ゲームで「心」をつくりたい。ゲーム開発者三宅陽一郎氏・北山功氏が語りあう、インディーシーンにおけるAIと哲学の可能性

セル・オートマトンを活用した個性的なゲーム作りで知られるインディーゲームクリエイター北山功氏。哲学をベースとした汎用AIの可能性について研究を進める三宅陽一郎氏。次回作の構想のために哲学に目を向けている北山氏と、インディゲームにも造詣が深い三宅氏が、「インディゲーム×AI×哲学」をテーマに、その可能性について語り合った。

フルスクラッチだから作りたいゲームが作り込める

ーーとはいえ、インディーズゲームがヒットすることを証明した『マインクラフト』は逆ですよね。

北山:
『マインクラフト』はどっちもいけてますよね。

三宅:
さっきも言いましたが、今の3Dゲームはクオリティを上げていくと、どんどん世界が固まっていくんです。インタラクションしない草とか。何もできない岩とか。見た目はきれいなんですけど、テクスチャだけとか。そういうのばかりで。

北山:
もったいないんですよね。一部だけインタラクションできるゲームはあるけど、全部やりたいですよね。

三宅:
『マインクラフト』がグラフィックスを捨てたのは、そのためでしょうね。つまりすべてが可変で、インタラクションできて、変えられる。そうなると、重たいCGを入れちゃうと、それがネックになっちゃいますから。

北山:
作り込んじゃだめという。

ーーそれを3Dではなくて、2Dでいいと割り切ったのが『テラリア』ですよね。『マインクラフト』と『テラリア』の流れで止まっているんですよね。

北山:
うちは素材とかはあまり考えず。細かい動きみたいなのをやっただけですね。

ーーさっきもありましたが、ピクセルがもっと小さくなっていくと、やがて写真になる。三宅さんが「東洋哲学編」で書かれていた、世界の中から湧き上がってくる人工知能と、ちょっと近いですよね。

三宅:
そうですね。ただ、環境の側の自律的なエコシステムが、生態系を作るというのは、みんなやりたいはずなんです。

北山:
やりたいんですか?

三宅:
そうですね。モンスターにしても、草食系と肉食系があって、それぞれに天敵がいるという形に生態系を作りたいんですけど、開発していく過程で、一番初めに外されていく。ゲームって完成に近づけるために、いろいろ削っていくじゃないですか。だから、まっさきに削られる。それを削らないと製作工程が循環しないんですよ。3Dモデルを作って、こいつがこいつを食べて、ああ、うまく食べなかったから顎を調節して。ここは何体のモンスターがどんな割合でいて、でも気がついたら大きなモンスターしか残ってなかったとか。下がこうで、こうで……というのはめんどうくさい。ここは何体、ここは何体みたいに。

北山:
計算通りにしちゃう。

三宅:
リニアなワークフローを作れるようにしちゃう。モデラーはモデルを作っていればいいし、AIはAIを作っていればいいしみたいな。分業を考えると生態系はやりにくい。工程も読めないし。やりたいとはみんな思っているんだけど、やれない。

北山:
インディーなら、やりやすいのかな。

三宅:
一人のゲームデザイナーがゲームを全部コントロールできて、開発工程も全部掌握できているというスタイルなら、可能かもしれないですね。PlayStationの初期の頃は、そういうチームもあったけど、その時はプロセッサが貧弱でできなかった。今はプロセッサパワーが格段に上がったけど、ビジネス的にあわないんですよ。PSの頃にすごくリッチなメモリとCPUがあれば、みんな生態系のゲームを作っていたんだけど。逆にハードが成長するとゲームも大型化してしまって。ぶっちゃけPS4でミニゲームを作れば、それだってできるはずなんだけど。

