ANIPLEX.EXE新作『たねつみの歌』レビュー。ジュブナイルな切り口で「家族のあり方」を問う、冒険ファンタジーノベル(ネタバレなし)
『たねつみの歌』は「スタジオ・おま~じゅ」の商業進出という点で、筆者にとって非常にうれしいタイトルだ。同スタジオはシナリオライター・Kazuki氏が代表をつとめる同人サークルで、代表作に『国』シリーズと呼ばれる作品群が存在する。筆者も自身のライタープロフィールに「同人ノベルゲームは昔から追っているのでそこそこ詳しい」と記載しているように、「スタジオ・おま~じゅ」作品は以前から追いかけている。
私がはじめてシリーズに出会ったのは少年ふたりが「天狗の国」と呼ばれる異世界を旅する『キリンの国』で、愛すべきキャラクターたちの切なくあたたかい夏の一幕に頭を殴られたかのような衝撃を受けたのだ。そこからシリーズ処女作の『みすずの国』に触れ、天狗の少女と人間の少年の恋物語を描いた『雪子の国』で涙し、その流れで現在展開中のシリーズ第4弾『ハルカの国』制作資金調達のクラウドファンディング支援にも参加している。
このようにKazuki氏は注目されるべきシナリオライターだと考えており、今回ANIPLEX.EXE新作『たねつみの歌』の企画・シナリオ担当として抜擢され、商業デビューしたという事実はファンとして胸が熱くなるものがある。
しかし商業化タイトルになったということは、穿った見方をすれば同人時代と比べKazuki氏が裁量可能な範囲が減少する。氏の作風は一言で言い表せないほど精緻で繊細なものだが、ひとつ筆者が考えるものとしては「説得力」の見せ方が卓越していることだ。それは染み入るようなセリフや練り込まれた食事・風土を描いたテキスト、牧歌的であたたかなグラフィックなどの積み重ねで実現されるもので、それが『たねつみの歌』でいかに“そぎ落とされていないか”が気になる点だった。
今回は発売に合わせて製品版をレビューする機会をいただいたが、実際にプレイしてみた感想としては、ノスタルジックで幻想的な世界で繰り広げられる冒険と、「家族」というシステムに疑問を投げかける社会派ノベルとして読み応えがあった。本記事ではそのニュアンスを取りこぼさないように本作における同人作品と商業作品の差に触れつつ、どのような作品でいかなるメッセージが込められていたかを伝えたい。なお本記事では『たねつみの歌』におけるクリティカルなネタバレは含まれないものの、ストーリー内容への言及が含まれるため注意してほしい。
三世代の家族が異世界を旅するジュブナイルストーリー
まず『たねつみの歌』の概要を紹介しよう。本作は選択肢や分岐の存在しないノベルゲームであり、幼い頃に母を亡くした「みすず」を主人公としてストーリーが進行する。物語は2023年、16歳の誕生日を迎えた彼女のもとに母「陽子」を名乗る少女が現れる場面からスタート。神々が住まう異世界で行われる「たねつみの儀式」の巫女に選ばれたと話す陽子は、旅の仲間としてみすずを「一緒に冒険へでかけないか」と誘う。不審に思いながらも母の面影を感じさせる少女に惹かれて家を出発し、次に2050年の未来へと赴いて“自らが将来産んだらしい”娘「ツムギ」も合流。「常世の国」に到着したのち、案内人として流産で産まれることができなかったみすずの弟と名乗るヒルコとともに、世界を旅することとなる。
「たねつみの儀式」とは不死である神々が新たな時代への世代交代に必要な葬式で、巫女は春夏秋冬をモチーフにした国を巡り、世界に穢れをもたらす「本当の冬」が到来する前に各国の長を説得して大地へと還ってもらう、つまりその土地の統治者に死んでもらわなければならない。儀式を実行できなければ、その国は「本当の冬」を乗り越えられずに不毛な土地と化してしまい、次に産まれてくる新たな神々は大地からの実りを得ることができずに貧しい暮らしを強要されてしまうのだ。
いわゆる主人公たちは死神のような役割をもち、時には死をもたらす穢れとして畏怖されながら使命を完遂させていく。そういった点で本作は美しい詩情あふれる世界を巡り道中の出来事で成長するジュブナイル的なロードムービーである一方で、濃厚な死臭に包まれた死生観を問われる内省的な作品でもある。
変わらぬシナリオの味と商業ならではの「納得感」の補強
『たねつみの歌』で驚嘆かつ納得した点は、Kazuki氏が過去作同様にそれぞれの国の風土や文化・食事描写を練り上げている点であった。たとえば各国は海に近い場所に建国されているが、それにも理由が設けられている。「常世の国」の人々は不老不死で生命の循環がないからか、意識的に塩分を摂取しなければ汗や尿を排出できずに生きていくことも不可能。そのため製塩が可能な海岸近くに住むしかなく、砂浜には塩田がそこかしこに並んでおり、春の国では「塩焼きの浜」という地名にもなっている。これは塩が人類の発展を支えてきたという歴史を下敷きにして作中文化に納得感を与えているほか、「その国に住まう人々を描く」という本作の土着感の表現としても活かされている。
さらにツムギが暮らす2050年の未来についてもゲーム冒頭でさらりと、日本の人口は8800万人と1億人を割ったと描写。インフラが徹底的に整備された結果自家用車を所持する人はいなくなり、多額な環境税によって本物の肉がチェーン店から消えている。常時装着するコンタクトレンズやイヤホンに搭載されたフィルターで、世界にはパーソナライズされた情報があふれている。そんな個人主義が進んだ世界だと描かれているが、これはSFのような突拍子もない未来ではなく、現代人の私からしても今の延長線上の将来として「ありえるかもしれない」と思わせるような説得力に満ちていた。
