『The Last of Us Part II』の「過激なトレイラー」が伝えたかったものとは何か。ソニーが「暴力を宣伝道具として利用している」との批判にコメント

「Paris Games Week 2017」の開催にあわせて公開された、PlayStation独占タイトルである『The Last of Us Part II』の新トレイラーが、海外で物議を醸している。本稿ではなぜ『The Last of Us Part II』が物議を醸したのか、その議論を追っていく。

「Paris Games Week 2017」の開催にあわせて、PlayStation 4向けの新作発表や最新情報が次々と公開されたなか、PlayStation独占タイトルである『The Last of Us Part II』と『Detroit: Become Human』の新トレイラーが、海外で物議を醸している。本稿では2作品のうち前者に関する議論を追っていく。

まずは映像の中身に触れておこう。トレイラー冒頭、豪雨が降り注ぐ暗い森林の中で、主要人物と思わしき女性が腕を縛られたまま、男女2人の手によって引きずられてくる。彼女が妊娠中であることを匂わすセリフがあったのち、腹が切り裂かれそうになり、映像後半ではロープで首を吊られて苦しむ姿が映し出される。同じく捕らわれの身となったアジア系の女性「Yara」は、片腕の骨をハンマーで砕かれ嗚咽を漏らす。「Yara」を捕捉していた男性は弓矢で頭を射抜かれ、敵グループのリーダー格と思わしき女性はハンマーで頭をかち割られ息を引き取る。容赦ない暴力シーンが続くことから、海外メディアは軒並み「ブルータル(Brutal)」という表現を記事のタイトルに用いている(PolygonKotakuGame InformerThe Telegraph)。

中でも海外メディアのPolygonはその「ブルータル」さを批判的に捉え、別記事にて「極端な暴力を使ってゲームを売り込むのはやめなさい」と訴えかけている。Polygonが問題視しているのは大きく分けて以下の2点である:

 1)ゲームのプロモーションとしてコンテクストなき暴力を利用していること
 2)扇情的な映像をつくる道具として、女性が暴力の被害者にされていること

コンテクストなき暴力との批判

ここで注意したいのは、過激な暴力表現そのものが批判されているわけではないということ。前作『The Last of Us』にも残虐なシーンは山ほどあった。今回のトレイラーを強く批判しているPolygonも、Naughty Dogが作中にて暴力を適切に、物語上意味のある形で扱ってくれるという点には記事内で強い信頼を寄せている。前作の暴力は、物語のトーン、その深刻さを示す上で必要な要素であったと。今回Polygonが声を荒げたのは、あくまでもトレイラー内で描かれている暴力が宣伝手段としてやり過ぎだと考えたからである。物語やキャラクターを紹介するためのツールではなく、話の文脈が不在のまま実行される暴力であり、Polygonはそこに問題があるとしている。

同記事では、実際にゲームをプレイすれば、トレイラーで使われたシーンにも意味が見出せるようになるかもしれないと前置きした上で、今回のトレイラーのようなコンテクストを抜いた状態では、暴力のための暴力として完結してしまうと意見している。また、その暴力が「女性に対する暴力」であることから、なおさら悪質であるとも述べている。女性をひどい目にあわせることで、センセーショナルな映像をつくりあげ、人々にショックを与えようとしているのではないか、というのがPolygonの主張である。さらにいうと、トレイラーの編集・承認プロセスに何人の女性スタッフが関わったのか、女性が意見する機会は与えられたのか、という疑問も投げかけている。

同記事には公開から1日で200件以上のコメントが、ツイッター上での記事リンク投稿に対しても、普段は数件から数十件のリプライしかつかないのに対し、670件以上の投稿が集まっている。Redditの関連スレッドでも2000件以上のコメントが寄せられるなど、さまざまな場で議論が交わされている。意見は賛否両論であるが、「コンテクストのない過剰な暴力」と「女性に対する暴力」がセットになっていることから、議論が同じ方向に進まず、話が錯綜してコメントの増加につながっている。とくに「女性に対する暴力」から生じる不快感というのは、意見が割れやすい部分だと思われる。Polygonの記事を担当したJulia Alexander氏が本トレイラーに対し、女性として不快感を覚えたという意見は尊重したい。その上で、本当にコンテクストが抜けているのか、またトレイラーで強調されているのは女性に対する暴力なのかを再考していく。

女性蔑視ではない

Polygonは前作『The Last of Us』のトレイラーについて、「ジョエルはハンターたちを銃殺していたけれど、なぜそんなことをしたのか読み取れるように描かれていました。それに、彼が攻撃していたのは女性やマイノリティではありませんでした」と述べており、「コンテクストなき暴力」と「女性に対する暴力」の議論がセットになっている。以下では2つを分解して見直してみよう。

