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シリーズ初作『ゼノブレイド』の発売から12年。モノリスソフトが積み上げた技術、想いはここに結実する。『ゼノブレイド2』からさらに進化を遂げた映像美。的確な取捨選択を経てほぼ完成の域に達したゲームシステム。令和に語るべき内容に仕上がっている重厚な物語。任天堂の子会社として、数々の作品制作に協力する中で培ったものがすべて詰まっていると言っても過言ではない。集大成にして最高傑作。『ゼノブレイド3』にはこの評価が相応しい。

『ゼノブレイド3』は、2022年7月29日に任天堂より発売されたロールプレイングゲーム。開発はモノリスソフトが担当している。本作は『ゼノブレイド』シリーズのナンバリングタイトルであり、物語としては『ゼノブレイド』および『ゼノブレイド2』の世界をつなげる集大成という位置づけがなされている。作品の総監督は過去作同様、高橋哲哉氏が務めている。

以下、『ゼノブレイド3』の内容に関するネタバレあり。クリア前の方はご注意。


不確定な未来を求め、残酷な現実を肯定する物語


シリーズの節目として登場した『ゼノブレイド3』のストーリーは、3組のアダムとイヴが蛇に導かれ知恵の実をかじり、「失楽園を目指す=不確定な未来を求め、残酷な現実を肯定する」物語である。「不確定の未来を掴み取る物語」を語った『ゼノブレイド』や、「現実を楽園として受け入れる物語」を描いた『ゼノブレイド2』に続く形として、シリーズの節目に相応しい内容に仕上がっている。高橋哲哉氏の作風が前2作以上に出ているだけでなく、「自己実現の難しさ」といった極めて現代的なテーマを、主にNintendo Switchのメインユーザー層である若者や家族連れ(親御さん向け)に対し、強いメッセージ性を込めた形で、多角的に力強く語りあげている。

生きることは戦いだ。人間が兵士として生産され、10年の寿命の中で戦い死ぬことをメビウスによって義務付けられている本作の世界設定は、社会構造に搾取される人間と、現場から離れた場所で既得権益にあぐらを掻いている人間とで大きな格差が存在する、現代の社会構造を明確に表現している。人間側の多くが若者であり、若さを意識したセリフが繰り返し使われることや、メビウス側の多くが壮年期に至った人間の声や姿をしていることからもそれは分かりやすい。メビウスたちの人生観、幸福論は「生きることは唯一の成功に向かって他人を蹴落とし続けること=戦争」と旧時代的だ。幸福の形を押し付けることで若者を動かし、その姿を見てメビウスがエネルギーを搾取しているという構図は、たとえば組体操の是非といった議論や、勝利至上主義、興行や伝統を優先するあまり少年たちの選手生命を犠牲にしている日本のスポーツ業界の現状などといった社会問題を思い起こさせる。

不確定な明日や残酷な現実を恐れ、「永遠の今」を渇望するがゆえに己の命(生きて死ぬまでのプロセス)に対して当事者意識を持たず、不変に拘るようになったメビウス。その実態を集合無意識的な存在としたことで、「押し付けられた幸福論に従うほうが、たとえ搾取されていようとも、今が崩れるよりマシ」という意識がはびこる現実に繋がりをもたせ、作品のメッセージ性を強めている。一方、主人公たちは現代的な発想を持ったキャラクターとして存在感を放つ。生きることは戦いであると認識しつつも、戦いとは各々の自己実現=命の使い方を見出すまでの辛く苦しい過程であり、ゆえに他者を蹴落とすのではなく万人が当事者として手を取り合って共に戦い続けていくことを希望する。「自分が変われば世界が変わる」という言葉が彼らのスタンスを端的に示している。種族の違いを認識することはあっても差別意識を持たず、戦争によって生まれる禍根に対し価値観を柔軟に変化させ、ハッキリと割り切ることができる。


