『Cuphead』の高難度なゲームデザインは排他的であるとの議論が勃発。創作の自由と楽しみ方の自由を天秤にかける

Studio MDHRが開発した手書き風のカートゥーンアクション『Cuphead』は、9月29日の発売から2週間足らずで、Steam版の45万セールスを達成しプレイヤーから厚い支持を得ている。そんな中、一部海外メディアが、高難度モードしか用意しない本作のゲームデザインは閉鎖的であると唱えている。

Studio MDHRが開発した『Cuphead』は、全キャラクターのアニメーションをひとコマひとコマをすべて手書きで描き、ゲームに落とし込むという、膨大な作業量と情熱が注ぎ込まれたインディーシーンにおける異端児的作品である。その1930年代風カートゥーンアニメーションと楽曲、『ロックマン』や『魂斗羅』から影響を受けたという高難度な2Dアクション。これらを特色とした本作は、9月29日の発売から2週間足らずで、Steam版の45万セールスを達成(SteamSpy調べ)。Steamのユーザレビューは「圧倒的に好評」と、プレイヤーから厚い支持を得ている。

そんな中、一部海外メディアが、高難度モードしか用意しない本作のゲームデザインは閉鎖的であると唱えている。たとえばPolygonは、『Cuphead』は老若男女問わずアピールできる魅力的なビジュアルを備えているのだから、ゲームが苦手な人も含めて、より多くの人に遊んでもらえるようなインクルーシビリティ(包括性)を意識すべきだったと主張している。またゲームを購入したプレイヤーは、障害の有無、スキルの個人差問わず、すべてのコンテンツにアクセスする権利があり、開発者はそれを実現するためのオプションを用意すべきではないか。プレイヤーに挑戦を強要するようなゲームデザインは排他的で、創作の方向性として適切でないのではないか。そう問いかけている。

ボス戦のスキップ機能はアリかナシか

シリーズ初の難易度オプションとフリーロームモードが発表された『Assassin’s Creed: Origins』

難易度オプションを用意しないゲームに否定的なのはPolygonだけではない。Rock, Paper, Shotgunは、「最善のゲームデザインとは、最大多数の最大幸福を実現するもの」としており、『Cuphead』のイージーモードに値する「SIMPLE」モードで遊ぶだけでも、全エリアにアクセスできる仕様にすべきだったと意見している(一部エリアは「SIMPLE」のみのクリアでは到達できない)。また同サイトの別記事では、難易度オプションだけでは不十分で、ゲーム一般として、ボス戦のスキップ機能を実装すべきだと提案している。

これは『Assassin’s Creed: Origins』にて、戦闘なしでオープンワールドをフリーロームできる「Discovery Tour」モードの実装が発表されたことを受け、「誰しもがアプローチできるゲーム」を実現するための次なるステップとして提示されたアイデアである。ボス戦を任意でスキップできれば、ボス戦が面倒くさいと思っている人や、アクションが苦手でボス戦の先にあるコンテンツにアクセスできない人もゲームを楽しめるようになる、というわけだ。この記事は物議を醸し、同記事には460件以上のコメントが寄せられている。業界関係者を巻き込んだ議論の引き金にもなっており、VlambeerのRami Ismail氏の発言を発端とした以下のやりとりもその一つである。

https://twitter.com/tha_rami/status/915201350643757056

賛成派のIsmail氏やゲームデザイナーのAndrew Traviss氏は、ゲームのどこに価値を見出すのかはプレイヤーの自由であり、ゲームデザイナーが価値を定めるわけではないとしている。一方で、『Spec Ops: The Line』のリードライターとして知られるWalt Williams氏は、「ゲームの難易度を決めるのは開発者の自由」であると意見している。ただしボス戦スキップという考えを完全に否定しているわけではない。ひとりのゲーマーとしては、すべての戦闘はスキップ可能であるべきだと考えており別のツイートでも「戦闘の多くはプレイ時間の埋め合わせにすぎない」と発言している。

https://twitter.com/waltdwilliams/status/915337683240734720

「簡単=弱者の選択」という定式に異を唱える

Rock, Paper, Shotgunがボス戦のスキップ機能を提案したのは今回が初めてではない。2009年2012年にも記事化されており、その度にエリート主義のゲーマーたちから批難されてきたと、記事を担当したJohn Walker記者は嘆いている。難易度オプションやボス戦のスキップ機能の普及を拒む、排他的なゲーマーたちがゲーム文化の腐敗を招いているというのがWalker記者の考えだ。ゲームから困難を取り除く機能。それを否定する者は、コンテンツの先に進む権利を勝ち取った、選ばれし者として優越感に浸りたいだけなのだと。ここでは「高難度=悪」ではなく、「簡単=弱者の選択」という定式が悪であるようだ。

