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「クソゲーオブザイヤー据置版は2022年は大賞なし、さらに2023年は活動休止となる」。そんな知らせがもたらされたのは2023年4月のことだった。クソゲーオブザイヤー据置版(以下、KOTY)といえば、2ちゃんねる(現5ちゃんねる)の同名スレッドを中心に、その年でいちばんクソだったゲームを決める企画だ。あくまでアンダーグラウンドな企画ながら、ニコニコ動画に投稿された紹介動画は多いもので430万再生以上、Wikiの総閲覧者数も約500万と、人気を博していた。

そんな企画が、休止という形とはいえひとつの終わりを迎える。とはいえ、結局なぜ終わるのか。なぜ終わる流れになったのかという疑問は残されている。終わる理由について、それぞれの見方があり、正解はないだろう。とはいえ、より詳しい人の見解は聞いてみたいところではある。

ということで、KOTYと因縁深い人物、ブロガーの双葉ラー油氏と作家の赤野工作氏の2名を招き話を聞いた。ふたりともに、KOTYを10年以上観測してきた人物だ。KOTYはなぜ終わるのか、KOTYとは何だったのかを、お二人の観点から語ってもらった。なお、クソゲーオブザイヤーにはいくつか種類があり、エロゲー版クソゲーオブザイヤーは現存しているが、本稿は据置版クソゲーオブザイヤーを対象とする対談である。


──自己紹介をお願いします。

双葉ラー油(以下、ラー油)氏:
ゲームブロガーの双葉ラー油です。絶対シンプル主義というゲームレビューのブログを18年間運営しています。KOTYは、初期の頃は細かく見ていました。たびたび自分の名前があがっていたからです。KOTYの選評に俺のレビューを丸々引用されたりとか、何かあるたびにスレに自分のレビューが貼られたりしていて、なんならKOTYのWikiの用語集に自分の名前があるくらいです。

直接選評を書いたりはしていないんですけど、昔から今に至るまで、関わりは深い感じですね。いち個人がKOTYを語ることに関してはいろいろ意見もあると思うんですけど、俺に関してはもう好きに語る権利があるぞと思っています。なんせWikiの用語集に項目作られてますからね。そういう気持ちで今回やってきました。よろしくお願いします。


赤野工作(以下、赤野)氏:
作家の赤野工作と申します。模範的工作員同志という名前で活動していて、ニコニコ動画で配信したりしていました。今いる人の中では僕はKOTYに関して最古参だと思うので、いろいろお話しできるかなと思います。話始めに言うのもなんですが、自分はKOTYアンチです。KOTYに対してはようやく終わってくれたかという気持ちが半分、こんな形でお前は終わってしまうのかと、好敵手の老いを見るような悲しさ半分。非常に複雑な気持ちで今この場におります。今日は感傷的な語りが多くなるかもしれないですが、よろしくお願いします。


──ありがとうございます。赤野さんはKOTYに対してはかねてからアンチというスタンスを強調されていますよね。一方で、ラー油さんのKOTYに対するスタンスをお聞かせいただけますでしょうか。

ラー油氏:
スタンスとしては中立です。KOTYなんてものはどこまでいっても内輪ネタなので、選考の基準とか、何が大賞だとか、スレの住人が好きにやればいいと思っています。ただ、5ちゃんねるの外で、何かあるたびに「これはKOTYじゃないか!」とか、騒ぐ人は好きじゃないですね。距離を置きつつ、そこまで批判的でもないぐらいのスタンスですかね。

──そもそもお二人がKOTYの存在を初めて認識したのはいつ頃なのでしょうか。

赤野氏:
僕はもう正直わからなくて。企画立ち上げ初期である2004年のKOTYスレとかも多分見てると思うんですよね。その頃はよくあるクソスレの一つだったから気にも留めなかった。だから、もう覚えがないです。2005年のKOTYからは間違いなく見てたと思うんですが、でも2005年時点でも、よくある趣味の悪いスレの一つでしかなかったからなあ。こんなに市民権を得るとは、当時は到底思えなかった。2004年のスレ見たことありますか?ゴールデンラズベリー賞の真似して「ファン裏切り賞」「ワースト迷ゼリフ賞」とかオタクが独自の賞作って遊んでたスレですよ。こんなしょうもないスレ十何年も続くと思います?

