『アーマード・コア6』レビュー。わかりやすさは「退行」ではなく「適応」、生き残りをかけて未来への挑戦に挑んだ高難易度メカアクション

シリーズ10年ぶりの新作として登場した『ARMORED CORE VI FIRES OF RUBICON』は歴代作品と比較すると「わかりやすい」ゲームに変貌を遂げている。これは退行ではなく適応であり、生き残りをかけた未来への挑戦である。そしてこの挑戦は成功したと言っていいだろう。

シリーズ10年ぶりの新作として登場した『ARMORED CORE VI FIRES OF RUBICON』(以下『アーマード・コア6』と表記)は歴代作品と比較すると「わかりやすい」ゲームに変貌を遂げている。これは退行ではなく適応であり、生き残りをかけた未来への挑戦である。そしてこの挑戦は成功したと言っていいだろう。作品理念をしっかりと継承し、ナンバリングを掲げるにふさわしい、オリジナリティ十分な体験を提供している。“一度生まれたものは、そう簡単には死なない”。

『アーマード・コア6』はフロム・ソフトウェアより発売された3Dアクションゲー厶だ。パーツを組み替えてアセンブルしたオリジナルメカである「アーマード・コア」を操り、敵のアーマード・コアや巨大兵器との激闘を繰り広げていく。対応プラットフォームはPC(Steam)およびPS4/PS5/Xbox One/Xbox Series X|S。

※本稿はフロム・ソフトウェアからコードの提供を受け、PlayStation 5版でのプレイに基づき執筆している。

換装され続ける外殻と変わらないコア


『アーマード・コア』というシリーズは長年にわたり「変化と挑戦」という理念を標榜してきたゲームタイトルであった。マシンの操縦さながらの感覚を想起させる、コントローラーをフル活用する入力方式と、機体構築および、敵の強さに由来する難易度の高さ。それでいて、たびたびゲームシステムの大きな変化が発生することを特徴とし、同時にそれらが良くも悪くも新たなゲーム体験への挑戦に繋がっていた。『アーマード・コア』シリーズはまるで機体をアセンブルするかのようにシステムを組み換え、挑戦的な体験を生み出していくタイトルなのだ。

「変化と挑戦」という理念は、タイトルが保ち続けているスタイル――ぱっと見でわかる部分だけでなく、ゲームデザインにまで浸透している。『アーマード・コア』シリーズは「自由に機体をカスタマイズできるゲーム」だが、実のところ結果的にそうなっているだけであり、プレイヤーの意思が永遠に反映される自由は存在しない。本シリーズはゲーム側から提示される「課題」に対し、絶えず自身を「変化」させることで、回答を導き出す必要がある。本シリーズにおける自由とは、それを可能とするプラットフォームとしての特性と言える。そして「変化」は操作感の変質すら及ぼしつつ、プレイヤーに未知への「挑戦」を強いていく。

ゲームを攻略するためならば、苦手意識を吹き飛ばし、あらゆる機体構成を試し、借金をして、人間を辞めることすら厭わない。そうした「変化と挑戦」を重ねていくことにより、「機体が強かったからクリアできた」のではなく、「クリア可能な機体を組み上げた事自体が私の強さである」と、ほかでもないプレイヤー自身の能力向上を強く感じられる仕組みになっている。


やがて積み上げた強さは(ときにある種の驕りを伴いながら)決して変化することのない、プレイヤー自身のエゴとも表現できるこだわりを発現させる。それはマシンたちに共通するカラーリングやデカールといった装飾をはじめ、特定の脚部や武装の搭載を義務づけることであったり、ロールプレイであったり。数ある戦場を生き延びて培った強さは、強さの分だけ、ほかの誰にも否定できないワガママを実現する。プレイヤーの自由意志が機体に反映できるようになっていく。ゲームに支配される状態から独立傭兵として自立が可能となる。

絶え間ないシステムの換装を通じたゲーム体験の開拓に挑戦する姿勢。そして、変化の果てに獲得した揺るがぬプレイスキルを心の支柱とする、プレイヤー自身の個性を生み出すゲームデザインこそ『アーマード・コア』というシリーズのコアなのだ。

