「堀井雄二」調査団: アドベンチャーゲームは如何に日本のストーリーゲームを発展させていったか? (中編)

クリエイター堀井雄二氏に話をうかがうロングインタビューの中編。前編では、『ポートピア連続殺人事件』における「コロンブスの卵」ともいうべき創意工夫を堀井雄二氏にお聞きした。中編では『北海道連鎖殺人 オホーツクに消ゆ』『軽井沢誘拐案内』のルーツをたずねる。

前回のインタビューでは、『ポートピア連続殺人事件』における「コロンブスの卵」ともいうべき創意工夫を堀井雄二氏にお聞きした。それは「事件が同時進行する物語」であり、「コンピューターの地の文をキャラクターに置き換える手法」であり、「場面転換する地名移動方式」であった。
特に地名移動方式の革新性については、当時は指摘されていたものの、長らく忘れ去られていた。海外のアドベンチャーゲームと違って場面転換をゲームで可能たらしめたこの発明は、日本のストーリーゲームに多くの実りをもたらしたといえる。アメリカでテキストのみのアドベンチャーゲームが活況だったのにも関わらず、同国で日本のようなノベルゲームが生まれなかったのは、この発明が生まれなかったからといえるのではないだろうか。

また地の文を相棒のキャラクターに置き換える手法で、もうひとつ指摘しておかなければならないのは、相棒側ではなくプレイヤー側の再発明である。それまでのアドベンチャーゲームはコンピューターがプレイヤーに「あなた」と直接語りかけてくる第四の壁を超えた構造だったが、『ポートピア連続殺人事件』はボスとヤスのやり取りだけで完結している。プレイヤー側にもある程度の役割、キャラクター性を持たせたのだ。このことから、『ポートピア連続殺人事件』はフィクションが閉じられていた最初期のアドベンチャーゲームのひとつだったといえる。現在、第四の壁を超えたメタフィクションのゲームが数多くあるが、それは80年代前半のゲームクリエイターたちが第四の壁を構築し、プレイヤーとプレイヤーキャラクターの距離感を整理したからできるものなのである。

さて『ポートピア連続殺人事件』で内容的にも形式的にも人間ドラマを語るストーリーメディアとして産声をあげたアドベンチャーゲーム。次なる堀井氏の次回作は『オホーツクに消ゆ』『軽井沢誘拐案内』である。特に『軽井沢誘拐案内』は堀井氏自身からこれまでほとんど語られていないゲームだ。中編では、こうした作品について訊いていく。

堀井氏の80年代の活動を一部抜粋。年表の全編はこちら(リンク先はPNG)

――堀井さんは当時のインタビューで、『ポートピア連続殺人事件』の次は「北海道誘拐地図」というゲームを作りたいと語られていました()。「北海道」は『オホーツクに消ゆ』、「誘拐地図」は『軽井沢誘拐案内』を思わせます。

(※) 「北海道誘拐地図」
当時のインタビューでは以下のように証言している。“ひとつだけ構想がまとまりつつあるのは『北海道誘拐地図』というタイトルまで決まっているのがあるんですが、詳しい内容は未定なんですよ。ただ、推理小説をアドベンチャーゲームにする場合、できる範囲にどうしても限界がありますね。いまある質問の形式を何か別のものに変えていくことが必要のようです”「ログイン」83年10月号
 

堀井氏:
これはね、当時『ポートピア連続殺人事件』を出したら「ログイン」の編集だった塩崎剛三さん(※)が「アドベンチャーゲーム、うちでも作ってくださいよ」って言ってきたんです。「北海道にロケハンに行きましょうよ。多分、アドベンチャーゲームでロケハンなんてするゲームなんて他にないですし、それも「ログイン」で記事にできますから」って。それでこっちは北海道、こっちは軽井沢ってふたつに分けたんでしょうね。

