『The Last of Us Part II』開発者がネタバレトークを解禁。エンディングの意図やパート3の可能性に言及する

『The Last of Us Part II』のディレクターNeil Druckmann氏がネタバレトークを解禁。『The Last of Us Part II』のエンディングの意図やパート3の可能性に言及した。

Naughty Dogの最新作『The Last of Us Part II』が発売されてから、物語の是非を巡る議論が熱を帯びている。非の打ちどころのない傑作だと捉える者もいれば、前作の物語を台無しにする欠陥品だと唱える者もいる。そうした中、同作のディレクター/脚本担当であるNeil Druckmann氏と、共同脚本/ナラティブリードのHalley Gross氏が、インタビューでのネタバレトークを解禁。まずは海外メディアのIndieWireのインタビューに応じ、作品の核心に迫る部分やエンディングについて、開発者の意図を伝えた。本稿では質問背景の補足を加えつつ、回答の一部を取り上げていく。

*以下の文章には、『The Last of Us』『The Last of Us Part II』の結末を含む重大なネタバレが含まれているため、ゲームクリア後の閲覧を推奨。ネタバレを軽度におさえた『The Last of Us Part II』レビューはこちら






物語やキャラクターの対称性について

『The Last of Us Part II』はいろんな意味で対称的な構造となっている。コインの表裏の関係にあるエリー編とアビー編。物語の始まりと終わりを飾るギターのクローズアップ、「三角関係、妊婦、父性の喪失」といった各編のパーツとしての共通項、各キャラクターの物語上のポジション、宇宙好きなエリーの裏返しのように高所恐怖症に悩まされるアビー。探せば探すほど、鏡を覗き込むような構造になっている。プレイヤーが繋がりを感じているエリーと、理解しがたい他者として始まるアビー。2人とプレイヤーとの距離感が徐々にひっくり返るような構造になっているわけだが、こうした物語構造を採用したきっかけは何だったのだろうか。

IndieWireのインタビューにてDruckmann氏は、1作目で挑戦した「役割の逆転」の成功が大きなヒントになったと答えている。1作目では、エリーを守るジョエルから、負傷したジョエルを守るエリーへと操作対象が切り替わる場面がある。2作目ではテーマの性質上、共感をもたらすことが重要であるため、「予想外のキャラクターと繋がる」体験を中心に物語を組み立てていったという。プレイヤーはすでにジョエル/エリーと繋がっている。そこで彼らを悲劇的な事件に巻き込み復讐譚の片方の側面を示しつつ、視点をアビーに移し、裏返しとなる贖罪の物語を描いたとのこと。

アビーは、父親の命を奪ったジョエルを殺害することで、エリーが現在進行形で進めている「復讐」をすでに体験し終えている。復讐を誓い、訓練に励み、ジョエル殺害という最終目的のために自らの肉体を鍛え上げてきたアビー。だが復讐を終えてもなお、アビーの気持ちが晴れることはなく、悪夢に悩まされ続けていた。そこから彼女は、レブ/ヤーラとの出会いを通じて贖罪の機会を得て、再び「光」を見つけるに至る。ゲーム後半でエリー編からアビー編に切り替わるとき、プレイヤーは、エリーが復讐を終えた先で何が待っているのか、アビーの視点から体験することになる。こうしたパラレルの関係を示すことによって、Druckmann氏いわく「状況が違えば友達になれたかもしれない二人」の物語が描かれていった。

プレイヤーに選択権を与えないことについて

『The Last of Us』と『The Last of Us Part II』はいずれも一本道のゲームであり、ストーリー上キャラクターが取る行動を、プレイヤーが変えることはできない。1作目の最後、主人公のジョエルはエリーを救うため、無抵抗の医師を殺害する。プレイヤーはジョエルの判断に逆らうことはできない。褒められた行動ではないかもしれないが、それでもジョエルの動機には理解できる部分があった。仮に同意できなくとも理解はできるよう、丁寧にキャラクターが描かれていた。パート2においては、エリーを操作してアビーを殺害しようとする、逆にアビーを操作してエリーを殺害しようとする場面がある。ここでもまた、プレイヤーに選択権はない。

Druckmann氏は、プレイヤーの意に反する行動を取るキャラクターを操作させることで、受動的に体験する類のコンテンツとは違った形で「キャラクターの選択」と向き合えるようになると語っている。たしかにエリーとして最終決戦に突入するころには、復讐を終えても満たされはしないのだと、プレイヤーはアビーの視点を通じて体験し終えている。もはや自分でも復讐にこだわる意味を見失っているように見受けられるエリーと、「私はもう戦わない」と決戦を拒んだアビー。開発者の意図どおりにプレイヤーの感情が動けば、ボロボロになった二人を見て、命の奪い合いに抵抗を覚え、操作しながら虚無感に包まれることだろう。