北山:
商業的に成功するか否かを考えてしまうから。

三宅:
そこに、まさにインディー的なベクトルがはまるはずなんです。

北山:
今がチャンス。

三宅:
僕は昔からそういうのがインディーだと思っているんですよね。技術牽引というか。

北山:
でも、なかなかそういう人はいないんですよね。昔からいなかったし、今はもっと減ってきていて。

『Terraria』

三宅:
実際、最初にお会いしたのは、もう10年くらい前になりますよね。

北山:
実はその時は会ってないんですよ。違う人が三宅さんに会いに行ったんですよ。うち(神奈川電子技術研究所)の三浦くんと、違うメンバーが2人で。3〜4時間くらい話したそうですね。あのときに行けばよかったと未だに思います。

三宅:
その当時でも技術的なチャレンジをしていたゲームは、そんなになかったんですよね。

ーー当時はUnityもありませんでしたし、一つのフレームワークの中で作家性を競うみたいなものが多かったですよね。シューティングとか、ビジュアルノベルとか。

北山:
あとは好きなもののオマージュを作るとか。

三宅:
あと @i-saint さんが作ったシューティングはプロシージャルでしたね。物理演算でいろんなシューティングをやっていて。それと『森世界』だけが技術系で。

ーー『アガルタ』もフルスクラッチですか?

北山:
そうですね。そもそも僕がÇ言語とBASICくらいしかできないんで。あとは速度的にも速いんですよね。速度重視なところはあります。

三宅:
中がいじれるしね。

北山:
あとはDirect X(DXライブラリ)自体がゲーム特化型だから。作りやすかったですしね。

ーーそこは、いわゆる「ゲームの民主化」の流れの中で、こぼれ落ちてしまったところなんでしょうね。

北山:
もっと、みんなやったらいいと思うんですよ。ロープアクションとか、物理エンジンや物理現象を使ったゲームを作っているところは、まだDirect Xが残っているんです。まあ、ちょいちょいですけど。でも、創発とか……。人工生命も1個か2個…まあ、少ないですね。

ゲームで心を生み出すことは可能か?

ーー北山さんは人工生命や環境シミュレーター的なゲームを作りたいんですか?

北山:
ホントは心を作りたいんです。生命が作りたい時期もあったんですが、最近は心ですね。生命はなんとなくわかってきたので。

三宅:
それは知らなかったです。ずっと人工生命というか、環境的なゲームを作られていくのかと思っていたので。

北山:
僕はニューラルネットワークから心が発生すると思い込んでいた時期があって。ニューラルネットワークって、結局は小さいマシンが手を取り合ってできているわけじゃないですか。何かをつないだら、自然とそういうのが生まれてくるのかなと思っていた時期があったんですが。

ーーそうではないと。

北山:
どう考えても、大きなマシンをたくさんつなげるだけでは、心は生まれそうにないなというのが最近わかってきたことで。

三宅:
難しいな。心の定義はさておき、ニューラルネットワークで、ディープラーニングをいくらやっても、なんというか、難しいんじゃないですかね。

北山:
クオリアは生まれない。

三宅:
クオリアというか、体験ですね。自分自身を感じるという体験は生まれないんじゃないか。人工知能が世界を経験できるかというと……。

北山:
経験できないんですよね。今のところはニューラルネットワークでも経験できないだろうと言われているんですよね。

三宅:
インプットがあって、情報処理があって、アウトプットがあって。それだけだと感じるところがないので。あるとすれば、そこからもう一回ニューラルネットワークにインプットする、リカレント型と呼ばれるモデルがあるんですが。もう一回入力側に戻すという。そうすると真ん中にカオスができるので。

北山:
それで体験までつながりますか?

三宅:
いえ、どこまでいっても、何が体験かは見えないんですよね。

北山:
それについては僕もけっこう考えたんです。人は緑色の紙コップを見たら、緑色だなと感じますよね。でも、この緑というのは、コンピュータは感じられないんです。もし完璧な電脳シミュレーションがあって、コンピュータがこれを緑と感じるといっても、他の人と同じ緑色という感じ方はしてないと思うんです。

ーーなるほど。

北山:
あとは味とか匂いとかもあるじゃないですか。ああいった経験は、コンピュータはできない。人間が人間として、人間や生物が自分は心があると感じるのは、経験を通して感じているからなんです。ロボットにそれがなければ、人工知能にもそれがなければ、本当の心とはいえないと思うんです。

ーー自分が自分であると感じるということは、人間以外にはできないだろうと。

北山:
人間というか、生物ですね。虫にもあるとは思います。植物までいくと、あるかどうかは謎なんです。

ーーそれをクオリアというんですか?