83年12月号「ログイン」に掲載された8ページにもわたる北海道ロケハン記事。ゲーム本編の核心的な部分にまで触れられており、ロケハン時の構想をそのままゲームに反映したことが伺える。なお『オホーツクに消ゆ』以前ではルナ企画の『京都ミステリーツアー』(83年)がロケハンを行ったアドベンチャーゲームであることが確認でき、「ログイン」でも小さく紹介されていた。

――『オホーツクに消ゆ』と『軽井沢誘拐案内』はもともと同じ企画だったと。

堀井氏:
それで同時にふたつのゲームは作れないんで、『オホーツクに消ゆ』は初めて分業にしたんです。プログラマーで上野利幸くん(※)が入って、その一方で『軽井沢誘拐案内』は僕がひとりで作っていたんですよ。

(※) 塩崎剛三氏
当時「ログイン」編集部で、堀井氏に『オホーツクに消ゆ』制作とロケハン記事を打診し、自身もロケハンに同行、ゲームのプロデューサーをした。のちに「ファミコン通信」の二代目編集長なり、クロス・レビューにも登場。そのときのペンネームは東府屋ファミ坊。堀井氏の当時のコラムで出てくる「S氏」とは塩崎氏のことである。
(※) 上野利幸氏
当時「ログイン」のライター。ペンネームはゲヱセン上野。本業はライターだが、『オホーツクに消ゆ』ではプログラマーを担当していた。またファミコン版『オホーツクに消ゆ』や任天堂のいくつかのゲームではサウンドを担当し高い評価を得ている。
 

――『オホーツクに消ゆ』は最初のロケハン記事が掲載されてからちょうど1年経って発売されているんですが、これは同時に『軽井沢誘拐案内』も作っていたので、時間が経ってしまったということなんでしょうか?

堀井氏:
そうですね、両方作っていたんで。もともと僕ね、ペンが遅いんですよ(笑)。『軽井沢誘拐案内』は本当にひとりだったんで、シナリオとか設計図とかほとんどないです。頭のなかでどんどん考えていって、プログラムも書いていって、好きに描きたい絵を描いて、それに台詞をあてて。それに対して『オホーツクに消ゆ』は完全に分業だったんで、シナリオをちゃんと書くところから順番に始めたんで、逆に時間がかかってしまいましたね。

『北海道連鎖殺人 オホーツクに消ゆ』

晴海埠頭に男の水死体が浮かび上がる。身元は不明。推定年齢40歳前後。舞台は東京から北海道に。釧路、網走、札幌、紋別、夕張、次々と起こる第二、第三の連続殺人。複雑な人間関係はいっこうに結びつかない。事件の果てに戦後の闇が明らかになってくる……。
84年12月21日にPC-6001、PC-88シリーズから同時発売。コマンド選択型がはじめて体系的に使われたアドベンチャーゲームである。ファミコン移植版はイラストレーター荒井清和氏がキャラクターデザインに起用され、劇画調から少年漫画的な表現に変わった。以降、ファミコンのアドベンチャーゲームはそれに習ったキャラクターデザインが定着した。ファミコン版は終盤の展開にだいぶ手が加えられている。ちなみに『オホーツクに消ゆ』のプログラムから『アドベンチャーツクール』が生まれたが、これは『RPGツクール』の前身となったソフトであり、『オホーツクに消ゆ』はツクールシリーズの最初のサンプルゲームであった。
 
 

――『オホーツクに消ゆ』といえば、それまでの「コマンド入力型」をやめて「コマンド選択型」を発明されました。

堀井氏:
なんでコマンド選択型にしたかというと、一番の動機はPC版の『ポートピア連続殺人』が出たときに店頭デモを当時やっていたんですよ。僕、それを見に行ったんですね。ユーザーがコマンドを入力しているんですけど、登録していない単語を入れて、「ソレハ ワカリマセン」とコンピューターから返されたことが多かったんですよ。それを見て日本語って難しいなと思って。英語だと「 I 」だけど、日本語だったら「私」だったり「俺」だったり「僕」だったり色々ありますよね。扉でも「開ける」「開く」とか、言葉の語彙がすごく多い。日本語で言葉を入力させるのは無理だなと思って、それじゃ選ぶほうがいいんじゃないかと。