【UPDATE 2020/06/26 9:50】
Druckmann氏はKinda Funny Gamesの「Spoilercast」(動画リンク)でも、プレイヤーとキャラクターの関係性に触れている。1作目のジョエルは確固たる決意を持って行動しており、プレイヤーがジョエルの行動に同調できるように物語ることが大事であったと説明。2作目におけるエリーは、最初から最後まで、自身の行為に疑問を抱いている。プレイヤーがエリーの行動に疑問を抱いているように。よって、実のところ2作目でもプレイヤーとエリーは同期しているのだと語った。

エリーを突き動かす複雑な感情とPTSD

Gross氏いわく、エリーを生かすというジョエルの選択により、エリーは生き延びたことへの罪悪感を覚えるようになった。のちにはPTSDおよびジョエル喪失によるトラウマにも悩まされるのだが、ここでの苦悩は、ジョエルの命が奪われたという事実だけで成り立っているわけではない。真実を知ったことでジョエルとの関係が変わってしまったことも、ジョエルを許せずにいたことも、エリーを苦しませていた。回想シーンを重ねて、プレイヤーはエリーを突き動かしている複雑な感情に触れていくことになる。

単なる復讐譚ではなく、ジョエルがエリーの意に背いて下した決断の結果と向き合わざるを得なくなった、葛藤の物語。ゲーム序盤でエリーが「ジョエルと映画を観る予定がある」のだと語る場面があるのだが、エンディングまで進めてから振り返ってみると、一緒に映画を観ようとするのは実に数年ぶりらしいことがわかる。ジョエルの独断は、エリーとして許しがたいものであるが、それでも「許したいとは思ってる」と、再び一緒に時間を過ごそうと歩み寄ろうとしていたことがわかる。結局、関係修復の機会は与えられなかったのだが。

「一生そのことは許せないと思う。でも許したいとは思ってる」とジョエルに告げたときの思い出は、最終決戦時にフラッシュバックとしてエリーの脳裏をよぎり、アビー殺害を思いとどまらせる。このシーンについてDruckmann氏は、エリーがなぜアビーを殺さなかったのか、ヒントを与えるために挿入したのだと説明している。Druckmann氏ではなく、編集チームのアイデアだったという。

そもそも、物語終盤でエリーはなぜ、農場での平穏な日々を捨ててサンタ・バーバラに向かうのだろうか。あの段階で本当にアビーへの復讐心が残っていたのか。Druckmann氏とともに脚本を書いたGross氏の解釈としては、農場を去るという決断はアビーへの復讐心や裁きというよりも、エリー自身のメンタルヘルスに関わるものであったという。

PTSDが悪化し、自身を制御できなくなり、家族にとって危険な存在になりつつあると感じていたエリーは、このままでは生きていられない、状況をなんとか打破しようと動かねばならない。そう追い込まれていた。復讐を果たすことで苦しみを乗り越えられるのだと信じて行動せずにはいられない状態であった。それがGross氏の解釈である。この時点でのプレイヤーは、復讐を果たしてもトラウマが消えるわけがないと、アビーの視点を通じて痛感していることだろう。ゆえに痛々しさが増す。またDruckmann氏は、暴力に対し冷淡な姿勢を貫いたジョエルとは違い、エリーの自我は「過ち」と深く絡み合っていると説明。過ちを正さない限り、安息は訪れないと信じて止まないのだと、補足している。

エリーがジョエルに「許したいとは思ってる」と語った回想シーンは、ディーナが去り空き家となった農場に戻ってきたエリーが、再び歩み始める前に流れる場面でもある。深い愛情ゆえに、許しがたいジョエルを許したいと願ったエリーは、復讐劇の末、ジョエルがなぜエリーを救ったのか理解し、許せるようになる。こうした「エリーが苦しみながらもジョエルの行為を理解し、許せるようになるまでの物語」という解釈は間違っていないだろうと、Gross氏はIndieWireのインタビューにて肯定している。