北山:
そうですね。意識という人もいます。

ーー意識と言われるとわかりやすい。

北山:
多分プラトンがいうイデアの影がそこなんですね。それについて自説を展開されている専門家もいっぱいいるんですが、どんな本を読んでも、「なんでや、なんでや」で終わっているんですよ。クオリアはどうやって発生しているのか。なんの役に立っているのか。ぼやいて終わっている本ばかりなんです。だいぶ読んだんですけど、どこにも書いてなくて。

ーークオリアはディープラーニングをつきとめていっても、生まれないだろうと。

北山:
僕もそう考えますし、たぶん専門家もそんな風に言っていますね。それをどうしたらクオリアを持てるようにするかというのが、最近ちょっとだけ見えてきたんです。でも、それを今つくるのは難しいかもしれないですけど、将来的にやっていきたいなというのはあります。

ーーおもしろいですね。

北山:
デカルトの「我思う故に我あり」のところがクオリアなんです。自分がいると思うのも一種のクオリアですし。イデアの影もクオリアですよね。

三宅:
そういう捉え方もありますね。

北山:
それで、ニューラルネットワークをいくらモミモミしてもクオリアは出てこないんですが、今調べると、マイクロチューブル(微細管)って聞いたことがありますか?(参考リンク

三宅:
どういうやつですか?

北山:
ニューロンの中にマイクロチューブルという微小管がそこにあるらしくて。その中にある微粒子が、セル・オートマトン的に動いているらしいんですよ。ロジャー・ペンローズという人がよく論文とかで書いているんです。ここは量子力学的なものでできているらしいんですね。

三宅:
量子力学的なセル・オートマトン。

北山:
それで、ここには書いてなかったんですが、量子配線というのも存在していて。すごい速度で情報が伝わるし、熱も発生しないというのが研究されているんですよ。量子って観測したときに値が決定するじゃないですか。クオリアも観測なので、これを動かすために人間は意識を働かせているんじゃないか……そんな風に僕は思っているんです。

三宅:
ペンローズは昔からそういったことを言っていますよね。量子力学的脳というか。ただ、ニューロン自体は分子なので、すごく大きなメカニクスで、量子力学じゃない。

北山:
そもそも、僕は意識の存在意義について、ずっと考えているんです。僕らは意識を持っているじゃないですか。でもそれって、クオリアを眺めているだけで、なんの役になっているのかという。どうやってできているのかと、なんの役に立っているのかが、すごく疑問で。意識がなくても成り立ってしまうかもしれませんよね。哲学的論理といわれているやつは成り立つんで。でも人間が「意識がある」と口で言っているということは、絶対に行動に影響を及ぼしていると思うんですよ。だから、役には立っていると思うんです。

だからこの、ニューロンのところに微粒子を送る構造を入れたら、さらにニューラルネットワークをブラッシュアップさせることができるかも。実際にクオリアが発生しなくても、アルゴリズムだけ使えたりすることはありえるんですかね?

三宅:
うーん。セル・オートマトンで動いているからといって……

北山:
自分も良く理解できているわけではないんですが、とりあえずロジャー・ペンローズはこれが収束するときにクオリアが発生するという言い方をしているんですよね。これがグチャグチャと並んでいるのが、最終的にきれいな形に並ぶんですよね。それがどういう役に立っているのかはわからないんですが、いろいろと調べていると、そこまでたどり着きました。

「ヤッターマン」のゾロメカが原体験

ーーすごいエネルギーですね。心を作りたいことと、ゲームを作りたいことは、重なるんですか?