ラー油氏:
俺は2008年のちょっと前くらいにスレを発見したと思います。当時2ちゃんねるをよく見ていて、その流れでながめてましたね。スレを見るようになって、それからしばらくして自分のブログのことがよく書かれてるのに気づいた、そんな順番でした。

赤野氏:
ラー油さんは、確かにずっとスレで住民から動向を監視されてきた人の一人だと思います。足掛け15年くらいはラー油さんの名前はちょくちょくスレで挙げられてますからね。かわいそうだなと思う反面、やっぱりさすがだなと思う。

ラー油氏:
昔はどういう形であれ、取り上げてもらえて嬉しい気持ちもあったんですけど、昔の話ですかね。途中からは距離を置くというか、勝手にやってくれって思ってます。

二人の考えるKOTY衰退の理由とは

──ありがとうございます。早速ですが今回の対談での大事な部分をお聞きしたいと思います。KOTYはなぜ終了したのか、その要因をお二人はどうお考えですか。

ラー油氏:
一言で言うと単純に参加する人が少なくなって、最終的に人がいなくなっただけだと思うんです。ただ、そこに至るまでにいろんな要因があると思っていて。5ちゃんねる自体がもう下火になっているとか、クソゲーの話がしたいならTwitterとかYouTubeでいいとか、あとKOTYそのものがちょっと有名になりすぎて、スレが荒れやすくなって住人が疲弊していったというのもあります。

あとは住人が“すごいクソゲー”に慣れちゃって、議論がぶれやすくなったのもあるんじゃないかと思っています。KOTYはその年一番のクソゲーを決める企画ですよね。で、最近のスレの流れで多かったのが、「昔の作品と比較してそこまでクソゲーじゃないじゃん」という意見。歴代の受賞作品をみていると、結構波があるというか、毎年めちゃくちゃ盛り上がってるわけでもないんですよ。意外と“そこそこの作品”が受賞して終わる年があったり、ぶれがある。そこら辺の認識のずれも含めて、人が減っていったと感じます。

よく理由として、低価格ゲームが増えすぎてチェックしきれないと言われていますけど、これは少し違うかなと。というのも、昔も発売されたゲームを全部チェックしてクソゲーを決めたわけでもないと思うので。やっぱり老化というか、企画としての老衰。一言で言うと人が減ったという話なのですが、要因はいろいろありますね。

各社のIARCレーティングの導入により、家庭用ゲーム機で低価格ゲームが増えたという意見もある


赤野氏:
僕もほとんど同じ意見ですね。やはり人が減ったことが大きい。もう少し細かく、どういう人が減ったかを考えてみると。これはやっぱりKOTYのためにゲームを遊んで、そこでゲームの評価を発表する人たちがあからさまに減ったんですよ。「なんかあのゲーム話題になってるらしいな」「どんな感じなんだろ、ちゃんと遊んだ上での中身知りたいな」と話が出ても、言うだけ言って別に誰も何かするというわけじゃない。

2023年の今、匿名の掲示板でわざわざ検証してやろうという気にはなりづらいですいし、そういう時代でもないとも言えるんですけど、やっぱりそこまで真剣にKOTYという場を存続させたいと思ってる人がもうそんなにいない。「ゲームを遊んでむかついたらKOTYで酷さを訴えてやるんだ!」みたいな人もひと頃に比べれば全然いなくなった。ただ単純に、その場に人がいたから集まっていた人が大半だったのが大きいかなと思うんですよね。

その上で、なんでそういう人たちが減っていったかというと、やっぱりラー油さんも指摘されていた通りKOTYがもう“意見を言っても反響のある場ではなくなってしまった”ことが大きいかなと思います。それでもKOTYという場所そのものに価値を感じて熱心に選評出す人が1人か2人でもいたら、場は人の周りに続いていくものなんですけどね。もう住人たちにとってもKOTYは居場所ではなくなりつつあるんだなと。寂しい話ですけどね。

──人が減ったというのは、選評者が減ったのでしょうか。それとも、スレの人口全体が減ったのでしょうか。お二方の肌感としてはどちらでしょうか。

ラー油氏:
人そのものが減った感じはしますね。書き込みが少なくなって、みんなちゃんと話をしていないような感じでした。選評者も減ったと思うんですが、総合的な人口そのものが減ったと特にここ数年で感じてますね。書き込みが少ないから久々にWikiを見てもスレッドが進んでなかったり。KOTYのWikiは、昔はログの横に当時の状況を記す説明文があったんですけど、最近はそこをぱっと見ただけでも、全然盛り上がってないし、全然話が進んでないなと思っていました。

