『仁王2』レビュー。変化ではなく進化。新作ではなく進作。仁王は何処から来て何処へ征くのか

『仁王2』レビュー。変化ではなく進化。新作ではなく進作。『仁王2』のシステムは、前作の素材の味を活かす方向にまとまっている。一方で、前作の欠点もそのまま継承してしまっている。

「変化ではなく進化」。昨年行われた東京ゲームショウ2019にて私が『仁王2』のプロデューサー兼ディレクターの安田文彦氏から聞いた言葉である。結論から言ってしまうと、『仁王2』はシリーズにおける「新作」と言えるものではない。今もなお成長し続ける仁王という「種」。その旅路における通過点だ。荒削りの原石と言われた初作。その形を大事にしつつ丁寧に研磨し、美しい装飾を施した『仁王2』は、それでもなお進歩の可能性を如実に感じさせるマイルストーンである。

『仁王』は3月12日にPlayStation 4向けに発売された、『仁王』より続くシリーズ最新作。「戦国妖怪死にゲー」と銘打たれた本作は、豊臣秀吉大成までの歴史を背景に、前作から引き続き、トライアンドエラーを繰り返しながら攻略を進めていくスリルある戦闘アクションを楽しむことができる。

 

新作ではなく進作

先述したとおり、『仁王2』の内容は「新作ゲーム」と呼べるものではない。あり方としてはオンラインゲームにおける大型拡張パッチや、旧作品のリメイクに近いといえる。前作において高評価と共に確立されたアイデンティティ――死にゲーであり、ハックアンドスラッシュ要素を活かして自己の強化をどこまでも突き詰めていく、シングルプレイ重視というスタイル。コマンド入力を駆使した高速戦闘を行う事が可能なアクション性。多様なビルド構築をはじめとするやりこみ要素――を“そのまま”に、数々の要素を“追加”。総合的なプレイフィールは前作と比較してよりリッチに、内容のボリュームは増した。その姿は『仁王2』よりは『仁王ver.2.0』 という呼び名が似合う。

たとえば、新たなシステムである「常闇」、そして「特技」と「妖怪技」の存在は、対人間戦と比較して、単なる技の差し合いという印象が強かった前作における妖怪との戦いに絶妙な緩急を“プラス”している。前作『仁王』における戦闘アクションの大まかな枠組みは、一撃必殺級の攻撃を掻い潜りつつ敵の気力を削ぎ、動けなくなった時点で強力な組打ちやラッシュを仕掛けるというものである。対人間戦では、カウンター技をはじめとするコマンド技、即ち武技を活用することで、かわして殴る以外の行動を行う余白があった。だが妖怪戦は種類の多くないモーションの合間に数発の攻撃を差すだけ。弱点を攻撃するというシステムもあるが、銃や弓を使用した狙撃など、事前段階以後に、高速戦闘の中でスムーズに弱点を攻め立てることは特徴的なエネミーでなければ難しい。忍術や陰陽術を活用すれば自分にバフを与えたり、逆に敵にデバフを撒いたりといったことも可能だが、アクションそのものに影響を与えるものは無く、単調で窮屈な体験であった。

しかし、『仁王2』における上記の新システムは、妖怪との戦いの中に心地よいリズムを生んだ。本作にて新たに加えられた常闇は、追い込まれたボスクラスの妖怪が行う、言わば自己バフである。敵の攻撃モーションがより激しい内容に変化し威力が上昇、プレイヤーの気力(本作におけるスタミナ)消費量が増加する。つまりゲームから与えられるプレイフィールがより狭苦しいものに変化するのだ。その一方で、主人公が半妖であるという設定を活かした新技の妖怪化と妖怪技の性能が格段に向上し、常闇状態から脱するための明確な鍵となる。常闇の強制解除を果たしたあかつきには、大ダメージを与える組み打ちを仕掛けることができ、キャラクターが育つゲーム中盤以降であれば、起き攻めから更にラッシュをしかけることも可能だ。妖怪側が有利となるストレスフルな常闇状態と、それを乗り越えた先にあるプレイヤー側の一転攻勢状態という逆転現象。新システムを自然と活用させつつ、緊張からの解放と一方的に攻め立てる爽快感という、死にゲーにおいて特異な報酬をプレイヤーに与える、美しいサイクルが組み込まれたのだ。

