インディーゲーム。

この言葉が日本で広く親しまれるようになって既に久しい。もはや日本はインディーゲームをただ受容するのみならず、『8番出口』など自ら主体的に創作し、「輸出」する立場となった。畢竟、メジャーゲームスタジオではない日本の大企業さえこの分野に注目し、近年参入するようになっている。

だがその文化が成立した過程について、日本で知る機会は多くない。実際にはインディーゲームは数多くの才気と勇気ある作家たちによって構築されてきた。マルクス・ペルソン、エドモンド・マクミラン、デレク・ユー、ヨナタン・セーダーストロム、そしてもちろん天谷大輔にききやま……とても全員をここで挙げることはできない。

その中でも、インディーゲームを文字通り「独立したゲーム文化」と解釈するなら、どうしても知っていただきたい開発者が一人いる。

その名はジョナサン・デイビッド・ブロウ(Jonathan David Blow)。

彼はただ黎明期から現在に至るまで、その作品が広く知られ高く評価されただけではない。その哲学、作風、人格に至るまで、ある種もっとも「独立」した存在なのであり、狭義でいうインディーゲームを象徴する人物だと個人的に考えているからだ。

そしてこの度、ブロウの新作『Order of the Sinking Star』が、日本ではPLAYISMからNintendo Switch 2とPlayStation 5で発売された。1000を超えるパズルを、人間の手によって作り上げたという、狂気的とさえ呼べるブロウの哲学が詰まった作品だ。この発売を記念し、ここではジョナサン・ブロウとは一体何者なのか、その哲学と作風はどのように構築されてきたのかについて、簡単ではあるが解説したいと思う。

なお筆者は普段、自身の有料独立メディア「ゲームゼミ」でビデオゲームに関する批評や分析について投稿しているのだが、この度、尊敬するPLAYISMの水谷俊次氏から個人的に「ジョナサン・ブロウというレジェンドについて執筆してほしい」と依頼を受けた。他ならぬ、日本のインディーゲーム文化に貢献してきた水谷氏からの依頼であること、さらにジョナサン・ブロウという存在について個人的に深い関心があることもあり、僭越ながらこのAUTOMATONをお借りして寄稿させていただく運びとなった次第である。

生まれた時からインディーゲーム開発者

ジョナサン・ブロウは1971年、カリフォルニア州の5人兄弟の次男として生まれる。

ブロウは同世代の子どもと同じように、クォーター(25セント)を握りしめてゲーセンに通い、帰宅したらAtari 2600でゲームを遊ぶということを繰り返していた。だが彼はそうした初期にプレイしたゲームを「好きだった」と言いながら「面白かった」「優れていた」とは積極的に言わない。あえて「原始的(プリミティブ)だった」と呼ぶところに、既に彼は「遊ぶ」こと以上に「作る」ことに関心を抱いていたことがわかる。

11歳の頃に、ブロウは初めて学校の授業で、コモドールのホーム・コンピューター「VIC-20」に触れる。コードを打ち、何かを作るという行為に、彼はすぐ夢中になった。その様子を見た両親がタンディの「TRS-80」を買い与えると、彼は家でもプログラミングに没頭する。そうして自然に、自分でもゲームを作るようになっていく。

一方、彼は勉学を疎かにしなかった。彼は地元、カリフォルニア大学バークレー校へと進学。UCバークレーは全米はおろか世界でも最難関・最高位の大学の一つである。彼はそこでコンピューターサイエンス専攻に進むが、そこでの講義について「知識体系について伝えているだけで、間違ったものも含まれている。ゲームのような創造性が求められるプログラミングを学べない」と批判し、卒業のわずか半年前に退学してしまう。既に自力でプログラミングについて学んだブロウにとって、UCバークレーの講義は期待したレベルに到達していなかったのだ。

もう一つここで取り上げるべきは、ブロウがコンピューターサイエンスに加え英文学も専攻する、「二重専攻」を行っていたことだ。UCバークレーといえど、わざわざ二重の専攻を志すものはそう多くない。UCバークレー側でさえ「(二重専攻は)rare but possible」と案内している(※)。だが、このプログラミングのみならず文学を志す彼の教養の幅こそ、後に手がける作品に大きく反映されることとなる。