KOTY Wikiに記述されている休止理由説明


赤野氏:
衰退においては、ひとつ参考にできる目安があると思っています。KOTYって年が明けてから、大体2か月から3か月ぐらいで大賞が決まるんですよね。議論が例年長引いてしまっていることもありますが、なにより年末のゲームをチェックしなければいけないから。12月に出たゲームを確認して、その後総評を書いて、議論して終わり。

ただし遊ぶ人が減ってくると、12月に出たゲームを検証しようと言っても、誰もやろうとしないから、総評が決まる月がどんどん遅くなってくるんですね。近年はもう、決着が夏前にずれ込むのが常態化してしまっていて。人口が減ると派閥も作られづらいし、勢いで結論がごり押しされることも減りましたが、どれを大賞にするかという議論自体が難しくなっていた。「どう決めたらいいんだこれ」という空気がずっと続いて、みんな疲れてなし崩しに決まることが何度かありました。ようするに勢いがあった頃に出来上がったシステムを維持するには必要な人口が根本的に不足していた、というとこだろうなと思いますね。

ラー油氏:
新しい人が入ってくるような感じもなかったですね。あくまで印象ではありますが、冷やかしが少し来るぐらいで、新しい住人が増えているような感じはなかった。若い人も全然いないし、本当に老化で終わった可能性がありますよね。

赤野氏:
僕個人としては、世代のサイクルだと思います。生まれたばかりの鳥が初めて見たものを母親と思うみたいに、それぞれの時代で「あのゲームはとんでもない」と最初に刷り込まれたゲームってあると思うんですよ。たとえばKOTYより前の、雑誌でゲームレビューを読んでた人たちや、テキストサイトでゲームレビューをやり始めたり見始めたような人たちにとってのそれは、やはり『デスクリムゾン』や『里見の謎』でした。


そこから世代が一周して。そこで、ニコニコ動画とかで初めてオタク文化に触れた人たちの世代が最初に刷り込まれたゲームは『四八(仮)』であったり、2008年の七英雄(その年ノミネートされた7本の作品の総称)だったと思うんですよね。世代ごとに思い出の作品があって、ほかのゲームが、そのインパクトを超えられない傾向はあると思います。最近KOTYが盛り上がりに欠けたのは、単純に世代の問題で、良く言えば成熟した、悪く言えば老いた、サイクルが進んだ結果だと思います。

それこそ昨年話題になった『ファイナルソード』は、起きたインパクトとしては『四八(仮)』とかとほぼ変わらないぐらい大きく取り上げられたんです。KOTYでも『ファイナルソード』は取り上げられています。で、『四八(仮)』と同じぐらいKOTYが盛り上がったかというと、そうではなかった。『ファイナルソード』世代はKOTYとは別のところで盛り上がってましたし、情報の集約地自体も時代と共に変わっていましたから。

© 2021 HUP Games Inc.


ラー油氏:
『ファイナルソード』がKOTY大賞に決まったのって、本当に盛り上がった後でしたね。『ファイナルソード』にしろ、2021年大賞になった『バランワンダーワールド』にしろ、この辺は外で盛り上がり切った後に遅れてKOTYに入ってきたような感じでした。

──そう考えると、KOTYが低評価ゲーのキュレーション機能を失っている、という言い方もできますよね。低評価ゲーがなくなったとかクソゲーという概念/単語が衰退したではなくて、盛り上がる場所が変わったと。

赤野氏:
休止直前のKOTYは、過疎の村の奇祭だったんですよ。若者が出て行って、老人だけで何とかやってたけど、徐々に祭りができなくなっていった。それでもたまに、遊んで選評もってくる人はいましたけど、そんなに多くはない。住民自体にそれを積極的に受け入れるぞという雰囲気があったのかといえば、これももちろんない。そもそも有志が無償で楽しんでただけの奇祭に、新参者を受け入れやすくとか、もっと盛り上がるようすべきとか、そんなホスピタリティ求める方がおかしいですから。衰退は必然だと思うんです。

──なるほど、お二方の考える衰退の原因は理解できました。では衰退の引き金になった、と言いますか、衰退の兆候を感じた年であったり、時期などはありますでしょうか。

赤野氏:
これは2012年ですね。もとをただすなら2009年。KOTYで1回ノミネートされたゲームを出したメーカーは、基本その後“監視”されるんです。「次の作品も何かあるんじゃ」という、下世話な期待ですよ。その中で2009年の秋にシステムソフト・アルファーさんから『戦極姫~戦乱に舞う乙女達~(以下、戦極姫)』というゲームが出た。

©Systemsoft beta, Inc.


