「ゲームデザイナーの死」を感じた元開発者は ゲーム業界でなにを見たのか? [前編]


See also: 「ゲームデザイナーの死」時代の波に乗れなかった 海外のビデオゲーム開発者の話Greg Wondra、年齢は37歳近く。職業は元ゲームデザイナー。かつて『Major League Baseball 2K』シリーズや、『Lost Planet 3』などの開発に参加していた人物だ。彼はほぼ無名のビデオゲーム開発者だったと言ってよいが、今年2月にゲーム業界ポータルサイトGamasutraにブログを投稿し、海外だけでなく国内からも注目を集めた。「ゲームデザイナーの死」と名付けられたその投稿は、彼が感じた業界の変化を生々しく記したもので、多くのユーザーから共感および反感を買った。

今回、AUTOMATONは取材を申し込み、「ゲームデザイナーの死」を感じたというWondra氏が、ゲーム業界でなにを見てきたのか、その心中をうかがった。

 


Greg氏の崇拝するゲームの1つ『ベイグラントストーリー』
Greg氏の崇拝するゲームの1つ『ベイグラントストーリー』

――あなたの子供のころについて教えていただけますか。どんなゲームをプレイしてきたんでしょうか。

Greg Wondra氏:
私はウィスコンシン州のメイヴィルと呼ばれる小さな町の外れで育った。人口5000人以下の田舎町だよ。あるのはほとんど農家で……もしビデオゲームでキャリアを積みたいのなら、夢を追い求めて家を去るしかないような場所さ。両親には6人の子供が居て、私は4番目に生まれた。3人の兄弟と2人の姉妹が居た。

子供のころから、私がもっとも熱中していたのはスポーツとゲームだった。4歳のころにAtari 2600で『パックマン』や『スペースインベーダー』をプレイしたのを覚えている。そのあとコレコビジョンで出た『ドンキーコング』や『Q-Bert』を教えてもらった。だけどビデオゲームで本当に熱中したのは、『スーパーマリオブラザーズ』を一番最初にプレイしたときだね。

――ゲーム開発者になる夢は、ハイスクールに通っていた頃からの夢だったと聞きます。なにかきっかけはありましたか。

Wondra氏:
ゲーム開発者になる夢は、ほとんど"反逆"のためだったと思うよ。私の両親はとても現実的な人たちだった。とても保守的な考え方をしていたね。母は看護師で、父は自分の建設会社を持っていた。ビデオゲームの世界なんて理解してなかった。ゲームと一緒に育ってこなかったから、ビデオゲームがキャリアになるなんて考えてもいなかった。父は成長した私に建設会社を継いで欲しかったけど、私の興味は完全にビデオゲームにあった。ある夏のあいだ、父の会社で働いたことがあるけど、それでも常にビデオゲームのことを考えていたね。

ゲームデザイナーとして働くことが夢になった瞬間は覚えていない。ゲームをプレイしていると、なんだか心が休まったんだ。色々な夢の世界に熱中することは、とても素敵に思えた。私にとって、ゲームは夢であり、真に迫る冒険だった。『悪魔城』や『ナイツ into dreams』、『ベイグラントストーリー』や『ヴァルキリープロファイル』のようなゲームが大好きだった。これらのゲームは、とても想像力豊かで、人の心を打った。美しかった。芸術的だった。冒険だった。宮本茂や中裕司、松野泰己を崇拝しながら育ってきたね。

 

Greg Wondra氏の両親と兄弟、その家族たち
Greg Wondra氏の両親と兄弟、その家族たち

――ハイスクールを卒業したあと、ビデオゲーム関係の学校に通い始めたんでしょうか?それともゲーム開発は独学で学んだ?

