スクウェア・エニックス 齊藤陽介氏ロングインタビュー。『ドラゴンクエスト』から実写ゲームまで、王道と獣道を歩んだゲームプロデューサーの四半世紀

スクウェア・エニックス 齊藤陽介氏ロングインタビュー。エニックスに入社した93年から実写ゲーム時代、『ドラゴンクエスト』『ニーア』シリーズのプロデュース、アイドルグループの育成から趣味の人狼まで、王道と獣道の両方を歩んだゲームプロデューサーの四半世紀を振り返ってもらう。

 

スクウェア・エニックス合併とともに始まる『ドラゴンクエスト』との関わり

J:
それから2003年にスクウェアと合併して、第10開発事業部部長になってからしばらく齊藤さんの名前がクレジットされたゲームがないんですよね。

齊藤:
プロデューサーはできなくなっちゃったんですよ。それが嫌で今は事業部部長をやっていないんです。

J:
エニックスでモバイル部署をやっていたから、モバイル事業部長も兼務していたよね。あの当時、夏野剛さん(当時のNTTドコモ マルチメディアサービス部部長。現ドワンゴ代表取締役社長)を紹介してくれたのは齊藤さんだった。

齊藤:
夏野さんには、『DQ』と『ファイナルファンタジー』(以下、FF)を全面的にドコモに投入するから、広告を全部『DQ』と『FF』にしてとお願いしていました。

ーー齊藤さんと、ゲームとしての『DQ』との関わりはそれが最初なんですか。

齊藤:
その前に着メロや待受画像の責任者をやっていました。当時売上が数千万円しかなかったのに、3年で数十億円にしろと言われて。頑張って達成しましたが。

J:
そっちに集中していて、しばらくプロデューサーという肩書きではゲームを出していないですよね。

齊藤:
直接にはタイトルを持たず、いわゆるエグゼクティブ・プロデューサーみたいな肩書きになっていました。そのあと『DQX』を始めることになって、さすがにモバイル事業部部長は兼務できないといって途中で辞めたんです。

J:
でもあれって、最初は『DQX』ではなかったじゃない。

齊藤:
最初は『DQIX』でした。俺はナンバリングにしないんだったらやらないと最初から言っていて。

J:
時間がかかったから『DQX』ということになったんだっけ。

齊藤:
違います、ニンテンドーDSが売れて、DS版のDQを先に出すという話になって順番が変わったんです。『DQX』のディレクターとプランナーを何名か『DQIX』に投入して。その間に細々と設計をしていました。『DQIX』は制作期間が当初の想定よりかかってました(泣)

J:
当時オンラインゲームを作れる人が『FF』のオンラインチーム以外には齊藤さんしかいなかったから、担当になってものすごく腑に落ちた。

齊藤:
よく俺がやったからオンラインになったと勘違いされるんだけど、そうではなくて、オンラインの『DQ』を作って欲しいと言われたから俺がやったんです。

ーーそれは堀井さんの判断なんですか。

齊藤:
堀井さんと千田幸信さん(*)かな。

*千田幸信:スクウェア・エニックス・ホールディングス取締役の千田幸信氏。『ドラゴンクエスト』生みの親の一人であり、初代『ドラゴンクエスト』の「ゆきのふ」のモデル。『ドラゴンクエストVII』までプロデューサーを務めていた。

J:
『DQX』が始まる前までは結構キツかったですか?自分でタイトルを持てない辛さというか。

齊藤:
エニックスの中に社内開発経験のある人がいなかったから、スクウェア・エニックスとして開発チームを作るのがめっちゃ大変で。他のチームをぶっ壊して自分のチームを作らないといけないので。

J:
齊藤さんは会社の人とかとよく飲みにいくので、あのころ周りの人から「齊藤さんがヤバい」と聞いていました。そういう悩みがあったんですね。

齊藤:
ありましたよ。チームを作ることがめっちゃ大変だし、エニックス時代は自分の部下は多くても20人でしたが、それがいきなり200人を超えるんですから。だからこそオフィスのブース、パーティションを休みの日にチェーンソーで全部削り取りたいと思っていました。顔が見えないまま仕事なんてできないと思って。

J:
そうやって苦労して始めた『DQX』から、自ら身を引くと言ったのは衝撃的でした。『DQX』のプロデューサーを自ら降りるという選択肢は普通しないじゃないですか。