システムソフト・アルファーさんは、タクティカルシミュレーションの老舗なんで、ものすごくゲームにボリュームがあるんですよね。また複雑さの結果として、システム周りにバグが出る。そのバグが見た目的に面白かったから2009年『戦極姫』が大賞を取った。それでシステムソフト・アルファーさんの出すゲームは、KOTYスレでチェックが入るようになっちゃって、毎年選考に上がるようになっちゃったんですね。

それで2012年にも『太平洋の嵐 ~戦艦大和、暁に出撃す!~(以下、太平洋の嵐)』というシステムソフト・アルファーさんのウォーシミュレーションの中でも超重たくて超規模の大きいゲームが選考にあがったんです。むちゃくちゃボリューム多くて、一通り遊ぼうと思ったら何か月もかかるんですよ。結局誰も遊ぼうとしなくて、遊ぶと言ったやつはみんなすぐに失踪しちゃって、どういうゲームなのかずっとわかんないままだったんです。誰も遊ばないもんだから総評が押しに押して、最後ようやく最後辺りまで遊んだ帰還者が現れたから、大賞が『太平洋の嵐』に決まっちゃったんですけど。

©Systemsoft beta, Inc.


その時点から、KOTYのためにゲームを遊ぶ人って、もうそんなにいないんだなというのが顕在化されたなと。その後もシステムソフト・アルファーさんのゲームって何度も選考に上がるんですけど、やっぱりボリュームが超多いんですよ。カジュアルなゲームみたいにぱっと遊んでスクショを撮って、こんなことになってましたと報告して、といったように簡単に終わらせられない。みんなKOTYのためにそこまで遊ぶことはできない。

なので、呪いの発端は『戦極姫』が出た2009年、呪いをかけられた年が『太平洋の嵐』の2012年、という感じですね。『太平洋の嵐』は所謂わかってる人向けのゲームなので、ああいう地味さが好きな人には絶対刺さるはずのゲームなんですけどね。

ラー油氏:
俺は、転換期になったのは2008年かなと思ってます。『四八(仮)』がKOTYに選ばれた2007年の次の年。2008年からニコニコ動画で、KOTYの動画が作られるようになって、それがすごくバズって。それで2ちゃんねるの外への知名度が一気に高まって、空気が変わったなと。

赤野氏:
僕は普段から低評価のゲームを主に集めて遊んだりしてるんで、その目線からの考えになるんですが、2008年はKOTYというよりも、ゲーム史として非常に濃密というか、意義ある年だったなと思います。2008年は6月頭に出たのが『大奥記』。これは、ファミ通クロスレビューだと『デスクリムゾン』と並ぶ13点を記録したんですよ。まず前年に『四八(仮)』が出てきたことによって注目度が高まって、次何のゲームが来るんだと期待してたところに『大奥記』がバーンと出たから、ニコニコ動画などから大量の人がスレに流れ込んできたんです。


その後、同じ2008年の秋に『プロゴルファー猿』という、今度はその13点を下回るファミ通クロスレビュー史上3本しかない最低点12点を叩き出したゲームが出てきて。ちょうどそれが数か月スパンぐらいでバンパーンと出たんですよ。それで年末には配牌の不整合が起きているバグ画像がバズってしまった『ジャンライン』のアップデートと、首が180度曲がっているバグ画像がバズってしまった『メジャーWii パーフェクトクローザー』が出て、一年通して後の歴史に残るイベントが起こり続けた。KOTY単体で盛り上がったというよりも、業界全体でゲーム批評という行為に注目が集まった年だった。ニコニコでの盛り上がり、そして2ちゃんねるの他スレッドでの盛り上がり、その集約地がたまたまこの当時はKOTYであり2chの家庭用ゲーム板だったんじゃないかなと感じてますね。

──2008年から外の注目度が爆発的に高まったことで、KOTYというものが加速的に消費され始めた、と。

赤野氏:
おっしゃる通りです。人がどっと集まってきて、とにかく笑えるゲームが出てほしい、あるいはそうしたゲームを誰かに遊んでほしいなど、いろんな人がゲスな期待を公然と口にし始めた時期でもあったんですよね。