――「コマンド選択型」は、それまで『ウルティマ』や『信長の野望』で使われていましたが、そういうのが念頭にあったんでしょうか?(※)

堀井氏:
『信長の野望』はシミュレーションで、『ウルティマ』はRPGですし、アドベンチャーゲームで当時、コマンド選択型ってなかったと思うんですよ。アドベンチャーゲームでもコマンド選択型いけるんじゃないかな?と思ったのが最初で。そのほうが入力して「ワカリマセン」って言われるよりはストレスがないだろうと。作る側でも単語が決まっているから、色んなことを登録する手間も省けて、お互いありなんじゃないかということですね。

(※) コマンド選択型の前身
コマンド選択自体はそれまでのRPGやシミュレーションで使われており、また厳密にはアドベンチャーゲームであっても、『オホーツクに消ゆ』以前に『女子寮パニック』や『ミコとアケミのジャングルアドベンチャー』など、ごく一部のアドベンチャーではコマンド選択は使われていた。しかし『オホーツクに消ゆ』はそれらと違って、単語を精査し必要なコマンドだけを必要なときにだけ表示した。いわばコマンド選択を体系化したと評するのが正しいだろう。なおコマンド選択型以前には、ファンクションキーを使ってコマンドをショートカットする機能が存在した。このシステムはおそらく日本のアドベンチャーゲーム独自のものである(海外で生まれなかったのはApple IIのキーボードにファンクションキーが存在しなかったからと思われる)。このファンクションキーでの単語のショートカット機能は『ポートピア連続殺人事件』のオリジナルにはなかったが、後のバージョンで取り入れられており、X1版などの後期の移植版では『オホーツクに消ゆ』に似たコマンド選択型に近いデザインになっている。
 

――堀井さんは当時、コマンド選択型を説明する文章を「ログイン」に掲載されていますが、これはコマンド入力型が好きなアドベンチャーゲームファンの反発を考えて出されたんでしょうか?(※)

(※) コマンド選択型の当時のゲームクリエイターの反応
特にコマンド選択型に反発していたのは、『ポートピア連続殺人事件』とほとんど同時期に『鍵穴殺人事件』で日本に推理アドベンチャーの風を吹き込んだ立役者であるシンキングラビットのゲームクリエイター今林宏行氏である。当時の今林氏は「ログイン」87年1月号では以下のように発言している。“一時はことば探しというのが否定されていて、みんなコマンド選択に走りかけたけど、僕はコマンド選択は嫌いやね。本来、データを多くして、どんなことばでも受け付けるようにすればいいわけなんです。コマンド選択はメモリとその辺との兼ね合いから生まれたひとつの打開策にしかすぎないでしょ。決してユーザーのことだけを考えての方法じゃない。” また現在でもホームページにコマンド入力型への思いをつづっている

また当の堀井氏自身も『オホーツクに消ゆ』のマニュアルにコマンド選択型に反発を想定したQ&Aコーナー(質問文も堀井氏が作成)を書いている。“Q:やはり言葉を自分で打ちこんだほうが、感情移入すると思うのですが。A:たしかに、そういう意見もあります。あえてこの方法を採用しました。苦労して言葉を打ちこんだのに、ただ「できません」とメッセージが出るだけ。そういうアドベンチャーゲームにほとほとイヤ気がしてしまったのです。もちろんこの方式にすると、“考えに考え”、やっとある言葉を思いつき、それを入力したら受けつけられ、状況が変化したときの喜びがなくなってしまいますが、そんな言葉捜しの楽しみなんて、それこそツマラナイのではないでしょうか?”(中略) “Q:結局は手抜きじゃないの? (中略) A:テンキーなら楽だし、一応ひと通り試されてしまう。それを覚悟した上で謎をつくっていかなきゃならないのです。(中略)もちろん、この方式が一番だといっているわけじゃありません。ただ試してみたかったのです。だって男の子だもん。(シーン……)”

