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モバイルゲーム業界に携わっている方、ガラケー時代からゲームを遊ばれている方ならば、株式会社Razest(以下、ラゼスト)という社名を一度は聞いたことがあるだろう。ラゼストは2006年、モバイルゲーマー向けのコミュニケーションサービス『ゲムトモ』を立ち上げ、携帯で遊べる初のカードゲーム『Grave † Cross』をリリースするなど、モバイルゲームにおける歴史を築いてきた老舗的存在である。弊社アクティブゲーミングメディアから地下鉄で一駅という場所にあり、オフィス内の空間が特徴的であるという噂も聞いたので、興味を持ったAUTOMATONはラゼストに訪問し、代表取締役である木村仁氏にお話をうかがった。

 
――本日はよろしくお願いします。まず、ラゼストの会社紹介をしていただけますか。

木村仁氏(以下、木村氏):
ラゼストは2006年に設立し、今年で11年目になります。モバイル機器でオンラインゲームを作っている日本の会社のなかで2番目か3番目に古い会社になります。一番古いのは――僕が知っている範囲では、東京にあるアンビンションさんですかね。設立した当時、GREEさんはまだゲームをやっていなくて、DeNAさんはアバターを販売するモバゲータウンを運営されていて、ゲームといってもフラッシュのリズムゲームで、オンラインゲームはやっておられなかったです。コロプラは馬場さんがひとりでやられていて、まだ会社としては事業を始められていませんでした。

そのなかでも、Webゲームやいわゆる勝手サイトといわれる公式コンテンツではない会社という限定でいくと、ラゼストが一番古いと思います。当時は、ドコモやau、ボーダフォン(現:ソフトバンク)といった携帯のキャリア会社の公式コンテンツに、着メロあるいは壁紙を月額課金で提供するというのが定番のビジネススタイルだったので、公式コンテンツに入ってないものは勝手サイトと呼ばれていました。そういう形式のオンラインゲームを作っている会社としては一番古いんじゃないんですかね。

 

――当時のメンバーは何人ほど会社に残られていますか。

木村氏:
創業時は5人でした。今でも5人とも会社の役員として頑張ってくれています。
あの時は、他に類似するビジネスモデルが存在していなかったので、どういう会社なのかを説明するのが大変でした。会社を経営していると、銀行さんや不動産屋さんなどの異業種の人にも、自分たちの事業を説明しなければいけない時があるんですよ。そういうのは、本当に苦労しました。2時間ぐらい熱弁して説明しても、結局、何も理解してもらえなかったり(笑)。

僕らは他社と比較することがない会社で、自社コンテンツを自社だけで作ってきたので、自分たちの会社のカラーがわからなかったんです。GREEさんが釣りのゲームをヒットさせたり、モバゲーさんが『怪盗ロワイヤル』を作った後に、「同じようなことを僕らはずっと前からやっている、自分たちの立ち位置を知ってもらえてない」と思い、これってマズいんじゃないかと感じて、それから「ラゼストとは」というのを語らないといけないと思ったんです。

今まで語ってこなかったのは、僕自身が、会社のブランディングをするという意識が低すぎたのと、上場しようという夢を抱いてないからという理由もあるかもしれないです。

 
――携帯ゲームを作り始めた当時、環境はどういうものでしたか。それこそ、前例もなく開拓もされてないですよね。

木村氏:
僕がサラリーマンだった2004年頃は、サーバーを注文すると特急でも納品まで一か月以上かかりました。当時のガラケーのコンテンツはトラフィック量的にはたいしたものではないので、ひとつのサーバーに100サイトぐらい入っているのが普通でした。画像のサイズも小さいものしか扱えなかった時代で、ひとつのサーバーに100サイトや200サイト入れて広告収入を得るという仕組みが主流でした。そんな時代なのに僕は、ひとつのゲームで3のサーバーを使いますと言ったんですが、当時の社長に理解してもらうのが不可能でしたね。ひとつのサーバーにひとつのコンテンツしか入らないという時点でも稟議を通すのが大変な時代でしたから。
「他のは(1サーバーにコンテンツが)100個も入るのに、なんでお前の場合はひとつに1個のコンテンツしか入らないのか」と言われたのを覚えています。