北山:
ゲームの中ではいちおうシミュレーションができますよね。ゲームにしなくてもいいんですが、仮に学会発表をしても、せいぜい20人位しか見てくれないんです。それがゲームにすれば、何万人という人に聞いてもらえるわけじゃないですか。やっぱり、そういう意味もあるし。いろんな人から感想も得られるし、そこでまたヒントも得られるし。自分も中に入って体験できるというのもありますよね。まあ、もともとゲームが好きだというのもあるし。

三宅:
北山さんがおもしろいのは、根源的なところからゲームを作られるところなんです。最近ゲームは、キャラがあって、世界があって、物理演算があって、その中でゲームを作りましょうという形になっているんです。だけど、本来ゲームって、別にキャラクターと世界が必要なわけじゃないですよね。

ーーボードゲームはそうですよね。

三宅:
そうですよね。別に物理演算があってもなくてもいい。どういう組み合わせでもいいはずなんです。三次元でなくても、四次元であってもいいし。そういう一番根底のところからゲームを作ろうとすると、自分でエンジニアリング部隊をかかえて、どんな形でもできるようにするのがいいんです。ゲームエンジンって進化していくと、いろいろ定義を始めちゃうんです。

北山:
それによって逆にできないことも、どんどん出てくるんですよね。

三宅:
このタイプのゲームはうまくできるけど、そういった新しいタイプのゲームは作りにくいとか。心とか、世界のシミュレーションとかはそうですね。でも、インディーのゲームってそれを打ち破る力を秘めていると思うんです。毎回それを打ち破っていく。そのためにはいいエンジニアが必要で。それを北山さんたちはやられている。

北山:
たしかに、そう思いながら毎回作っているかもしれないですね。心をヒントにつきつめたいですね。

ーーその中でも、心に興味があるというのは、おもしろいですね。何がきっかけでしたか?

北山:
さっき言ったように、ロボットのAIをやり始めたときですね。そのときに最終地点は心になりました。

ーーなぜロボットをやり始めたんですか?

北山:
昔、アニメ「ヤッターマン」の敵キャラで小さいロボットが合体して…

ーーゾロメカですよね。

北山:
ああ、あれはゾロメカっていうんですね。あれが「ガンダム」や「マジンガーZ」とかと、全然違ったんですよ。小さいパーツが協力して大きな体を作っているのが。あれが忘れられなくて。

ーーレゴの個々のブロックが意識を持っていて、それらが設計図にもとづいて合体して、何かやるみたいな。

北山:
そうそう。そして学校に行くと、だんだん人間も細胞でできていることを知ったりするわけじゃないですか。それはすごいなあと。もちろん「ガンダム」みたいなものも好きですし。それでロボットを作ってみて。作ってから、心に対する疑問が湧いてきたという感じです。

ーー三宅さんはロボットに興味はないんですか?

三宅:
人工知能を研究しようとするとロボットは大変なんですよ。

北山:
ロボットはお金がかかるんですよね。ゲームのほうがお手軽なんで。そこで悩んだ時期もあります。

三宅:
今は人工知能搭載ロボットは、一般的なものなりましたが、20年前はロボットは身体ばっかりだったんです。物をつかむとか、二足歩行をするとか。身体ばかりで、知能はあまり研究されていなかったんですね。実際、僕もあとから知ったくらいで。逆にいうと15年位前から、ようやく体ができたから知能を作りましょうみたいな雰囲気になってきたんです。

ーーAIBOとかそうでしたね。2000年ごろに人工知能の勉強会で、ソニーのエンジニアが「AIBOの知能は成長するんです」と話されたとき、人工知能系の学者がどよめいたのを覚えています。

北山:
僕がロボットを大学でやっていたのは、それより少し前でしたね。

三宅:
今ならロボットをやったら面白いだろうなと思います。

ーー合体してきたわけですね。

北山:
ゲームとロボットはすごく似ていて。これも西洋と東洋みたいに対比させるとおもしろいんですけど。ゲームって宇宙空間みたいな、何もないところから作れるじゃないですか。そこから障害物をおいたり、条件付けをしていったりして、作っていくわけですよ。

ーー重力とか、森羅万象とか、なんでも決められます。

北山:
ロボットはいきなり全部あるんです。空気があって、摩擦があって、ノイズがあって。そこから引いていくんですよ。ゲームは足していく感じで、ロボットは引いていく。