※:https://eecs.berkeley.edu/academics/undergraduate/cs-ba/

中退したブロウは様々なゲーム企業を転々とするが、どこにも長く留まることはなく、寄る辺のない日々が続いた。シリコン・グラフィックスで『Doom』の移植を手伝い、かのジョン・ロメロが創業したイオン・ストームに一時期在籍したりもしていたが、もっぱらコンサルタントや契約仕事を数か月ごとに繰り返す。1996年には一念発起して起業し、32人のプレイヤーが戦車で戦うという意欲的な『Wolfram』を開発するものの、90年代末期に襲ったインターネット・バブルの崩壊によって完成を待たず倒産。ブロウは負債を背負ってしまう。

だがそんなブロウにとっても、長く継続した仕事が2つあった。

1つが、ライターとしての寄稿活動だ。もとより、英文学を専攻するほどブロウには執筆の心得があり、2001年からはGame Developer誌の中で「The Inner Product」と題した連載を持っていた。その中で現在と違って情報もなくツールも乏しかった時代、彼は自身の才能と経験をもとにした「個人でもゲームを作れる知識」をサンプルとなるソースコードとともに掲載していた。

(なおブロウのコラムを含む、Game DeveloperのアーカイブはGDC Vaultの中ですべて無料で公開されている。必読。)

もう1つが、世界的なビデオゲームの開発者会議「GDC」の中でブロウが2002年から主催する「Experimental Gameplay Workshop」(EGW)だ。その名前の通り、「実験的なゲームプレイ」を共有するワークショップであり、『Portal』『Journey』のような名作からまだ発売していない実験段階のプロトタイプまでが実演されていた。

さらにブロウは同年、「Indie Game Jam」を創設(2002年に既に「インディーゲーム」と銘打っていた!)。こちらは当時、3Dベースの大作が求められる現状に対抗するべく──当時取材したジャーナリストの言葉を借りるなら(※)──「奇妙で、面白く、グロテスクで、示唆に富んだ」ゲームを即興で作るゲームジャムで、先ほどの「EGW」と含めてブロウは自ら、GDCの中で「インディーゲームを作れる環境」を作ろうと試みたのである。

※:https://www.gamedeveloper.com/design/technology-inspires-creativity-indie-game-jam-inverts-dogma-2001-

(2018年に開催されたEGWの様子)

業界と折り合いがつかず、その才能を持て余していたブロウは、自らゲームを作るだけではなく執筆やワークショップを通じて「ゲームを作る環境」をも作っていった。そうして次第に、現状に不満を持つ世界中の開発者たちが、後に「インディーゲーム」と呼ばれる資本的・創造的に独立したゲーム文化を形成していった。これがまず、ブロウによる最初の偉大な「作品」と言えるだろう。

こうした過程と並行して、ブロウは自身でゲームを作る、現代でいう「インディーゲーム開発者」としての道のりも歩むことになる。

『Braid』から『The Witness』へ 栄光と孤立

技術コンサルタントやプログラムの請負仕事をしながら、ライターとして執筆やEGWのオーガナイザーとして活躍するブロウは、当然自分でもゲームを作り、それを販売して生計を立てる現在でいう「インディーゲーム開発者」としての道のりを考え始めていた。

幸か不幸か、ブロウはインターネット・バブルの崩壊と前後して、自ら会社を作った経験も、様々な会社を渡り歩いた経験もある。膨大なプロジェクトに関わり、さらにライターやオーガナイザーとして多数の開発者とも知り合った。既にブロウは、十分すぎるほどのインプットとアイデアを持っていたからだ。さらに2003年、『Half-Life』などで知られるValve社が、オンライン上でゲームを販売できる(最初は発売には厳重な審査があったが)「Steam」の提供を開始したこともあり、ブロウはインディーゲーム開発に着手する。

