『ヨッシーとフカシギの図鑑』レビュー。2Dアクションから「ゴール地点」を捨てた、任天堂の実験作

『ヨッシーとフカシギの図鑑』はゲーム業界に新たな発見と楽しみをもたらしてくれる作品なのかもしれない。

本作の初報を見たとき、「また2Dアクションをやるのか」と思ったのが正直なところだ。『ヨッシークラフトワールド』の系譜にある作品が新たに登場するのは喜ばしいことではあったが、任天堂は2Dジャンプアクションの「引き出し」を『スーパーマリオブラザーズ ワンダー』にて開けきっているのではないか、という先入観も筆者にはあったからだ。新しい2Dアクションということで、流行りのメトロイドヴァニアでもないという。実際に蓋を開けてみれば、それは2Dアクションを更に拡張するための実験であった。『ヨッシーとフカシギの図鑑』はゲーム業界に新たな発見と楽しみをもたらしてくれる作品なのかもしれない。

『ヨッシーとフカシギの図鑑』は7年ぶりとなる『ヨッシー』シリーズの最新作。『スーパーマリオブラザーズ』40周年タイトルのうち1作でもある。対応プラットフォームはNintendo Switch 2。価格は6978円だ。

本作の舞台となるのは、「フカシギ」と呼ばれるしゃべる生物図鑑の中に広がる不思議な世界。自分の中身を教えて欲しいという「フカシギ」の依頼に応えるべく、ヨッシーは彼の世界に潜り、生物を観察して記録していく。

あらゆる体験に「センス・オブ・ワンダー」を

「なんて不可思議なゲーム」なんだ。筆者が本作をプレイした当初に抱いた感想である。2Dアクションゲームではあるものの、最終的な目的地の概念がない。ゲーム慣れしていない層をメインターゲットにした作品だと思われるが、プレイの誘導も弱い。基本的なアクションの内容や操作難易度は『ヨッシー ウールワールド』時代からのものを引き続き踏襲してはいるが、裏を返すと、分かりやすい新規性に乏しい。このゲームは今後何が面白くなっていくのか、さっぱり分からなかった。

本作をしっかり遊んだ今なら、上記の観点が誤りであったことに気づく。『ヨッシーとフカシギの図鑑』の特徴は1度のアクションにおける感情の動きを重層的に構築することで、プレイのシンプルさと、印象に残る不可思議な体験であることを両立している。2Dアクションゲームでありながら、ゴール地点を目指す形式からの脱却を目指しつつ、それでいて多数の要素が絡み合う複雑なコアゲーマー向けの作品ではない。アクションゲーム初心者から楽しめる作品として成立している。

では具体的な内容を見ていこう。『ヨッシーとフカシギの図鑑』はいわゆるステージ制を採用しており、ステージごとに決められた課題を達成することでステージクリアとなる。課題を達成した総数に応じて新しいステージが解放され、ゲームが進行する。その上で本作のユニークな点は、達成すべき課題が分からないようになっていること。生き物の生態観察というお題目に則るかたちで、アクションのチュートリアルをはじめ、ステージ内で何をすればクリア条件に至るのかをプレイヤーが探り当てる必要がある、ということだ。

多くの2Dアクション作品は目標地点への移動とアクションが密接な関係にあり、一方向に移動し続けることで、没入体験を生む。言い換えれば、目的地への移動という動きに体験が縛られている。この移動という行為にある程度の自由度を与えたのが「メトロイドシリーズ」に代表されるダンジョン探索型のゲームであったり、建築要素など複数種のゲームカテゴリを複雑に一体化させた『テラリア』に準ずる作品群になるが、『ヨッシーとフカシギの図鑑』はそもそも目標地点を無くすことによって、更なる表現の拡張を試みている。

プレイヤーに移動を意識させる必要がなくなっているため、ステージ内で立ち止まって考えてみたり、逆走したり、ひたすら飛び跳ねたり踏みつけたり、といった統一感の無いさまざまなアクションが、プレイヤーに理解しやすいシンプルさを保ったまま綺麗にパッケージングされている。ただ、シンプルなアクションは、そのぶんシンプルな感動に落ち着きやすい。

基本的に、ゲームプレイという流れはインターフェースに対する入力、ハードウェアからの出力、入力体験と出力内容による感動、という3つの要素によって構成されている。そして、入力体験が長時間にわたり、複雑になればなるほど、出力内容が豪華になり、感動も大きくなりやすい(ゲーム内報酬が多くなる、試合を制したり、困難を突破したときの充実など)。逆に言えば、入力体験が短くシンプルになるほど、出力もシンプルになり、感動もちょっとしたものになる傾向にある。本作は、シンプルなアクションの中に「分からない」⇢「分かった」という感動を繰り返し差し込むことで、小さな発見を連続した感動へ変えている。シンプルな入力でありながら、感動の総量が多いのだ。