1)ゲームのプロモーションとしてコンテクストなき暴力を利用していることについて

『The Last of Us Part II』の新トレイラーは、2016年に公開されたアナウンス・トレイラー(動画リンク)におけるエリーのセリフ(「あいつらを見つけて、殺してやるんだ。必ず、最後の一人まで」)や、クリエイティブ・ディレクターのNeil Druckmann氏が語る「憎しみ(Hate)の物語」といった発言とセットで考えることで、その意図がぼんやりと見えてくる。また、キャラクターたちのセリフを注意深く聞くことで、吊るされた女性がなぜターゲットになったのか、ある程度の情報は提示されていることがわかる。コンテクストがまったくないわけではない。その重々しい空気感と暴力は、容赦なきポストアポカリプス物として、「憎しみ」というキーワードを支えるパズルピースとして妥当なものであったとも考えられる。

2)扇情的な映像をつくる道具として、女性が暴力の被害者にされていることについて

Polygonの記事は1)の議論から始まるものの、紙面を割いているのは2)の方である。では今回のトレイラーは女性を蔑視するものなのかというと、そうではなく、むしろ逆であると筆者は考えている。トレイラーに登場する敵グループのリーダーは女性で、男性2人は命令に従っているだけである。「Yara」を助けにきた坊主頭の子供「Lev」が殺めるのは、その下っ端2人だけで、女性リーダーには手を出さない(リーダー格の女性にトドメをさすのは、同じく女性の「Yara」)。そして「Lev」は「Yara」の指示に従って、ロープに吊るされた謎の女性を救助する。

このように細かく見ていくと、場を支配しているのは女性であって、「女性に対する暴力」が強調されているわけではないことがわかる。救世主となった「Lev」も「男の子」であるのか定かではない。というのも、「Lev」を演じているIan Alexander氏は、テレビシリーズ「The OA」にてトランスジェンダーのティーンエイジャーBuck役を演じたことで知られる俳優であり、Alexander氏本人もトランスジェンダーであることを公表している(Vulture)。確かに暴力の被害者となっているのは女性だが、ここではもはや性別は特筆すべき要素ではなくなってきている。Naughty Dogはゲームの主要キャラクターとして男以外の性を台頭させつつ、弱者としてではなく、同じ土俵の上で彼/彼女らを描こうとしている。

もちろん、視聴者全員がそこまで細部にまで目を通すわけではない。トレイラー単体としてさらっと眺めただけでは、意味のない暴力として、弱者としての女性を一方的に攻撃しているように見えかねない、という意見は通る。Polygonの主張において重視されているのは、つくり手の意図ではなく、受け手にどう映るかである。

大人がつくった、大人のためのゲーム

ソニー・インタラクティブエンタテインメントヨーロッパ(以下、SIEE)のプレジデントJim Ryan氏は、トレイラーで描かれている暴力を疑問視する声に対し、Telegraphのインタビューにて以下のようにコメントしている:

Jim Ryan氏「『The Last of Us』は言うまでもなく、大人によってつくられた、大人のためのゲームです。まだ判断するには早すぎるのですが、おそらく本作のレーティングは18歳以上対象になるでしょう。そして、そうしたゲームを好む人たちのための、そうしたゲームを好む大人のためのマーケットが存在します。私たちはその需要に応えようとしているのです」

トレイラーではコンテクストが不足しているのでは、という指摘に対しては、次のように回答している:

Jim Ryan氏「私たちがショーケースで成し遂げようとしているのは、各タイトルの特徴を描き出すことです。ですが4分か5分の映像のなかで、数10時間におよぶゲームプレイ体験すべてを凝縮してお見せするというのは難しいことだと思います。また、繰り返しとなりますが、我々のスタジオが描こうとしたのは、大人向けの作品としてレーティングされることが想定されたゲームなのです」

暴力の「生々しさ」

首縄から解放される前と後での顔色の変化、浮かび上がる血管、筋肉の強張り。ゲームトレイラーでここまで「生々しい」首吊りシーンがあっただろうか

要するに、『The Last of Us Part II』のトレイラーは、全ゲーマーにアピールするためにつくられたものではなく、「大人向け」の体験を求めている層に訴求すべく練られたものなのである。Naughty Dogは批判を恐れず、開発者が描きたい世界、物語、キャラクターを突き詰めていくのだと、あらためて意思表示しているとも読み取れる。そのためなら痛ましい暴力シーンにも全力で取り組むと。もちろん、暴力のための暴力でも、女性を道具として扱っているわけでもないと、反論できるだけの配慮をしたうえで。

ただ、カンファレンスでいきなり「生々しい」首吊りや殺害シーンを見せられることに抵抗を覚える人がいるというのも十分に理解できる(被害者の性別は関係なく)。今回のトレイラーに対し、一部の人々が気持ち悪さを覚えたことと、ゲームエンジンの進化によりゲーム内で表現できる暴力の「生々しさ」が増したこととは、無関係ではないだろう。問題提起の仕方にこそ不明瞭な点があったものの、Polygonはその変化をいち早く察知したのではないだろうか。そして、そうした反応こそNaughty Dogが密かに望んでいたことなのかもしれない。

Ryuki Ishii
Ryuki Ishii

元・日本版AUTOMATON編集者、英語版AUTOMATON(AUTOMATON WEST)責任者(~2023年5月まで)

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