「『MOTHER2』100%クリアを目指せ」という大任務をまかされてしまった、グローバル版AUTOMATON編集ライターのグラハム・アーサー。前回クリアに関する5つの目的を掲げ、気合たっぷりのアーサーだったが、とある昆虫に悩まされることに……。
MOTHER2 at 30 その2
ゲーム、というかRPGのようなゲームについて考えると、ソローの名言を思い出す。
“私はかつて、孤独ほど仲のよい仲間を見出したことがない。”
ようするに、「最高の友達」というのは、「そこにいない人」ということだ。私は若い頃、このような友達が腐るほど多かった。しかし、それでも「ソーシャルな社会と離れていてよかったなあ」と思ったことは意外と多くなかった。どちらかというと「友達があまりいない」ということがずっと悔しかった。でもまあ、自己嫌悪はとりあえずおいとこう。友達がいないことによってゲームの世界に思いっきり入り込んで、部屋の外の世界や食事、ときどき起こり得る火事などを無視して遊びに夢中になれたし、よかったんじゃないかなあと。
『MOTHER2』再探検実験2日目が経過したところで、とある少年とその仲間が世界を救う物語の詳細を、長い歳月のあいだに忘れてしまっていたことに突然気が付いたのだが、 これは同時に良い事とも悪い事とも思える。何が悪いのかというと、当然、進行程度が遅い。恥ずかしいくらい遅い。素晴らしいチャレンジに挑みだして2日間も経っているのに、まだ一つ目の村に足を踏み入れたばかりだ。逆に何が良いのかというと、「とりあえずなんとか最後までクリアしちゃいたい」からではなく、かなり久し振りに「何もかもを見て何もかもを体験してみたい」がためにゲームに集中して遊んでいるということに気が付いたのだ。
このゲームをWii Uで遊ぶと、ものすごく満足感がわく。コントローラー面でいうとスーパーファミコン時代のクラシックな感触とは多少違うが、現代風のコンソールでやるとセーブ機能の面ではかなり優れているように感じる。これはうちの子供が急にゲロを吐いたり、お菓子を喰いたくなったり、トイレに行きたくなったりした時にものすごく役に立ってくれている。ゲームパッドにワンタップするだけでポーズができ、そのままゲームを保存することもできる。後でまたやろうと思った時に、先ほど途中でいったん止めた「犬とカラスがどうのこうの……」というわけのわからない会話の場面からいつでも再開できるのだ。
正直、「丑の刻参り」とも言われる時間帯にでもこのゲームをやったりすることもある。日が暮れてからコンソール用ゲームをゲームパッドで起動させてプレイするというのが、私の独りの時間の楽しみの一つだ。子供の頃にこれができる方法があったとしたら、誰かを殴り倒してでも知りたかったなあと思う。「携帯できるゲーム」というのが、私が生まれる前から(シンプルなモノクロのやつとか)何らかの形では存在していたということは十分承知している。だが「トイレに行く時でもコンソールへとフルに繋がっていて、そのままゲームができる」とは、自分が王様に即位するときにプラスアルファでWii Uももらえるというような、夢の中の夢に思える。
こうやってファミコン/スーパーファミコンの過去をさかのぼっていくと、とっくに死んだはずの亡霊が蘇って再び罰を与えてくることもある。まずは、みんなが大好きな「経験値稼ぎ」。なんといわゆるJRPG特有の経験値稼ぎのことを完全に記憶から削除していた。たまにちょっとしたバトルに出るとかそういったようなレベルではなく、「今度は何が出てくるのかなと思って何度も何度も同じ部屋を出入りし続け、何度も何度もどうでもいいしょーもないモンスターを倒し続ける、くそファッキン経験値稼ぎ」だ。かつて、「自分で作戦を考えて戦う」よりガンビットシステムのほうがいいと『ファイナルファンタジー』の開発チームが決めて、そして小島監督が長編映画のような「ゲーム」を開発した頃から、私は「JRPG」というジャンルをそんなに好まなくなってしまった。けれども、完全に希望を失わずに心の中ではひそかに期待していた。いつかまた興味が湧いてくるだろうし、またそのときにでももう一回やってみようって。まあ、主人公の「ネス」はそこらへんのJRPGキャラクターとは全然違うようなものだし、プレイスタイルもかなり独特なゲームだし、「同じモノを何度も何度も何度もボコボコにする」という奇妙な衝動は、何年経ってもバリバリなのでとりあえずやってみようかと思った。
