ディスコ音楽を愛する記憶喪失の中年刑事が、冷戦期東欧風の町の一角で起きた殺人事件の捜査にあたるミステリーRPG『Disco Elysium』。2019年10月にリリースされたのち、メディアとユーザーの双方から高く評価され、ゲームアワードではノミネート・受賞常連作品に。2019年を代表する作品のひとつと言えるだろう(対応言語は英語のみ)。同作を開発したのは、エストニアのデベロッパーZA/UM。リードデザイナー兼リードライターのRobert Kurvitz氏はテーブルトークRPGのエバンジェリストを自称するほどのTRPG好き。同作でもTRPGや、TRPGから影響を受けたCRPGのフォーマットをある程度踏襲している。だがフォーマットに沿うだけでなく、いくつか大胆なアイデアを取り入れたり、同ジャンルにおいて慣習化しつつあるデザインを見直したりと、ジャンルの境界線を押し広げる傑出作品として認知されている。
先述したKurvitz氏は、海外ゲームメディアGameSpotの以下動画にて、同作におけるユニークな取り組みを紹介している。『Disco Elysium』はアート寄りの作品として語られることが多いが、あくまでも大衆向けのエンターテインメントを意識したゲームだという。日本語非対応ゆえにゲーム自体は遊びにくいかもしれないが、大ボリュームのテキストを投じながらも遊びやすさ/読みやすさを追求した工夫の数々からは、学べるところがあるだろう。本稿ではその一部をかいつまんで紹介したい。
Twitterを参考にしたテキスト表示
2010年代中期以降、『Pillars of Eternity』『Divinity: Original Sin』などのヒット作が続き、CRPGのルネサンス期が到来した。そのころ『Disco Elysium』はプリ・プロダクション段階。新世代CRPGの動向を見ていたKurvitz氏としては、古きジャンルの革新を図るような実験的アプローチがなされていない点が気になったという。そうした状況を受け、「ジャンルのイノベーション」を目指すことが『Disco Elysium』開発のスタート地点となった。
その取り組みのひとつが、適切なテキスト表示位置の再考である。CRPGの先行作品群は、キャラクターの会話シーンや地の文といったゲーム内のテキストを、画面中央下部に表示する傾向が強い。Kurvitz氏はこの慣習について、映画などの映像作品の字幕から着想を得たものだと推測している。RPGに限らず定着している配置ではあるが、ゲームの画面構図として必ずしも好ましいわけではない。そんな中、CRPGの『Shadowrun Returns』や『Shadowrun: Dragonfall』は画面中央下部ではなく画面右側にテキストを表示させており、これらをテキスト表示の良い例として参考にしたという。
さらにいうと、『Disco Elysium』においてはプレイヤーの目線が画面「右下」に集中するよう工夫したとのこと。Kurvitz氏いわく、人が普段PCを使用する際、目線は大抵モニター右下部分に向けられている。Windows OSの通知領域や時計表示も画面右下。そこが一番目線を向けやすい。『Disco Elysium』においては、テキストをページ分けするのではなく、下から上にスクロールしていく形式を採用しているため、目線は画面下部に残る。また会話中の選択肢も、できるだけテキストボックスの下半分に表示されるよう設計されている。
こうしたデザインに仕上げる上で参考にしたのは、上述した『Shadowrun』シリーズだけではない。歯切れよく読み進められるテキスト表示例としてTwitterを参考にしていたのだ。テキストが流れていく様や、縦長コラム状の文章表示は確かにTwitterとの類似性が見られる。一行あたりの文字数が少なく、かつ目線を動かさなくてよいので読みやすい。長時間プレイしていて疲れにくいよう工夫されているのだ。またプレイヤーの関心を引き続けるためには、力強くパーソナルな文章を心がけねばならない。ここでもまた、アグレッシブな文章の多いSNSが参考になったという。
スキル同士の脳内会議がプレイヤーの状況理解を促す
「ロジック」や「共感力」といった主人公の各種スキルが、それぞれ独立した頭の中の声となって脳内会議を繰り広げるというのも、本作の特徴である。24種類あるスキルのどれにポイントを割り振るかによって、頭の中の声の連鎖反応が変わってくる。上述したように、プレイヤーをゲームの世界に引き込む上で、パーソナルな文章を使うというのは効果的な手法のひとつ。そうした意味でも、この脳内会議システムは有効的なのだという。