本作は比較的地の文が少なめな会話劇だが、その生っぽさが印象深く特徴的だ。現実において小説などに記されたセリフのように、端的で理路整然と話せる人間は少ない。我々の会話はくり返しや情報の不足、むやみな倒置法の多用などにより、“わかりにくさ”に満ちたものになっていることが多い。
そういったわかりにくい会話が本作では、あえて現実らしくそのままの形でテキストに起こされているように感じた。だからこそ登場人物たちは言葉を尽くして分かりあおうとし、なにげなく発した言葉の端々から覗くパーソナリティーを読み取る作業が現実さながらに必要なのだ。その分ストーリーと会話が積み上げられていくのと並行して、キャラクターへの感情移入度や実在感が増しており、プレイヤーも5人目の旅メンバーとして参加しているような気分になれた。
さらに本トピックで言及した納得感は、(当然ではあるが)商業ならではだと思う点も多い。豊富なスチルに地図まで制作された「常世の国」の旅路、心情にあわせて変化するアニメーションや楽曲たち。特に声優陣の演技はどういったディレクションを受けたかはわからないが、演技らしい演技は少なく我々の日常会話のような自然なトーンだと感じられ、会話劇および作品全体を引き立てる役目を十分以上に果たしていた。これらは同人作品でもやろうと思えばできなくはないが、基本的には現実的ではなく難しいものだ。ストーリーやテキストにはKazuki氏本来の味が発揮されつつ、細部のディテールの補強として商業らしいリッチさで不足なく実現できている。それだけでも本作が同人ではなく商業で展開した意味があったと思え、作品に欠かせない要素のひとつになっていると感じられる。
家族というシステムを解体するテーマ
筆者が読み取ったテーマは「家族」と「つながり」だったが、本作は決して手放しで家族を賞賛し素晴らしいものとは扱うような作品ではなく、家族というシステムの弊害・気持ち悪さもあまさず描写している。
龍神の一族が治める春の国では王というキャラの死に様を通して家長としての責務とはなにか、子供たちに残せるものはなにかという継承や次代への期待。技術を発展させ「本当の冬」を乗り越えたと豪語する夏の国では、凝り固まった権力と家父長制を利用したコミュニティという呪いとしての家族の側面。前回の終末にて「たねつみの儀式」をしなかったことでやせ細った大地となった秋の国では、儀式に協力的な「旦那」を軸に、夫婦同士や一族にとっての幸福とはなにかという絆の形を描いている。このように「常世の国」における各国の結末はそれぞれ家族についてのカリカチュアとして機能し、“あなたはどう思いますか”と正解や答えの存在しない問いかけをプレイヤーにしつづけるのだ。
家族とはいったいどのようなシステムなのだろうか。その問いを生まれてからずっと考えてきた気がする。親は無条件で子を愛し、子もまた親を無条件で愛している。そんなファンタジーを信じている人はもはやいないだろうが、家族はたまたま産まれてしまったことで無条件に属さねばならない社会通念上のコミュニティで、遺伝子的な繋がりはありつつも実態はただの他人の集団だ。絆・呪い・鎖などさまざまな比喩の対象になり、近年言及されるようになった「親ガチャ」という概念は厳然たる事実として世界に横たわっている。誰よりも顔を合わせているはずなのに友人より家族の内面について知らなかったり、自らの生存のためにあえて衝突を避け妥協を重ねていたりもするだろう。
さらに『たねつみの歌』でもメインで言及されているように、「家族」という関係は役割を強要するものだ。子をなせばそれまで築きあげてきたパーソナリティーは崩れ去り、「パパ・ママ」というペルソナを被ることになってしまう。それならばなぜ人々はそのような苦労を背負ってまで家族になろうとするのか。究極的には現在独身者である私には実感できないことだが、この場で提示する答えとしては「たねつみの儀式」を行った長たちのように、次代へ“なにか”を継承することで、自らが愛された証明を行いたいからなのではないかと考える。人間は否が応でも死んでしまう、それに抗おうとしたシステムの発露が家というコミュニティであり、家族という関係性なのではないか。
本作に登場する神々は大地から「のっぺらのタネヒト」という人間と同じ姿で生まれ、後天的に王や兄弟、夫婦といった属性と関係性を獲得する。みすずたちも「たねつみの儀式」を通して母・娘・孫といった役割と出会い、困惑しつつも向き合うことで3人の関係性を構築していく。つまり役割とは居場所の言い換えであり、人生とは自らが存在したい場所を探す旅路でもあるのではないか。
本作は抽象的・暗喩的展開が多くストーリーに難しさを感じるプレイヤーもいるかもしれないが、「家族」を軸にしたメッセージは誰の胸にも響くシンプルなものである。なぜなら当然環境はそれぞれ違えど、親子という関係性はこの世に生まれた以上、少なからず存在している(していた)ものだからだ。そのプレイヤー全員が当事者として扱われるテーマに切り込み、Kazuki氏のテキストによる「説得力」と繊細ながらも地に足のついたストーリーテリングで思索にふけられる。『たねつみの歌』はそうした得難い体験を味わわせてくれるだろう。
『たねつみの歌』は、PC(DLsite/DMM GAMES/Steam)向けに発売中だ。
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