日本のプロ野球界において顕著な活躍や成績を残した選手や監督、または業界の発展に貢献した人物を永久に讃える「野球殿堂」があるように、世界にはスポーツや芸術といった文化が世間に与えた影響や携わった者がもたらした功績を評する様々な「殿堂<Hall of Fame>」がある。
ビデオゲームの場合、アメリカ・ニューヨーク州ロチェスターにある遊びに特化した博物館「ザ・ストロング(ナショナル・ミュージアム・オブ・プレイ)」が「ゲームの殿堂」を2015年に新設し、『PONG』『ゼルダの伝説』『スペースインベーダー』といったタイトルが殿堂入りを果たしている。
しかしピンボールの場合、1930年代には一部を除いた多くのメーカーがペイアウト方式のギャンブルマシンとして製造していたことから、当時全米の各地で巻き起こっていた賭博禁止法の施行によって競馬や宝くじと同じように縛られた過去を持っている。1976年にはピンボール評論家のRoger Sharp氏が「台揺らしやフリッパーを操るテクニックによってスコアが上下する=運任せのギャンブルマシンではない」ということをニューヨークの連邦裁判所で実際に披露して証明し、徐々に解禁へと導いたエピソードはピンボール史における重要なファクターとして語り継がれている。
こうして長い時間をかけて進化を遂げた遊戯文化であるピンボールの殿堂を本場の地アメリカに作り上げたひとりの男がいることをご存じだろうか?
ネバダ州ラスベガスのメインストリートとも呼べる「ストリップ」から車で10分ほど走った郊外にある殿堂の中は、外を照り付ける強い日差しとは真逆に薄暗かったが、暗順応した視覚に映りこんできたのは、綺麗に整列された膨大なピンボールマシンの数々だ。
鳥肌を立たせながらその光景にただただ呆然していたところ、店内の自販機に缶ジュースを補充していた初老の男性が近づいて話しかけてきた。
「目は慣れたかい? この暗さはプレイヤーの遊びやすさを重視してるんだけど、この状況でマシンをメンテナンスするのは大変だからいつもこれをつけているのさ」
頭に巻いたヘッドライトを指さしながらぎこちない笑顔を浮かべたのは、今回特集する「Pinball Hall of Fame(以下、PHoF)」館長のTim Arnords氏だ。
幼いころからピンボールに親しんできたTim氏がアメリカ・ラスベガスにPHoFをオープンしたのは2006年のこと。1990年、収集していた1000台のマシンとともにミシガン州からネバダ州に移住し、非営利団体「ラスベガス・ピンボール・コレクターズ・クラブ(LVPCC)」を結成。PHoFの建設を目的に、故障したピンボールマシンやアーケードゲームを修理・販売を行なう傍ら、修理に関するFAQをまとめたビデオの販売でカンパを賄ったという。また、1993年からはピンボールパーティー「Fun Night」を年二回のペースで開催し、最大で2000人もの来場者を記録する盛況ぶりだったと述べている。
PHoFは営利に目的とした運営ではなく、インカムの必要最小限を自身の生活やマシンのメンテナンス費用に回し、残りは地元の慈善団体に寄付しているTim氏。「Pinball Days 最終部」はピンボールの生き証人である氏に取材を敢行したものをお送りする。
カジノで栄える街に作り上げた意義
――PHoFをオープンされる前はどのようにピンボールを扱われていたのでしょうか?