齊藤:
それは俺がプロデューサーとして残り続けたら、部下たちが「こいつ、いつになったらどくんだろう?」と思うだろうなと。いうてもあと10年は仕事をするだろうから。部下たちよりは経験値があり、新しいことに挑戦して成功しやすいはずということで、横にどきました。若い人たちが、安定した収支がある中で経験を積めるようにしたかったんです。『DQ』や『FF』というのはそういうIPだと思っています。若い人たちにとって最大の勉強の場。もちろん会社にとってのパイプラインだとは思っているけど、めちゃくちゃやらなければコケないタイトルだし、若い人たちが入ることでまた新しいものが生まれる可能性が広がる。そこで経験を積んで、その経験をもとに横スライドして、新しいIPなり新しい会社としての貢献ができるような立ち位置にいけるようにしてあげたいんです。

 

ヨコオタロウの才能を活かしたかった

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J:事情があって『ニーア ゲジュタルト/レプリカント』からヨコオさんとゲームを作るようになったよね。でもその前の2007〜2008年くらいのときから、ヨコオタロウは才能があるからなんとかしたいと言っていたのを覚えています。

齊藤:
うん、続けてあげたいって。

J:
たしか海外の要望で、海外向けに別パターンの主人公を作ることになったんだよね。日本版だと『ゲシュタルト』は父と娘、『レプリカント』は兄と妹という両パターンが残っているけど。

齊藤:
そう、あれはありがたくもあり、大変でもありました。台詞も全部直したからね。

ーーどういう要望があったんですか。

齊藤:
海外販社のマーケティングチームから、細腕のかわいい男の子が大剣で敵を倒すなんてありえないと言われたので、ムキムキマッチョにしたんです。

J:
JRPGに向かい風が吹いている時代だったからね。嫌ではなかったの?

齊藤:
それを理由に開発期間を伸ばせるという俺の中での目論見はありました。その時点ですでに遅延していたので。

J:
あれはやっちゃいけなかったんじゃないかと個人的には思っているんだけど、どうですか?

齊藤:
いざ発売してみると、日本のままの方が良かったと言ってくれる人も海外にはいました。もちろん、お父さんと娘の話が良いと言ってくれる人もいますよ。でも、そうした『ゲシュタルト/レプリカント』の経験があったおかげで、『オートマタ』では日本でやりたいようにやろうと思えたんです。告知タイミングや体験版のリリース時期の話まで、海外の言うことを聞かずに全部俺が決めました。

ーーヨコオさんはどう思っていたんですか。

齊藤:
不満はなかったようですよ。畏まって話したことはないんですが(笑)。もともと父娘設定という案も無かったわけではないので。

 

限られた広告宣伝費でも大ヒットした『ニーア オートマタ』

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齊藤:
その後、『DQX』の運営が始まって稼げるようになったタイミングで、ずっとやりたかった『ニーア』の続編をやりたいなと思って。稼いでないと自分がやりたいことをやっちゃいけないという考えを持っていたので、担当するタイトルのひとつは稼げる作品、もうひとつは稼いだ結果として自分がやりたいことをやるようにしています。

J:
『ニーア オートマタ』が出る前の2016年あたりからMetacriticの傾向が大幅に変わりました。『ペルソナ5』を筆頭とした日本のタイトルが高く評価されるようになった印象です。

齊藤:
「ペルソナパイセンに続けぇ~〜」てずっと言ってたもん。

J:
海外メディアに理由を探ってまわったら、どこもあのタイミングでレビュアーが変わっていたんです。JRPGを卑下していた人たちから、JRPGが大好な若い世代に切り替わって、点数が変わったんじゃないかと。タイミング的にも2017年2月23日(北米は3月7日、欧州は3月10日)はベストな発売時期だったと思います。

齊藤:
でも実は絶望を感じてましたよ。まず上田さんの『人喰いの大鷲トリコ』(2016年12月発売)が思ったよりも振るわない。そのあとの『GRAVITY DAZE 2』(2017年1月発売)も厳しくて。凄くよく出来ている2タイトルが思っていたよりも苦戦していたから『ニーア オートマタ』もやばいかもと思って発売日を発表したら、翌週に『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』(2017年3月3日発売)と『Horizon Zero Dawn』(2017年3月2日)がきて。「アカン!ペンペン草も生えない!」と青白くなっていたら、その2作品が市場を活性化してくれて、良くも悪くも引っ張られる形で『ニーア オートマタ』も遊んでもらえました。