堀井氏:
いえ、そういう意識はとくにないです。単純にコマンド選択型のほうがいいでしょ?と思ったんでしょうね。

――ということは、コマンド選択型の宣言文みたいな感じですか。

堀井氏:
そうですね。やっぱりその当時ジレンマを感じていたのは、1から10までコマンドを選択すればゲームが解けちゃうじゃないかっていう、ちょっとした恐怖はありましたね。ゲームが簡単になっちゃう。作ってみたら意外とそうでもなかったみたいですが (笑)。

85年2月号「ログイン」に掲載された「『オホーツクに消ゆ』はこうして作られた!アドベンチャーゲームにおけるドラマトゥルギーの考察」と題された堀井氏によるコラム。『オホーツクに消ゆ』のストーリー内容にはほとんど触れられず、3ページに渡ってコマンド選択型に関することが書かれている。

――『オホーツクに消ゆ』のプロデューサーである塩崎剛三さんが、その当時、頻繁に『オホーツクに消ゆ』の主人公たちを俳優の丹波哲郎と森田健作に例えてるんですよね。このふたりって映画「砂の器」のキャストですね。

堀井氏:
そうですね。そのイメージ。

――そう考えると、まず東京で殺人が起こる。「砂の器」では東北に、『オホーツクに消ゆ』では北海道に行くという点も共通していますね。このあたりは「砂の器」を参考にしたんでしょうか?

堀井氏:
ざっくりですけどね。松本清張さんが好きだったし、たくさん読みました。『砂の器』ってピアニストの話でしたか。あれはいい話でしたね。

(※) 『ポートピア連続殺人事件』と『オホーツクに消ゆ』と松本清張
『オホーツクに消ゆ』を丹波哲郎と森田健作によく例えていたのは塩崎氏だが、マニュアルの人物紹介にも両者への言及があり、また当時は堀井氏も松本清張の名前をしばしば出している。『ポートピア連続殺人事件』のインタビューで“当初は「点と線」のようなアリバイ崩し的なものを考えていたんですよ”と発言し、「月刊OUT」83年12月号では北海道ロケハンの感想で“ほとんど気分は松本清張でした”と書いている。また堀井氏が好きだったと口にする「火曜サスペンス劇場」の第一回放送「球形の荒野」の原作は松本清張であり、その後もしばしば松本清張原作が映像化されている。
 

――細かいところなんですが、『オホーツクに消ゆ』で序盤に相棒がクロキからシュンに変わるんですよね。「砂の器」にはそういう要素はないんです。この相棒が入れ替わるのは『軽井沢誘拐案内』にも通じますが。

堀井氏:
北海道に行ったら地元の警察かなと思ったんでしょうね。クロキはさわりだけですよね。メインの相棒は現地で、という。

――『オホーツクに消ゆ』は犯人の意外性というより、事件の全容がわかる展開になっていますね。そこが『ポートピア連続殺人事件』と違うところです。これは意識的に変えてみようと思ったんでしょうか。

堀井氏:
そうですね。もうあの手は使えないので。今度はどうするかと考えて、ニポポ人形とか網走刑務所とか、ロケハンしたことを活かした物語にしたかったんで。

――ほかにも『オホーツクに消ゆ』ですごいのは、グラフィック面です。単純な立ち絵だけじゃなく、クローズアップが効果的だったり、引きと寄りのメリハリが映画的ですね。マンガのコマ割表現みたいな流動的な演出もある。特にPC-88版が素晴らしくて、『ジーザス』とか『スナッチャー』とか、後の映画的なアドベンチャーゲーム(※)に影響を与えてると思います。堀井さんからラフ画とかで画面を指定されたと思うんですが。