Tim氏
ガムボールマシンやピンボールマシンを集めるようになってから、コインランドリーやピザ屋、スーパーマーケットに置くようになったんだ。ミシガンで中古のアーケード流通業者もやっていたこともあって、販売用のピンボール台を並べてアーケードとしても営業していたよ。昔のアーケードの運営はいまよりもずっとシンプルだったね。
1972年、当時16歳だったTim氏はミシガンにある自宅のガレージにピンボールを設置し、近所の子供たちが遊べるように1プレイ10セントで運営したことをきっかけに、1976年には弟のTed氏とともに「Pinball Peat」を設立。先述のとおり、中古で購入したアーケードゲームとピンボールマシンを様々なお店で稼動させていたという。
――すでに業者としてレンタルやリースをされていたんですね。ミシガンという地からラスベガスに移住されたのは理由をお聞かせください。
Tim氏
ふたつの理由があって、ひとつは暑くて乾燥している地域だからマシンが錆びず、保管には適しているんだよ。フロリダ州のオーランドにいたこともあったんだけど、あそこは湿気がすごくて嫌な思い出しかないね(笑)。もうひとつはラスベガスが観光地だからだね。いろんな州や国から毎日のように観光客が来るだろう? そういった人たちがPHoFにも来てピンボールをプレイしてくれるから営業が成り立っているんだ。地元の人だけをターゲットにしてしまうと、ほんの数回来るだけなのであっという間に廃れてしまうんだよ。土地代もすごくかかるし、ピンボールマシン一台に対しての面積もとってしまうから、経済面でまったく意味がないものになってしまう。収入を考えるなら、ピンボールマシンやアーケードゲームで人を呼び集めて、バーが収入をもたらす「バーケード」で使われてることが多いんだけど、PHoFは純粋にピンボールをプレイするためだけに人が集まってくる場所だね。
――ラスベガスの観光客をターゲットにされているとのことですが、熱心なピンボールファンだけではなく「昔のピンボールマシンが遊べる観光地」として来る家族連れやカップルも多そうな印象です。
Tim氏
割合で言えば観光客は75%ぐらいだね。なんだかんだで地元の人たちも25%ぐらいは来てるんだ。基本的には僕と同年代の男性が多いね。ここに置いてあるピンボールマシンの古さと同じだよ(笑)。いまのティーンエイジャーは、親が楽しんできたものに対して「ダサい」としか見ないんだ。親の層にとっては楽しい場でも、子供たちは今時のゲームセンターに置いてあるような煌びやかでとてもシンプルなゲームに軍配が上がってしまうね。僕に言わせれば「クソくらえ!」って感じさ(笑)。
――ピンボールへの並々ならぬ愛情を感じます(笑)。しかし実際にラスベガスでPHoFを開くまでに苦労されたところも多々あるのではないでしょうか。
Tim氏
集めてきたマシンをすべてオリジナルの状態に戻すにはかなりの苦労を要したよ。発売から5年、10年経ったマシンはとっくに使い古されているから、パーツをすべて取り出して、修理するために新しいパーツを入れて、アライメントを整えて……まず普通に使える状態にするのが一番大変なんだ。いま置いてあるEM機だけでも、直して動かすまでに5年かかったよ。ピンボールマシン一台一台が状態よく管理されている状態で遊べるのがなによりも好ましいんだけど、メカニカルなものばかりなので使う分だけ古くなって壊れてしまうから、いまはそれをとにかく「良い状態」をキープすることに情熱を注いでいるんだ。
――レストアやメンテナンスを行なううえで保守部品のストックというのはかなり重要なウェイトを占めると思います、すでに市場在庫がないパーツも多いと思います。
Tim氏
5年前だったら「こんなの使うか!」ってはじいていたパーツですら使わざるを得ない状況だね。パーツが見つからないからレストアできないマシンもたくさんあるよ。メカニカルなEM機は電子部品がダメになっているのも多いし、メンテナンスがしやすいと思われてるSS機だってCPUで制御してるにすぎないから、どちらも一長一短だね。64bit、128bitと数値は大きくなっていくにつれて8bitのCPUは淘汰され、作っていたメーカーすらないのが現状だよ。
――しかしEM機の修理だけで5年の歳月がかかったんですね……。ここにはSS機も数多くラインナップされていますが、かなりのお時間と費用を要したと思います。
