『サイバーパンク2077』レビュー。人生の追想を実現する、RPGの極点

『サイバーパンク2077』レビュー。人生の追想を実現する、RPGの極点。『サイバーパンク2077』は、可能な限り遊びのルールを透明化させる「非リニアなゲームプレイ」と、起承転結というルールから逃れられない「物語る」行為の完全融合をやってのけた。

『サイバーパンク2077』に対する見解に関して、「サイバーパンクを通じて意図を表現する」という昨今の潮流にない、つまり「サイバーパンクという概念を描くこと」自体を目的とした「ニューロマンサー」直系の作品が超大作の形をなして久々に登場したーー人間が生み出した科学技術に自身が振り回されているこの時代にーーという見方があるが、私としてはそれ以上に本作がゲームという表現形態において成し遂げた偉業について注目したい。

私とゲームの間には、いつも一枚のスクリーンがあった。今、それはもう無い。

※本稿はCD PROJEKT RED提供レビュー用コード(PC版)でのプレイにもとづき執筆(プレイ期間は12月1日〜12月10日)。レビュー用のプレイには、別途、国内BTOパソコンメーカーのマウスコンピューターより提供を受けたゲーミングPC「G-Tune HM-Z」を使用した。「G-Tune HM-Z」にて同作を「高」設定/1080p解像度で遊んだ場合、レビュー時点での平均フレームレートはおよそ60fpsとなった。なおレビュー用コードには、ゲーム発売日に配信されるアップデートの内容は含まれておらず、製品版ではさらなるパフォーマンス改善が実施されている。「G-Tune HM-Z」のスペックはGPU:NVIDIA GeForce RTX2070 SUPER、CPU:Corei7-9700K、メモリ:16GB、ストレージ:512GB SSD & 2TB HDD(※11月23日時点のスペック)。

『サイバーパンク2077』はCD PROJEKT REDが送るオープンワールド・アクションアドベンチャーだ。先鋭化された科学技術に、退廃的な雰囲気漂う、アジアモチーフのネオンがギラつく街並み。平穏を脅かすギャングとポリスの抗争に、それを裏から操るメガコーポの影。まさにサイバーパンクのイメージを体現する「ナイトシティ」を舞台に、プレイヤーは「V」(ヴィー)と名乗る一介のアウトローとして、自らに憑依した伝説の亡霊「ジョニー・シルヴァーハンド」と共に、不死の鍵となるというインプラント「レリック」を巡る物語を紡いでいく。

人生をロールプレイ


本作のゲームシステムは、過去評価されたオープンワールドアクションのシステムをとかく盛り込んでいる。また、多彩な会話中の選択肢がもたらすストーリーの変化と、キャラクタービルドによって生まれるアクションスタイルの変化という2つの多様性を軸とし、それぞれが独立せず常に相互干渉し続けることによって、まるで人生を歩むかのようなロールプレイの実現を図っていることに大きな特徴がある。

プレイヤーが決めたライフパスやキャラクタービルドの方向性はストーリー中の新たな選択肢を開示し、そこで選んだ内容によって、今後の物語だけでなく、ゲーム中でのアクション内容や課題の解決方法が異なってくる。たとえばハッカーとしての素養を磨けばマシン全般に強く立ち回れる。視認できる範囲であれば敵を触れることなく破壊することができるようになるほか、ハッキングを通じた課題解決が可能となり、解決後に限定の選択肢が新たに開示される場合がある。クラフト分野にポイントを割けば、資金が無くとも強力な武器や回復剤を大量に制作したり、鍵開けやステージ中の罠を一部無力化したりできる。剛力特化の肉体を形づくれば、鋼鉄の塊を殴り倒すことができるようになるだけでなく、会話の中で敵を脅迫する選択肢が生まれる。障害物を跳ね除けて目標までの道中をショートカット、というのも可能だ。キャラクターの生死に関しても同樣のことがいえ、特定のNPCを殺害するのか、止めを刺さないのかによってその後の物語に変化が生まれる。

こうしたキャラクタービルド=ゲーム中におけるアクションの選択とストーリーテリングの拡張を両立するシステムそれ自体は画期的な仕組みではない。それこそCD PROJEKT REDの代表作『ウィッチャー3 ワイルドハント』(以下、ウィッチャー3)における印アビリティの存在をはじめ、近年であれば『Fallout 4』や『The Outer Worlds』などの作品において採用されてきたシステムである。だが『サイバーパンク2077』におけるキャラクタービルドは、クオリティにおいて他の追随を許すことはない。


