カテゴリー コラム
評論や分析、問題提起など

コラム――メトロイドヴァニアは胎内回帰である
冗談のつもりで、私は「奥様のメトロイドヴァニアを攻略してください」と返答した。この返答は私の狙い通り編集長の不興をかったが、それと同時に、メトロイドヴァニアというジャンルは胎内回帰のイメージをこれ以上ない美しさで応用しているのかもしれない、というネオ澁澤龍彦めいた奇妙な考えを引き起こした。

「PinballDays-2017年のピンボール-」 第一部 実機のリースを通して感じたビデオピンボールの可能性
打ち出し口から銀色のボールを射出し、やがてそれはキノコ型のバンパーに跳ね返り、フィールドを縦横無尽に目まぐるしく駆けめぐる……。プレイヤーはそのボールを落とさぬよう左右のフリッパーを巧みに操り、ときには台を揺らす。

「Nintendo Switch」に見る、「ローカルマルチプレイ専用の対戦・協力インディーゲーム」が輝く可能性
数年前、私は友人のPS4上で『TowerFall Ascension』を3人とプレイした。最大4人のプレイヤーがアーチャーとなり戦う同作は、固定画面型のシンプルなアクションゲームながらもハイテンポで面白く、友人と朝までプレイしてしまったのを覚えている。

マリオはなぜ緑キノコで生命を増やすのか?ビデオゲームの疑問を整理する「ハーフリアル」書評、邦訳までの10年で変わったこと
筆者は子供のころに『スーパーマリオブラザーズ』を遊んでいて、ふと疑問を感じた。マリオはどうして「×3」と複数の命を持っているのだろうか?クリボーに当たると命をひとつ減らし、そして緑のキノコを取ると命をひとつ増やすのだろうか?

『Strange Telephone』コラム
――白熱灯は世界を照らし、電話は世界を接続する
先日掲載したレビューでも話題にしたが、『Strange Telephone』はわかりやすい物語によってプレイヤーを引っぱるタイプの作品ではない。まずは魅力的なグラフィックが、その後に謎解きがプレイヤーの興味を惹く。本作の虚構世界を説明するのは、用意された5つのエンディングをすべて回覧したあとの、エンドロールの一枚絵だけだ。

よくわかるアーケードアーカイブスの歴史教科書(2):クレイジー・クライマー
よくわかるアーケードアーカイブスの歴史教科書、第2回は『クレイジー・クライマー』をセレクト。レバー2本操作でビルを登っていくアクションゲーム。窓に手をかけて、レバーを上下交互に登っていくように動かすのがポイント。

コラム――『ゆめにっき』をどのように語るべきなのか
この作品は、そもそもすべての解釈を排してしまうような態度、それについて語られることを拒絶するような構造を持っている。あまりに特異な作品性のために、この作品を分類するには、専用の新しいジャンルを設置することが必要なほどだが、そうなると分類の意味がない。

AUTOMATONライター陣が選ぶ
「Game of the Year 2016」
「私はこのゲームが一番面白かったです」と伝えるのはとても気持ちよく、また他の人が最高だと言うゲームの話を聞くのも楽しいものである。というわけで、肩の荷を降ろしてAUTOMATONのGoTYをご覧いただこう。

AUTOMATON Awards 2016
「相棒型・指令型ストーリーテリング賞」
「狂言回し」という言葉がある。ストーリーの理解を手助けするために進行役を務めるキャラクターのことだ。小説や映画といった作品と同じく、ビデオゲームにおいてもストーリーを豊かに語ろうとする場合、この手法は極めて有効である。

AUTOMATON Awards 2016
「愛憎極まるで賞」
楽屋裏めいた話になってしまうが、ゲームについて書く仕事は、つねに二律背反である。普通よりもゲームを深くプレイしなければならないが、ひとつのゲームばかりプレイしていては仕事にならない。