敵の大技に対するカウンターとして在る特技は、練度に応じてこのサイクルを加速させる役割を果たす。プレイヤーのスキルが向上すればするほど、攻め手の速度が緩むことはなく、より一方的な状態を長く作りやすくなっている。前作にて味気なかった妖怪戦は、新システムの追加により着実な進化を果たし、人間戦に負けずとも劣らない独自の魅力を手に入れたのだ。一方で、フィールドギミックとして常闇が登場する場合もある。こちらは視界不良とダメージの増加というスリルを与えながらフィールドの探索を促し、ある種アトラクション的な体験をプレイヤーにもたらすものではある。しかしゲームの進行と共に常闇向けの対策によって、恐怖とワクワクは薄れ、ただ解除条件を探すだけの面倒な作業と成り果ててしまうのは残念なところだ。

今作より追加された武器は、手斧と薙刀鎌の2種類。手斧は戦闘のテンポを損なわず、前作にて戦闘の事前段階以外での活用が難しかった(特化したビルドを構築する必要があった)中〜遠距離攻撃のアクションを高速戦闘の内に組み込むことに成功。薙刀鎌は構えの切り替えという既存システムを攻撃の中に美しくより自然な形で取り入れている。続投されたその他武器種は、大きなモーションの変更をせず、使用感はそのままに、ダメージ調整や新たな武技を追加。長所を伸ばすデザインが施されている。新たなステータス変動要因である魂代や茶器の収集、クリア後のやりこみ要素である改造に関しても同様のことが言え、効果的に作用している。さらに参照ステータスの関係により、前作では専用ビルドが有名だった忍術と比較して影が薄かった印象のある、陰陽術の積極的な使用もできるようになった。両者共に、元々ある強みをより良い方向に活かすデザインとなっている。

総じて本作のシステムは前作から大きな変化を見せず、「追加」という形で、かつて評価された素材の味を活かす方向にまとまっている。この状況に対し、「あまりにも創作物として保守的すぎる」と考える人がいるかもしれない。だがあくまで変化は目的を達成するためにある一手段に過ぎない。はじめに理想形があり、コンセプトがあり、それを実現するために必要な分だけ変化や追加を行うのだ。『仁王2』のコンセプトは「変化ではなく進化」。目的は『仁王』にはない『仁王2』らしさを描き出すことではなく、『仁王』というイデアの探求にある。

ゆえに、今作に実装された仕様は、理念を体現するにあたって適した内容であると言える。またこの求道者の如き姿勢は、制作会社であるコーエーテクモゲームスの設計思想を変わりなく引き継いだものであるとも想像できる。『信長の野望』や『三國志』、『無双』シリーズ。いずれも会社の顔とも言えるシリーズであるが、そのどれもが本作と同様、決して揺るがぬ核を持ち、まるで大樹が年輪を刻むように、より厚みを増すような形で何年も進化を続け、愛されている(この意味で、変化を標榜する『アトリエ』シリーズは代表作の中でも異端児であると言える)。コーエーテクモゲームスが持つミームを全身で受け止め継承する『仁王』シリーズもまた、やがては会社の象徴となる器を兼ね備えた作品群だと言えるだろう。

 

継承された欠点

母親が妖怪となった存在と 子が妖怪になった存在。こういった配置をもっと増やして欲しい

前作から大きく変わっていないという事実が示すところは、「面白いまま」という点だけではない。残念ながら欠点もそのまま受け継いでしまっている。その一つがレベルデザインである。『仁王』の時点でも不満点として声が挙がっていたものの、『仁王2』になってもまだ「狭い場所に 大量のエネミー/強大なボスを配置する」というロケーションが、1ステージに多分に詰め込まれている。こうしたデザイン傾向は改善されていない。つまり、レベルの設計思想があまりにも「ゲーム的」な考え方に寄り過ぎている。