本作の物語はこの「不確かな概念を拒み、唯一の幸福論を押し付けることで若者を搾取する=現在を優先するあまりに搾取されていることに目をつぶってしまう私たちの意識」であるメビウスと、「辛く苦しい明日が待っていても、誰もが各々の自己実現を目指せる世界を望む」主人公たちの対立を軸に、そもそも自己実現とは何か、生きるとは何かといった、人生という概念の根本的な部分に関わる命題を巻き込みながらじっくりと展開していく。「生まれてから死ぬまで何をするのか」という私たちが目を背けたくなるような話題をもって、笑いあり涙ありのエンターテイメントを成立させつつ、現実にも発生している諸問題について可能な限り誠実な態度で向き合い、プレイヤーに内省を促し、生きる活力を与える。今生きている人すべてに対する激励の言葉になっている。なかでも筆者が内容について感心したのは「自己実現の可能性」という点において、人によって向き不向きが生まれてしまうことをはっきり描写したことだ。

作中ではたびたび「自己実現の可能性」において強者と弱者の関係性がフィーチャーされる。強者とは当時代において才能が強みとして認められている人間のこと。弱者とは才能が強みとして認められない時代に生きている人間のことである。主に強者側に主人公らが立ち、弱者側には敵対者が立つことになる。その上で、何が優れているのか、結果として上手くいくのかを決めるのは時の運であると、主人公の口からしっかり言わせたことや、弱者側に自己責任論を展開するでもなく、強者側に歪なノブレス・オブリージュを要求するでもなく、互いに手を取り合って自己実現に向け戦っていくことが重要だという姿勢を、この格差広がる現代で示したのは称賛の一言である(その教訓を示すにあたってプレイヤーに痛みを与え、救えない展開を用意するのは実に高橋氏らしい)。


作劇の手法として、メインとなるストーリーを、大量に存在するサブクエストが前提になった内容に仕上げているのは、RPGとしてユニークである(似た手法を採用している作品には『サイバーパンク2077』がある)。先述したように、本作がテーマとしているのは「自己実現の難しさ」という現代的な内容だけでなく、自己実現とは何か、生きるとは何かといった、人生という概念の根本的な部分に関わるものも含まれている。ゆえに多角的な観点から思索を広げていくことが物語としては肝要だ。だがメインストーリーにおいては主人公一派6人の在り方の変遷が主軸となっており、多角的な内容になっているとは言えない(その分キャラクターの掘り下げや彼らを中心としたドラマに関しては徹底的に行われる)。

ではそれを補っている部分はなにかといえば、大量に用意されたサブクエストである。主人公たちとは異なる自己実現の方法を取り扱ったものや、強者と弱者それぞれの苦悩を描いたもの、世界設定を取り扱ったもの、愛憎混じり合うさまざまな存在の繋がりの形を示すものなど、その内容は多岐にわたる。内容自体の面白さについては粒ぞろいとなっており、本編に負けず劣らずの品質を誇る……という以上に、尺の都合で描けなかった物語をこちらに用意した、という趣が強く、十分に遊んでいるか否かで本編に対する印象が異なってきてしまう。幸いにしてサブクエストを遊ばせるための仕組みは整っているため、印象に対する振れ幅は小さくなることが予想される。

ここまで評価点をメインに論を進めてきたが、欠点がなかったわけではない。最初に挙げられるのは、断続して挿入されるカットシーンの多さだ。ゲームプレイの時間よりもカットシーンを観ている時間のほうが長いという印象はまったくないものの、「カットシーン→少し歩いてまたすぐカットシーン」という進行は、ゲームプレイに対する集中力を削いでしまう。可能な限りプレイヤーの没入を優先し、シームレスな形で映像表現を作り上げることを主流としている昨今のゲーム体験のトレンドからは大きく外れている手法であり、いまあえて採用している理由が読み取れない。

次に挙げられるのは、最終決戦の魅力の乏しさだ。まず大前提として、本作の最大の敵は「自分自身」である。これは本作が「生まれてから死ぬまで何をするか」を主題とした物語であることを理由としているからである。現に「失敗した世界の自分」が敵として登場し、黒幕の正体は集合無意識である。また、多くのメビウスの個性が薄いこともこれに由来する。メビウスとの戦闘を通じた対話自体にテーマを表現する上での意味があるわけではなく、キャラクターの内省を通じた成長が重要な物語構成になっているからだ。