三宅:
手軽に人工知能について研究するのであれば、ゲームはいい手段なんですが、あとあとになって体と環境が嘘だというのが、ボトルネックになっていくんです。摩擦がなさすぎたり、体が動かせすぎたりして。本来は知能が解決している問題が、全部すっとばされてしまうんです。

北山:
ゲームのほうがピュアな状態ではじめられる良さもありますよね。

ーーそこが痛し痒しで。

部分ではなく全体で捉え直す

三宅:
このまえ話したロボットの研究者は、ほとんどのロボットはノイズで動かせるっていうんですね。電気パルスとか、いろんなノイズが、駆動系にきいていて、すごい融合しあって。だからノイズを利用すればロボットは動かせるって。それに対してノイズはゲームにはないんです。

北山:
たしかにノイズからエネルギーをとってこれますしね。

三宅:
その通りです。ノイズは、見方によっては無限のエネルギー。生物は自然界のいろんなノイズの中で育っているから、ノイズを体の機構として取り入れているというんですね。これに対してロボットは、今はこういったノイズを全部、取り除いているから。コンピュータの司令で全部エレガントに処理しようとするから大変なんだけど、よく考えたら我々の脳もノイズだらけなんです。体にはそれほどノイズがないんですが、脳は別。この前、東大の脳科学者の方と話をしたんですが、とにかく脳はフィードバック系とノイズの連続で。

北山:
ああ、たしかにそうですね。

三宅:
我々が新しいアイディアを思いついたりするのも、ノイズがあるからで。

北山:
そのノイズは外部ノイズということですか?

三宅:
外部ノイズも、内部の電気ノイズもあって。物理系なので。人によってはイオン溶液の偏りとかもあるだろうし。それで、人はとにかくいろんなノイズが常にぼこぼこ出ていて、その中から一番いいやつだけを利用しているっていうんですね。

北山:
乱数がほしいんですかね?

三宅:
乱数を加えないと、同じ動作ばかりしちゃうから。まずセンサー系にノイズを入れる。それから意思決定系のところにノイズを入れる。最後に運動系にノイズを入れる。3回ノイズを入れる。

北山:
ディープラーニングにもノイズを入れるって言いますもんね。

三宅:
ノイズを入れたほうがうまくいくこともある。遺伝的アルゴリズムにも突然変異というパラメータを入れますよね。あれも一種のノイズで。我々からはノイズかもしれないけれど、生物からすれば本質的な駆動系かもしれない。

ーーそういうのがゲームだと除去されちゃうんですね。

三宅:
それはなぜかというと、西洋哲学と同じで、最初に分けてしまうからなんです。世界は世界、私は私、そして私にはノイズがないという。だから、もし世界と知能が一体だとしたら、それはノイズじゃないんです。世界の中の流れであって。そういう部分を切り離して、ロボットとかキャラクターとかを作っていくと、途端にいろんな問題が出てきちゃうんですね。分けた上でつなげるというのが大変。

北山:
ゲームの中でそれをやりたかったら、わざとノイズみたいなものを作らないといけないかもしれないですね。

三宅:
たとえば微生物とかは、すごい環境変化の中で生きているんです。溶液の濃度が変わると、それだけで運動の方向が変わったりするくらい。それくらい環境の中に身体が溶け込んでいるんですよ。

じゃあ、これがミジンコくらいだったらどうだろうとか。エビはどうだろうとか。さすがにビーバーくらいになると、だいぶ環境と切り離されてくる気がしますが、それでも結びついている。西洋哲学では、そういう結びつきをいったん忘れて、知能と体と環境というように分離しちゃうんで。だから、この三体問題は解けないんです。僕が悩んでいるのも常にそこで。

北山:
僕のやり方はいったん環境を全部作ること。これを環境だと仮定すればシンプルなものでやれるので。いったん環境の問題に落とし込んでできるから。そういう意味で体と環境と知性はシミュレーションしやすいかもしれないですね。