ここで重要なのが、ブロウの心境の変化である。ブロウの原点はプログラマーであり、現在もそのアイデンティティは揺らいでいない。しかし彼は1996年の起業と、『Wolfram』の失敗を通じ、技術的な向上だけがゲームの魅力にはなり得ないと気づく。そして3Dではなく2Dへ、ゲームデザインも他にない独創的なパズルへ、そしてあらゆる部分でミニマリズムを重視するという彼の作風が確立されていった。

彼は自身のゲーム作りを、しばしば「工学」に例える。彼にとって最初、ゲーム作りとは「数学」つまりプログラミングであった。だがそれだけではなく、物語、アート、サウンド、何よりゲームデザインといった全てが寸分の狂いもなく成立していること……それこそがゲームが真に芸術たる要件であると彼は考えた。いかに写実的なグラフィックも、トレンドのゲームデザインも、それが渾然一体とならなければ、無用の産物なのである。

「それ(ゲーム開発)は、広い意味での工学とも間違いなく共通しています。橋にとってどんな形が良いかについては、どんな意見を持つこともできます。ですが、実際に作ってみれば、その考えが正しかったかどうかはわかります。ちゃんと立つのか? どれくらいうまく立つのか?」
(出典:Notion)

そしてブロウは、そうしたゲームこそが「芸術」であるという。あるインタビューでブロウは「Yeah. Sure. I definitely do art. That’s what I think about.(ええ、間違いなく、わたしはアートをしています。それこそわたしの本懐です)」とさえ答えている。歴史に名を残す映画や文学と同じ、普遍的な芸術たるゲームとは何か、それこそ2000年代以降ブロウが追求してきたゲームだった。
(出典:Jesper Juul)

そんなブロウが持つ膨大なアイディアの中で、特に自信があったのが、2004年にタイのチェンマイを旅行している時に着想した「時間を巻き戻すパズル」というアイデアだ。

ブロウは2005年には既にこのアイディアに『Braid』と名付けてプロトタイプを作り、自ら主催するEGWを通じてその進捗を発表していった。さらに2006年には新たにアーティストを迎え入れ、水彩画のようなアートに刷新したほか、ゲームそのものを依然としてブラッシュアップし続ける。自ら20万ドル近い資産を費やし、発売にこぎつけたのは2008年……多くの資産と長い時間を費やした、まさに一世一代の大勝負だった。

そしてその勝負は、半ば予定調和のように、成功した。発売からわずか1週間で、Xbox Live Arcadeで約5万5000本が売れたのだ。当時15ドルという価格ながら、その総額は約82万ドル。無論そこから手数料や経費を差し引くとしても、当時インディーゲームがごく一部にしか知られていない状況では、考えられない商業的成功をブロウは掴んだ。またその成功が、Steam上でも配信されたドキュメンタリー「Indie Game: The Movie」で取り上げられたことにより、ブロウはゲーム業界で一躍スタークリエイターの如き名声をも手にした。

だがこうした成功にもかかわらず、ブロウは喜ばなかった。それどころか、彼は怒り、失望し、孤立していった。自分のゲームをプレイした批評家たちは、表面的なことにしか触れていない。一部のファンダムは、後述する本作のメタファーの解釈だけで盛り上がる。自分が「インディーゲーム開発者」と呼ばれることさえ、そもそも自分が「EGW」を主催したことを考えると主従が逆転していると困惑した。

奇しくも2009年に『マインクラフト』のα版が公開されると、日本を含めた全世界で「インディーゲーム」が急速に注目されるようになる。しかしブロウはその「インディーゲーム」すら、初期の実験的な精神よりも商業的成功や社会的承認が優先され、安易な模倣の連鎖が続くことに愛想を尽かしていく。

「2010年以降に生まれたインディーゲームのコミュニティは、(自分が考えるそれとは)異なる考え方を基盤にしているように思います。そこには、「誰でもゲームを作れる」「誰もが参加できる」「誰もがゲームを通じて自己表現できる」といった、響きのよい理念があります。自分はコミュニティの一員であり、そのコミュニティでは誰もが歓迎される、という考え方です。