ちなみにちょっと話逸れるんですけど、僕この対談前に過去のスレ18年分読んだんですけど、ラー油さんが最初に自分のブログの話がKOTYで出された時、何の作品で出されたか覚えありますか?ファミ通クロスレビュー13点の『大奥記』の記事を書いたタイミングだと思われたでしょうが、実は違うんですよ。もちろん『大奥記』によってラー油さんのブログの動向を見る人が増えたんでしょうけど、確認したら最初は『SIMPLE2000シリーズ Vol.100 THE 男たちの機銃砲座(以下、機銃)』の時だったんです。

ラー油氏:
『機銃』ですか。

『SIMPLE2000シリーズ Vol.100 THE 男たちの機銃砲座』
© 2006 OPUS STUDIO INC.© 2006 D3 PUBLISHER


赤野氏:
はい。2004年から2006年にかけてのKOTYは、大作ゲームの商業的失敗を揶揄するムードが主流でした。しかしラー油さんが『機銃』についてかなり厳しいレビューを上げたこともそうですが、SIMPLE界隈の熱に押されてKOTYスレでも「ゲームは出自に関わらず評されるべきだろ」と『機銃』を推す人が多く出てきたんです。それ見たときに、ラー油さんはこういう形でも影響を与えてたんだなぁとちょっと感慨深くなっちゃいました。ラー油さんのブログサイトでのレビューの評価が『機銃』だけ“最下位以下”でしたよね。

ラー油氏:
そうですね。もう今はないんですけど、レビューに全部5段階評価で評価をつけてた時期があったんですよね。『機銃』だけもう本当ひどかったんで、最低ランクのさらに下を新設して、『機銃』にだけ使ったことがありました。SIMPLEシリーズのVol.100の作品なんですよ。記念すべきVol.100でこれかいっていう。

赤野氏:
表現はあれなんですけど、ラー油さんのそうした感想によって、今のKOTYの下地が作られた側面もあるんじゃないかなと思っています。KOTYスレ自体、「ゲームに怒ってる人を毎日探してる連中」がいっぱいいるので、そういう意味でラー油さんの怒りがスレを動かしたんだなと、ログを読んでいて思いました。

──衰退を感じ始めたのは、赤野さんは 2012年、ラー油さんは2008年というお話でしたが、そこから休止を迎えるまで10年以上の間があります。今お二人に挙げていただいた年が第1衰退期とするならば、第2衰退期といいますか、2012年以降で変化を感じられた年はありますか。

赤野氏:
そうですね、もう一つ挙げるとするなら、『アジト×タツノコレジェンズ(以下、アジノコ)』が大賞を取った2015年ですかね。2015年は『アジノコ』を遊ぶ人がそもそもスレで現れなくて、何かグダグダしちゃったんですよね。みんな「遊ぶ必要があるな」とか言う癖に次々失踪しちゃって。6月に発売されたゲームだったのに、どういうゲームだったか判明したのは検証人がようやく名乗り出てくれた11月末とかいうレベルでした。そういう経緯があって、スレ内がちょっと盛り下がっていた印象があります。

『アジト×タツノコレジェンズ』
©タツノコプロ / ©ASTEC 21 / ©2015 HAMSTER Co.


ラー油氏:
『アジノコ』の2015年は気になりますよね。あとは『古き良き時代の冒険譚』が大賞をとった2016年もちょっと盛り上がりに欠けたなと思います。選考の3作品とも一見するとよくわからないダウンロードソフトだから。

赤野氏:
2016年は『古き良き時代の冒険譚』とか『TORO -牛との戦い-』など、大作よりも手軽なゲームの方が、(KOTY作品として)評価が上がりやすかったですよね。外の人たちからすると、メディア露出が少ない分知らないゲームが多く映ったかもしれませんね。

ラー油氏:
多分2015年から2017年あたりの印象で、「KOTYはマイナーなよく知らないゲームばっかりだ」と言われる時もあります。すごいクソゲーはそんな毎年出るわけじゃないですからね。

赤野氏:
『古き良き時代の冒険譚』はSRPGっていうよりパズルに近い印象すらある戦略ゲームでしたね。『TORO -牛との戦い-』はスペイン産の本格的な闘牛のシミュレーターでした。「知っているゲームが悪く言われてないと盛り上がれない」って言うのは当然どうかと思うんですが、「知らないゲームを悪く言われても盛り上がれない」って恥ずかし気も無く言っちゃうのも、それはそれで不健全な話だと思うんですけどね。