上記の要素に加え、ビルドにはカテゴリ間の壁を設けない柔軟さと、習熟度のレベルキャップという取捨選択の「重さ」をセッティング。一つの才を極めようとすることは他の可能性を潰すことだといわんばかりだ。会話中の選択肢には物語の進行とは関係ない日常における所作ーーたとえば飲酒をする/しない、コーヒーを飲む、目上の者にお辞儀をするというようなーーを大量に盛り込んだ。これらの工夫によって、私という個人をプレイヤーキャラクターに投影、いや投影という認識すら抱かせることなくシンクロさせる。Vは愛する我が子ではなく、ましてや分身ですらない。紛れもないわたし。人間が持つクリエイティビティを刺激し、単なる攻略以上のロールプレイを生み出すことに成功しているのだ。

加えて、本作はメインストーリー中に各主要キャラクターや世界観の掘り下げをほとんど行わない。キャラクター中心の物語であるにも関わらず、最初から最後までレリックに関する話題だけが進行していく。発売前、『サイバーパンク2077』のメインストーリーにおけるボリュームは、より多くの人にエンディングまで遊んでもらうため、『ウィッチャー3』より減少しているという報道がなされたが、それは事実である。仮に本筋ばかりを追いかけた場合、結末に到達するには20時間程度で済む。ではどこでキャラクターや世界観の掘り下げが行われているのかと言えば、類型作品と比較しても圧倒的な量を誇るサイドアクティビティである。特にサイドミッションと呼ばれるカテゴリにおいてこれは顕著だ。

このデザインは「人生は回り道の連続である」「人生は脇道に逸れるほど発見があり豊かになる」という、人間のある種理想的な共通認識の上に成り立っている。選択と結果の果てに「1人の人生をロールプレイする」という理念を抱えた『サイバーパンク2077』という作品に符合しているものだ。寄り道自体が後述するアートワークと相まってロードムービーを鑑賞しているかのようなスケールを演出し、寄り道をすればするほどに舞台であるナイトシティに対する理解は進む。そこで経験した取り返しのつかない選択は掛け替えのない思い出として血肉となり、プレイヤーキャラクターの朧気な輪郭を明確なものとして形作っていく。Vとしてコーヒーを飲み、カーラジオに耳を傾け、人を殺し、服を買う。こうした一つ一つの余計な日常の積み重ねが私とVとの境を溶かす。


だがこの文章を読んだとき、おそらく読者の脳裏には3つの疑問が浮かび上がっていることだろう。(1)「脇道を自らの意思で率先して選ぶのは面倒くさい」というフロー構築に関する問い。(2)「脇道に逸れてばかりでは余命数週間と宣告される物語のテーマと乖離してしまうのでは」というナラティブの一貫性にまつわる問い。そして(3)「本筋が薄っぺらい内容なのではないか」という問いだ。

ここでは(1)と(2)についてお答えしよう。

(1)「脇道を自らの意思で率先して選ぶのは面倒くさい」というフロー構築に関する問い

まず(1)に関してだが、本作では「暇」と「物量」によって解決を図っている。具体的に言えば、現実の問題が一朝一夕で解決することはないように、クエストの進行にはゲーム内時間の経過が多くの場合必要になる。特に前編、中編、後編と内容が連続しているタイプのクエスト群(メインクエスト含む)に関しては、次のイベントが出現するまでに数日を要する。

つまり「暇」な時間が意図的に生み出されるようになっている。これは直近だと『Marvel’s Spider-Man』シリーズなどに採用されている手法であり、面白いことに人間は「暇」を見つけると潰したがる性質を持っている。そこに膨大な量のサイドアクティビティが加わるとどうなるのか。暇を潰したと思いきやクリフハンガー(次の展開が気になるような終わり方をするイベント)によって焦らされることの連続。早く次が見たいがために他のサイドアクティビティに挑む。やがてサイドアクティビティ中毒に陥るのである。当然ながら本作にはゲーム内時間をすっ飛ばす機能が備わっているが、ひっきりなしにかかってくるクライアントからの電話がそれを拒む。まるで有給日に会社から連絡があった時のようにプレイヤーの意識はシステマティックな動作から膨大な依頼へと向けられてしまうのだ。

(2)「脇道に逸れてばかりでは余命数週間と宣告される物語のテーマと乖離してしまうのでは」というナラティブの一貫性にまつわる問い

(2)に関しては内容の一貫性を保たせるのではなく、プレイヤーをメインクエストに引き戻す演出を使用することにしている。本作は主にセーブデータをロードした時、Vが発作を起こし、一定の間、画面にノイズが走る演出が発生する。これによってVは今、危機的状況にあるのだという認識をプレイヤーに嫌でも抱かせ、ゲームエンドへ誘導する。「死にかけてるんだから今日くらいはメインを進めろ」という、サイドアクティビティ中毒に対する処方箋である。

以上、『サイバーパンク2077』のゲームシステムは既存のオープンワールドゲームにおける優れた面をとりこみつつ、場面問わず発生する会話・アクション双方の豊富な選択肢や世界周遊への誘導を行うことにより、人生の追想という、単なるロールプレイの枠に収まらない体験を……