つまり、自分自身と決着をつけた=主人公たちが自分の中でおのが人生に対する答えを見つけた時点で物語における最終決戦は済んでしまっている。よってラストバトルが消化試合になってしまい、上記にあるカットシーンを用いた演出の冗長さも加わってイマイチ盛り上がりに欠ける。ではなぜ、筆者がわざわざ最終決戦における魅力の乏しさをトピックとしたのかといえば、過去2作の影響が大きい。『ゼノブレイド』とその直接の続編である『ゼノブレイド2』、両者ともにクライマックスが物語の最高潮になるような構成を採用しており、一区切りという名目の今作にて、あえてシリーズ上の連続性を引き継がないことに対する理由が分からなかったもちろん、連続性を裏切ることで成功した作品は多く存在する)。その後に続くエピローグの雪解けを表現するような儚さ、地平線から滲む朝焼けのような繊細さ。そこからもたらされるカタルシスの甘美たるやを思えば、消化試合になったラストバトルは残念である。


私事になるが、かつて自分には敬愛している人がいた。その人は突如として自ら命を絶った。自身の生き方に従った結果なのか、生きることを諦めたからなのか、彼の死から10年以上が経った今でも、自分の中で納得のいく答えは出ていない。そして私もまた、彼の後を追うことを真剣に考えた時期がある。そんな自分にとって「命の使い方」を主題に据えた本作の体験は、苦しくも、胸に突き刺さるものがあった。8人+1人で野を越え山を越え谷を越え、川や海を渡った先に見えた、数々の命の煌きは、互いに重なり旋律となって私を癒やし、生きる活力を与えてくれた。

考えることを止めないノア。揺るがない精神を持つミオ。繊細な心を持つランツ。弱さを乗り越えることができたセナ。等身大の人間を表現するユーニ。誰よりも優しいタイオン。愛らしくも頼もしいリクとマナナ。かくして楽園は失われ、残酷な日常へと私は帰る。だが、彼らと過ごした旅路を決して忘れることはないだろう。『ゼノブレイド3』が、まだ見ぬ明日へと私の背中を押してくれる。


完成の域に達したゲームシステム


シリーズの節目に相応しい物語体験をユーザーに提供することに成功した『ゼノブレイド3』は、遊びに関しても歴代作品において最高のクオリティを誇っている。もとより『ゼノブレイド』シリーズにおけるゲームシステム、なかでも戦闘システムは面白くもかなり複雑な内容として知られており、購入以前における第一印象との違いや、ゲームを理解するまでにリタイアしてしまうなどといった、購入してからのプレイフィールの悪化にも繋がっていた。その複雑さは『ゼノブレイド2』において頂点に達し、賛否両論の結果をもたらした。そして『ゼノブレイド3』の戦闘システムもまた、たしかに複雑な内容ではある。だが、過去作からの的確な取捨選択を経て磨かれたその姿は、体験の根幹となるコンセプトを保持しつつ、プレイヤーをリタイアさせないような工夫がしっかりとなされている。

まず、本作における戦闘の流れを説明しておきたい。プレイヤーは「アタッカー」「ディフェンダー」「ヒーラー」という3種類のロールをクラスという形で振り分けた6人のキャラクターを、リアルタイムで切り替えながら操作することになる(自分が操作していない間のキャラクターはAIが操作する。AIは非常に優秀で、効率的な動きをしてくれる)。1人につき7つの「アーツ」という技コマンドが備わっており、アーツを的確なタイミングで使用すると2種類のゲージが溜まっていく。これを開放することにより大技を放って敵を倒していくわけだ。

1つはウロボロスゲージ。ゲージを開放すると特定の2人のキャラクターが融合しウロボロスとなり、強力なアーツを使用できる。0~3まで最大4段階のレベルが存在し、高いレベルになるほどアーツの威力は向上する。面白いのは、ウロボロスを発動するとキャラが一人減ってしまう点だ。たとえばウロボロスになる組み合わせを同じロールで揃えてしまうと、発動することでかえって不利になってしまう場合がある。より具体的にいうと、ウロボロスになる二人組を同じ「ヒーラー」で揃えてしまうと、ウロボロスを発動している間、回復ができずにパーティーが壊滅するおそれがある。