確かに、どれも前向きな理念だと思います。ですが問題は、ゲームを作ることそのものが難しい、という事実をあまり真剣に捉えていないことです。良いゲームを作るのは本当に難しい。そして、自分が本当に最善のことをしているのかを、常に厳しく見続けなければなりません。

率直に言えば、その点で(今のインディーゲーム)コミュニティは、私にとってまったく自分の居場所だとは感じられないものになっていきました。」

(出典:Jesper Juul)

こうしたブロウの「態度」は、後述するブロウが手掛けた『The Witness』にて、わざわざ「参加できるコミュニティは多くあるが、真の探求者の集う社会を除いて、参加したいと願うものは一つもない」とアインシュタインの発言を引用している点からして、誇張しすぎているというほどでもないだろう。

画期的な成功を収めたにもかかわらず、それに対する反響と環境の変化に、ブロウは戸惑い、憤りさえ感じた。実際、ブロウが求める「芸術としてのゲーム」の基準は、あまりにも高かった。だからこそブロウは、「独立」を志すインディーゲームコミュニティの中でさえ「孤立」していくのである。

だがブロウは、ただそうした嘆きをSNSで発信するだけの器では、無論ない。むしろこの一種の孤立は、ブロウの創作意欲を高め、傑作『The Witness』への糧となっていく。

「まほうの筆」から着想した『The Witness』

『The Witness』は非常に独創的なパズルゲームである。

ゲームの構造自体は珍しくない。ノン・リニアな立体的仮想空間の中で、様々なパズルに挑戦していく。これは1993年に開発されたパズルゲームの傑作『Myst』にはじまり、現代では『Outer Wilds』あるいは『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』にも通底する。

問題はパズルである。多くの3Dで成立する「パズルゲーム」は、水に電流を流したり、床に設置された巨大なボタンに偶然転がっている立方体を置くといった、物理化学を部分的にシミュレートしたものが多い。しかし『The Witness』のパズルは、こうした性質をほとんどもたない。『The Witness』のパズルはほぼすべてが、「なにかに一筆書きをする」というルールで統一されている。あらゆる制約や展開の中で、スタートからゴールまで一本の線で結ぶ。ただそれだけなのだが、『The Witness』は信じがたいほど多様な出題によって、この「一筆書き」にプレイヤーを挑ませるのである。

例えば、ある問題はスタートとゴールが複数あるが、正しく一本の線に繋がるものはそれぞれ1つしかない。他の問題では、線を結ぶうえで必ず通過しなければならないポイントが指定されている。あるいは、そもそも問題そのものがマップ上に隠されていて、それを探し出すこと自体が問題となっていることがある(日本コミュニティでは「風景パズル」としても知られる)。こうしたルールはいずれも言語的には説明されていないので、プレイヤーに「ここで問われている問題はまず何なのか?」を推察させること自体も、パズルの一部だ。

かくして『The Witness』は、パズルゲームの傑作と一般的に評価されている。2016年にはGolden Joystick AwardsやBritish Academy Games Awardsで各賞にノミネートされ、Steam上では1万7188件のレビュー中85%が好評である。

ではブロウはどのようにして本作を着想したのか。前提となったのは、先ほどにも触れたブロウがGDCで主催していた「EGW」だ。

ルーツは2000年代初頭に遡る。ピーター・モリニューが手掛けた『Black and White』や、Arkane Studiosの『Arx Fatalis』といったゲームには、実際の魔法使いがするように空に模様を描いて呪文を唱えるゲームメカニクスが導入されていた。これらはプレイヤーのゲームに対する没入感を増すためには機能したが、ゲームプレイとしての合理性は乏しく、プレイしているうちにすぐ面倒に感じてしまうことから廃れていった。

ブロウは「EGW」の中で、この「詠唱メカニクス」をより必然性の高いゲームメカニクスに洗練しようと試みた。例えば、強力な呪文を唱えるにはそれだけ複雑な模様を正確に描く必要があるとか、プレイヤーは独自に既存の呪文に模様を追加して効果を付加させられるとか。だがブロウは「そもそも詠唱メカニクス自体が面白いと思えない」と感じたようで、2000年代半ばに実験は打ち切られた。