──なるほど、2015年から2017年にかけて、KOTYの盛り下がりというものが、スレ内外で印象付いてしまったのですね。ほかにお二人にとって、個人的に印象に残った年やゲームなどはありますでしょうか。

ラー油氏:
2014年、つまり『仮面ライダー サモンライド!(以下、サモンライド)』の年ですね。『サモンライド』は当時、全然話題になってなかったんですよ。仮面ライダー好きな人とか、仮面ライダーのゲームを毎年買ってる人もみんな買ってなくて、今回は、小さい子供向けのゲームだから、自分たち向けじゃないとみんなスルーしていたんです。そんな中で自分はライダーのゲーム全部買ってるんで、発売日に買ってすぐ遊んで。そしたらゲームが始まった瞬間に「この内容はちょっとやばいな」と感じて。感想をTwitterに上げたら、当時としてはかなり注目を集めて。

『仮面ライダー サモンライド!』
©石森プロ・テレビ朝日・ADK・東映 ©石森プロ・東映©BANDAI NAMCO Games Inc.


その後世界最速で、自分のブログで詳細な『サモンライド』のレビューを書いたんですけど(当該記事)、その記事が自分のツイートと一緒にKOTYスレに持ち込まれました。そこからKOTYスレで検証が始まって、すぐ選評書かれて、大賞になって。そこから「『サモンライド』といえばKOTY」という風潮ができたのですが、発売日に買って真っ先にレビューしたのは自分だったので、少し複雑でした。

あとこれも対抗意識っぽい話ですが、『サモンライド』はKOTYの選評よりも俺のレビューの方がわかりやすく書けているとは思ってますね。文章を書く人間として強く思ったところです。それをほかの人に認めてほしいわけではなくて、認めざるを得ないようにしなくてはなと。自分の中で「頑張っていくぞ」と決意を燃やしました。そういう背景もあり、一番思い出深いのが、『サモンライド』の年ですね。

赤野氏:
世の中に1人しかいないですよ、こんな形でKOTYをライバル視してる人(笑)

ラー油氏:
あと思い出と言えば、携帯ゲーム版になるんですが『ハローキティといっしょ! ブロッククラッシュ123!! (以下、ブロッククラッシュ)』ですね。

──ラー油さんが、血反吐吐きながらコンプするまで『ブロッククラッシュ』をやられていたのを思い出しました(該当記事)。


ラー油氏:
PSP時代のゲームなので10年以上前ですね。その後、シリーズ作品もずっとやってます。『ブロッククラッシュ』のシリーズ作品が3本出て、最近Nintendo Switchで新作が出たんですよ。キティちゃんじゃなくて『秋葉原クラッシュ!123ステージ+1』という名前ですが、それもちゃんとやりました。

俺の書いた『ブロッククラッシュ』のレビューは当時もすごく広まったと感じました。が、最近になっても反応をもらうこともあり、たとえばブロックくずしの新作を作っているクリエイター数人に、俺のあのレビューを見て参考にしましたと言われたんですよ。意図しないものですが、影響力があったんだなと最近になって思いますね。一方で、いまだにブロック崩しの新作が出ると、絶対チェックするようにしてます。自分にも影響を与えた作品ではありますね。

──あそこまで書いたからには、俺がちゃんとその後も追うという責務があるんですね。赤野さんは印象に残っている年はありますか。

赤野氏:
僕が印象に残った年をしいて挙げるとするならふたつあって、まず2017年ですね。2017年はカヤックの『RXN -雷神-』が大賞とったんですけど、『RXN -雷神-』ではなく次点に収まった『SHOOT THE BALL』というゲームが揉め事の種になったんです。数百円で買える、粗もたくさん残ってるけど単純には遊べる最小構成のゲーム。最近だとそういうゲームもたくさん出てるじゃないですか。そういったゲームのはしりだったんですよ。

『SHOOT THE BALL』
© 2016 RCMADIAX LLC, All Rights Reserved. Publishing in JAPAN by COSEN Co., Ltd.