2つ目はチェインアタックだ。これは6人+1人で総攻撃をしかけ、敵に大ダメージを与える超大技である。仕組みとしては、味方を1人を選んで敵を攻撃することを繰り返し、専用のパーセンテージを100%以上まで持っていく。これをゲージがなくなる、もしくは誰も選べなくなるまで繰り返していく。具体的なフローとしては、「ゲージを消費→味方キャラクターを一人選んで相手を攻撃する→パーセンテージが上がる→また味方を1人選んで攻撃」を繰り返し100%を超えたら1ターン終了。攻撃の倍率にパーセンテージを加算して、キャラクターが何人か選択肢に復活。ゲージを消費する段階に戻る。初期段階の倍率は100%だが、上昇させたパーセンテージの分だけ攻撃の威力の倍率が上がっていき、最終的には1000%以上の倍率を誇る威力で攻撃を叩き込むことができる。

これもまた興味深いのは、選んだキャラクターのロールによって、パーセンテージの伸びが異なることだ。たとえば「アタッカー」はパーセンテージの伸びが大きい。逆に「ヒーラー」の攻撃では絶対に99%でストップする。100%を超えた途端に1つのターンが終わってしまうため、わざと99%で止めることによって、次の攻撃で合計200%以上の倍率を狙うことが可能になっている。つまり特定のロールが多かったり少なすぎたりすると、チェインアタックの威力が伸びなくなってしまうのだ。さらに言えば、キャラクターひとりひとりによってもパーセンテージの伸び方は違う。たとえばタイオンは、公式に回復役として紹介されているが、彼が一番数値の伸びが良い。よって、チェインアタックを意識するならば、可能な限りアタッカーにしたい。一方、盾役として紹介されているランツは数値の伸びが悪い。ゆえに数値の伸びを気にしなくてよいヒーラーにも適正がある。

先述したように、プレイヤーは6人のキャラクターに対して「アタッカー」「ディフェンダー」「ヒーラー」のロールをもったクラスを振り分ける必要がある。こうした仕組みを設けることによって、プレイヤーの発想を、「とりあえず各ロールを2人ずつ出せばいいだろう」という段階に留めず、試行錯誤を促す仕組みになっているのが素晴らしい。各ロールに該当するクラスはそれぞれの特徴がはっきりしており、過去作からの要素であるジェムと合わせて、シナジーを考えることも面白い。それでいて、戦闘の内容については「6人で攻撃してゲージを貯めて大技を決める」というシンプルな内容にまとまっている。ちなみに、アーツのコンボについては各要素との結びつきが薄れたことで、本作において実行する強制力はかなり薄れている。複数種のコンボルートを同時並行で何度も遂行する必要のあった『ゼノブレイド2』から、遊びの奥行きを保ちながらも本当にスリムになった印象を受ける。


本作からシリーズに触れるユーザーのフォローも十分なされている。まず特筆すべきはチュートリアルおよびTipsの充実ぶりだろう。説明文が書かれたウィンドウの消滅の遅さは、「読み飛ばさせない」意思をハッキリと感じる。中でも戦闘中のアクションを何度も練習できる訓練モードの存在は、雑魚敵のみ利用可能なオートバトルの存在と合わせて、プレイヤーのステップアップを促してくれる。本作のAIは非常に優秀であり、オートバトルでなくともかなり的確な動きをしてくれるが、プレイヤーが介入しない限りは最高効率を挙げてくれることは決してない。言い換えれば、わざとムダが目立つようになっており、プレイヤーの心理状態を「もっと上手く動かせたら」という向上心が芽生える方向に持っていくことができている。


