リアリティとは何か。リアリティとは何処にあるのか。本批評は、リアリティを「非現実における現実の再現」と解釈し、ゲームというメディアの内に表現するという、その野心的な試みの果てに散った『キングダムカム・デリバランス』という作品について語るものである。
※『キングダムカム・デリバランス』PlayStation 4通常版(日本語)にてレビュー
『キングダムカム・デリバランス』(以下、キングダムカム)はチェコに拠点を構えるゲームメーカーWarhorse Studiosが手掛けたオープンワールドロールプレイングゲーム。文人皇帝の名で知られた「チャールズ4世」による黄金時代を終え、15世紀――洛陽へと傾き始めたボヘミア王国(現在で言うチェコ)を舞台に、「無能」と称されながらも有力諸侯を後ろ盾に抱える当代ボヘミア国王ヴェンツェスラウスと、玉座を狙いながらもニコポリスでの大敗で求心力を失ったハンガリー王ジギスムント、この両者の政争に巻き込まれ全てを失った鍛冶屋の息子ヘンリーの復讐譚が語られる。歴史上の人物がゲーム内に数多く登場するほか、本作の物語は史実を元に展開していく。リアリティを極限までに強調した高難易度なゲームシステムと合わせて、重厚感あふれる中世ヨーロッパの歴史を体感できる。
また、ただの凡夫であるヘンリーが、最終的にどのような傑物へと成長するのかはプレイヤー次第。歴戦の勇士になるのか、民衆を虜にするカリスマとなるのか、国中に名の知られた大罪人となるのか。豊富なロールプレイ要素を通じて、自分だけのヘンリーを作り上げていくことも本作の醍醐味である。
リアリティとロールプレイが喰らい合うゲームシステム
従来のRPGでは表現できなかったというリアリティをコンセプトに掲げた『キングダムカム』のゲームシステムは、表現という分野においてその意欲こそ認められるものの、出来栄えは観るも無残である。込められるはずであった理念は高尚なまま当て所無く霧散しており、全体としての完成度は低い。そもそもとして、リアリティという観念の正体は「現実とそっくりだ」と感じることではない。認識対象が非現実な存在であるという前提のもと、私達が対象に対して瞬間瞬間に抱く、過去の経験(知識や身体的なものも含む)と比較した際に生まれる共感なのだ。
故にリアリティという点において共感を生み出さないシステムはシステム以上の意味を生み出しはしない。またリアリティはスパイス以上の意味を持つことはない。そして、現実の規範をゲームという異なる世界の規範の内に持ち込もうとした時点でそれは歪に、別物にならざるを得ないのである。
その一方で、「パーク(PERK)」を始めとする「中世ヨーロッパで生きる一個人というロールプレイ」を意識した要素もまたシステム中には散見されている。こちらに関しては概ね表現に成功していると言っていいだろう。だが「個人としての無限の可能性を想像し演じる」ロールプレイと、「共感によってプレイヤーが持つ特定の経験を呼び起こす」リアリティ。無限と有限と相反する概念を同時に一つの檻に閉じ込めることはできていない。どのシステムを覗いても基本的にはリアリティ側が犠牲になっており、最悪のケースでは、互いが互いを喰らい合うという悲劇が発生している。
たとえば本作には空腹と睡眠の概念をはじめとして、主人公の体調にまつわるさまざまなバッドステータスが備わっている。怪我や出血、中毒、酩酊。数えればきりがないほどに。しかしこれらの情報は単なるデータでしかなく、サバイバルプレイの難易度を上昇させる以上の意味を持たない。何故なら、主人公であるヘンリーは作中物を食べたり、酒を飲んだりといったことをしないからだ。アイテム使用に伴うアニメーションが存在しないのである。怪我の治療はワンクリックで完了し、体を洗うのに水すら浴びない。大抵のことは寝れば治ってしまう(これはリアルかもしれない)。
確かに現実世界において出血を放っておけば死ぬし、食べ過ぎればまともに動けず、飲みすぎた朝は二日酔いになる。持ち物を持ちすぎれば飛び回ることなんて不可能だろう。理屈としては間違っていない。だが実体がないのだ。出血と治療の間に、アイテム消費と二日酔いの間に、ステータスとゲームプレイの間に、私達の共感を煽る明確なプロセスが存在しないのである。故に、本作におけるサバイバルにまつわるシステムは、温かみを持った人の営みの表現ではなく、既存のハードコアゲームにおけるデータ管理でしかない。