いや、違うな、

このシステムはシステムとして独立していない。
システム自体が面白さを生む装置として機能しているわけではない。

ビールを提案されて飲めないと突き返す選択が面白いのか。違う。
ビルドを組んで行きあたりばったりにギミックを解決すると楽しいのか。違う。
プレイヤーキャラクターの人となりを想像すること自体が人生なのか。違う。

システム自体は器に過ぎない。


私がこうした体験を経て人生そのものを感じることができたのは、私がVとなれたのは、もとより本作が人生をテーマとする物語を扱っていたから。『サイバーパンク2077』のゲームシステムは、Vと呼ばれた人間の一生をもって初めて完成されるのである。


Vと呼ばれた人間の一生


不夜城の辺境にあるゴミ捨て場。伝説になった者が行き着く場所。一度死んで生まれ変わった人間が2人。どこにでもいる夢抱く若者と、夢破れた銀腕のロックスター。『サイバーパンク2077』の物語は、valid、vast、vanity、vengeance、venture……変幻自在で予測不可能。それこそトマス・ピンチョンの著作「V.」のように、あらゆるジャンルを内包した情報の坩堝でありながら、システマティックな秩序が成立している奇妙なナラティブ。退廃と混沌の街ナイトシティにおいて、時に悩み、時に苦しみ、利用し利用され、生にあがき、見果てぬ夢を追いかけた人間の一生である。

私はゲームシステムに関する項で、本作におけるメインストーリーのボリュームは20時間程度だと書いた。これは真実ではあるが、同時に真実ではない。人生譚を謳う『サイバーパンク2077』の物語は、人生をテーマとしているがゆえに、エンディングに到達するまでに描いたプレイヤーの軌跡すべてがVの物語(メインストーリー)として成立する。

正確に言えば、ゲームシステムの届く範囲すべてが物語となり、さまざまなジャンルのストーリーがすべて「Vという人間を形作るためのシステム」により一つの話集としてまとまっている。これが(3)の問いに対する回答となる。小説が文字に想いを乗せ物語るならば、『サイバーパンク2077』はシステムを通じて物語る。「Vの人生譚」という魂を得たことで上記の仕組みがようやくゲームシステムとして動き出す。「複数ある選択肢」は「私の振る舞い」に変わり、ステータス画面には「私の才能」というルビが振られる。本作は人生をテーマとしたストーリーがなければシステムが機能せず、Vという人間を創出可能なシステムが存在しなければストーリー自体が成立しない。ストーリーとシステムが別々のものとして存在しつつ作品を構成しているのではなく、ストーリーとシステムの境界が存在せず、不可分の関係にある。

よってゲームを起動し無策にプレイすること自体がVという個人についてのナラティブとなり、V=プレイヤーであるがゆえに“わたし”という個人についてのナラティブとなる。本作から与えられる体験はさながら仮想世界へのフルダイブを現実の技術としたかのような没入感を生む。V=プレイヤー自身のナラティブとプレイングが完全に一体になることで、「私はフィクションをプレイしている」という客観的認識そのものが喪失し、ある人生の追想という、単なるロールプレイの枠に収まらない体験がここに実現している。


この「人生のロールプレイ」を影から支えているのが、圧倒的物量と凄まじいディティールで描写されるナイトシティの情景であり、さまざまな場面で挿入される数々の視覚効果である。まずナイトシティに関してだが、その外観に対して意外にもインタラクティブ可能な建造物というものは少ない。多くの場合、こうした干渉余地の少ないコンクリートジャングルはハリウッド映画の舞台セットでしかないという烙印を押されがちだ。しかし実際のところは、「街そのものが生きている」という前評判通りの出来に仕上がっている。これが何故かと言えば、独自のルーティンで動く人間が大量に存在していること……それ以上に精巧な企業広告や日用品の類が街のいたるところに設置されているからに他ならない。

アイテムには身体拡張の機能だけではなく、所有者や存在する場所に属性を付与する効果がある。たとえばブランド品を身に着けている人間には一定の社会的ステータスが付与される。制服は所属する集団を象徴する。よって日用品が登場すればそれを使用して生活を行っている……生きている人間がいるという属性が世界に対して付与されることになる。商品広告の存在も同樣だ。数々のアイテムは私達の脳内へ目に見えぬ生活の情景を浮かび上がらせる。本作は発達しすぎた科学技術により人間という概念が破壊された世界観を売りのひとつにしている。それでもなおプレイヤーがVに対し自己投影可能となっているのは、凄まじい数の日用品と広告の存在によって、「街に住んでいる人間は私達と同じような生活をしている」という認識が遊び手の脳内に自然と浮かび上がるからであり、他人の生を感じられるからこそ、自らの人生もまた成立する。人は独りでは生きてゆけないから。