「わかりやすく」かつ独自性のあるゲーム体験


シリーズのリブート作品を銘打って登場した『アーマード・コア6』はこの「変化と挑戦」という理念と、それに由来した個性を強調する仕組みを「ボス戦」「ストーリー」という2つに集約することで明確化し、わかりやすくプレイヤーへ伝えることに成功している。ボスに合わせて自身を変え、未知に挑戦し、発見を経て生を勝ち取る。わかりやすいキャラクターにより語られる、ハッキリとしたシリーズらしさ満載のストーリー。この「わかりやすさ」はゲーム開始時点におけるプレイヤーの躓きを防止し、作品の面白さへの安全な到達を可能にしている。

シリーズが共通してもっていた特徴として「ゲームを理解するまで時間がかかる」というものがある。旧作では機体を動かすどころか、快適に動く機体を作ることすら難しく時間がかかったものだ。ステージの攻略に失敗した際、悔やみながらステージ全体の構造を踏まえ、道中のどこで何が悪かったのかを考える必要もあった。物語体験は曖昧で、考察の余地があるといえば聞こえがいいが、筆者のような好き者のためにある内容であり、コンテンツとして力が弱い。これはこれでゲームを理解するという楽しみが存在するが、即効性のある娯楽が氾濫した現代において、明確な欠点になってしまっているのも事実だ。シリーズの再出発という宣言を多くの人々に聞いてもらうには障害になると判断したのだろう。特徴をひとつ減らしてまで「わかりやすさ」を重視するデザインを採用した理由はココにあるのだと推測する。

そして「わかりやすさ」の導入は、現代の風潮に合わせた施策という範疇に収まっていない。「わかりやすさという変化」をもたらすため、新要素により構成されたボス戦の存在と、タイトルの歴史を活かしドラマチックに語られるストーリーは、シリーズのスタイルである「独自性の高い、挑戦的な体験」をも実現している。『アーマード・コア6』という題名に刻まれたナンバリングが本物であることの証明と言える。


それでは本作の細かい仕様について見ていこう。『アーマード・コア6』は新要素で構成されたボス戦とシリーズの特徴を活かしたストーリーにより、わかりやすく理念を表現するだけでなく、独自の体験を生み出している作品である。

まず「ボス戦」に関して、それを構成する新要素とは独自の「戦闘形態」と、変化した「アセンブル」である。主だった新要素が2点しかないのかと疑問をもった読者の方もいるかもしれない。が、本作はシリーズのリブート作品という位置づけであるためか、ゲームシステムの大部分をさまざまな旧作から踏襲していることを強調したい。ミッション制や隠しコンテナ、戦闘ログを通じたフィールド探索の要素など、これらによって新規作品ながら、ある意味「歴代作品の現代風リメイク」のような姿をしているのも本作の特徴である。

『アーマード・コア6』の「戦闘形態」は、近年におけるフロム・ソフトウェア産アクションゲームのエッセンスを取り込んだデザインが成されていることに大きな特徴がある。「ソウル」シリーズにおける「エスト瓶」のシステムに似た「リペアキット」および、『SEKIRO: SHADOWS DIE TWICE』における体幹ゲージの面影が見られる新システム「ACSゲージとスタッガー状態」の存在は、これまでの王道であった「射程外に逃げながら弾を撃ち込む」プレイスタイルを一変させた。

敵のモーションを観察し、隙をみて懐に飛び込み、被弾覚悟で瞬間火力を叩き込む。リロードタイミングを調整しながら、可能な限り攻め手を緩めない。このミッドレンジの絶え間ない撃ち合いによるダメージレースを重視する形が、新たな王道として敷かれたことにあわせ近接武器のホーミング性能が上昇し使い勝手が劇的に向上している。高速戦闘を快適にする自動で視界内の対象を追従するロックオン機能も実装。高い火力と引き換えに取り回しの悪かった巨大兵器が実用化している。

ACSゲージとAPという性質の異なる2本のゲージをコントロールする必要が生まれたため、リソース管理や、武器をリアルタイムで使い分けていくことの重要性も増した。目まぐるしく変わる戦況の変化について、より一層の関心を向ける必要性が生まれた本作の戦闘形態は、一連のフローこそ他作品でも見られるものではあるが、シリーズ伝統の複雑な操作体系を通じた、スピーディなコマンド入力体験。そして背後に人間が居るかのようなボスとの戦いを通じ、シリーズという範疇にとどまらない、オリジナリティのある体験として成立している。