(※) 映画的なアドベンチャーゲーム
ゲームにおける映画的というのは単純にグラフィックが鮮明でアニメーションによって動きがあるという観点も挙げられるが、『オホーツクに消ゆ』の場合、地名移動方式の場面転換に用いつつ、ロング・ショット、フル・ショット、バスト・ショット、クローズアップを効果的に使った点、さらに今でいうところのカットシーンのような見せ場(コマ割表現)が用意されていることが指摘できるだろう。これが進化して80年代後半から『ジーザス』や『スナッチャー』、『ミスティ・ブルー』や『ポリスノーツ』のように海外にはない独自の映画的なアドベンチャーゲームが日本で花開いた。
 

堀井氏:
うーん、それが『軽井沢誘拐案内』と両方やっていたんで、いまいち記憶が曖昧ですね(※)。でもマンガ的表現な感じですよね。引きの画面ばかりじゃ弱いし、アップがあったりとか。ただ当時は特に意図せず感覚的にやってますね。

(※) 『オホーツクに消ゆ』の画面のラフ画
マニュアルでラフ画について言及しているほか、87年6月12日号「ファミコン通信」で『オホーツクに消ゆ』のシナリオと画面構成のコンテの一部が掲載されており、堀井氏が画面の構図などもシナリオとともにある程度は指定したと推測できる。
 

――ファミコン版『オホーツクに消ゆ』では、マップの移動方式をPC版から変えてみようと検討されたと聞いています(※)。北海道の地図上を移動するみたいなことだったらしいですが。

(※) ファミコン版『オホーツクに消ゆ』の場所移動変更の検討
当時の堀井氏は以下のように証言していた “「オホーツク」ファミコン版って、子供がターゲットだから、場所移動を文字じゃなくて地図上で移動しようっていってた時期があったんだよね。(中略)最初のアイディアだと、移動のときに3Dっぽい車のゲームを入れようかとも思ってたんだけど。じゃなかったら。十字ボタンで平面マップ上を浮かすとか。(中略)舞台がひとつの町とか、都市くらいだったら、そういう、マップスクロール画面ていうのも可能だったんだけど……「オホーツク」は広大すぎて” 「ファミコン通信」87年7月10日号No,14号付録
 

堀井氏:
当時、『ウルティマ』をやってたこともあって、その影響でフィールドのように移動できたら面白いかなと思ったのかもしれないですね。

――なるほど、『ウルティマ』は馬とか車とか乗り物がたくさん出てきますね。あのイメージですか。

堀井氏:
画面をスクロールさせてキャラクターを移動させるというのを『軽井沢誘拐案内』ではやりたかったんですね。『軽井沢誘拐案内』は最後にRPGになるという。ひとりで作ってるものだから、いくらでも変更がきいちゃう (笑)。

――『軽井沢誘拐案内』のパッケージには「前作『ポートピア連続殺人事件』」と書かれていて、ゲーム内にも『ポートピア連続殺人事件』のキャラクターが出てきますが、続編的な意識はあったということなんでしょうか?

堀井氏:
第二弾という意識で作った記憶はありますね。

――『軽井沢誘拐案内』の当時の資料を探したんですが、ほとんど見つかりませんでした(※)。「ログイン」も『オホーツクに消ゆ』を全面的に推していたし、堀井さんも当時、あまり取材を受けられなかったと思うんですね。

堀井氏:
ああ、確かにそうかもしれません。

(※) 『軽井沢誘拐案内』についての当時のインタビュー記事
今回、探したなかでは85年8月号「月刊アイ・オー」の「エニックス通信」で『軽井沢誘拐案内』についての短いインタビューの掲載、85年10月号「月刊OUT」のインタビュー中での言及、85年7号「HOBBY’s JUMP」で堀井氏自身による『軽井沢誘拐案内』の紹介記事がある。
 

『軽井沢誘拐案内』

主人公は恋人・久美子の軽井沢の別荘で、楽しいひとときを過ごしていた。しかし久美子の妹・なぎさがいつまで経っても帰ってこない。「まさか誘拐……?」と心配する久美子。しかし警察に連絡しても脅迫電話があるわけでもなく取り合ってくれない。夜が開け、ふたりでなぎさを捜索することに。「ここには来てませんよ」「最近は見ていない」「はて、妹さんなどおられましたかな?」。いったん別荘に戻ると電話が鳴る。電話を取った深刻な顔をした久美子。その夜、久美子から主人公は衝撃的なことを打ち明けられる。