だが「簡単=弱者の選択」と考えているゲーマーが多数であると判断するのは早計だろう。ゲームは小説や映画とは異なり、プレイヤーインタラクションがある、能動的な娯楽である。そのプレイヤーインタラクションの一部を省略するというアイデアに人々が抵抗を覚えることは、想像に難くない。プレイヤー自身が困難を乗り越えていくという、ゲームならではの過程をスキップすることで、ゲームである意味を失うのではないかと。より多くの人にゲームを楽しんでほしい、というWalker記者の目的に同意できても、その手段には同意できない。そうしたゲーマーから反感を買っているのが実情なのかもしれない。

インクルーシビティに取り組んだ事例

超低難易度モードを追加した『Horizon Zero Dawn』

先述した『Assassin’s Creed: Origins』にてフリーローム機能が採用された背景には、同シリーズのファンベースが広く、ストーリーやオープンワールドの探索などプレイヤーが重点を置くポイントが多岐にわたるという実情がある。ほかにも『Horizon Zero Dawn』では、ストーリーだけを楽しみたい方に向けた低難易度の「ストーリー」モードが無料アップデートにより追加されている(PlayStation.Blog)。『Uncharted 4: A Thief’s End』におけるアクセシビリティの取り組みも良い例で(Eurogamer)、AAA級タイトルにてインクルーシビリティとアクセシビリティに取り組む事例は増えてきている。数十万、数百万単位でのセールスを確保する必要があるAAA級タイトルにて、ターゲット層を可能な限り広げることは理にかなっているのだろう。セールス、企業イメージの向上だけでなく、業界スタンダードをセットする効果も期待できる。

ゲームをより多くの人に普及したい。セールスを少しでも伸ばしたい。そのためにプレイヤーの好み、スキル、障害の有無に応じて難易度を調整できるようにする。その考えや取り組みは賞賛に値する。単純な難易度に限らず、操作方法や視覚情報に関しても、オプションが多いに越したことはない。障害と戦うゲーマーが作品を楽しめるよう、アクセシビリティに取り組むことは素晴らしいことであるし、より多くの人に楽しんでもらうための工夫はいつだって考慮すべきだろう。だがそれらを考慮した上で、実際にどこまでのオプションを用意するかは開発者次第だ。

開発者の意図を優先した事例

『DARK SOULS』にイージーモードやボス戦のスキップ機能があったとしたら、同じようなゲーム体験を得られただろうか

誰にでもアクセスできるように、難易度オプションを用意し、ボス戦のスキップ機能を実装する。この提案はゲームの可能性を広めるようであって、実は真逆の結果を招く危険性すらある。例えば『DARK SOULS』のような難易度とゲーム体験が密接に関係しており、前者なくしては後者が成り立たない作品においては、攻撃ボタンをスパムするだけでクリアできるようなイージーモードというオプションが存在すること自体、開発者の意図を犠牲にしてしまう可能性がある。ボス戦のスキップ機能は言わずもがなだ。

またゲームデザインのためにイージーモードを搭載しなかった例として『Middle-earth: Shadow of Mordor』が挙げられる(関連記事)。同作のデザインディレクターMichael de Plater氏は「『Shadow of Mordor』にイージーモードを搭載することはできた。もしそうしていたら、ゲームは根本から破壊されていただろう」「考え込む必要がない、殺されることがない、敵のレベルアップがない、ゲームの世界が発展しない。そのようなタイプのハック&スラッシュにすれば、”ネメシスシステム”を体験することはできなかったはずだ」と語っている。

弊誌で取り上げた『Rage In Peace』という即死トラップ満載の2Dアクションゲームも例としてあげられるだろう。本作は死神に「お前、今日死ぬよ」と通告された主人公が、初見での回避がほぼ不可能な理不尽な死を繰り返しながら、トライアル&エラーで先に進んでいくというもの。「今日死ぬ」という運命を無理矢理ねじまげようと、死を先延ばしにしようと足掻けば足掻くほど、トラップの内容が過激化していく。ここでは理不尽な難易度と物語とがセットになっており、イージーモードではコンセプトが成立しなくなる。すべてのゲームに対して一律のインクルーシビリティを求めることで、アイデアが制約される場合がある。あくまでもケースバイケースで考えるべきではないだろうか。

『Cuphead』だって配慮していないわけじゃない

『Cuphead』は確かに難しい。だが理不尽な難しさではない。攻撃パターンを学習して、自身の動きを最適化することで困難を乗り越えていけるようバランスがとられている。敵の攻撃には何かしらの合図があり、観察していれば回避できる。通常ステージとボス戦はいずれも2分前後でクリアできる長さに統一することで、トライアル&エラーのストレスが軽減されている。