Wondra氏:
ビデオゲームの学校に入学はしたかったけど、そんな余裕はなかったね。私がハイスクールを卒業した頃は、アメリカにビデオゲーム関連の学校なんてそうそうなかった。私の住んでいた場所から2000マイルも離れた場所に1つあったぐらいだ。そういう学校を訪れてみたことはある、フロリダ州にあるフル・セイル大学だ。ただ、学費が高すぎた。ハイスクールを卒業したばかりで、払える学費には限度があった。だから最終的に、地元の大学で"スポーツマネージメント"を学んで、卒業後にQAテスターとしてビデオゲーム業界に潜り込もうと決めたんだ。

実際にビデオゲーム業界に入れたのは、本当にラッキーだったよ。カリフォルニアで野球ゲームのデザイナーを探している企業を見つけたんだ。スポーツに関する知識はあったし、ビデオゲームへの興味もまだあったから、申し込むことにしたんだ。彼らは私をカリフォルニアに呼んで、私は30ページ以上のデザインアイデアを持って面接に望むこととなった。チャンスだったんだ。私がゲーム開発を勉強してこなかったにも関わらず色々な知識を持っていることに、彼らは関心していた。そして私にチャンスを与えることにしたんだ。当時の給料はかなり少なかったけど、学んで成長し続けるために、必死で働いたね。

『Major League Baseball 2K5』
『Major League Baseball 2K5』

――最初にデザイナーとして開発に参加したゲームの名を教えて下さい。

Wondra氏:
一番最初に参加したゲームは、XboxとPlayStation 2向けの『Major League Baseball 2K5』だ。

――その後のキャリアは?

Wondra氏:
『Major League Baseball』シリーズの開発に4年間参加していたよ、『MLB』シリーズは大好きだった。開発経験が一切なかったから、雇われた当初は、ほかのデザイナーから教えてもらえることを願っていたんだ。だが、そんな機会はなかった。私が仕事を始めたころ、デザイナーがもう1人居たんだけど、私が入社してから1週間後にクビになったんだ。私は自分の挑戦を後悔したよ。

ただ、上司は私をとても自由に働かせてくれて、私にできそうなことに関してはチャンスも与えてくれた。会社に入ったばかりの頃、新しいゲームプレイコンセプトとダイレクトモーションキャプチャの収録について、アイディアを出すチャンスをもらえた。ゲームアナウンサー向けのオーディオスクリプトを書いたことさえあったね。みんなはスポーツゲームで"デザイン"が占める割合は非常に少ないと考えるかもしれないけど、それは完全なる間違いだ。実際には、すでに愛好者のいるジャンルで、新鮮なアイディアを考え出さなければならない、チャレンジングな挑戦なんだ。

――"ゲームデザイナーの死"を感じる前まで、ゲーム開発者として特に印象深い経験はありましたか?

Wondra氏:
働いてきたなかで、いままで開発に参加してきたゲームは以下の通りだ。

・『Major League Baseball 2K5』(Xbox, PS2)
・『Major League Baseball 2K6』(Xbox, Xbox 360, PS2)
・『Major League Baseball 2K7』(Xbox, Xbox 360, PS2, PS3)
・『Major League Baseball 2K8』(Xbox, Xbox 360, PS2, PS3, Wii)
・『Sports Champions』(PS3)
・『Wizard 101』(PC)
・『Lost Planet 3』(Xbox 360, PS3, PC)
・『Monkey Quest』(PC)

働き始めたころは、『Major League Baseball』ゲームシリーズを手がけてきた、素晴らしかったよ。みんなの家族を尊重する考え方を持った堅実な会社だった。たぶん『Lost Planet 3』の開発に参加するまで、"業界の不安定さ"を感じたことはなかった。

ゲーム開発はとても困難なものになっていった。スケジュールはギリギリで、レベルは常にカットされ、ストーリーは刈り取られ再執筆……ゲームがどこに向かっているのかを知るのは、とても大変だった。チームのみんなは極限まで働き抜いた……毎日毎日……毎月毎月。にも関わらず、開発が残り数か月となったころ、我々はチームミーティングに呼び出された。ゲームの完成につれて、今後数か月でレイオフが実施される(職を失う)ことが全員に知らされたんだ。プロジェクトマネージャーは解雇された。クリエイティブディレクターがレイオフされ、リードデザイナーがレイオフされ……プロジェクトの開発が終了するとともに、実質的なチームは解体された。

そこからは、ニコロデオンで働き始めた。ニコロデオンはアメリカの巨大なメディア企業だ。たいてい彼らはカトゥーンで知られているけど、ゲームも作っている。ニコロデオンで働き始めて1年半、また同じようなことが起きた。参加しているプロジェクト『Monkey Quest』がキャンセルされて、チーム全体が解体されたんだ。どうしようもないよ、対処することができないんだからね。社内のマネージャーによって決められた財政上の決断に、太刀打ちなんてできない。そして時々、いい人々や才能ある人々が職を失う。厳しい現実だよ。