1985年4月下旬にPC-8801から発売。ロマンティック・ミステリーと題されて軽井沢を舞台に『ウルティマ』のような2Dスクロールマップとアドベンチャーゲームを組み合わせた異色作。PC発売以後はガラケーに移植されたのみで現在もっともプレイするのが難しいゲームとなっている。

 

――あらためて、『軽井沢誘拐案内』はどういうコンセプトで作ろうとされたんですか?

堀井氏:
『ポートピア連続殺人事件』の次ということで、自分で絵を描いて、プログラムして、とにかく色んなことを試してみたかったんですね。びっくりさせようと色々考えてましたね。たとえば電話が突然鳴るんですよ。脅迫電話なんですけどね。多分、ユーザー的には「えっ電話が鳴ってる!」って驚いてくれたと思うんです。アドベンチャーゲームはプレイヤーが先に入力してコンピューターが返してくれるのが基本。そうじゃなくて、コンピューター側から一方的にくるっていうのが今までになかったと思って、その驚きを入れたかったんです。絵もだいぶ変わってると思うんですよ。ペンタブを使って点を使って原画を描いて色を使って塗る(※)。コンピューターで絵を描くこと自体がすごく時間がかかってしまって、容量も食ったんですよ。いかにメモリを食わずに絵のデータを圧縮するかということで。だからLINE文とPAINT文だけで絵を描いたんです。

(※) ペンタブレットを使った絵の制作
このペンタブを使った当時の制作風景は85年7号「HOBBY’s JUMP」で写真が掲載されている。
 

――グラフィックは森田和郎さん(※)がルーチンで関わられたということですが。

(※) 森田和郎氏
80年代を代表するスタープログラマー。『森田のバトルフィールド』は第一回ゲーム・ホビープログラムコンテストで優勝を果たした。『森田和郎の将棋』『森田のオセロ』などとりわけ思考型ゲームでその手腕を発揮した。2012年に逝去。将棋のプロ棋士とAIの対決が話題になる昨今、再評価が待たれる人物である。
 

 
 

堀井氏:
それは関わったというより、もともとあった森田さんが作ったPAINT文を使わせてもらったということですね。PAINT文というのは、PAINTの命令文なんですけど、普通の命令文ではグラフィックが表示されるのがすごく遅かったんですね。森田さんが作ったのは「シャッ!」ってすごく早い。そのルーチンを使わせてもらったということなんですよ。

――『軽井沢誘拐案内』のもっとも気になるところは、堀井さんのゲームとしては珍しく主人公に台詞があってしゃべる点です。

堀井氏:
これはですね、女の子とのやりとりなんで、あんまり無口でもドラマ性がないなと。主人公というよりは、女の子のキャラクターを立てたかったんで、しゃべらせたと思うんです。

――コンピューターの地の文が相棒のキャラクターになって、今度は地の文が主人公そのものと一体化してしゃべりだしたような。

堀井氏:
そうですね。

――地の文がなくて主人公がしゃべるアドベンチャーゲームって当時、ほとんどないんですが(※)、実は『軽井沢誘拐案内』発売の1か月前に同じスタイルのゲームが先に出ていて、それが『TOKYOナンパストリート』なんです。

堀井氏:
あー……。

――堀井さんが監修としてクレジットされています。

堀井氏:
そうでしたっけ?(笑)。漫研の友達が作ったんで。

――関野ひかるさんですね。発売時期も同じですし、制作中に何かお互いにフィードバックした記憶は?

