『SEKIRO』をチートでクリアした記者への怒りが、愉快なネットミームに変化。マリオやソニックが「お前はゲームだけでなく己自身も欺いた」と戒められる

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SEKIRO: SHADOWS DIE TWICE』(以下、SEKIRO)をきっかけに、ひとつのネットミームが誕生した。それは、海外メディアが掲載した『SEKIRO』の記事に対する怒りのコメントが、愉快なネットミームに装いを変えて拡散されていくという、ネット文化が生みだした歪んだユーモアであった。

【UPDATE 2019/04/11 7:40】
タイトルの「戒める」を「戒められる」に修正。

チートを使ったけど罪悪感はない

事の発端となったのは、海外メディアPC Gamerの編集者であるJames Davenport氏が執筆した、『SEKIRO』に関する一本の記事。「チートを使って『SEKIRO』のラスボスを倒したけれど罪悪感はないよ」というタイトルが付けられた同記事は、何度ラスボス戦に挑戦しても倒せないので、ゲームの流れをスロー化するModを使って撃破したという、コラム調の内容となっている。氏いわく、もはや楽しいという領域を超えた難しさゆえにModの活用を決め、ゲームを簡単にしたうえでラスボスを倒したわけだが、それでも達成感はあったし、ゲーム体験が損なわれたわけでもなかったと。ゲームの何に喜びを感じるかは、プレイヤー次第。Modはそうした遊びの寛容さや包括性の精神を象徴するものだと持論を述べて記事をとじた。

お前はゲームだけでなく己自身も欺いた

この記事は読者の反感を買ったほか、同じ著者が『SEKIRO』の剣術をマスターするためのガイド記事を執筆していたこともあり、さらにからかわれることとなった。

Davenport氏の記事に対する批判的なコメントは続き、4月6日にはTwitterユーザーのFetusberry氏が「お前はゲームだけでなく己自身も欺いた(You cheated not only the game, but yourself)。己を磨くことを怠り、成長しようともしなかった。近道を選び、何も得ることなく終わったお前が体験したのは、何の価値もない空虚な勝利だ。リスクを背負わなかったがゆえに、何の成果も得られなかった。それすら理解できないお前は実に哀れだ」というツイートを投稿。2万のいいね、5000のリツイート、1500以上のリプライがつき拡散されていった。

辛辣な批判も、ミーム化すれば愉快なもの

容赦のない辛辣なメッセージなのだが、文章のインパクトの強さもあってか、Fetusberry氏の文章は次第にネットミーム化していく。

最初のうちは、辛辣な台詞を残すことで知られるゲームキャラクターの画像に上述した文章を添えたり、『デビル メイ クライ 5』のVのモノローグシーンにて字幕を置き換えるといったシンプルなものだったが(@_AlmHz氏のツイート)、次第に使い方がクリエイティブに。現在のミームの基本形としては、チートを使ってゲームを攻略する動画を流し、ステージクリア後に表示されるメッセージや、クリア後に遭遇するNPCの台詞として、上述したFetusberry氏の文章を載せるという内容となっている。

たとえば、『スーパーマリオ64』のペンギン チャンピオンレースにて、隠しショートカットを使ってレースに勝ってみせる。すると敗北したペンギンがマリオに向かって「お前はゲームだけでなく己自身も欺いた」「近道を選び、何も得ることなく終わったお前が体験したのは、何の価値もない空虚な勝利だ」と淡々と語りかけるといった具合だ。

ほかにも、『ゼルダの伝説 夢をみる島』にてショップからアイテムを盗み出すことに成功したのち道具屋に戻ると、店員が「あれほど、ちゃんとカネはらえっていったのに」という台詞をこぼすかわりに、例の言葉を口に出すパターンもある。

ソニック公式も反応

ユーザーによる使用例が、任天堂作品にやや偏っていることに気づいたのか、なんとソニック・ザ・ヘッジホッグの公式アカウントもこのミームに反応。上述したAkfamilyhome氏による『スーパーマリオ64』の動画と同様のコンセプトを取り入れた動画を投稿している。『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』のマーブルゾーン(Act 2)を、グリッチを使ってクリアすると、クリア画面にて通常表示される「SONIC HAS PASSED」という文言が例の「YOU CHEATED NOT ONLY THE GAME BUT YOURSELF」に置き換わっているというものだ。Twitter上ではこれら以外にも、同じミームを取り入れた楽しげな投稿が確認できる。

こうして、怒りのコメントとして生まれた「お前はゲームだけでなく己自身も欺いた(You cheated not only the game, but yourself)」という言葉が、愉快なネットミームへと変化し、拡散されていった。なお、2017年に高難度2Dアクション『Cuphead』がリリースされた際には、海外にて「えー、イージーモード?」のネタが持ち出されたことがある。難易度の高さが特徴の注目作がリリースされる際には、こうしたミームが広がりやすい傾向にあるのかもしれない。

冒頭で触れたPC Gamerの記事を執筆したDavenport氏は、記事に対する反応を受けて「これほどまでに多くのヘイトメールを受け取ったことはない」と述べ、政治や陰謀論を語るゲーム記事を書いた方がよほど安全だと、冗談気味につぶやいている。またミーム自体はおもしろいが、ミームのきっかけとなったツイートの投稿者ついては、注目に値しないと語っている。