ゲーム的とは、たとえばダンジョンの中に何故か誰が置いたとも知らぬ宝箱が点在しているという状況や、空中に大きな矢印アイコンが浮いているというような、「世界を物語る、表現する」という観点とは真逆の思想を指す。基本的に、世界の中に存在するものは、存在する具体的な理由を持っていると考えられている。生き物や人工物に限らず、事象や概念ですら生まれるための要因があり、そこに居るための理由がある。だが空中に浮かぶ矢印の存在理由を語るには、「これがゲームだから」以上の説明を行うことができない。『仁王』シリーズにおけるレベルも同様だ。崖や水際の一本道といった即死ギミックの設置理由はまだ察せられるが、敵の配置理由(ボス以外)に関して、多くの場合「本作が高難易度ゲームだから」以上の情報を読み取ることができない。烏天狗が何故全国各地の崖際に生息しているのか、なぜ山姥が家の中で包丁を研いでいることなく暴れまわっているのか、という疑問に対し、「ゲームだから」以外の答えを持ち出すことができないのである。これが意味するところは、ステージを攻略するという体験そのものの乏しさと、体験が乏しいことからくるゲームオーバーの際に湧く不快感の大きさである。

『仁王2』のアクションは楽しい。先述したように前作から引き継がれた独自の魅力があり、ボス戦において楽しさのボルテージは最高潮に達する。だがステージ攻略が面白いのかと問われれば疑問符が付く。秀逸な謎解きギミックがあるわけでもなく、ナラティブな部分はプレイアブルなパートから完全に切り離され、シンプルに情報の提供という形にとどまっている。ステージ構造に関しても上下の階層によって奥行きを作り出しているが、開始地点近くにショートカットが繋がっていたり、ボス前の地点にあるセーブポイントはたいてい常闇によって封じられていたりと、内装はどのミッションにおいても似たような造りで飽きがくる。前作のステージとギミックをまるまる流用している部分に関しては正直残念である。敵のレパートリーはボス以外でそこまで増えておらず、配置については「ゲームを難しくする」以外の意図が読み取れない。つまるところ、高難易度アクションゲームであることに注力した結果、アクション以外の楽しさをプレイアブルなパートで提供できていない。

そして肝心のアクションはゲームオーバーというストレスと表裏一体の関係にある。本作は死にゲーであり、必然的になんどもゲームオーバーになるようデザインされているため、アクションがストレッサーとなるリスクはより一層のものとなる。試行錯誤が直接の結果に結びつくボス戦であればまだ良いのだが、道中、しかも凡ミスや即死ギミックで死んだ際に湧くモヤモヤとした感情の行き場所がないのだ。ほかの死にゲーと比較しても難易度が高めであると称される『仁王』シリーズ。その原因は「上手ければ上手いほど楽しく、下手であるほどつまらない」レベルデザイン、そしてプレイフィールにあると私は考えている。

ただ開発側はこの現状に関し静観を決め込むつもりはないようである。本作から導入されたミッション中の「分岐」の概念は、問題の根本的な解決には至っていないにしろ、ステージ攻略それ自体が生む体験の幅を広げたいという意図が感じられた。それは攻略の道中に、初心者向けとゲーム慣れしているプレイヤー向けの両方に合わせた分岐点を設けたことだけではなく、どちらのNPCを味方につけたかという点で、異なるミッションがアンロックされるシステムを追加したことも含まれている。一度クリアしたきり二度再訪することのないミッションに、アクション以外の目的で再び挑む動機を組み込んだことは、今後発売されるDLC、そしてまだ見ぬ新作におけるゲーム体験が、本編より豊かなものとなる可能性を見せてくれる。

