ジミー・ライトニングの元ネタから知るカルチャーギャップと、求められる冷静さ

 

ゆるキャラ?
ゆるキャラ?

PopCap Gamesの『Peggle』の名前はご存じなくとも、同作の登場キャラクターである"ジミー・ライトニング"を何らかの形でご覧になった経験のあるかたは多いのではないだろうか。あのビーバーの何が「ヤバい!」のか?

ジミー、あるいはライトニングさんなどと敬称でも親しまれている彼。ペグルマスターとしてプレイヤーのパートナーとなり固有の能力を発揮して助けてくれるのだが、彼の役割はそれだけではない。ペグルマスターたちの中でなぜか彼だけに与えられた役割が存在する。

それは、プレイングに応じて画面下から突如ポップアップし「ヤバい!」「革新的!」「ワォ……!」などと叫び、消えるというもの。こうやってテキストにしてしまうとそっけないが、その演出の奇異さと翻訳の妙味からコアな人気を獲得した。

日本ではジミーのアスキーアートなども作られ、それがゲームでの役割と同様に脈絡なく唐突にペーストされていった結果についてニコニコ大百科は次のように説明している。

元ネタ不明のままAAだけが一人歩きしていた。


ジミーの元ネタはモーコンだ

 

しかしじつはジミーの演出にも元ネタが存在する。それは今年のE3ショーでも目玉となったAAAタイトルであり、日本では販売できないほどの残虐きわまる演出でその名を知られた『モータルコンバット』に登場する、Toasty!おじさんだ。

 

正体はサウンドプログラマーのDan Forden氏。
正体はサウンドプログラマーのDan Forden氏。
Toasty! 正体はペグルマスターのジミー・ライトニング氏。
Toasty! 正体はペグルマスターのジミー・ライトニング氏。

 

Danおじさんはプレイングに応じて画面下から突如ポップアップし、「Toasty!」と叫び消えるというキャラ。こうやってテキストにしてしまうとやはりそっけないが、奇抜な演出と裏声の妙味から(ジミー・ライトニングと同様)マニアックな層にウケた。「年間16億円以上を稼ぐDJ」ことスクリレックスにサンプリングされたのがその好例だ。

そして上掲画像のように、ジミーの語彙のひとつにも「Toasty!」が存在する。これは元ネタへの"参照"をあらわしているのだろう。 モーコン・ファンによるwikiを読むかぎりでは、ジミーの元ネタはこのToasty!のおじさんということでコンセンサスがえられているようだ。

 


トッシー ≠ Toasty ≠ ヤバい!

 

さきほどニコニコ大百科から引用したが、日本語版のジミーのセリフを集積した動画は有志によってニコニコ動画に投稿されており、その再生数が4万回を超えている。他方Youtubeでは『Peggle 2』のDLCとしてのジミー復帰を告知するトレイラーがXbox公式アカウントによって投稿されているが、再生数は8000回程度に留まっている。ジミーの人気は日本できわだって高い。

その背景要素には、翻訳の趣やコミュニティでの浸透の過程、「ライトニングさん」の語呂合わせなどいろいろ考えられる。だが筆者は『モーコン』ネタにあかるくない日本人には、ポップアップするジミーがより「革新的!」に感じられたであろうという点も見過ごせないと考えている。

『モーコン』を経験済みの海外のゲーマーが『Peggle』をプレイするところを想像してほしい。ビーバーが Toasty! と叫びながら画面下から出現する。それを見た彼らは驚くより先に「ははあ、『モーコン』のあれだな」と納得し、それで終わってしまうのではないか。

日本にも、『モーコン』の根強いファン層はもちろん存在し、Toastyおじさんも知られた存在ではある。しかし日本では馴染みの薄い単語を字幕なしで発することから、「トッシー」と空耳され、それがそのままニックネームとなった。

ジミーの台詞は「ヤバい!」。おじさんの台詞は「トッシー」。日本人にとっては彼らが同じセリフを発していると認識するのは困難だったのだ。

 


「伝言ゲーム」で実害が発生した事例

 

ジミー・ライトニングならびに『Peggle』の場合、さまざまな要因がからみあい、結果的に前向きなカルチャーが生まれた。だが、これは偶然の産物にすぎない。言葉が違えば文化も違い、受けとりかたも変わってくる、それは当然のことだ。そして、それがどのような成果をもたらすかは結果論でしか語れず、誰にも予見できない。

先日、カプコン辻本社長がE3で発言したとされる、『ストリートファイター5』についての情報が世間で取り沙汰された。

すくなくとも執筆時にGoogleで検索したかぎりでは、スポニチアネックス(共同通信ソース)しかこの記事を掲載していない。スポニチのスタンスはともかく、ゲーム関連メディアでないからには鵜呑みにはできないと判断するのが妥当だろう。しかしEvent Hubsはその記事を翻訳し、英語で拡散した。彼らにはスポーツ誌とゲーム誌を区別する動機と見識が欠けていたのかもしれない。

だがEvent Hubs自体が帯びた負の性質――すなわちEvent Hubsもやはり"鵜呑み"にできないサイトであるということ――を看過するかたちでアメリカの各ゲームメディアは該当記事ををソースに拡散を手伝った。結果、海外は大騒ぎになってしまった。もとをただせば「日本の通信社が日本の経営者に取材し日本のスポーツ紙によって報道された」記事であるにかかわらず、カプコン小野Pこと小野義徳氏はまず英語で訂正した。

やがて「海外が騒いでいるのだから」というあやふやな理由で日本もパニックに巻きこまれてしまった。小野氏は日本語でも誤報を訂正するツイートを繰り返し発信することになる。

後日カプコンはプレスリリースで報道を否定、 騒ぎはおさまった。当時は小野Pも辻本社長も在米中であった。つまりアメリカのメディアは、絶好の機会であったにもかかわらず確認のための取材をしなかったのだ。とにかくアクセスを稼ぐために「飛ばし」で記事にしたことになる。こういうところだけは、どの国でも一緒というわけだ。

 


果てがジミーであるとはかぎらない

 

Event Hubsは日本でもしばしば参照されるサイトだが、その信ぴょう性やモラルについては疑わしい。彼らはその真偽のほどだけでなく、タブロイド紙の掲載記事という前提が翻訳の過程で消えていくことに責任を持つ気概がはたしてあったのだろうか。

ジミー・ライトニングは「伝言ゲーム」の結果、ひとつのミームとなった。こうした事例はほかにもある。だが、冷静さが必要だ。元をたどれば知識の欠落と言語の壁にしかぶちあたらない。その力が偶発的にプラスへ働くこともありうるが、根本は誤解だ。その点を履き違えると、醍醐味ではなく事故にしかならない。