本作のボスたちはACや巨大兵器の区分を問わず、みなアグレッシブに動き続けることに特徴がある。敵を簡単に捕捉可能なロックオンとACSゲージの仕様に合わせ、皆一様にこちらの視界から逃げるよう移動し、接近と離脱を繰り返す。回避困難な範囲攻撃や、盾を構えながらの銃撃を繰り出すことはもちろん、物語が後半に向かえば偏差撃ちだけでなく、「回避先を予測して弾を置いておく」など通信対戦さながらの戦術も仕掛けてくる。シンプルに賢く実用的な行動ばかりであり、背後に敵を操作している存在が殺意を向けているような感覚がある。一方で、敵をしっかり観察すると、行動の連続性や、弱点となる属性、採用すべき戦術を読み解くことができる。フロム・ソフトウェア産アクションゲームのエッセンスであり、「変化と挑戦」という理念をわかりやすくプレイヤーに伝達するための工夫である。

これらの特性により、本作のボス戦ではPvEという形態でありながらPvPを戦い抜いているような感覚と満足感を得ることができる。同時に、どこまでいっても敵はNPCであるため、観察の結果を通じたプレイスキルの向上も「わかりやすく」感じられる。初見時には「どうやって勝つんだ」「こいつ頭が良すぎる」と思った敵でも、種明かしが済んだ周回プレイ時にはあまり苦戦せず勝てるようになっているのが心地よい。リトライ用のチェックポイントが細かく設定されているのはありがたく、ロードの速さも合わせ、現代のゲームらしい配慮である。

だが、「敵の解法さえ見つけてしまえば、それを押し付けることであっさり倒せてしまう」という、難しさに落差を感じる事態も多発した。これは銃という武器が持つ「撃つ⇔撃たれる」の間に何も存在しない、攻防のせめぎあいがなく、先手必勝が是という性質に由来する表現上の限界でもある(剣や拳であれば切り結ぶ、殴り合いといった形が間に入る)。だからといって戦闘体験が薄っぺらいというわけではない。解法を見つけるまでのプロセスは濃く、撃破の速度は上達がわかりやすく表現されているということでもある。しかし、高速戦を継続しつつリソース管理が重要になるゲームであるにもかかわらず、残弾がサイトと画面右端に出ることによる視認性の悪さは明確な難点である。これについてはアップデートで調整してほしいところだ。

ボス戦以外の部分については基本的に前哨戦に収まっており、苦戦することは特にない。ボス戦が存在しないミッションの多くは「ステージの最奥に到達する」「データの回収」「大量の敵を捌き切る」という形になっている。体験のバリエーションとしては乏しくもあるが、ボス戦が際立っていることにより、ゲーム進行にメリハリがついている印象もある。本作は複数回の周回プレイを前提とする作品構造をしているが、先述した探索要素も合わせ、周回を重ねても攻略中に作業感を覚えることはなかった。


新しくなった「アセンブル」はボス戦対策という位置づけを強調することで、自分のプレイスキルを考慮しながら、敵の攻撃バリエーションや弱点属性に合わせたアセンブルをする必要があるという方向性のもと、「一貫して〇〇が有利」という形態が存在せず、機体の多様性が保たれている(もちろん、プレイヤーが強くなれば自分好みのパーツで組み上げた機体をぶつけることも可能だ)。「機体を動かすというスタート地点」で躓かないよう、機体の内部構造ではなく武装のバリエーションを重視する方向性がとられている。動かすこと自体が難しく、ボス戦を攻略できないような、ピーキーな機体が成立しないようプレイヤーを誘導している。結果として、軽量機体でも積載量が確保されているほか、重量機体でも機体を快適に動かせる。

「ACSゲージとスタッガー状態」に適合できない狙撃武器や、属性や状況に合わせ武器を切り替えていく戦闘デザインとの相性に不安のある武器腕、強化されたホーミング性能によって簡単かつ一方的に攻撃できてしまうのだろう、近接武器の両手持ちといった既存のカスタマイズがオミットされているのも特徴である。この姿を、「焦点を絞ったがゆえの視界の狭さ」と取るか、「作品理念を保ちつつ、可能な限りゲームをわかりやすくする調整」と取るのかは人それぞれだが、自分としては後者である。


