「賛否両論ありそうなゲーム論」を開発者が募り、楽しげな議論勃発。クォータービューなくせ、難易度設定はいらないなど過激論が飛び交う
『Slay the Spire』の開発者が、ユーザーたちに一風変わった意見を募っており、注目を集めている。募集されているのは「賛否の分かれる/物議を醸す」ようなゲームデザインにおける意見。ユーザーや開発者らが多数の意見を投じており、興味深い見解や議論も散見される。
今回、風変わりな意見集めをおこなっているのはゲームデザイナーのAnthony Giovannetti氏。同氏はCasey Yano氏と共にMega Critを立ち上げ、『Slay the Spire』を共同開発したゲームデザイナーだ。今回同氏は「賛否の分かれる/物議を醸す」ようなゲームデザインにおける意見を募っており、本稿執筆時点で1288件ものリプライが寄せられている。ユーザーのほか、開発者からも見解が投じられており、中には興味深い議論が巻き起こっているトピックもある。
たとえば開発者のKio Ohene-Djan氏は「『ディアブロ』シリーズや『Path of Exile』などに採用されているクォータービュー(Isometric)は最悪の視点であり、そうしたゲームは廃止すべき」と主張。キャラがほとんど見えないため飾り立てる気も起こらないと述べている。たしかにクォータービューでは、キャラを斜め上から見下ろす俯瞰視点となる。画面内に見えるキャラが小さく、一般的な三人称視点と比べてプレイヤーキャラのビジュアルを楽しみづらい側面はある。
ちなみにKio氏はVRゲーム専門のスタジオArchiactにてミッション/レベルデザイナーを務める人物。没入感あるカメラ視点の極致といえるVRゲームの開発者なだけに、クォータービューの客観的な視点が好みではない可能性もありそうだ。
Kio氏に対しては反対するユーザーが複数見られ、「クォータービューは3D酔いするユーザーでも楽しめる」「(詳細が見えないことで)想像の余地が残されている」といった意見が寄せられている。また、背面視点のゲームよりもコスト面での優位性もあるだろう。一方で同氏を支持するユーザーも散見され、「登場人物に感情移入できない」「(主観に近い視点で)周囲を見回して世界のディテールを楽しめない」といった見解が述べられている。クォータービューは『ディアブロ4』のほか、『HADES』などの人気作品にも採用されているものの、Kio氏含め一定数“嫌い”なユーザーが見られるのは興味深い結果といえる。
ほか、さまざまなゲームに当たり前のように採用されているシステムに一石を投じる意見もある。たとえば下記のユーザーは「ゲームにマップ(世界のナビゲーション要素としての地図)は必要ない」と主張し、リプライには賛否が渦巻いている。
たとえばあるユーザーは常に進行先に誘導されたくはないとしつつも、マップ自体がなければエリアを彷徨って無駄な時間を使ってしまうと主張。リニア進行かつ逆行しないような仕組みがない限り、マップは必要であると述べている。『ウィッチャー3』ではミニマップに釘付けだったと振り返るユーザーもおり、フィールドが広いゲームでは特にマップが必要だと考える反対意見は複数見られる。
一方で「マップはない方がゲームデザインとして理想的」との考えを述べるユーザーも複数存在。プレイヤーが自然と誘導されるような、直感的かつ記憶に残る優れたデザインがあれば、マップは必要にならないといった見解が示されている。なおあるユーザーはマップなしでのプレイヤーを誘導しているタイトルとして『サブノーティカ』および『Half-Life』を挙げている。
ゲームに“よくある”要素が要らないという声はほかにもある。インディー開発者のVidhvat Madan氏は「実績やバッジなどのリワードシステムが乱用されており、プレイ中に実感できるはずの本質的な喜びが感じられなくなっている」と主張。リワードの存在により、行動の一つ一つを“餌のついた棒”で誘導させられているような気分になる、といった見方を示している。
またほかには、「経験値によるレベル上昇・スキル獲得システム」に否定的なユーザーもいる。同ユーザーはスキルを獲得する際に、レベルアップで獲得したスキルポイントの振り分けとは違った方法を例示。クエストをクリアした際に、クエスト依頼者からスキルを教えてもらう方式を挙げている。つまりこのユーザーの好みとしてはシステム上の数字を介さず、物語や世界観にマッチした方法でキャラを強化していきたいわけだろう。こうした意見に対しても賛否両論が寄せられており、ゲームにありがちな要素といえどもユーザーによる好みの違いはあるようだ。
今回寄せられた中でも大きな論争を巻き起こしているトピックのひとつが、ゲーム開発者Joseph Sylvester氏の意見。同氏は「(アクセシビリティとしての)難易度設定はすべてのゲームにある必要はない」と主張。「ゲームの難易度は(制作者の意図を反映する)芸術性として設定されている場合もある」と述べている。昨今ではさまざまなユーザーが楽しめるように、特定の要素の難易度を低減させる設定項目が用意されるゲームもある。幅広いユーザーが楽しめる機能として評価を受けることもあるものの、Joseph氏はそれを必ずゲームが備えるべき機能とは考えていないようだ。
Joseph氏の考えには厳しい批判も寄せられている。ゲームの腕前という側面で、楽しめるプレイヤーを制限してしまうような発想をよしとしない見方もある様子だ。一方で同氏は自身のゲーム開発哲学を覆す気はないようで、(同氏が開発している作品では)挑戦的なゲームプレイが重要になるとしている。またプレイヤーが楽しめるようなペースで挑戦の度合いをあげていくかたちが理想であると説明。ただしそうした意見はあくまで同氏の掲げる理想である点を強調している。
ゲームによって開発者も違い、設計思想も違う。たとえば高難度ゲームとして知られるソウルシリーズなどにおいては、ディレクターなどを務めた宮崎英高氏はThe New Yorkerのインタビューにおいて「特に自分たちのゲームでは難しさが体験に意味を与える」ように設計されていると明かしていた。同氏は、苦難を乗り越えた喜びをひとりでも多くのプレイヤーに味わってほしいとの想いを述べ、高難易度であることは、同氏の携わるゲームのアイデンティティであるとしていた。ゲーム全体の難易度調整や、難易度設定が用意されるかどうかも開発者の設計思想が表れている部分だろう(関連記事)。それを好みとするかどうかもまた、ユーザー次第といえる。
あえて賛否を呼ぶ意見を募った、今回の発端・Anthony氏の投稿。約1300件におよぶリプライには本稿で挙げたほかにもさまざまな意見が投じられている。中には、開発者やユーザーの好みも反映された、癖のある見解も多く見られる。そうした意見が妥当かどうかはさておき、普段目にしないような極端な意見に触れることは、ゲームを遊ぶ際にいつもと違った視点をもたらしてくれるかもしれない。