(※) 関野ひかる氏
漫画家およびルポライターとして活躍。堀井氏とは早稲田大学漫画研究会とつながりの友人。『TOKYOナンパストリート』は第三回ゲーム・ホビープログラムコンテストで入賞し、パッケージ化された。シミュレーションゲームと美少女ゲームを本格的に組み合わせた原点といえる作品で、その後の美少女ゲームに多大な影響を与えた。
 

堀井氏:
いや……特にないですね(笑)。多分、単純に彼も漫研なんですよ。マンガが出発点なんでナンパするって、主人公がしゃべらないわけにはいかないじゃないですか。だから自然な形でそうなったと思うんですね(※)。『TOKYOナンパストリート』ではナンパするから主人公がしゃべる、『軽井沢誘拐案内』では女の子を立てたいから主人公がしゃべる。

(※) 主人公がしゃべるアドベンチャーゲーム
今では考えにくいが、RPGと同じくアドベンチャーにおいても主人公はしゃべらないものという慣習が根強く、それは版権ゲームといえども変わらなかった。それが変化していくのは85年あたりからである。先駆的なのはやはり83年の『ポートピア連続殺人事件』であり、コマンド入力文がそのまま台詞として機能している。次に注目すべきは84年の坂口博信氏が手がけたスクウェアの『ザ・デストラップ』。これは地の文と自発的にしゃべる主人公というスタイルをとっている。地の文を廃しつつ自発的にしゃべる主人公だけで成り立つゲームの誕生が『TOKYOナンパストリート』と『軽井沢誘拐案内』である。このスタイルは『同級生』や『この世の果てで恋を唄う少女YU-NO』のような、相手がいないときは主人公が独り言をしゃべってゲームが進行するスタイルの先駆的な表現と見て取れる。
 
(※) アドベンチャーゲームにおけるマンガ的な主人公への接近
『軽井沢誘拐案内』以前に、堀井氏はアドベンチャーゲームの主人公について以下のような問題提起をしていた。“ボクは、たのまれて、ときどきマンガの原作なども書いているのだが、そのときいちばん気をつかうのが、主人公をいかに魅力的な人物にするかということ。どうしたらその主人公に、読者が興味を持ってくれるか。そして、それさえうまくいけば勝ったも同然といえるのだが(ホントは、そこがいちばんむずかしい)。アドベンチャーゲームの場合、主人公はプレイヤー自身である。そのため、アドベンチャーの主人公というのは、ほとんど性格付けがなされていない。ここに問題があるのでは?とボクは思ったのだ。”「ログイン」84年8月号
 

――根本的なことを聞きますが、『軽井沢誘拐案内』はなぜ舞台が軽井沢だったんでしょう?

堀井氏:
軽井沢に夢があったんでしょうね(笑)。避暑地だし女の子が似合うかなと。『軽井沢誘拐案内』はお色気路線でしたよね。

――『軽井沢誘拐案内』の開発期間はどれくらいなんでしょうか?

堀井氏:
2年くらいだったと思います(※)。『軽井沢誘拐案内』っていつ発売されましたっけ?

――えっと、『オホーツクに消ゆ』が84年12月、その半年後の85年4月下旬に『軽井沢誘拐案内』が発売されています。

堀井氏:
『オホーツクに消ゆ』は塩崎さんに「はやくしてくださいよ」って急かされたから先にでたんですね(笑)。『軽井沢誘拐案内』はコツコツ作ってましたから。

※ 『軽井沢誘拐案内』の制作期間
「月刊OUT」85年10月号のインタビューでも堀井氏は“2年ぐらい”と証言しており、加えて“3ヶ月間なにもしないっていうような相当なブランクもある”と発言している。ただし純粋に発売から2年前だと『ポートピア連続殺人事件』の発売前になってしまう。おそらく前述した『北海道誘拐案内』を踏まえて、構想を含めた2年だと思われる。
 

――『軽井沢誘拐案内』は相棒が入れ替わるギミックがすごいですね。最初は恋人が相棒として主人公に付き添っていて、それが途中でいなくなる。しばらく主人公だけで進行して、今度は違う女の子が相棒になる。相棒が地の文としてインターフェイスの役割になっているので、そのインターフェイス自体が変わる。相棒が変わることによってゲームの世界の見方すら変わってくる。(※)