三宅:
だからこういう環境系には本質的な問題が含まれているはずで。そこを真正面から解いていくと、そこからイノベーションが生まれそうですね。

ーーちょっと話はずれますが、ファミコンやスーパーファミコンにはスプライトという機能がありますよね。スプライトがあるから、キャラクター単位でアニメーションさせやすいわけですよね。そうしたスプライトを全部なくして、最初からピクセルで処理するのが昔のパソコンであり、PlayStationでした。

三宅:
ただ、そこで新たにポリゴンというモデルが出てきたわけですよ。そのポリゴンというのが、また新しいモデルなんですよね。だからキャラクターがメッシュとテクスチャとアニメーションでできていて、変化できない。そこで環境と身体が分離しちゃってるわけです。ボタンを押したら決まったアニメーションが再生されます。壊せるポイントを叩いたら、世界が壊れます、みたいな。それがみんな楽しかったわけですけど。その意味ではポリゴンもスプライトも同じなんです。ずっとその流れが続いていて。

北山:
そこをいったんもとに戻してやれば、何か解決するような気もしますね。動作は重くなりますけどね。

三宅:
『ピクミン』なんかも自然をよく表しているんだけど、キャラはキャラ、土は土で。

北山:
それをもっと莊子的に。もっと間をなくして。『アガルタ』も本当は自キャラと自然を、もっと一体化させたかったんです。でも、やり方がよくわからなかったので、スプライトをおいちゃったんですが。

三宅:
草を取り込んだり、土に帰ったり、体を変えたり。そういうのは、今のゲームの作り方だと苦手なんです。キャラはこうで、コリジョンはこうで、そんな風に一回固定しているので。だから自分の体も変われば、環境も変われば、とかはむつかしくて。だからフルスクラッチでやるのは良いアプローチなんです。逆にスプライトをおいたのが残念でした。

北山:
残念ですよね。まあゲームにするためにやったというわけで。

三宅:
難しいですよね。シミュレーターを作っているわけじゃないから。一番難しいところですよね。そこはどうしているんですか?たぶんシミュレーターも作りたいんですよね

北山:
最初にシミュレーターを作って、あとでどういうふうにするか考えているんです。

三宅:
ゲームもシミュレーターも、どっちも作れる人は珍しくて。シミュレーターを作る人はゲームが作れないし、ゲームを作る人はシミュレーターは作れないし。いつシミュレーターからゲームに変わるんですか?

北山:
けっこうすぐですね。10〜20%くらいのときに、ここから先はゲームにするという決断をします。

三宅:
ゲームにするときにスプライトが入る。悩ましいところですね。

北山:
割り切ってやる感じですね。あまりよくないですけどね。

三宅:
僕も本当は植物を光合成させたいんですよ。RPGで森が光合成で広がっていって。

ーーなにか一つの世界をモデル化して、それを俯瞰するようなシミュレーターって、いろんな角度で作れると思うんですよね。たとえばプロ野球もその一つで、それぞれの球団ごとに支配下選手の数が決まっていて、毎年ドラフト会議があって新人選手が入団してきて、それと同じ数の選手が自由契約になって、それぞれの選手の能力値が変わって、ペナントレースの順位が決まって……といった具合です。

北山:
はいはい。

ーーそれを見ているだけでもおもしろかったりするんですが、それだけだとゲームにならないので、その中で監督となってチームの采配がふるえるようにする。そんな風に世界の抽象化と、その中で何をさせるかというのは、ゲームの本質的な部分かもしれません。

北山:
そうですね。

Part1にもどる
Part3につづく

Kenji Ono
Kenji Ono

1971年生まれ。関西大学社会学部卒。「ゲーム批評」(マイクロマガジン社刊)編集長などを経てフリーランスのゲームジャーナリスト。GDC、E3をはじめ、国内外のゲームイベントへの取材・レビュー・インタビュー記事、書籍執筆、講演など、幅広く活動している。NPO法人IGDA日本名誉理事・事務スタッフ。主な書籍に「ゲーム開発者が知るべき97のこと②」(編著)がある。

Articles: 12