また脳内会議を通じて、ひとつの事柄に対して複数の切り口から意見が発される。主人公の内なるロジックの声はこう解釈するが、共感力の声は違った解釈をする。複数の角度から説明されるため、プレイヤーが状況を把握しやすくなる。Kurvitz氏いわく、テキストの読み手というのは、読んだ内容を理解しているようで理解していない。言い方を変えて複数回伝えることで、ようやく理解してもらえる。その点、『Disco Elysium』は独自のゲームシステムを生かし、同じ事柄を異なる観点から複数回伝えることで、プレイヤーの理解を促している。必然的に冗長さが顔を覗かせるが、さまざまなコンテクストが与えられるため、キャラクターたちが置かれている状況が咀嚼しやすくなっているのだ。
本作はテキスト量が多く、英語ネイティブではないプレイヤーにとっては難解な単語もよく出てくる。また政治的・実存的なテーマを取り扱っており、一見すると取っ付きにくさを感じさせるかもしれない。だがテキストの表示位置や、脳内会議による複数コンテクストの提示といった、見せ方・語り方の工夫により、内容が明確で頭に入ってきやすく、読んでいて疲れにくいテキストを実現している。ZA/UMはアーティスト集団により作られたスタジオではあるが、決してエリート主義ではなく、あくまでも大衆向けのエンターテインメントとして『Disco Elysium』を仕上げることを念頭に置いていたという。大衆向けを意識した咀嚼のしやすさも、本作の高評価に繋がっているのだろう。
会話における「戦利品」に相当するのは「着想」
本作には24種類のスキルとは別途、「Thought Cabinet」と呼ばれる思考・思想の保管庫システムが存在する。主人公の言動や、会話の中で耳にした情報から思考・思想の種が芽生え、それらを熟考することで特殊効果が発動する(ゲーム内時間の経過を要する)仕組みだ。本作には独立した戦闘フェーズがなく、あくまでも会話テキストの一部としてのみ暴力に発展し得る。ゆえに「敵を倒して戦利品を入手する」という他のRPGでは一般的な工程を組み込めない。あるのは脳内会議と、NPCたちとの会話。では、会話における「戦利品」に相当するのは何か。それは情報や着想である。そして着想を得た内容について熟考することで、新たな思考・思想が花ひらく。すると会話の選択肢が変わったり、主人公のスキルが上下する。
ただいかんせん新しいシステムゆえに参考にできる過去作品がなく、プレイヤーに理解してもらえるようなメニュー画面の作成や、そもそもの機能説明が難しい。Kurvitz氏としては、彼らが良いゲームデザイナーなのか悪いゲームデザイナーなのか、評価を決める最大のポイントだと考えていたという。最終的に出来上がったのは、思考・思想の内容を問わず、ひとつの保管庫の中にどんどん詰め込んでいく形式である。だが将来的には、思想同士の相互作用が生じたり、新しい思想が古い思想を削除したりといった、同システムの発展に挑戦したいとのことだ。脳内会議を引き起こすスキルシステムや、思想の保管庫。これらは人間の意識や思考をシミュレーションの対象とする試みであり、本作の肝となる部分だと言ってよいだろう。
続編の可能性を示唆
ゲーム開発未経験から始め、歴史に名を刻むであろうRPGを作り上げたZA/UM。今後の展開としては、「『Baldur’s Gate』を受けて『Baldur’s Gate II』が成し遂げたこと」に似た挑戦をしたいと、続編の可能性を示唆。また『Disco Elysium』には脳内会議を絡めた戦闘シーンが存在するが、その数は少ない。今後はそうした戦闘場面を増やしていきたいとのこと。そして将来的にはセックスシーンにも挑戦したいと力強く語っている。
プレイした人々から軒並み高く評価されている『Disco Elysium』。濃厚かつ大ボリュームのテキストを醍醐味としたゲームではあるが、大衆向けのエンターテインメントを意識した工夫の数々により、(言語の壁さえ突破できれば)遊びやすいゲームに仕上がっている。また洗練された文章から放たれるユーモアの嵐は、英語圏に限らず多くのゲーマーに刺さることだろう。いつの日か本作が日本語化されたならば、RPGおよびストーリーテリングの手法に関心のある方には、是非とも触れてほしい作品である。