地盤を持ちつつも、探索に独自の「迷う」要素を取り入れ、目標達成時の多彩かつ飽きさせない褒賞を用意することで、たぐいまれな中毒性を発揮している名作だ。かつて栄えた虫たちの地下王国の歴史を語る本は想像もつかないほど分厚いが、その分厚さは豊穣の結果であって冗長ではなく、気まぐれにどのページを開こうとも、つねにプレイヤーの期待に応えてくれる。現代のメトロイドヴァニアの新たなるスタンダードとして、本作は我々に惜しみなく楽しみを与えてくれるだろう。