『ゼノブレイド』シリーズにおけるゲームシステムを語る上で、フィールドの探索にまつわる部分もまた欠かすことはできない。過去作においては空間の広さが印象の前面に来ていたが、『ゼノブレイド3』におけるフィールドは戦闘システムと同様にかなりスリムになった印象をうける。これは規模が縮小したのではなく、プレイヤーが行かないような無駄なエリアがなくなったことを意味している。本作のフィールドデザインの特徴は、エリアの中心にプレイヤーを明確に誘導する大通りが存在し、周囲に枝葉としての大小さまざまなエリアが点在していること。枝葉の先にはご褒美としてヒーローやサブクエスト、絶景が待っている。プレイヤーの視界に探索可能なエリアを景色として挿入することで狭さを感じさせないのが面白い。

本作のフィールドデザインにおいて特筆すべきは、プレイヤーを動かす力がとてつもなく強いという点だ。プレイヤーは主にヒーローをアンロックするためフィールドを駆け回ることになるが、1人ヒーローをアンロックすると、魅力的なサブクエストがいくつも出現する。サブクエストを実行すると、おつかいをこなすために結果として新たなエリアを中途半端に探索することになる。サブクエストをこなすと、多くのNPCの会話内容が逐次変化するほか、初作からの要素であるキズナグラムが変化していく。また、仲間にしたヒーローを強化するクエストが出現する場合もある。そして、サブクエスト遂行中に半端になった探索を完全な内容にしようとフィールドを歩き回っていると、新たなヒーローに出会うのだ。


つまり、プレイヤーは一歩を踏み出した途端に、「探索→ヒーロー発見→サブクエ解決&新エリア発見→探索→ヒーロー発見」のループに突入する。道中にはサブクエストで使用する収集アイテムや、経験値を多めにもらえるザコ敵がばら撒かれ、プレイヤーを息切れさせてくれない。また、ループの中で自然と経験値がモリモリ手に入るため、RPGにつきものであるレベリング作業が必要ないのも嬉しい。「特定のヒーローを特定の場所に連れて行くと聞けるセリフ」も用意されており、プレイヤーを動かすための工夫には枚挙に暇がない。ではなぜ、ここまでプレイヤーを動かし続けるのかといえば、上記にあるストーリー上の都合が大きい。本作は寄り道の分だけ物語の内容に対する理解や納得感が深まるように作られており、高橋哲哉氏も本編中の寄り道を推奨している。豊富なファストトラベルポイントと、順路を示す大通りの存在のお陰で、探索から本編に、本編から探索に戻りやすくなっているのが素晴らしい。

ただ難点がひとつ。探索を通じてレベルが上がりまくる都合上、クラスの継承がしづらくなってしまう問題が発生している。本作ではヒーロー加入に伴って入手したクラスをパーティーメンバー全員に継承させるにあたって、複数回の戦闘が必要になる。だが、格下の敵と戦ってもクラスの継承が進みづらい仕組みになっている。しかし探索を繰り返すと敵が自然と格下になってしまうため、適正レベルの敵を探さねばならなくなる。探索を促すための仕組みではあるのだが、本作は多くのクラスをキャラクターに経験させたほうが明確に得になる都合上、継承できていない時間が無駄に感じてしまう。これに関してはアップデートで修正してほしいものである。

総じて『ゼノブレイド3』のゲームシステムは過去作からの的確な取捨選択を経て、ほぼ「完成」の域に達している。遊びとしてのアイデンティティを保ちつつも、過去に指摘された絞るべき箇所は絞り、それでいて本作ならではの鮮明な色を出すことに成功。シリーズ最新作と呼ぶに相応しい佇まいを誇っている。


シリーズの節目を飾るに相応しいストーリー。歴代最高の品質を誇るゲームシステム。これを傑作と呼ばずしてなんと呼ぶのか。『ゼノブレイド』からはじまり、『ゼノブレイドクロス』『ゼノブレイド2』に至るまでの軌跡が、いや、12年間におよぶモノリスソフトのすべてが、一切の不足なく『ゼノブレイド3』に詰め込まれている。それはまるで、『2001年宇宙の旅』に登場したモノリスのように、私たちを決して忘れ得ぬゲーム体験へと導き、生きること自体が難しい現代において、人として生きるための勇気を授けてくれるのだ。『ゼノブレイド3』は間違いなく今年を代表する作品のひとつになるだろう。

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