だが2008年に『Braid』を発売した後、ブロウは再びこの「詠唱メカニクス」に着目した。『Braid』の開発を通じて得た経験や発見が──特に、何事もミニマルが最善であるという考えが、「詠唱メカニクス」をより興味深いものにすると確信したためだ。

それはすなわち、「詠唱メカニクス」からファンタジーや呪文といったあらゆる要素を取り除いて、ただ「空に何かを描く」という行為のみに集中すること……それこそ『The Witness』の「一筆書きパズル」であった。一見すると何もない風景に、共通のルールを見出して線を引く。たったこれだけのミニマルなルールから、ブロウは無数のパズルを思いつき、それらを膨大な他の一筆書きパズルとともに『The Witness』の、虚構の島に敷き詰めていった。

興味深いのは、ブロウは「パズルを作ろう」と思って『The Witness』を作ったわけではないことだ。実際にはむしろ空に呪文を描くというメカニクスがあり、この行為にゲームプレイ的な必然性を付与しようと試みた結果、それは一筆書きパズルになったのである。

星々の求道者

『The Witness』を発売した2016年、ブロウは早くも次回作『Order of the Sinking Star』の開発をはじめた。

そこからのべ10年。ブロウは心血を、文字どおりこのゲームのために捧げた。ブロウ自身「史上最大のパズルゲーム」を作ることを目的とし、1400以上ものパズルをハンドメイドで作り上げた。さらにこのゲームの開発のため、ブロウは自らゲーム開発専用のプログラミング言語「Jai」を並行して開発し、また名作『Braid』を自ら15時間にわたる解説を含めた『Braid: Anniversary Edition』として発売した。

既にここまでの語りを通じて見えてきた、ジョナサン・ブロウという唯一無二の開発者が、その全てを費やして開発した『Order of the Sinking Star』が一体どのようなゲームとなるのか。今やその発売日を待つばかりであるが、期待するほかない。

最後に。ここからはビデオゲームの批評を何本も執筆してきた筆者自身の視点で、ジョナサン・ブロウとは一体何者なのかについて述べたい。

わたしが思うに、ジョナサン・ブロウとはビデオゲームの求道者である。

まず彼がインディーゲーム文化の礎を築き上げた過程が、常道ではない。彼が主催した「EGW」や「Indie Game Jam」といった数々のワークショップを通じて「インディーゲームの実現可能性」が証明されていったのは事実だし、彼はただそれを見守るだけでなく誰より率先して「実験的なゲーム開発」を実践し、さらに2008年に『Braid』を通じ、それを経済的に持続可能であると証明した。

大企業によるベルトコンベア的な開発が主流化しつつあった2000年代に、真に美しく面白いゲームは何かを追い求める道のりは、非常に困難で孤独な道のり、まさしく求道者が真理を追い求めるかのごとき姿のように思われる。

だがここまでも振り返った通り、彼はその後少しずつインディーゲーム文化やコミュニティから距離を取っていった。インディーゲームの中でも、さらに彼はインディーな生き方と作り方を模索した。

それはまさに、彼自身が「工学」に例えたビデオゲームの美学だった。ゲームメカニクスからプログラム、アート、サウンド、テキストといった全てが、一定の必然性のもと突き詰められているということ。そうした結果として、プレイヤーにもまた自分と同じ知性と好奇心を限界まで試すということ。それはブルータリズム建築のごとく、恐ろしいほどに堅牢で、重厚で、そして美しい(少なくとも一つの美学を突き詰めている)ものだ。

興味深いのは、『Braid』『The Witness』『Order of the Sinking Star』すべてパズルゲームを手掛けたブロウだが、実はパズルゲームが昔から好きだったわけではない。非常に重要な点であるので、彼の発言を一部意訳しつつ引用したい。

「(『The Witness』のパズルは)要するにゲーム全般に共通することの、超・濃縮版(super-condensed version)なのです。パズルには、人間がゲームを遊ぶ上での醍醐味が、詰め込まれています。