J:
マーケティングの段階で、とにかくたくさんの動画を出していましたよね。

齊藤:
動画は頑張りました。とにかく広告宣伝費が少なかったので。

J:
ただ結果として動画戦略は正しかったと思います。時代は絶対に動画。『ニーア オートマタ』が売れた明確な理由は3つあると思っていて、まずは『ニーア』の続編を作ろうと思った勇気。根強いファンがいたとはいえ、売れていないゲームの続編を出す判断をしたのは凄いです。2つ目が動画戦略で、3つ目が吉田明彦さんの起用。吉田さんを持ってきたときに凄いなと思いました。

齊藤:
現場からはいろんな提案が出てたんだけど、俺の中ではオンリーワンで吉田さんにお願いしたいと強く思っていて、Cygamesさんに突撃して頭を下げました。

J:
それにしても吉田さんの絵はしびれた。

齊藤:
前作のD.Kさんの絵も好きなんです。だけど世界で戦うんだったら、悪い言い方ですが、クオリティだけでなく名前である程度お客さんを連れてこれる人がいいなと思っていて。絵の描けるゲームデザイナーの中で一番は誰かといったら吉田さん。あとアクションとしての面白さを伸ばそうと、プラチナゲームズに開発をお願いしました。この2つが前作から補完しなくてはいけないことで、それが担保できた時点で俺の仕事は9割終わったようなものです。あとは広告宣伝費が無い分、ヨコオさんに顔を隠してでもいいからメディアに出て貰うというのが最後のタスクでした。

 

ヨコオタロウとプラチナゲームズの化学反応

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J:
あそこでプラチナゲームズを持ってきたのは、かなりのギャンブルだったと思います。

齊藤:
いろんな意味でね。尖っているし、好きな人が好きなゲームを作る会社だから。ヨコオさんとは職人と職人のぶつかりあいでブレイクする可能性もあると思っていました。半年間でブレイクするんだったらプリ・プロダクションの費用を諦める覚悟はありました。そしたら意外とハマったんです。

J:
今は半年間のプリ・プロでどのくらいかかるものなんですか?

齊藤:
HDゲームだったら1億~数億です。プラチナゲームズとちゃんと仕事をするのは初めてなので、どこまでできるのか見極めたいということで、モブ戦、ボス戦、カットシーンをワンステージ分作ってもらいました。一番最初の廃工場のエンゲルス戦までです。実はあそこはプリ・プロで作ったものがそのまま製品版の最終形になっています。もちろんグラフィックなどはまだ仮のものでした。

J:
プリプロの費用を捨てる覚悟でやったのは凄いですね。

齊藤:
ヨコオさんには、やるんだったら(プラチナゲームズのある)大阪に行ってくださいとお願いしました。プラチナゲームズさんには、ヨコオさんの席を作ってくださいと。ヨコオさんは両手をあげて「行きます」と言ってくれましたよ。たぶん単身赴任がしたかったんじゃないかな(笑)

J:
プラチナゲームズもよく条件を呑みましたね。

齊藤:
初めての試みですよ、外からディレクターを入れるというのは。でもプラチナゲームズの中には『ニーア』ファンがいっぱいいたんですよ。あの世界観が好きな人たちが。あと、俺とヨコオさんの最近のモチベーションは若い世代を育てることで、若い人たちに自分が教えられることを伝授したいというヨコオさんの想いともうまくハマったんだと思います。特に田浦貴久くんとの相性が良くて。

東京と大阪で離れていましたが、千田さんからの「顔を付き合わせて話せ」という教えもあって、月に1回は大阪に行ってヨコオさん、田浦くんたちと欠かさず会うようにしていました。

J:
齊藤さんは現場にあまり口出ししないですよね。

齊藤:
最初に何を作るのか、どの期間で何をするのかというところだけは言いますが、それ以外は余程のことがない限り口出ししません。ほぼほぼプリプロの期間に言いたいことは言いきるようにしてます。「キャラクターは具体的にはこうしてください」と言った瞬間にディレクターはやる気を失うだろうから。もちろん求められたらアドバイスはしますよ。そういう意味もあって、ゲームを作る上でプロデューサーはオススメできない職業だと思っています。モヤモヤすること多いですし。

J:
でも、提出されたアセットがイメージと違うものだったら、変えてくださいとは言いますよね?

齊藤:
俺は気になったけどヨコオさんは気にならないという場合は、そのままOKにしています。最終決定はディレクターです。

J:
それは自分の経験則から生まれたものなのか、誰かから教わったものなのか、どっちですか?