 
――なつかしい時代ですね。そして木村さんはラゼストを設立されて、ゲームをリリースされました。

木村氏:
『Grave†Cross』(2006年)というリアルタイムカードバトルですね。1vs1や2vs2のリアルタイムバトルです。単純なんですけど、プレイヤーの間で駆け引きが生まれて盛り上がりました。

 
――なぜリアルタイムバトルのカードゲームを作ろうと思ったのでしょうか。

木村氏:
今から思えば、最初の作品がリアルタイムバトルって変ですよね。でも、これといった理由はないんです。単に自分が好きだっただけかも。

カードゲームを選んだのは、あるゲームの影響があると思います。バンダイさんが運営されていた『Legend of Vandia』というゲームがありました。パソコンのブラウザーゲームで、当時雑誌の「ログイン」にも連載されていたタイトルで、とにかく古いんですよ。1998年頃ですね。その時の記憶が鮮明で、仕事や学校が終わった後、夜10時から11時ぐらいになるとパソコンと電話をつないで、テレホーダイでインターネットをして今日の冒険を見て、明日の冒険を予約して、どう動かすか決めると15分ごとにマスが動いていくんです。その結果のログを読むというゲームなんですよ。
私が知る限り、ブラウザーに表示されたJPG画像をカードだと言い張った最古のゲームだと思います。
トレーディングカードゲームはどれもそうかも知れませんが、新しいカードが手に入る時に、喜びのピークがあって、新しいカードを手に入れる為に遊んでるみたいなところがあると思うんです。
その記憶が残っていたのか、2006年に会社とオリジナルゲームを同時に作る事になった時に、「ガラケーでカードゲームを作ろう」と思ったんです。

残念なことに、『Legend of Vandia』は2007年か2008年にサービスを終了したんです。なんか寂しく感じて、友人を介してバンダイさんに連絡をとって、閉じるんだったらガラケー版を僕に作らせてほしいと言いに行きました。
常時接続じゃなくって、放置気味に遊ぶというスタンスが、ガラケーには合ってると思ったんです。

バンダイさんは今まで「ドラゴンボール」のようなIPを借りて玩具やゲームを作られていたので、逆にIPを貸し出す立場になったことがないと言われたのを覚えています(笑)。

 
――バンダイさんが合併する前ですかね。

木村氏:
そうです。そうしたやりとりもあったんですが、担当者がざっくばらんな方で、本部に確認する前に信頼してくださったんですよ。
僕らはもともとカードゲームを作っていましたし、Legend of Vandiaを10年前にプレイした原作の面白さも知っているので、ひとりのファンとしてもガラケー版として新たに作り直せると思いました。
そこで「カードゲーム」と「RPG」を融合させようと思って「カードをレベル上げしたい」と提案したんです。カードのレベルを上げて、同じカードを集めると進化するというシステムのゲームを作りたいとバンダイさんのミーティングルームのホワイトボードに書いたんですが、「木村さん、カードのレベルが上ったらただのRPGじゃないですか」と言われて、説明し直しました(笑)。「遊戯王」のようにマンガの中では、カードとキャラクターが一緒に成長する姿が描かれているので、ゲームの中でもカードとプレイヤーが一緒に成長してほしかった。一生懸命説明している内に「任せます」と信頼してもらいました。

 
――その頃のゲーム業界で、携帯ゲームの立ち位置はどうでしたか?