はっきりいうと、ちょっとやり過ぎてしまったと思う。というか、確実にやり過ぎてしまった。熱心になってきた私はフランクさまとその下っ端ロボットのフランキースタイン2号をワンラウンドずつでKOしなければ絶対に気が済まないと思い込んでいた。もう少し落ち着いていれば、幼い不良ギャングの残酷な抹殺はなんとか避けることができたのに、やはり私はあくまでも虚弱が許せない人間だし、「SMAAAASH!!」を決めるたびに娘が大爆笑してくれるし。そして、シャーク団のやつらに落とされる絶え間のないハンバーガーの供給のおかげで、ホテルを完全に避けることもできた。
ちょっとした注釈: 「ゲームの中ではそこらへんのゴミ箱から見つかった缶ジュースは飲んでもいいのに、うちで飼ってる猫ちゃん用のボウルから水を飲んではいけない理由」を2歳児に理解させることは完全に不可能だ。時間と体力の無駄でしかない。
はい、次。「ゲームをあらためて最初からやる」の一つのいいところというのは、この先何が起きるのかが分かっているため、色々と期待したり楽しみにしたりすることができる。例えば、アップルキッドと出会ってタコけしマシンを入手することとか、トンズラブラザーズの初ライブとか。このゲームのBGMが大好きで、気がつけば思わず口ずさんでいるということはしょっちゅうあるぐらいで、懐かしくてテンポのいい曲の流れるシーンへ進むとなると気分が大いに晴れてくる。しかし、その反面、この先起きる恐るべき嫌なことも知っているということにもなる。その「嫌なこと」のなかで私にとって一番でかいのは、必死に戦いながらジャイアントステップをなんとか通り抜けるということ。
たいして難しくも長くもつまらなくもないが、あのくそアリアリブラックが……。アリアリブラックだらけでアリアリブラックと戦ってばっかりだ。画面には1つの黒いピクセルとして現れやがって、踏み潰すとおっとっとっとっと、数十匹も出てきやがる。しかも攻撃力も高いしこちらのPPがすぐになくなってしまう。おい、ネスよ……あくまでもただのアリンコなんだよ?しかもお前バットなんか持ってんだぞ?!なんでそんなに苦労しなきゃいけねーのか?!まあ、中学生ぐらいの少年が「未来からきた喋る蜂」に言われて退学して家出するという時点で、確実に何かがちょっとおかしいなあということは当然解るのだが、一度このくそアリにやられたら殺虫スプレーぐらい買おうという発想はないのかよ、と。いやマジで。
サイキック能力を持つかも知れない、このくそアリアリブラックをひたすら虐殺していく私……。子供のころのボーイスカウトのキャンプのときを思い出してしまう。あのときと同様、とにかく威厳を損なうことなく帰ってくることはないなあって。まあ、それはさておき、最初に出てくる本物のボスキャラと戦うときがそろそろやってくるし、マクドナルドを廃業させられそうなほどハンバーガーを貯めてるし、そしてうちの娘ときたら「パパとネスが悪い人をやっつけちゃう」よりも『ドーラといっしょに大冒険』のほうを見たがるし……。記憶の中の『MOTHER2』体験とは少しかけ離れているが、それでもやっぱりいいね、このゲーム。
時間をたっぷりかけてゆっくりマイペースでゲームを遊ぶと、そのプレイ体験がよりいい思い出になるんじゃないかなと思う。だけど、「突然ゲームをやめて別のことをやらなきゃいけなくなるかも(特に娘が自分も何かそこらへんの物をSMAAAASH!!したくなった時)」ということがずっと頭の中にあると、ちゃんとリラックスしてゲームをゆっくり遊ぶことができなくなってしまう気がする。 しかし、それでもとりあえずこのゲームをやっている間、一緒に『MOTHER2』の冒険に出てくれる人がいることはすごく嬉しいことだ。そいつがたとえばすぐにしょーもない物に気が取られたりするようなガキでも。
「大人になってよみがえってくる子供のころの記憶」ってやつか。いいね。
しかし、誰か殺虫スプレーを持っている人がいれば、貸してくれよ。マジで。お父さんにいっぱい振り込んでもらったのでお金はかならずお支払いしますのでよろしく。
[翻訳 James R. Mountain]
[校正 Shuji Ishimoto]
「MOTHER2 at 30」は、グローバル版AUTOMATONに掲載された「EarthBound at 30」を和訳したものです。雰囲気が伝わるよう、一部の過激な言葉はあえて原文に近いものにしてあります。