齊藤:
ゲームフリークと一緒に『BUSHI青龍伝~二人の勇者~』を作ったときに、ファミ通のレビュー点数がイマイチだったんです。その経験があったから、俺よりも面白いゲームを作れる人がいるはずだから、その人たちが頑張れる環境を作る方が俺には向いていると思えたんです。

J:
あと『ニーア オートマタ』といえばケツ。

齊藤:
「2Bのケツ」というワードで一回バズりましたね。海外で悪いバズり方をしました。ただ、今でも海外のゲームイベントに行くとヨルハ部隊のコスプレをしてくれる方がいっぱいいてくれて、ありがたいです。

J:
コスプレしやすいデザインにしてとはオーダーしたんですよね。

齊藤:
俺が吉田さんに唯一お願いしたのは、コスプレしやすい衣装にすることです。コスプレイヤーが自分で作れる範囲でアイデンティティを出せるよう、シンプルなフォルムで、細部(刺繍とか)に凝って欲しいと伝えました。それをしっかり実現してくれた吉田さんは本当に凄いです。そんなオーダーをしたって、実際に上手く落とし込んでくれる人はそうそういないですし。

 

ヨコオタロウは丸くなったのか

J:
ヨコオさんって本質は変わってないんだけど、いいクリエイターになったなと凄く思うんです。

齊藤:
うん、なったと思うよ。いまだに大変な部分はあるけど。

J:
いや、昔はもっと大変だったのかなと。でもヨコオさんはもの凄く良いクリエイターとしての歳の取り方をしていると思っていて。そうした歳を重ねたことでの変化って、ゲームに影響するのかな。

齊藤:
例えばヨルハの舞台は最初ほぼ全員死んでたんですけど、回を増すごとに死ぬ人が少なくなっていきました。それは多分、ヨコオタロウが丸くなっている証だと思うんですよ「生き残る人が増えている!」って。

J:
ヨコオさんってなぜ舞台やろうと思ったんでしょうか。

齊藤:
舞台が好きみたいですよ。ヨコオさんってもともとゲームデザイナー体質じゃないですし。

J:
グラフィックですよね?

齊藤:
それもそうだけど、ヨコオさんが最後の最後までこだわるのは演出です。カット割りと音が鳴るタイミングとか。『ニーア オートマタ』ってゲーム中も地味にいろんなことをやっていて、バトルで最初に攻撃した時点からBGMが始まったり、ダメージが一定量になったところから第2トラックが流れ始めたりとか。それはヨコオさんの指示です。曲の作り方も特殊だし。

J:
誰にも気づいてもらえないこだわりですね。あとヨコオさんの真骨頂は『ニーア ゲシュタルト/レプリカント』の2周目だと思っています。

齊藤:
そうかもしれません。『ニーア オートマタ』でいうCエンドあたり。『ニーア ゲシュタルト/レプリカント』は1周目だけで遊び終えた人が結構いるんですけど。ヨコオさんの本質は、何が善で何が悪なのかわからない世界だと思います。

ーー『オートマタ』は、前作と比べて年齢層が下がって、ジュブナイルっぽくなったという印象を受けました。

齊藤:
前作は一応、人間なのかマモノなのかという設定があったんだけど、『ニーア オートマタ』では、機械生命体は宇宙人が作りだしたものだと自分たちで自覚していて、アンドロイドは人間たちの手先として動いているわけで。どちらが善でどちらが悪なのかというのが無い上に、アンドロイド同士で殺し合いが始まるということで、前作よりもよっぽど救われない話だなと思っていました。こんな話、本当に受け入れてもらえるのかと心配でした。前作の方がはるかにわかりやすい話だと思いますよ。

 

若手に現場を委ねた『ドラゴンクエストXI』

J:
『DQX』と『ニーア オートマタ』をやりつつ、どうしてまた『DQXI』もやることになったんですか?

齊藤:
完成しないからやってくれと言われたんです。自遊空間のスライムルーム立ち上げで京都の旅館に泊まっていたら夜に三宅さんがきて、『DQXI』をやってくれと頼まれたんです。開発はずっと続いていたのに、ほぼ全部捨てなきゃいけないものしかできていなかったんですよ。