また本作には通常難易度にあたる「REGULAR」だけでなく、ボスの工程をスキップ(一部ボスの攻撃パターンも変更)する「SIMPLE」モードが用意されている。「SIMPLE」モードでボスを倒しても、ラスボスに挑むために必要な認定証はもらえないが、次ステージへの道は開ける。1体のボスに苦戦し続けるのではなく、他のステージを先に進め、武器・アイテムを揃えてから再挑戦することが可能となっている。

このように、作品を手に取ったプレイヤーがコンテンツの最後までたどり着けるよう、配慮されている。『Cuphead』が注目を浴びるきっかけとなったのは、開発者の狂気的な情熱が注がれたビジュアルである。だが最終的に海外メディア・ユーザから高評価を得られたのは、ターゲット層となるゲーマーの腕前を信頼し、一定水準のスキルを求めつつも、救済措置を残したバランス調整の賜物だろう。インクルーシビリティを無視した作品では、決してない。明確なビジョンを持ちつつ、そこから外れない範囲でプレイヤーのケアがされている。インクルーシビティは程度の問題であり、「0か100か」ではない。

遊び方の自由と創作の自由

そもそもなぜ、高難度なゲームがつくられるのだろうか。かつてのゲームには、データ容量の制約により、トライアル&エラーでプレイ時間を延ばす必要があった。その制約が取り払われた現代において高難度アクションの最盛期が訪れたということは、高難度なチャレンジに対する根本的な需要が存在するのだろう。失敗から学び、困難を乗り越えていく喜び。脳内麻薬が飛び出る瞬間。与えられたチャレンジを突破することで引き起こされる感情的なリアクション。プレイヤーインタラクションが求められるゲームだからこそ、届けられる価値である。

入念にチューニングされた高難度のレベルデザインが、ゲームのコンセプトの一部であるとき、その狙いから外れた遊び方を許容するべきなのか。それを決めるのは開発者である。プレイヤーが求める遊び方の自由を尊重しつつ、最終的にはつくり手である開発者の裁量で難易度が定められていく。ゲームが商品である限り、マーケットの需要に応えなければ商売にならないが、どの市場をターゲットとするかは、つくり手の判断による。すべての需要に応える義務はない。ゲームの何に価値を見出すのかはプレイヤーの自由であると同時に、どこに価値を見出してもらうのか道標を立てるのも開発者の自由だろう。すべてのゲーマーがアプローチできる作品も、「限られたゲーマーだけに楽しんでもらえればよい」という意図でつくられた作品も、同様に歓迎したい。

再び引き合いに出される『No Man’s Sky』

世に送り出された作品の難易度に対し不満の声が多い場合、バランス調整を誤ったか、需要を見極められていなかったか、あるいは、宣伝活動を通じて必要な情報を伝えられていなかったということが考えられる。「難しすぎる」というフィードバックを受けて難易度オプションを追加した事例としては『TumbleSeed』が挙げられる(関連記事)。

先述したWalt Williams氏は『Cuphead』の難易度に関する議論の最中、『No Man’s Sky』を引き合いに出している。両作とも、開発者の意図と消費者の期待との間にズレが生じないよう情報をコントロールし、無いものには無いと答えることの重要性を学べる事例であると。

https://twitter.com/waltdwilliams/status/915664175363493889

確かに『Cuphead』の公式サイトストアページでは、本作が高難度なゲームであることは明記されていない。強調されているのは、ビジュアルと音楽である。「高難度でビジュアルに特徴のある2Dアクション」ではなく「ビジュアルに特徴のある2Dアクション」として訴求されているからには、必要な情報が伝えられていなかった、という意見には一理あるように思える。事実、Steamコミュニティのスレッドでは、高難度であることを予期していなかったプレイヤーから、イージーモードを求める声が複数寄せられている。難易度を落として楽しみたいというプレイヤーは確かに存在するようだ。イージーモードを追加すべきとの声は、この意味で納得できるようになってくる。

本稿の議論は、排他的にならないよう、ゲームにイージーモードやボス戦のスキップ機能を実装するべき、という海外メディアの提案から始まった。そしてこの話題は、意見する人によって想定しているジャンルや作品、開発規模が異なるため、すべてのゲームを包括した議論として展開することが困難であることが分かった。個別のケースである『Cuphead』に関しては、開発陣の明確なビジョンにより高難度な作品へと仕上げられており、そのビジョンを崩さない範囲での救済措置が残されている。排他的にしようと思って高難度にしたわけではない。

だが本作はその特徴的なアニメーションに対する反響が大きく、開発者が当初想定していたマーケットを超えて愛されるようになった。難易度を落として楽しみたいというプレイヤーが声をあげるほどに。この新しい需要を汲み取り、難易度オプションを追加してほしいと。作品が広く認知され、評価されているからこそ起きた、喜ばしい需要の拡大といえるだろう。

Ryuki Ishii
Ryuki Ishii

元・日本版AUTOMATON編集者、英語版AUTOMATON(AUTOMATON WEST)責任者(~2023年5月まで)

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