『アーマード・コア6』におけるストーリーは、企業間戦争という枠組みこそ引き継いでいるが、歴代作品と比較すると構造が明快であり、世界観に関する説明も多くされるため内容が理解しやすい。主要人物たちのキャラクターや関係性もわかりやすく、ある程度の掘り下げもされている。フロム・ソフトウェア作品における背景設定と不確かな物語に魅入られ、重度の妄想癖をこじらせた状態を“フロム脳“と呼ぶというネットミームがあるが、今作において、この病魔に罹患する危険性はほぼないだろう。

しかし、「プレイヤーは傭兵であり、登場人物に対して敵味方の明確な区分が存在しない」という背景設定と、記事冒頭で述べた「変化の果てにプレイヤー自身の個性を生み出すゲームデザイン」という、シリーズが積み上げてきた伝統を改めて強調することで、本作ならではの物語展開を可能にしている。筆者はシリーズを継続的にプレイしていて初めて、ストーリーに心から感動し、胸の内から込み上げて来るものがあった。エンディング到達後に解禁される要素や、変化するミッションも存在しており、ゲームボリュームも十分確保できている。

総じて『アーマード・コア6』は、シリーズの再出発を謳うにあたり、旧来の作風から現代の風潮に合わせ「わかりやすい」ゲームという形に装備を換装している。自分のスキルを鑑みて戦える機体を作り、複雑なコマンド入力をこなしながら、観察を通じて強いボスを倒す。周回プレイを通じ、ドラマチックで重層的な物語を味わう。そういうゲームになった。しかし、核は揺るがない。この「わかりやすい」ゲームへの変化は退行ではなく適応であり、生き残りをかけた未来への挑戦である。そしてこの挑戦は成功したと言っていいだろう。作品理念をしっかりと継承し、ナンバリングを掲げるにふさわしい、オリジナリティ十分な体験を提供している。“一度生まれたものは、そう簡単には死なない”

いつか私が「型落ち」になるとき


以下は余談だが、そもそもシリーズの再出発を図る作品にフロム・ソフトウェア産アクションゲームのエッセンスを取り込んだこと自体、筆者にとって興味深いものがある。『アーマード・コア』シリーズはもとよりマイナーなタイトルであり、その原因は「変化と挑戦」という作品理念そのものにある。変化も挑戦も、多くの人は難しくてやりたがらないものだ。そして再出発=知名度獲得と多くの売上を望むならば、普通に考えて、この理念はある程度否定したほうが良い。

だが本作は作品理念を維持しただけでなく、フロム・ソフトウェア産アクションゲームのエッセンス=楽しめる人を選ぶ要素をさらに混ぜ込んでいる。これは難易度の上昇を加速させる行為であり、個人のプレイスキルと攻略の自由度が相関にある本シリーズにおいて逆効果ではないかと思った。本作はフロム・ソフトウェアが送り出してきた高難易度ゲームのなかでも指折りの難しさを誇る作品であると感じている。

だが、本作は既に高い人気を博している。もちろんこれには作品のクオリティや入念なプロモーション、10年分ネットに吹き溜まったファンの熱量、「死にゲー」というゲームジャンル自体の人気など、複合的な要因が重なったがゆえの成果ではあるが、私は思うのだ。「ここまで難しくてもクリアできてしまった」そして「みんなゲームが上手いんだな」と。

「ソウルライク」をはじめとする高難易度ゲームジャンルの旺盛や、『マインクラフト』などの幅広い層に向けた3Dアクションゲームの登場や、ジャンル自体の発展により、ユーザーのプレイスキルが全体的に向上し続けており、開発側から難易度調整に苦労しているという声はよく聞こえてくる。難しいゲームとして発売したゲームが難しくなかったという、アイデンティティ・クライシスに陥る危険性が非常に高くなっている。

こうした状況のもと発売された『アーマード・コア6』の高い難易度とその人気は、ゲーマーの多様化及び、現時点における「丁度いい高難易度」と呼べる難しさの基準の高さを表している。そして、「丁度いい高難易度」とされるゲームの中身は今後も難しくなっていくことだろう。そのとき自分は「型落ち」せずにいられるのだろうか。フロム・ソフトウェアは今後、どんな「難しいゲーム」を送り出していくのだろうか。自分の愛したコンテンツから見放されてしまう恐怖はある。だがそれ以上に楽しみでもあるのだ。なぜなら私は、どうしようもなくゲーマーだから。

Takayuki Sawahata
Takayuki Sawahata

娯楽としてだけではなく文化としてのゲームを知り、広めていきたい。ジャンル問わず死にゲー、マゾゲー大好き。

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