たとえば、「A」という生き物に関するステージにおいて。本作では「A」をヨッシーが食べたり、潰したり、投げたり、背中に乗せたり、乗せたまま移動することで、それぞれに対応した課題が達成されていく。しかし課題の存在自体は、プレイヤーに明かされることはない。つまり、アクションの発見→課題が存在する予感→課題の達成と充実感→知識の蓄積という面白さ、という複数回にわたる感情の動きが1つのアクションに詰め込まれている。

「A」は背中に乗っけると釣り竿を垂らすことを発見する→「魚を釣る」という課題を予測→実際に釣れたという充実感→最初のやり方では釣れないサイズの違う魚を発見……というように、課題を明示しないことでシンプルなアクションフローの中に複数回にわたる感動を設定し、単純かつ充実した体験を構築している。

こうした感情のレイヤー設計とも呼べる体験構造を支えているのは、本作の秀逸なアートワークだ。作品タイトルが指し示すように、「図鑑の中」という2次元でファンタジックな要素をモチーフとしつつ、実在感のある立体的な生態系を表現する本作の美術は、表面的な可愛らしさの内側に、少々グロテスクな生々しさが覗く、非常に興味深い仕上がりだ。筆者は幼い頃、友人と共にカマキリをカッコいいなぁと想いながら捕獲し、トンボを喰わせてキャッキャしていた。カエルに色んなものを食べさせて胃が裏返るのをワハハと観察していた。本作をプレイしているとあの頃の好奇心任せな、野性味溢れる暴力体験を思い出す。

また、一見すると「失敗」したように思える成果も、評価点としてノルマ達成に活かされるのも嬉しい。本作はそもそも、ゲーム進行に必要なノルマ達成数の数が非常に少ないため、簡単に最終エリアまでアンロックされる。複数のエリアを縦横無尽に探索し、好奇心が赴くまま、生き物に対して実験を行い、観察することが可能だ。

「実験作」の結果はいかに

ここまで優れた点を述べてきた本稿ではあるが、本作にも欠点は存在する。先述したように、本作は比較的シンプルなアクションフローの中に、「発見」という感動を挟み込むことを通じた重層的な感情体験に面白さがある。それは確かに表現の拡張を成し遂げている。しかしながら、ゴール地点を用意しない2Dアクションという形式を成立させるために、移動やアクションの連続性を通じた感情の波、「ドキドキ、ワクワク」といった感情の段階的な高揚を誘導する要素に乏しく、それでいて欠落を埋め合わせる要素が導入されていない。結果として1つ1つのステージの内容は楽しく印象的だが、作品を通した全体的な体験としては淡白なものに落ち着いている。

本作のアクションはステージ選択の自由度や、ゴール地点を用意しない2Dアクションという形式、個々のギミックのシンプルさを両立するため、各ステージにおける相互の直接的な関係性が省かれている。たとえば、Aの生物に関する観察結果、という知識をBの生物に持ち越すことはほぼできない。ステージ後半になるほどプレイがどんどん難しくなる、ということもない。本作はいわば均質な大きさを持つ点の集合であり、たくさんのタスクを発見して、こなしていくゲームになっている。ただ、これは可処分時間の取り合いという世情において、ゲームによる拘束時間を減らすことができる。いつでもプレイを始めて良いし、止めても良いというメリットを生んでいる。作中一貫しているプレイのシンプルさは、ユーザーの中途離脱を防ぐ意味合いもあるだろう。

そして、本作が示した「ゴール地点を用意しない2Dアクション」の形は、2Dの『スーパーマリオ』シリーズをはじめ、『ワリオランド』シリーズや『メトロイド』シリーズ、それこそ『ヨッシー』シリーズといった、任天堂が世に送り出してきた数々の2Dアクションの未来を楽しみにさせるものでもあった。本作のような実験作が登場したことは、ビジネス上の観点から保守的な姿勢を採用しがちなスタジオ、パブリッシャーが目立つ昨今において、非常に喜ばしいことである。『ヨッシーとフカシギの図鑑』はゲーム業界にセンス・オブ・ワンダーをもたらしてくれる作品なのかも知れない。

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Takayuki Sawahata
Takayuki Sawahata

娯楽としてだけではなく文化としてのゲームを知り、広めていきたい。ジャンル問わず死にゲー、マゾゲー大好き。

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