 

ニコロデオンのMMOタイトル。2011年3月にサービスが開始、2014年9月に終了した。
ニコロデオンのMMOタイトル。2011年3月にサービスが開始、2014年9月に終了した。

――多くの日本人はあなたの投稿した「ゲームデザイナーの死」に共感しました。ゲーム業界だけでなく、ITやWebデザインなどの業界の方々からもコメントを頂いています。時代の波を乗りこえることは、どこの業界でも厳しいようです。

Wondra氏:
時代の移り変わりとともに、技術は常に変化している。追いつくためにベストを尽くし、他者と競争することは重要だ。1つの技術を習得しても、また別の技術が新たに登場するから、追い続けることはとても困難ではある。物事が変化するのはとても早い。私は毎日新たなことを習得しようと、常に自己を高めてきた。業界の経験ある専門職が常に前線では働けないという"考え方"に、一番苦戦してきたように思う。我々は日々登場する新たな技術を覚えることができない、あるいは覚えないという、憶測が蔓延しているんじゃないかと、よく考え込んでいたよ。

我々の業界では、モバイルゲームの人気が大爆発している。いまはどの企業もモバイルゲーム開発の経験がある人物を求めているようだ。私がかつて働いてきた企業やプロジェクトを見ると、単純に、私にはモバイルゲームを開発してきた経験が無い。モバイルゲームが開発できないわけじゃない、もちろんできるよ!でもモバイルゲームの経験が無いから、私にはできないだろうという憶測があった。間違いなくそんなことはない。毎日モバイルデバイスを使っている。モバイルゲームをプレイしている。私がモバイルゲームを作れないという憶測は、完全なる誤りだ。

もう1つ、時とともに変化したのはコストだと思うよ。ゲーム会社が次々と誕生して、ゲームの価格はどんどん低くなっている。開発チームにとって、ゲームで利益を出すことは難しくなってきた。ここアメリカでは、無料でダウンロードできるiPhoneゲームが文字通り数千種類はある。利益を出すことができるゲームはほんの一握りだ。だからコストを下げるため、企業は学校を出たばかりのゲームデザイナー、つまりは低賃金で雇える労働者を探し求めている。

Greg Wondra氏の家族。妻のHeather、3歳の息子Tyson、5歳の娘Winni
Greg Wondra氏の家族。妻のHeather、3歳の息子Tyson、5歳の娘Winni

――共感したユーザーが存在した一方で、なぜゲーム業界から足を洗うのかと疑問に思うユーザーも居ました。たとえばインディーデベロッパーの道や、ゲームデザイナーとして働き続ける道もあったかと思います。

Wondra氏:
家族のために決意したことだ。私の人生にとって家族はもっとも大切なんだ。あなたはゲームを作ることに全ての時間と情熱を注ぐことができるが、最終的にゲームはあなたを愛してはくれない。あなたを愛してくれるのは家族だ。だから家族は常に最優先すべきなんだ。私は家族を助けるために働いた。インディーに行くアイディアは素敵だったが、現実的だとは思わなかったよ。インディーに行っても、利益を出せるのはほんの一握りだというのが現実だ。少数のインディーデベロッパーは確かに成功する、私は彼らをとても支持しているよ。だがほとんどのインディーデベロッパーは、まともに生活することにすら苦労している。妻と2人の子供がいる人よりも、家族のいない独り身の方が、明らかにインディーへ行くのは簡単だろう。

ゲームデザイナーとしてほかの仕事を探し続けるのも同じだ、状況が許すならばもちろんそうしたよ。ここアメリカでは、開発者が1年か2年で次の新しい仕事を追い求めるという事態が頻繁に起きる。プロジェクトがキャンセルされるか、会社が閉鎖され、開発者らは絶えず次の仕事を長い時間かけて探すことになる。家族がある男として、この道を選ぶことは愚かなことにしか思えない。私は妻と子供たちに安定した生活を送ってもらいたい……1年から2年ごとに何度もレイオフされたり、会社が閉鎖されたりすれば、私は家族を養うことができない。日本のゲーム開発会社で働くのだって、アメリカと同じように不安定なんじゃないだろうか?

 

death-of-game-designer-interview-007

後編に続きます。

 

[聞き手 Shuji Ishimoto]