ギターを置いて去るのはなぜか

*ギターミニゲームを使って複数の名曲をカバーしてみせるVG247の動画

物語の最後、エリーはジョエルからもらったギターを置いて、空き家となった農場を去る。アビー戦で2本の指を失い、ジョエルとの思い出を呼び覚ますギターを弾けなくなったわけだが、書き手としてはどのような意図が込めていたのだろうか。Gross氏としては、ギターを置いて去ることで、ジョエルへの思いを眠らせているのだという。ジョエルという概念を埋葬することで、人生の新たな一歩を踏み出しているのだと。Druckmann氏としては、エリーがようやく自身のエゴと執念を克服できたのだと解釈しているという。エリーにとって復讐はドラッグであり、エリーは復讐というドラッグの中毒者なのだと説明。「だからこそディーナは去ったのです。“この子はどん底にまで落ちたのに、まだ懲りてくれない。もう彼女を助けることはできない”と」。

ただDruckmann氏は、「私たちがここで何を言おうと、関係ありません。物語を理解するために必要なことはすべてゲームに含まれており、各プレイヤーが読み取った内容・解釈が、何であれ正しいのです」と、最終的な解釈は、受け手であるプレイヤーに委ねられている点を強調した。同時に、開発の途中までは、エリーが最後にアビーを殺すエンディングでいくつもりであったとも補足している。しかしながら、あの段階でアビーにトドメを刺すのはエリーらしくないとの判断により、結末が変更された。エリーの心の奥底には、善良さが残っているはずなのだから、と。

ジョエルの最後の言葉

Druckmann氏によると、ジョエルが殺害される場面では、最後に娘である「サラ」の名をつぶやく予定だったという。頭に打撃を受けているため、ほとんど言葉を発することができない。エリーを見つめ、ただ娘の名前だけを口にする。しかしジョエルを演じたTroy Baker氏の「何も言うべきではないと思う」との提案により、静かに最期を迎える製品版のシーンができあがったとのこと。結果、より力強いシーンに仕上がったはずだとDruckmann氏は伝えている。

そのほか、ジョエルに彼女がいるという設定が検討されたことや、3日ではなく5日構成の物語になる計画があったことも明かされた。5日構成の場合、アビーだけでなくエリーもセラファイトの島を訪れる予定だったという。農場パートに関しては、エリーがイノシシを狩る展開が用意されていたが、物語のペースおよび制作上の理由によりカットされた。

【UPDATE 2020/06/26 9:50】
Druckmann氏がKinda Funny Gamesの「Spoilercast」にて語ったところによると、構想されていたジョエルの彼女の名はエスター(Esther)だという。

パート3の可能性について

1作目『The Last of Us』の結末は、完璧であるがゆえに続編は不要と唱えられてきた。少なくともジョエル/エリーの物語としては。それでも語るに足るであろう物語構想が出来上がったからこそ、「パート2」の制作が始動した。では、この先「パート3」に進むことはありうるのだろうか。6月上旬に掲載されたGQのインタビューにてDruckmann氏は、次の作品は『The Last of Us』のパート3か、新規IPのどちらかになるだろうと語っていた。

そして今回のIndieWireインタビューでは、「パート3」を作るかどうかの判断は、「パート2」と同じ課題と向き合ってから下す必要があると述べている。すなわち、語るに足る物語として納得してもらえるだけのゲームにできるかどうか、という課題だ。新規IPであった1作目では、自由に物語構想を練ることができた。しかし一定のテーマやキャラクターを確立したあとでは、続編としての制作を正当化できるだけの内容が求められる。それが見つかるまで「パート3」は作れないというわけだ。

そしてパート2、パート3と続いていくに連れて、同作の世界に戻り、新たな物語を語ることを正当化するのは劇的に難しくなっていく。すでに世界観やキャラクターについて多くのことが語られているため、それまでの作品と同じくらい感情を揺さぶる、新しい体験を届けることが難しくなる。現時点では、その壁を突破する方法は見つかっていないとのことだ。なおNaughty Dogとしての次作は未定であるが、Druckmann氏としてはHBOドラマ版「The Last of Us」に脚本・製作総指揮担当として関わることが判明している(関連記事)。放送された際には、再びジョエルとエリーの旅路を見届けることになるだろう。

Druckmann氏およびジョエル役のTroy Baker氏とエリー役のAshley Johnson氏は、近日中にGreg Miller氏率いるKinda Funny Gamesの「Spoilercast」に出演予定。そこでさらなるネタバレトークが展開される。
UPDATE 2020/06/29 8:55】Kinda Funny Gamesの「Spoilercast」における開発者発言はこちらの記事にて記載。Druckmann氏がジョエルの最期や、『メタルギアソリッド2』から受けた影響について語った。

Ryuki Ishii
Ryuki Ishii

元・日本版AUTOMATON編集者、英語版AUTOMATON(AUTOMATON WEST)責任者(~2023年5月まで)

Articles: 1953