任天堂元社長・岩田聡氏への「幻のインタビュー」を海外記者が公開。ニンテンドーDSにタッチパネル採用の理由など貴重な証言が続々発掘

 
Image Credit: 「Nintendo Direct 2.13.14」on YouTube

任天堂の第4代代表取締役社長を務めた故・岩田聡氏に向けて、約20年前にインタビューをおこなったジャーナリストがその未公開だった内容を公開し注目を集めている。ニンテンドーDSが発表されたゲームイベントE3におけるインタビューであり、任天堂のハード開発における戦略やエピソードが語られている興味深い内容だ。


岩田聡氏は約13年間にわたり、任天堂の第4代代表取締役社長を務めた人物だ。『星のカービィ』『大乱闘スマッシュブラザーズ』シリーズなどの開発元として知られるハル研究所の創業メンバーであり、後に同社代表取締役社長に就任。2000年に任天堂に入社し、2002年から同社の代表取締役社長を務めていた。2013年からは任天堂の米国法人のCEOも兼任するなど、任天堂の顔として国内外で活躍。しかし2015年に胆管腫瘍のためこの世を去った。


2004年の「E3」にて

今回、約20年前におこなわれた、岩田氏への海外メディアのインタビュー内容が公開された。インタビュー内容を明かしたのはジャーナリストのStephen Totilo氏だ。同氏はKotakuやAxiosといったメディアを経て独立。現在ニュースレターのサブスクリプションサービスSubstackにて個人メディアGame Fileを運営している。

Stephen氏は2004年にゲームイベントE3にて岩田氏や宮本茂氏へのインタビューをおこない、その内容は当時The New York Timesにて掲載されていた。同年のE3では岩田氏自らが登壇して「ニンテンドーDS」を発表。上下2画面式の携帯型ゲーム機で、下画面にタッチパネルが採用されている点が特徴。ゲームソフトはカード(カートリッジ)式であった。


なおStephen氏によれば、当時The New York Timesでゲームを担当していた主要な記者たちは、E3に先がけて当時のソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)が実機をお披露目したPlayStation Portable(PSP)に関する取材を要望していたそうだ。一方のStephen氏は当時の任天堂の状況に関心を寄せていたという。

当時任天堂はニンテンドー ゲームキューブの売上の伸び悩みなどから苦戦を強いられている状況にあった。そうした背景から、Stephen氏はすでにハル研究所の経営再建でその手腕を見せていた岩田氏が、起死回生の「クレイジーなアイデア」をもっているのではないかと興味をもったとのこと。The New York Timesの編集部を説き伏せてニンテンドーDSに関する取材に漕ぎつけたそうだ。とはいえ当時の同誌に掲載された記事では、岩田氏の発言からの引用はわずか2行。インタビューが主体ではなく、ニンテンドーDS自体の紹介や、そのビジネス戦略を説明する内容であった。


「エンターテインメントはかならず飽きられる」

一方で岩田氏へのインタビュー自体は約50分間にわたりおこなわれたそうで、当時の記事に掲載されなかった発言も多くあったそうだ。Stephen氏は数年前に当時のインタビューを録音したマイクロカセットを発見したといい、カセットを再生できる機器を調達。当時のインタビューにおける岩田氏の発言を録音ファイルも交えてGame Fileにて公開している。


Stephen氏によるインタビューでは、ニンテンドーDSにさまざまな特徴的な仕様が採用された理由について岩田氏により説明されている。まず岩田氏はゲームの入力方法を例に挙げながら「エンターテインメントの宿命」について言及。ゲームの入力方法は、1983年発売のファミリーコンピュータにてプラス(十字)キーやA・Bボタンといったスタンダードが確立されたといえる。

岩田氏は、ゲームはこうしたスタンダードを採用しつつ、グラフィックや内容を豪華にしたり複雑にしたりして新鮮さを出してきたと述べる。しかし、エンターテインメントにおいてはどれだけ素晴らしいものを生み出しても人はかならず飽きてしまうと岩田氏は考えているという。そのため、従来の方向性では遠からず限界に直面するだろうとの見解を示していた。

続けて岩田氏は、ゲーム業界にパラダイムシフトをもたらすという当時の任天堂の目標を示した。同氏は十字キーやA・Bボタンをベースとする操作方法では、熟練したコアゲーマーとゲームをあまり遊ばないプレイヤーとの間で経験による大きな差が生じる点を指摘。そのため(新たなハードの開発では)どちらのプレイヤーにも同じスタートラインに並んでもらい、それぞれに魅力を感じさせたいという方針もあったそうだ。