堀井氏:
言われてみたらそうですけど、ごく普通にやってましたね(笑)。『ポートピア連続殺人事件』のときは相棒がヤスだったじゃないですか。しかもそれが犯人ということで意表をついたんですね。それが『軽井沢誘拐案内』では途中で相棒がいなくなっちゃう。たぶんね、それで驚かせようとしたと思うんですよ。「え、いなくなっちゃった!なにこれ」みたいな(笑)。

※ 『軽井沢誘拐案内』の相棒を使ったギミック
他にも相棒の女の子に嫌われると、インターフェイスの役割を放棄してプレイヤーの命令を拒否してしまい、女の子の機嫌が直るまでゲームが進行不可能になる。
 

――『軽井沢誘拐案内』はフィールドマップの移動(※)と同時に地名でも瞬間的に移動できたり、東西南北の館や洞窟探検があったり、カーソル移動方式(※)になったり、最後にはRPGになる。なにかルールに基づいて物語があるというより、物語優位といいますか。物語によってゲームのルールがその場その場で変わってしまいますね。

(※) RPGのフィールドマップを採用したアドベンチャーゲーム
『軽井沢誘拐案内』以後、『ウルティマ』の見下ろした型フィールドマップを採用したアドベンチャーゲームが国内で登場する。代表的なのは『探偵 神宮寺三郎 新宿中央公園殺人事件』(87年)、 『さんまの名探偵』(87年)、『マルサの女』(89年)、『同級生』(92年)などがある。
 
(※) カーソル移動方式
今でいうポイント&クリック方式だが、国内アドベンチャーでは一部分で使われる形で海外よりも先駆的に使われていた。『惑星メフィウス』(83年)が導入された最初期の例。『ポートピア連続殺人事件』と『オホーツクに消ゆ』のファミコン移植版でもこのシステムが導入されている。
 

 
 

堀井氏:
それね、ひとりで作ってたんで、もうやりたい放題ですよ(笑)。方向性を変えても誰もなんにも言わないんで。とにかくスクロール移動を作ってRPGみたいに戦ってみたかったんですよ。東西南北のアドベンチャーゲームの本来の楽しみ方も入れたかった。自分がそのとき興味あるものを取り入れて、これやりたいからやってみようかな、これもやっちゃえ、みたいな感じですよね。

――破天荒な作風はそういうことだったんですね(笑)。

 

後編では『九龍の牙』『白夜に消えた目撃者』『ドラゴンクエスト』シリーズに迫ります。

 

[聞き手・執筆・資料撮影:Koji Fukuyama]
[撮影:Mon Gonzalez]
[編集・校正:Shuji Ishimoto]
[特別協力:株式会社スクウェア・エニックス]
[特別協力:Kazuhiko Nakanishi]
[アドバイス:Rokurou Eyama]
[資料提供:Joseph REDON(ゲーム保存協会)]
[資料提供:BEEP秋葉原店]
[資料提供:国会図書館、国際児童文学館、国際子ども図書館]

 

※『オホーツクに消ゆ』『軽井沢誘拐案内』のパッケージの写真、および「月刊ログイン」の写真はNPO法人ゲーム保存協会さまのアーカイブを利用して撮影されています。

Koji Fukuyama
Koji Fukuyama

小学2年生のときに、『ドラゴンクエスト5』に出会い、「ゲームは、ゲーム独自の手法を使って人間のドラマや物語を伝えることができる」ということに衝撃を受けました。そこから一貫して、ストーリーメディアとしてのゲームに注目しています。

同時に中学生から映画を浴びるように見始め、西部劇やホラー、SF映画など、アメリカの古典的なジャンル映画をとくに偏愛しています。

オールタイムベストゲームは『この世の果てで恋を唄う少女YU-NO』。このゲームで感じた面白さや感動を再び体験するために、ずっとゲームを続けています。

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