これがKOTYのスレに持ち込まれたときに、「これを何百時間も遊べるゲームと比較するのか」「ゲーム内容に語るべきことが無さ過ぎる」「そもそもゲームと呼んでいいのか?」みたいに無茶苦茶揉めたんです。この時点で、価格毎にKOTYを語ることがなかなか難しくなってきていて……。過去にも安いゲームがノミネートされ総評に選ばれた前例はあるんですけど、住民達が再び違和感を口にし始めたのがこの年だったんですよね。

結局2021年になると、Pix Artsさんを筆頭に低価格帯で単純なゲームを量産するメーカーが、毎週ストアに何本もゲームをリリースする市場が出来上がって。そのすべてを遊ぶことなど出来るわけがない、遊んだところでその手のゲームを何本も何本も選評に入れるのか?という議論が始まり、CERO審査済のゲーム以外は選考しないように門戸を絞ろうとか、自分たちでゲームを遊ぶ数を絞るしかない流れに陥って。つい最近発表された2022年の総評、つまりKOTYが休止を発表した総評ですが、この中でもKOTYが休止に至った一要因として市場の変化が挙げられるに至りました。つまり、休止の発端こそが『SHOOT THE BALL』なんです。そういう意味で2017年に『SHOOT THE BALL』が植えた幕引きへの種が、2021年のPix Artsさんの『Urban Street Fighting』 で花開いた形になりますね。

もうひとつが2019年。2019年は『サマースウィートハート』がKOTY大賞でした。僕が思い出深いのは、『サマースウィートハート』じゃなくて次点の『YIIK: ポストモダンRPG(以下、YIIK)』。このゲーム僕大好きなんですけど、かなり変わった作品で。

『YIIK: ポストモダンRPG』
©2018 Ackk Studios LLC. All rights reserved.


作者の人が本当に自分の作品の事を好きで、いろんな謎仕掛けて何回も何回もアップデートをかけて、そのたびにちょっとずつ謎が解けてったり、ファンサービスを何年ものスパンでずっとやってるんですよ。結局KOTYはその年に発売された中で評価を決めなきゃいけないから、その後の『YIIK』で起きた数々の出来事や開発者の人の思い入れは評価の対象には入らないわけです。これはゲームのレビュー全般に共通することではありますが、発売年区切りでゲームを語ることの難しさを改めて感じた年でした。本当だったらもっと長く見て評価されるべきだったゲームも、KOTYの中にはいろいろあったんだろうなと。そういう意味で、2019年も思い出深い年ですね。

KOTYとは何だったのか

──ここまでKOTYの歴史をお二人の視点から語っていただきました。今回KOTYは休止という一つの終わりを迎えるわけですが、お二人の目から見て、KOTYとは何だったのかをお聞かせいただけますでしょうか。

赤野氏:
KOTYというものを語る上で前提として、実態と概念に分けて話さなければいけないと思うんですよね。実態としてのKOTYは、内輪ネタのスレなんですよ。しかもクソスレ中のクソスレなんですわ。オタクが年中揉め合って、マウント取り合ってる、どうしようもないスレ。徹頭徹尾最初から最後まで、生まれてから終わるまでずっとクソスレです。

ただ概念としてのKOTYはまた別種で、独り歩きしてしまった概念は、KOTYが終わった今でもまだ生き残っているなと思います。昔ファミ通にTACOXさんというレビュアーの人がいたのご存知ですか。ファミ通のクロスレビューをやると、そのTACOXさんがひと際低い評価を付けるんですよ。そうすると三昔前の性格の悪いゲームマニアは、自分がつまらないと思ったゲームが評価されているときに、「TACOXだったらちゃんとつまらないと言ってくれてるはずだ」「これだから今のゲームメディアはダメだ」みたいなことをよく言ってたんです。つまりTACOXさんを、自分たちがうまく言えないゲームに対する不満を代わりに言ってくれる、義賊的な存在として扱ってたんですよ。

それが時代たつにつれて、TACOXさんに変わって「このゲームKOTYだろ」みたいに言う人が出てきた。自分たちのゲームに対する不満、揶揄したい気持ちを、義賊的に扱ってくれる存在として、概念としてのKOTYが出てきたんです。これはね、本当にしぶとくて、僕は今でも一体いつになったらこの概念はなくなるのだろうかと恐ろしく思ってます。

そういう意味ではKOTYは、後の世に多くの後継者たちを残していったなと思います。これは認めるわけじゃなく、むしろよくもそんなことしてくれたなという気持ちですが。たとえば選評ですよね。あれは元々荒れたスレッドで、どれが一番か意見をぶつけ合ってたときに、「これ以上揉めても仕方がないから、この分野ではこのゲームが一番で、この分野ではこれが一番だったって念書を作ろうね」と場を収めるための苦肉の策だった。暴れるオタクの顔を立てるために書き始めた妥協の策が、KOTYにおける選評なんですよ。