木村氏:
なめられてたと思いますよ。そういう感覚を受ける時代でした。コンシューマーを作っている人があれを見るとなめますよね。ビジュアル的にもしょぼいですし、「5を押したらいいだけでしょ」というのはありましたね。

 
――そうした見方が崩れたのはいつでしたか。

木村氏:
いくつかポイントがあると思っていて、まず、コンソール系の人たちが変わったのは、コナミさんの成功からだと思います。2010年に『ドラゴンコレクション』が、GREEで大成功しましたよね。その後、ああいったゲームが量産されていって、ものすごい利益が出て。「儲かるらしい」という話が出回れば、みなさんその会社を追随しますよね。利益を追求するのは会社としては正しいので、仕方がないというのはあります。コンシューマー会社のなかではまずコナミさんがリーチして、あとはそれにならったのではないかなと思います。僕の話が合ってるかはわからないんですが、コナミさんがすごく存在感を見せていたというのは間違いないです。

 
――たしかに、コナミさんの存在感はすごかったです。気が付けば、「ガチャ」という言葉も定着しました。

木村氏:
僕らは、ガチャという表現を当時は使ってないんですよ。トレーディングカードゲームのおもしろさは、ランダムにカードが手に入るところだと思ってたので、「5枚パック買い」とか「1枚買い」とか言ってました。
でも、モバゲーさんもGREEさんも、アバター時代から、ガチャという言葉を定着させていましたから、ソーシャルゲームブームの時にも「ガチャ」という言葉を使ったんだと思います。これ以降、ランダムで出てくるものは全部「ガチャ」と呼ぶようになった気がします。
僕も、うまいこと言うなと変に感心してしまいました。その後、景品表示法問題でコンプリートガチャはダメだという流れになって、コンプガチャ=ソーシャルゲームという雰囲気が出来上がってしまったんですが、アバターの頃からコンプガチャは存在してた訳ですから、問題はゲームじゃないと思います。

 
――ソーシャルゲームという呼び名も当時はなかったですね。

木村氏:
ソーシャルゲームという名前が生まれたのはFacebookの頃からです。僕らがカードゲームを考えたときは単純に「オンラインゲーム」と呼んでいました。ブラウザーゲームとかWebゲームとかHTML5ゲームとか、いろんな呼び方があって、安定していませんけど、技術とか言語ってプレイヤーさんには関係ないですからね。どういう体験ができるのか?っていうのを焦点に当てた良い呼び方を誰か広めてほしいですね。

僕は80年台のファミコンブームのなか、ファミコンを買ってもらえず、父親にパソコンを買ってもらいました。そのおかげで海外のゲームもたくさん遊びました。みんなが『ドラクエ』をやっている頃に、僕は『ウィザードリィ』です、シビアすぎますわ(笑)。それぐらいギャップがあったまま大人になったので、ゲームの感想を言い合うというコミュニケーションに飢えてたんでしょうね。

 
――ファミコンを買ってもらえなかったことが、逆に良かったんですね。

木村氏:
オンラインゲームに興味をもった、オンラインゲームを作りたいという原動力は、もしかしたらファミコンを買ってもらえなかったところに原点があるかもしれません。

僕が一番楽しいと思ったのは、ゲームの感想を言い合ってる時や共有してる時なんですよね。どんな感動的なゲームをプレイしても、感想を言い合える友達がいないと、無人島にいるようで面白くないんじゃないかなと。

ファミコンの頃も学校や職場で「ゲットした?」「クリアした!」みたいなコミュニケーションがあったと思います。インターネットが始まってからは、ゲームの中で感想を言い合えるようになりましたよね。コミュニケーションとプレイと並行してできるようになりました。

ゲームを介したコミュニケーションに飢えていた僕が、オンラインゲームにはまるのも自然な流れでした。友達もいっぱいできました。「この友達ともっと違うゲームをやりたい」と思いました。実際、同じ友達といろんなゲームを遊んだんですよ。

そう思った時に、コミュニケーションの部分が一番重要なコンテンツになっていると感じ、オンラインゲームを作ろうと思ったんです。

 

つづく: ラゼストのこれから

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