『ゲームセンター文化論』著者・加藤裕康氏インタビュー メディアの進化に伴って変わるゲームの見方

かつて樹皮や石に彫り刻んだ「文字」は、書きやすく保存性にも優れた紙の誕生によって世界の歴史や文化を記録し、電子機器の発達によってデジタル化を遂げた現代でもコミュニケーションの疎通は変わることなく受け継がれている。

――「ゲームセンターは不良の溜まり場、家庭用ゲーム機は逃げ場」という発表資料を『ゲームセンター文化論』で引用されていましたが、いまだ世間の目からは「ゲームは悪いもの」として見られています。

加藤 警察とか病院とか児童相談所などの機関を繋げる役所の一部署で臨時職員として2年ほど働いていたんですよ。そこには学校で先生や幼稚園・保育園の園長をやられていた経験がある方もおり、ときには役所の職員さんと臨時職員のいろんな専門家を交えて会議して対応を考えたりするんですが、たとえば素行が悪い子がゲームにハマっていたりするとすぐに「ゲームは悪いもの」となるんです。「ゲームが悪いという風潮は時代遅れ」という意見はTwitterやFacebookなどのSNSで散見しているんですが、じつは社会を動かしている中心部分ではいまだに「ゲームはよくないもの」とされているんです。教育者的な立場にいる方々がゲームを否定的に見て政策が立てられているということが見えていないんですよね。

――今後ゲームが肯定的に見られることはあるのでしょうか。

加藤 若い先生たちは小さいころからゲームに触れているはずですし、好きで遊んでいらっしゃる方も多いと思うんですが、問題を起こす生徒がゲームセンターに入り浸っていたり、オンラインゲームやスマホのゲームアプリにのめり込んでいるとその時点でゲームが標的になってしまうんですよ。ゲームを問題視することによって子供の社会的な環境――たとえば親子間の問題とか学校内でのいじめなど――を無視してしまうと直接の問題解決にはならないんですよね。専門家の方々はそういう事情を理解されているんですが、わかりやすいメディアに注目しがちなんです。

――加藤さんが教育の現場でそういった事象を目の当たりにされたことはあるのでしょうか。

加藤 小中学校の先生たちが集まって普段の授業風景を見せる「研究授業」というのがあるのですが、森昭雄さんが書かれた『ゲーム脳の恐怖』をソースとして「ゲームは怖いものである」という授業を毎年やっていたんです。学校教育の現場にいる先生たちっていまでもそういう視点なんですよね。ちゃんと学校に行って勉強をし、家でも宿題をやっていれば問題ないんでしょうけど、勉強嫌いの子がゲームをやっているとなるとそこに矛先が向いてしまうものですね。こういうふうに関心がない方々が社会を動かしている状況下で「e-sports」を日本で広めていくとしても、認知されていない初期の段階だとなかなか厳しいでしょうね。ただ「お金になる」という経済的な面で注目を浴びれば状況は変わると思います。

――日本のアートやエンタメ文化の評する「文化庁メディア芸術祭」が開催されていますが、お金を動かすものとして評価されている側面もあるわけですよね。

加藤 東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件が起きた1980年代から1990年代にかけてオタクの人たちは精神的異常があるのではないかと注目を浴びたんですが、2000年代に入るとふたたび注目されたんです。なぜかというと、日本経済が右肩下がりのときにオタク市場だけは活性化しているからだったんですね。社会的に認められるというのは経済がうまく回れば上等なお客様になるわけで、批判的な論調がだんだん変わるものなんです。かつての小説や漫画がそうだったように、「役に立たないもの」と一概に言われてきたもので経済が回れば世間の見方は変わると思います。とはいえ最近はゲームの教育的効果を強調するようになり、その流れで「e-sports」もデジタルスポーツとして研究が進められていますが、私は「こういうふうに役立つ」と理由を付けず「遊びであるがゆえにそのままで認めるべき」と考えています。

――スポーツや囲碁・将棋の世界ではお金を得られるだけの能力や実力、素質を持った方たちがプロとして活躍されていますが、ゲームにおいてもそれは同じことなのでしょうか。

加藤 はい、同じだと思います。ただ、ベースとしてはやっぱり「遊び」として見ていますし、ゲームを通じて人と繋がったり、何も求めない中で生まれる文化が面白いと思っているので、ゲームがお金儲けの手段になってしまうのはつまらないと思ってます。プロゲーマーは誰しもがなれるものではなく、収入面での不安や会社的な保険制度も不透明なところも多いので、堅実な職というよりは夢を追うバンドマンのような非現実さがあるのも事実ですが、ゲームでお金が稼げるようになったら親の見る目って変わると思いますし、それに倣って教育の中心にいる人たちの見方も変わるのではないでしょうか。

――大学講師である加藤先生の立場から、これから数年で変化はあると思われますか?

加藤 前回のシンポジウム(中央大学主催「ゲームはスポーツなのか?」)にオリンピックを推進する組織の方が来てくださったんですが「ゲームをオリンピックの競技として進めたいとは思うものの、その話をすると上層部から『たかがゲームだろ』という顔をされる。何か後押しできるものがないと説得できない」と仰っていたんです。おそらくそこに「修養主義」的な価値観を持ち込めば納得させやすいと思うんですが、「修養主義的なものを過度に推し進めすぎてしまうと、いままでのスポーツの事例のようにもしかしたら国に利用されることもあるので、自分としてはその方向がいいとは思いません」とお答えしました。人間なので成長することは大事ですが、修養主義や自己修養のためになるものだとなると結局は国に利用されてしまうんですよね。その時代にとっては有効なものかもしれない反面、価値観が180度変わることもあるわけですよ。そういうところだけを強調せずにゲームがスポーツとして取られられるようになったら文化のすそ野が広がるのでアリだと思ってます。


プロゲーマーとして収入をあげるには大会の賞金だけではなく、ゲームメーカーやゲーミングデバイスメーカー、そしてストリーミング配信サイト「Twitch」などからスポンサードは必要不可欠であり、積極的な取り組みを行っている欧米や中国・韓国に比べると日本は環境整備や受け入れ体制に後れをとっている状況だ。

そんな中、現在日本のe-sports業界の団体として存在している「一般社団法人e-sports促進機構」「一般社団法人日本eスポーツ協会」「日本eスポーツ連盟」に加えて「一般社団法人コンピュータエンターテインメント協会」と「一般社団法人 日本オンラインゲーム協会」が統合して新団体を設立することが2017年9月に発表され、ようやく地盤が固まりつつある。

教育現場ではゲームが軽蔑した目線で見られ、否定的な意見や矛先を向けられることもまだ多い現状だが、「職業としてのプロゲーマー」や「デジタルスポーツとしてのゲーム」といったアプローチによって社会的に認知されることで、ようやく「娯楽としてのゲーム」を迎えられるのではないだろうか。

Takuya Kudo
Takuya Kudo

1989年生まれ。UNDERSELL ltd.所属。ビデオゲームとピンボールをこよなく愛するゲームライター。新旧問わない温故知新のゲーム精神をモットーに、時代によって変化していくゲームセンターの「いま」を見つめています。

記事本文: 28