J:
よく引き受けましたね。

齊藤:
死ぬかと思いましたよ。『DQX』絶賛運営中ですよ。

J:
ということは、既存の素材を活かしつつ作ったということですね。

齊藤:
いや、なにもなかったよ。とりあえずUE4で『DQIII』を作ってみようということで、『DQIII』の一部マップとキャラクターができてました。

J:
キツいですね。

齊藤:
あと『DQXI』に関しては、アシスタント・プロデューサーに誰をつけるか聞かれたときに、岡本北斗(PS4版プロデューサー)と横田賢人(3DS版プロデューサー)を選んだんだけど、「アシスタント」ではなく俺と横並びのプロデューサーにしてくださいと言いました。途中でプロデューサーが代わるなんて一大事に見えてしまいますし、そこに「アシスタント・プロデューサー」なんて肩書きで仕事を与えられたら、俺がそういう立場だったらやる気なんてこれっぽっちも起きないから。俺が全部ケツを拭くから、その2人をプロデューサーという肩書きにしてくれという条件を会社に伝えました。

J:
横田くんはプロデューサー未経験?

齊藤:
『DQXI』が初のプロデュース作品です。デバッガーあがりで、それまでドラゴンクエストの広報チームに所属していました。岡本の方は『シアトリズム ドラゴンクエスト』とかちょっとやっていました。

J:
それは凄いね。なぜその2人にしたんですか。

齊藤:
両方ともアシスタント・プロデューサーのような立場で関わってはいたんです。三宅有(*)からは、経験者がいた方がいいからと、外から連れてくることを提案されたのですが、経験者がやれることは俺がやれるので、現場に張り付ける若い2人という意味では岡本と横田が良いと言ったんです。

*三宅有:スクウェア・エニックス取締役兼執行役員。『ドラゴンクエストVIII』以降、シリーズのエグゼクティブ・プロデューサーを担当している。

シルビアと「ユア・ストーリー」について思うところ

ーー話は変わりますが、『DQXI』のキャラクターのシルビアからは、ゲームにおいて多様性を尊重されていることを感じます。

齊藤:
もちろんです。主人公チームにいて活躍することはいいことだし、シナリオチームから見せてもらったとき、ぜひ入れて欲しいと思ったキャラクターです。

ーーシルビアが女性仲間キャラクターたちとショッピングにいくシーンで、男性仲間キャラクターが「まったく あの女3人組は どうしようもねえな……」と自然に受け入れているのがよいですね。

齊藤:
本名ゴリアテだしね。騎士団の息子として生まれて、親父がめっちゃ厳しかったという背景があって、シルビアになりました。実はシルビアだけは世界を救うという使命感では動いていないんですよ。シルビアだけは、勇者についていくという宿命を負っていないのに、ついて行くんです。格好良くないですか。俺はマルティナ推しですが。

ーーそれはどうしてですか。

齊藤:
マルティナは昔勇者くんのことを守れなかったトラウマをずっと抱えながら、最後に滝から落ちるときに今度ばっかりは絶対にあなたのことを守るぞと言ったところがめっちゃカッコいい。

J:
シルビアもマルティナも堀井さんのOKが出てるんでしょ。

齊藤:
もちろんです。

ーー堀井さんがOKを出すところとNGを出すところの境界線は何だと思いますか。

齊藤:
堀井さんは嫌なことは嫌と言った上で、ゼロにする方向には持っていかないんですよ。プログラムの経験があるから、そこの苦労をわかっているんです。他の方法で実現する方法はないのかと話してくれるので、やりやすいですね。そういう意味では、堀井さんとヨコオさんは近いなと思っています。ヨコオさんも、できることとできないことをわかった上で、これならばできるんじゃないと言える人。でもちゃんとしているので、相談しないで勝手にやると怒るんですが。

J:
その2人が近いってのは意外な話ですね。ところで「ドラゴンクエスト ユア・ストーリー」はどう思っているんですか?

齊藤:
賛否両論あるのはしょうがないけど、個人的には、絵が最高に良いなと思いながら見ていました。制作の白組はやっぱり凄いなと。だったらあのルックスの『DQ』を、ゲームとして一回やってもよかったんじゃないかと思っちゃうくらいには。

*2019年6月に公開された、「ドラゴンクエスト ユア・ストーリー」の予告編

J:
鳥山明さんじゃない絵ということですか?

齊藤:
そう。もちろん「ドラゴンボール」はワールドワイドで売れているし、鳥山明さんは大好きなんだけど、それは『DQVIII』でやって結果が出ているわけじゃないですか。だったら「ユア・ストーリー」のように違うルックスで一度挑戦してみるのもアリなんじゃないか、それをもっと昔にやればよかったのになと。映画だから良いんだと言われると、確かに一理あるかもしれないけど。

 

ーーーパート4、アイドル育成や『THE QUIET MAN』に関する話題に続く

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