継承されてしまった欠点はレベルデザインだけではない。煩雑で物足りないUIもまた『仁王2』に持ち込まれてしまっている。本作はハックアンドスラッシュが売りなのだが、カテゴリが重箱の様に重なった武器メニューはとにかく見たいアイテムにアクセスしづらい。複数種にまたがって武器を使用するプレイヤーの場合はさらに不便だ。防具に関しては部位ごとに分けられているものの、特定の装備品を揃えると特殊効果が作用する「セット効果」を発動するためにメニューを行き来して対象を探さなければならないのが、シンプルに面倒。上記2つの煩雑さを解消するために、装備を保存できるシステムが導入されているが、これを効果的に活用できるのは強力な装備が揃うクリア後であり、装備がコロコロと変わる1周目ではあまり意味を成さない。

本作からの改善点として、細かなフィルタリング機能が追加されたが、あと一歩足らない。また今作から武器種が増えたことで、スキルが増加。スキル習得メニューがスキルツリーに変化したが、これも見づらい。直感で何処にどのようなスキルが集まっているのか分からない。私の個人的な考え方として、『仁王』シリーズは「マイナス」からスタートするゲームであると考えている。というのも、本シリーズは残心のシステムなどプレイするに当たってマスターしなければいけないコマンドがあるだけでなく、取らなくてはならない必須級のスキルが多く設定されている。全て取得して初めて0のラインに立てると言ってもいいほどだ。たとえば回避残心と呼ばれるスキル群であったり、今作であれば常闇の中で消費する気力量が軽減するというものであったり。前作をクリアしたプレイヤーならまだしも、まっさらな状態から始めるプレイヤーの場合、どれを取ればいいのか非常に分かりづらい。スキルを振り直すにあたって下準備が必要なことも含め、盛っただけの不親切な設計である印象は拭えない。先程述べた「上手ければ上手いほど楽しく、下手であるほどつまらない」という体験を助長しているのでは無いかと考える。

最後に言及したいのは、キャラクタークリエイトシステムの必要性だ。シングルプレイ、そして一個人としての「冒険」ではなく、一歩引いたシステマティックな「攻略」を重視する『仁王2』というゲームにおいて、他者とのコミュニケーションや、没入感を生み出すために用いるキャラクタークリエイトの必要性が、現時点では感じられない。なおこれはシステムの中身が疎かな内容であると指摘するものではないことに留意して欲しい。システム自体のクオリティは非常に高く、お歯黒や隈取といった、歴史モノである背景設定を活かした独自の色も備えている。だがそのシステムを活かしきれているのか、ということである。『仁王2』は先述したようにシングルプレイに重きを置いている。マルチプレイで可能なコミュニケーションはエモートだけであり、戦術構築など、複数人ならではのゲーム体験を創り上げる余地は少ない。ストーリーに関しても(内容の面白さは別として)、主人公に台詞はなくカットシーンメインで進行するため、役割としてはゲームを進行させるための大義名分に過ぎない。ほかの誰でもない「個」であることの魅力が少ないのだ。キャラクター作成の行為自体に喜びを感じるか、ゲーム配信の際に盛り上がる程度である。もし次作が発売されるのであれば、『仁王2』から追加されたミッションアンロックの概念が拡張され、自分だけのプレイを創造できるようになることを願う。

時代の寵児としてこの世に生まれ落ちた『仁王』は、ファンからの多大な愛情により両の足で立つことを覚え、歩みの果てに『仁王2』へと至った。だがそれは単なる通過点に過ぎず、目指すべき場所は未だ遠い。適者生存、弱肉強食の世界の中で、今後どのような進化の軌跡を辿るのか、注意深く見守り続ける必要があるだろう。

Takayuki Sawahata
Takayuki Sawahata

娯楽としてだけではなく文化としてのゲームを知り、広めていきたい。ジャンル問わず死にゲー、マゾゲー大好き。

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