たとえば、『ロックマン』を遊ぶとして、新しい武器を手に入れると、「これはどういう仕組みなんだろう? どんな場面で使えばいいんだろう?」と考えますよね? だから、ボタンを押して、何かを撃って、何が起こるかを見る。これは(開発者とプレイヤーの)対話、コミュニケーションです。どんなゲームも、何らかの形でプレイヤーに語りかけ、プレイヤーは答えます。このゲームに登場する要素は何か? どう機能するのか? プレイヤーである我々はそれをどう使うのか?といったことをです。

『The Witness』でやりたかったことのひとつは、そうしたあらゆるゲームで生じるノンバーバルなコミュニケーションを、極限まで凝縮することでした。ですから、プレイヤーが相対する対象(敵)は、動きさえしません。ほとんどは、ゲーム世界の中に置かれたパズル画面に表示されている、ただの記号です。プレイヤーが行う操作も、ごくわずかです。命を脅かすものもありません。アクション性はほとんどなく、ただじっと考えて、解くだけです。問われて、答えるのみです。

こうしたシンプルさが、このゲームを嫌う理由になるのも、理解しています。このゲームはとても静かで、何も起きないからです。でも、私はゲームにおける、周囲の雑音の「音量」を下げたかったんです。そうすれば相対的に、私たちの「声量」が大きくなりますから。

パズルを解いた直後に、たとえば『ダークソウル』のようにモンスターに囲まれ、攻撃をドッジロールしていたら、もうそのパズルのことはあまり考えなくなるでしょう。でも、このゲームはパズルを解いたら、後はただ歩くだけなので、その最中に「ああ、そういうことか」と噛み締められる。理解がじわじわと染み込んでいく(sinks in)んです。」
出展:No Clip「The Witness Documentary」

これはブロウの精神を端的に反映した発言だと思う。

彼は、いわゆるフェティッシュのように「パズル」を好んでいるわけではない。実際、彼自身『Braid』以前にはアクションゲームを含め、多くのゲームジャンルに挑戦していた。それでも「パズル」を20年以上作り続けるのは、「パズル」はゲームの「超・濃縮版」であり、ゲームにおける醍醐味……ゲームデザイナーとプレイヤーとの対話がもっとも直接的になしうる題材だからだという。

もちろんこの意見には様々な反論があるだろうし、筆者自身も完全に同意するわけではない(アクションゲームにしかできない対話や、創発的なゲームプレイの可能性も無視できないから)。かつて、ブロウは世界的MMORPGである『World of Warcraft』を指して「搾取であり、非倫理的」だと非難した。ゲームプレイの本質を単なる時間に対する報酬に置き換えることは、プレイヤーの貴重な人生を無駄遣いさせているのだと。この考えを踏まえると、この世にある大半のライブサービス型のゲームは無論、買い切り型ゲームでさえ大なり小なり「非倫理的」と言えてしまう。
(出典:The Sydney Morning Herald)

それでも、これほど明瞭かつ一貫した美意識に対しては尊敬の念を覚えずにいられないし、少なくとも彼自身がこれほど多くのパズルゲームを作る理由としては十分すぎるものと言えるだろう。彼が定義し、実際に作り上げた「美しいゲーム」は、現代のゲーム文化で受容されるものとは異なるのかもしれないが、だからこそある種もっともインディーゲーム本来の「独立精神」を発揮していると言える。

故に、彼は求道者なのである。一つの道のみを追い求めることは、多くの人に理解されず、それどころか衝突や疎外を免れない。それは過酷で、困難で、おおよその人々が歩まない道のりを歩くということだ。だが本来、文化や芸術はそのような求道者たちによって形作られてきたのではなかったか。

ジョナサン・ブロウの最新作『Order of the Sinking Star』は、PLAYISMよりNintendo Switch 2とPlayStation 5で発売中だ。

参考文献:
No Clip「The Witness Documentary」
Devon Zuegel「Jonathan Blow talks good design — for video games, team structure, and beyond」
Jesper Juul「Interview with Jonathan Blow」
Jason Hill「Ethical dilemmas」

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