これは2005年の選考が結構揉めたからそういう形式をとるようなったという歴史があるんですが、このやり方をブラッシュアップして2008年から2009年に今の形にたどり着いきました。実態としてのKOTYはそれ以降ずっと、身内で先鋭化することでどんどん注目度が落ちていった。ただ、KOTYが過去の揉め事の中で、うまいこと落としどころとして見つけた選評――つまりゲームをレビューするときの作法みたいなものは、遺伝子として今のYouTubeで動画を作ってる人たちにも色濃く受け継がれてるなと感じます。

ゲームをおもしろおかしく、ときに指差して笑うように紹介するという意味では、今でもKOTYをゲーム語りのお手本として扱ってる人たちがたくさんいるなと感じるんです。そういう意味では、KOTYは、その後継者たちが手を変え品を変え、遺伝子として残り続けてるなと思います。そのしぶとさは認めざるを得ない。

──KOTYスレを認めるつもりはないけど、KOTYのしぶとさは認めると(笑)

赤野氏:
重要な話だと思いますよ。というのも、ひとことで「クソゲー」と言っても、どこの文化圏で語られているかによって、ちょっとずつ意味合いの違いはあるんですよ。それこそKOTYも初期の頃は大作の中で失敗したものがクソゲーだと言う人や、バグが出たゲームがクソゲーだと言う人、いや面白おかしくネタにできるのがクソゲーだと言う人、いろんな派閥が入り混じって、最終的に総評で全員がとりあえず妥協する形でまとめていたわけです。

それが今はもうKOTY的意味合いで使われる「クソゲー」という尺度が、なし崩し的にできちゃったんですよね。こういう例は世代ごとにだけ作られるもので、それこそ書籍の「超クソゲー」で紹介されていたようなゲームとか、今で言えば特定のYouTuberがSteamから掘り出してくるようなゲームとか、うっすらと言葉の棲み分けが存在する。そういう意味ではKOTYはやはり一時代、そして一つの世代を作ったとことが大きいなって思いますね。みんなの中に共通の概念ができている世代を作り上げたってのが大きいんです。

ラー油氏:
クソゲーという言葉が記号的になってしまってますよね。だからこそ俺は、クソゲーという単語は個人的には極力使わないようにしてるんです。クソゲーに関わらず、ですけど、一つの単語に決まった意味を押し込めることをしたくなくて。クソゲーって言葉で済ませちゃうと、そこに入りきらないものが見えなくなっちゃうんで。できるだけその言葉は使わずに、どういう感情を覚えたとかをしっかり書いていこうというのを、いつも心がけてますね。

──それでは締めに入らせていただきます。おふたりは言い残したことはないですか。

ラー油氏:
言いたいことは大体言ったかな。KOTYはもう終わるかもしれないけど、僕個人としてはブログをこれからもやっていくので、まだまだいろんなゲームプレイし、レビューをしていきます。

赤野氏:
僕はKOTYのスレの住人たちよりも、まとめを読んで楽しんでた人たちに向けてなんですけど、「そろそろ自分の手でも遊んでみましょうよ」と言いたいです。KOTYが休止になったから言えることですけど、選考に挙げられてきたタイトルは、曲がりなりにもいろいろな人たちがその個性に注目したタイトルなんですよね。よくない目立ち方をしてしまいましたし、よくない形で世の中に残ってしまいましたけども、それを変えられる可能性があるのはKOTYがこうなった以上、残ってゲームを遊び続けてる我々だと思うんですよ。

KOTYは20年近く続いているじゃないですか。ゲームの価値観って20年の間にかなり様変わりしてるんですよね。そういう意味でも、20年前の人たちが、なぜそのゲームをつまらないと思ったのかは、ぜひ自分の目で見てほしい。時代の変化を、できればそのゲームを面白いと思うことで感じ取ってほしいなと思います。今なら楽しい遊び方もわかってるゲームも多いと思いますしね。KOTYスレで取り上げられたゲームを、今こそ遊びましょう。

──「このゲームは、昔はクソゲーだと言われてたんだぜ」だけで消費したまま終わらないということですね。良い締めになりました。本日はありがとうございました。

[聞き手・執筆・編集:Junichi Matsui]
[聞き手・編集:Ayuo Kawase]

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『風来のシレン』『アンリミテッド:サガ』『Dwarf Fortress』を人生の師とする雑食ゲーマーです。