岩田氏は2003年の東京ゲームショウにておこなった基調講演でも、当時のゲーム業界の売上が縮小傾向にあった点を懸念。ゲームが複雑化を見せて間口が狭まっている点が、市場縮小の原因になっているといった考えを明かしていた(電撃オンライン)。ニンテンドーDSにてタッチパネルなどの入力方式が採用された背景には、そうした課題の解消も狙いとしてあったのだろう。


上下2画面になった理由

なおニンテンドーDSが2画面になったのは、任天堂の第3代代表取締役社長である山内博氏のアドバイスがもとになっているという。ゲームボーイアドバンスSPの次のハード開発に向けた基礎研究がおこなわれていた折に、当時すでに社長職を退いていた山内氏から「(新しいハードには)2画面にするぐらい大きな違いが必要だ」との助言があったそうだ。このアイデアについて議論がおこなわれ、「2画面にした場合の販売価格の上昇」「人間の目は2画面を同時に見られないのに意味はあるのか」といったデメリットも検討されたという。


一方で2画面を活かしたタッチパネルの導入に加えて、通信のワイヤレス化やマイク機能といった新たな技術を組み合わせた場合の可能性の広がりも見いだされたそうだ。結果的に新ハードを2画面にするというアイデアは「ゲームをどう変えていくのか」という議論を建設的におこなうきっかけになったと岩田氏は振り返っている。

ちなみに2画面採用について岩田氏が確信を得たきっかけは、宮本茂氏との間で2画面・タッチパネルというアイデアについて話し合った際、お互いに「いける!」と言い合ったことだったそうだ。さまざまな議論が交わされたものの、最終的にタッチパネルが採用されたのは宮本氏による貢献が大きいという。


なぜソフトがディスクじゃないのか

このほかインタビューでは、ニンテンドーDSのゲームソフトがカード式となった理由も明かされた。というのも、当時のゲームソフトは光ディスクが主流。岩田氏もカートリッジ式のNINTENDO64よりも、光ディスク式のPlayStationの方が(開発や生産における)コスト面で有利であったことを認めている。実際、NINTENDO64の次の据え置きハードとなったニンテンドー ゲームキューブでも光ディスクが採用。またSCEはPSPにおいて独自の光ディスク規格UMDを採用していた。


一方で岩田氏は、携帯型ゲーム機においては光ディスクの採用は大きなデメリットになりうるとの見解を説明。光ディスクを読み込むドライブが必要になり、耐久性が課題になるとの見方を示していた。ほか、ディスクドライブでは、カートリッジ式よりもはるかにバッテリー消費が激しい点も懸念として考慮されたそうだ。

また岩田氏は2004年当時の時点での半導体技術の進歩にも言及。NINTENDO64やPlayStationの時代にはカートリッジはゲームソフトに用いる媒体として遅れをとっていたものの、2004年には生産におけるコストも大幅に削減されていたという。なおニンテンドーDSの後継機ニンテンドー3DSや、携帯型ゲーム機として遊べる点が特徴の現行ハードNintendo Switchでは、ゲームソフトがダウンロードソフトとあわせてカード式が採用され続けている。携帯型ゲーム機においてカートリッジ式を採用するといった判断が守られてきた点は興味深い。


その後の任天堂

なおニンテンドーDSはインタビューがおこなわれた2004年の年末に日本や米国などの複数地域で発売。2005年3月末時点までの短期間で520万台以上を売り上げるヒットを記録した。売上の伸び悩んだニンテンドー ゲームキューブから一転、同社をけん引するハードになったといえるだろう。

岩田氏に向けた約20年前のE3におけるインタビューにて明かされたニンテンドーDS開発におけるさまざまな戦略。なおこの後任天堂は2画面・タッチパネルを引き続き採用したニンテンドー3DSのほか、モーションコントローラーを採用したWiiなどを展開しており、入力方法の違いでゲームに変化をもたらすといった方針が受け継がれていたこともうかがえる。任天堂がNintendo Switchの次に打ち出すハードは現状では発表されておらず、どのようになるかは注目されるところだ。

なお任天堂の現代表取締役社長・古川俊太郎氏は昨年2023年5月の2023年3月期決算説明会の質疑応答にて、Nintendo Switchの後継となる次世代機について言及。任天堂では、新しいユニークな娯楽を提供していくために、どういった面白い提案ができるかを常に考えて将来に向けたさまざまな開発を進めているとのことであった。「エンターテインメントがいつか必ず飽きられる」ことを念頭に置いて新たな遊びを模索するといった方針は今も根付いているのだろう。


なんでも遊ぶ雑食ゲーマー。『Titanfall 2』が好きだったこともあり、『Apex Legends』はリリース当初から遊び続けています。