なおDavenport氏の記事に批判が寄せられた理由のひとつとして、本作のガイド記事まで書いたゲームメディアの編集者/記者が、チートを使わないとゲームをクリアできない上に、チートを使ってクリアしたことに満足していると自信満々に語っていることが読者の癪に障ったという点が挙げられる。こちらについてDavenport氏は、これまでのフロム・ソフトウェア作品をチート無しで何度もクリアしたことがあると、自己弁護している(該当ツイート。現在削除済み)。

繰り返されるイージーモード必要論

何度も挑戦し、学習し、困難を乗り越えたときの達成感。それを味わえるようなゲームデザインこそがフロム・ソフトウェア作品の肝だと考えたとき、「イージーモードが必要だ」「チートしてクリアしたけど満足」といった意見・感想に拒否反応を示す者がいることは、十分に理解できるだろう。その唯一無二の達成感を経験し、そこに尊さを感じとった者ならばなおさらだ。ゆえに、その達成感がわずかでも低減するようなオプションを利用してまでゲームを遊ぶ必要はないし、遊んだとして作品本来の良さを理解することはできない。極端ではあるが、そうしたゲーム体験ならば、もはやフロム・ソフトウェア作品でなくてもよいし、作り手としてそのような異なるゲーム体験を用意する義務もないとの考えだ。

フロム・ソフトウェア作品について、「イージーモードが必要だ」と唱え続けてきた記者としては、ForbesのDave Thier氏が挙げられる。Thier氏は3月末、フロム・ソフトウェアはプレイヤーを尊重するためにも、『SEKIRO』にイージーモードを追加すべきだと主張する記事を公開したことで賛否を呼んだ。氏の考えとしては、『SEKIRO』の魅力は難易度だけでなく、徹底した世界設計やキャラクターデザインにもある。ゆえに、ゲームが苦手だったり、同じボスと何度も戦うのが嫌なゲーマーにも、そうした側面を楽しむ機会を与えるべきだという言い分だ。『SEKIRO』の本来の難易度で遊びたい人はそうすればいいし、そうでない人には難易度を調整するオプションを与えよ、というわけだ。

とくに『SEKIRO』ではソウルシリーズのようなマルチプレイ機能がないため、ボス戦で詰んだ場合も、なんとか自力で突破しなくてはならない。そのせいでThier氏は『SEKIRO』にハマれなかったとのこと。何度戦っても倒せないボスに遭遇するかもしれないという考えが嫌なのだという。そしてThier氏は、遊び手を信頼し、ゲームの遊び方を各自に委ねようとしないフロム・ソフトウェアは、プレイヤーに対するリスペクトが欠けているのではないかと述べると同時に、イージーモードという考えを断固として拒否するフロム信者の頑固さは理解しがたいと語っている。このように、Thier氏は「遊び手の自由」「ゲームはひとりでも多くの人が楽しめるように設計すべき」という考えを優先する立場に身を置いている。

 

イージーモードが必要なら、おっぱいも必要

そして、このThier氏の記事を受けて、風刺記事を掲載するThe Hard Timesという海外サイトが、「『SEKIRO』はプレイヤーを尊重するためにも巨乳のアニメキャラを追加すべきだ」と唱えるパロディ記事を掲載した。Thier氏の文体と論調を真似つつ、著者のKyle Erf氏が「私のように、巨乳キャラがいないとゲームを遊べない人たちのためにも、『SEKIRO』は巨乳キャラを追加すべきなのだ」と力説していく記事である。ひとりでも多くの人が楽しめるようにゲームを設計すべきという、ForbesのThier氏のロジックをもとにした皮肉である。

なお同サイトは後日、「『SEKIRO』には巨乳キャラなんて絶対にいらない」という反論記事まで掲載している。ゲームの開発者には、全てのプレイヤーの需要を満たす義務なんてないと主張するものだ。たしかに巨乳キャラがいれば、よりアクセシブルなゲームになるかもしれない(?)が、それは同時にフロム・ソフトウェアというブランドのファン層に対する侮辱行為にも値する。議論の題材をおっぱいに変えたコミカルな風刺記事ではあるが、その論調は難易度やアクセシビリティに関する議論にも当てはまるだろう。

ゲームの難易度、そしてゲームのアクセシビリティを巡る議論は、何度も繰り返し交わされている。弊誌でも『Cuphead』をめぐる議論や(関連記事)、『SEKIRO』を起点とした議論の一部を取り扱ってきた。おそらく今後も、高難度かつ注目度の高いアクションゲームがリリースされるたびに、類似した議論が勃発するのだろう。

結局のところ、どのようなゲームをつくるかは、作り手次第。作品のビジョン、予算、工数、締め切り、想定ターゲット層など、さまざまな要素が絡んでくる。その前提を理解した上で、先日の弊誌記事で触れたように、ゲームの作り手としてどのような選択肢が考え得るのか。また、実際に難易度やアクセシビリティについて工夫した事例においてどのような影響が出たのか語り合う行為自体は、建設的な動きといえるだろう。

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