Tim氏
膨大な数のマシンを積み重ねている倉庫があって、そこのオーナーは「捨てるだけだから欲しいんだったら持っていっていいよ」と言ってたんだ。そんな状態のところに僕が交渉しに行くぐらい、かつてのピンボールマシンはまったく価値のないものとして扱われていたんだ。かかった費用は100ドルか150ドルぐらいで、「こんなものにお金を払う君は馬鹿だよ」とあざ笑われていたよ(笑)。これは映画でも同じことが言えるんだけど、1960年代まではまったく評価されていないものがたくさんあって、もうすでにこの世に残っていないものばかりなんだ。PHoFには「ここにしかない」っていう台がたくさんあるんだよ。
PHoFはピンボールだけではなくエレメカや1980年代のアーケード用ビデオゲームも稼動している。Tim氏は「お金を儲けようとしたとき、こういったエレメカはまったく意味をなさない。だけど博物館としてピンボールの歴史を体験してもらううえで、それぞれに良さがあることもわかってほしいし、なによりここを存在させるために必要なものなんだ」と話す。
ピンボールは大人の嗜みであるという持論
――日本でもここ数年の間に「昔のゲームには文化的価値がある」という見方がされるようになり、アーケードゲームの基板や筐体を個人で集められている方々が「Hall of Fane」のように遊べる空間や環境を用意してますが、現実的なところで言えば運営・経営といった金銭面が負担となっているケースも少なくありません。
Tim氏
ラスベガスは観光地だから観光客を引き寄せるためのものであれば市や街は喜んで受け入れてるけど、日本だとまだその価値が見出されていないから、そういった活動がビジネスとして見られると課税対象になる可能性もあるよね。だから個人の思いだけでは続いていかないのかもしれないね。ここには200台のピンボールマシンが並んでいるけど、倉庫にはあと800台あって、そのうちの400台はレストア済みで、残りの400台は壊れたままなんだ。800台を一カ所に集めて遊べる状態にして運営するとなると、どうしても経済的に難しくなってしまうよね。
――ビデオゲームに興味が向いてしまう子供たちに対して、ピンボールの魅力や面白さを伝えようとされたことはあるのでしょうか?
Tim氏
僕の仕事はピンボールを集め、誰もが遊べる状態にすることであって、誰にどういうふうに楽しんでもらうことを決める役割ではないんだ。365日、無料で足を踏み入れられる環境を提供することが何よりなんだ。日本には「囲碁」というテーブルゲームがあるだろう? ピンボールも同じで、とにかくプレイ回数をこなして練習することでどんどん上達するんだ。ビデオゲームはボタンを押した瞬間に画面内のキャラクターが何かしらのアクションするのが楽しいけど、「上手くなる」っていう技術向上を目指すものではないと思うんだ。だから僕はそういったビデオゲームは子供向けであって、成長するにつれて技術力も求められるピンボールを遊ぶのが大人の嗜みだと思うんだ。
――ピンボールが上達するまでの過程で「やっぱり難しい」って思われることも少なくないですが、そこを乗り越えられるかどうかでピンボールが好きになるか嫌いになるかの境目だと思います。
Tim氏
世界的なトーナメントに出られるほどの腕前を持ってる人がここに来たら、1クレジットを入れたっきり一台にずっと張りついて遊んでるけど、僕はいろんな人に来てもらいたいと思ってるんだ。いろんなマシンを3、4台遊べばすぐにコツも掴めるしすぐに上手になれるっていう感動を味わってもらいたいのさ。ピンボールで遊んだことがない人だっているし、これからハマっていく人にまだまだいると思う。広く浅くでもいいからたくさんの人に遊んでほしいね。
――ピンボールというのはどうしてもマニアックなものですが、こうして運営を続けていらっしゃることを一プレイヤーとしても尊敬しています。
Tim氏
プロモーションや広告を打ってないのにうまくいってるんだよ。食べ放題のレストランみたいにあれもこれもドンと出すのではなくて、お寿司屋さんのようにちょっとずつ味わってもらえるような感じというのかな?(笑)。この建物は土地も込みで買ったものだから賃料がないし、スタッフも僕と奥さんと数人のボランティアで成り立っているから人件費もかかっていないのさ。