優れた天候描写に関しても触れねばなるまい。本作にはゲーム内時間が存在する都合上、昼夜の概念があり、それに伴って天候の概念がある。天候の実装自体は珍しいことではないが、本作が優れている点は、メインクエスト・サイドクエスト問わず物語の展開に合わせて天気が変化する点だ。渦巻く陰謀には薄暗く広がる暗雲と雨を。苦労の末には夕暮れを。ターニングポイントにはナイトシティが映える澄んだ夜闇を用意してくれる。メロドラマのような演出ではあるが、個人の心情が画面内へ同期することに意味がある本作においてはシンプルに効果的である。優れたレンダリング技術によって効果自体は倍増している。

視覚演出に関しては、いわゆるHUDやメニュー画面からゲームらしさを取り除きナラティブを強調する役割を果たしている。酒を飲めば視界は歪み、脳にウイルスを仕込まれれば視界には閃光が走りモザイクがかかる。会話をスキップすると、ビデオテープを早回ししたような演出とフィルムグレインが挿入される。デバイスにパーソナルリンクすれば、画面上にグラフィカルなウィンドウがポップアップする。これらの演出は画面中に存在するHPゲージやガイドの文字列を自然なものとして溶け込ませる働きがある。本作の特徴はプレイングとナラティブが同化した体験にあり、それがすべてである。ゆえに、システムだけが働いていると認識させる瞬間=Vとわたしが引き離される時間が存在してはならない。たとえそれがメニュー画面であっても。随所で挿入される視覚演出は、ゲーム的な要素を義眼や脳に仕込んだインターフェースが持つ1機能なのだとプレイヤーに錯覚させ、没入の阻害を防いでくれる。キャラクターカスタマイズが可能な本作が一人称視点を採用していることに関して私は懐疑的だったが、実際にプレイしてみると納得が行く。


没入を阻害する欠点


完璧に育った人間などこの世には存在しないように、8年以上の年月をかけて生を受けた『サイバーパンク2077』もまた完璧な作品ではない。オープンワールドゲームに多く見られる問題として、NPCが可笑しい、いや可怪しい挙動を見せ、時には壁に埋まってしまうなどしてゲームが進行できなくなる場合がある。そのほか、全体的に文字のサイズが小さく読みづらい。特にNPCの会話を又聞きする際に画面にポップアップするウィンドウ内の文字が小さすぎて可読性がなく、タイポグラフィーと間違う場合がある。

またこれは個人的な感覚に拠る部分だが、ブレインダンスという記憶追体験装置を用いて行うポイント・アンド・クリックタイプのアドベンチャーパートが、選択と結果による非リニアなゲームプレイというコンセプトから外れており、統一感という点で作品を損なっているように感じた。世界観設定を形作る点においてはこの上ない存在なのだが、中身についてもう少しアレンジの仕方があったのではないかと考える。また、服装や肉体改造を通じたオシャレが出来るのに髪型を変えられないのは違和感がある。これらの問題、特にアクセシビリティに関する部分がアップデートによって改善されていくことを望む。

最後に、これは作品の欠点ではなく弱点についてである。幾度となく述べたが、本作の売りはナラティブとゲームプレイが完全に一体化していることに由来する体験である。よって、非リニアなゲームプレイに対し興味が沸かない、自分に合っていないと考える人は、本作のストーリーに関してもおそらく楽しめない。世界周遊が好きじゃないけど本筋が気になるからやってみたいという人が遊んで面白いと思えるゲームではない。これは逆も然りである。


『サイバーパンク2077』はストーリーテリングメインのオープンワールドRPG、その現時点における最終形であり、集大成である。目新しい斬新な手法こそ採用していないが、「選択と結果」という題材の名のもとに、世界を形作る上で効果的とされた数々のシステムが集結、濃縮。徹底的に研磨されたその姿は「レジェンド」と呼ぶに相応しい。可能な限り遊びのルールを透明化させる「非リニアなゲームプレイ」と、起承転結というルールから逃れられない「物語る」行為の完全融合。誕生という明確な始まりと逃れられない死。その間に敷かれた無限の道筋。まさしく「人生のロールプレイ」という御業をCD PROJEKT REDは8年の歳月を掛けやってのけたのだ。

私とゲームの間には、いつも一枚のスクリーンがあった。今、それはもう無い。



関連記事:
『サイバーパンク2077』ネタバレ込みのレビュー補考。人生というナラティブの実現について

Takayuki Sawahata
Takayuki Sawahata

娯楽としてだけではなく文化としてのゲームを知り、広めていきたい。ジャンル問わず死にゲー、マゾゲー大好き。

記事本文: 276