ではこのバッドステータス群によってどの程度ゲームクリアまでの難易度が向上しているのか、と問われれば、少なくとも「ノーマル」のゲームモードを最後まで遊ぶ分には全くと言っていいほど障壁にはなっていない。空腹や睡眠に関してはゲージを満たすための施設が世界中に点在しており、出血に関しては「戦場から逃げられさえすれば」ワンクリックで止まる。止血用の包帯は普通にプレイしていれば不足に困らない量が手に入るため問題は無い。その他のステータスに関しては「わざわざ特定の行動を取らなければ」発生することはない。ならばなぜ存在しているのか、というと「ロールプレイ」のためである。中世ヨーロッパに生きる一個人を演じるためにこのステータス群は存在しているのだ。こだわりさえすれば、酒飲みや大飯食らい、血濡れた殺人鬼からプレイボーイまで演じることができるだろう。しかし悲しいかな、脚本はあるのに演者が動かない。芝居まで空想に預けねばならないのは些か残念である。
リアリティの在り処を見失った戦闘システム
また、目玉の一つである剣戟に至ってはリアリティが原因で自己崩壊が発生している。
『キングダムカム』における戦闘システム、通称COMBATは6方向の斬撃を駆使し、高度な読み合いを経て敵の防御を上手く掻い潜りながら一撃を打ち込み続けるという、中世の決闘さながらの緊張感あふれるリアルな戦いが可能……という触れ込みなのだが、残念なことに実態は異なっている。命題通りの戦いがまかり通るのは序盤くらいであり、刹那の読み合いはどこへやら、中盤突入以降はひたすらにステータスを上げ、クリンチ(つばぜり合い)とカウンターによって敵の行動の一切を封じたところに一撃かますことを繰り返すという、俗にいう「レベルを上げて物理で殴る」戦法を採用せざるを得ないのだ(さらに言えば、剣でまともに打ち合うより、弓で一方的に蹂躙したほうが強い。操作はかなり難しいが)。というのも、中盤以降登場する敵のCPUが強すぎるのである。どれだけステータスを上げ、プレイヤースキルを向上させたとしても、武器を振った途端に正確無比なカウンターを決められてしまう。戦闘中に回復ができない本作のシステム上、自分から攻撃しただけで簡単にプレイヤーは殉職してしまうのである。
一体何故こんなバランス調整に至ってしまったのかと言えば、「主人公は凡夫である」という設定を忠実に守るためだろう。先述したように本作の主人公ヘンリーは、簡単に言ってしまうと世間知らずの元ニートである。そんな武器すらまともに振る力もない若造が、数日数週間鍛錬しただけで、剣の道に人生を捧げてきた達人たちを倒せるようになる事自体が現実的におかしいのだ。そう、現実的に考えれば。
しかし、プレイヤーが背後にいる時点でヘンリーは凡夫ではない。「凡夫かどうかはプレイヤーが決める」と言ったほうが正しいだろう。私達がコントローラーを握った瞬間、キャラクターの意識は私達の自我に上書きされる。「凡夫のヘンリー」は消え失せ、「凡夫のヘンリーを演じるわたし」へと変貌する。記憶は改ざんされ、肉体も私達の都合のいいように変形していく。本質的にロールプレイングゲームにおける主人公は用意されたキャラクターではなくプレイヤー自身なのだ。プレイヤーが主人公の視点を借りて世界を観測しているという構図から逃れることはできない。
故に、舞台はヘンリーではなく、主人公すなわちヘンリーを演じるプレイヤーを中心に回らねばならない。世界の理たるシステムならまだしも部外者であるヘンリーの存在を原因に、プレイヤーの行動が束縛される理由などない。
そして『キングダムカム』はゲームであって現実ではない。エンターテイメントであって現実ではない。エンターテイメントである以上、原則として障壁の先に待ち受けるものが快でなくてはならない(エンターテイメント性を廃することが理念である作品も勿論存在する)。
体力ゲージが存在し、斬撃が6方向に限定される世界に現実の規範をそのまま持ちこんだところでそれは「現実離れした」歪みにしかならないのだ。このほかにも、スリに比べて異様な難易度を誇るピッキングや、モーションを伴い、手間がかかる割に失敗した際やり直しの効かない錬金術やホーニング(武器の研磨)、寝床で寝るかお酒を飲むかしないと記録を保存できないセーブシステムなど、リアリティを勘違いした結果残念な仕様に陥っているシステムが多数存在する。繰り返すが、リアリティとは一時的な共感である。共感を生み出さないシステムはシステムでしかない。共感が終わった先に残るものが単なる枷であってはならない。
ごっこ遊びに最適化されたクエストのあり方
ここまで失敗例を中心に評論を進めてきたが、掲げたコンセプトの全てが失敗に終わったわけではない。
本作の悲願であるリアリティとロールプレイの融合、その数少ない成功例がプレイヤーが幾度ともなく挑むことになる「クエスト」のシステムと、それに連なる「PERK」や「評判」などのステータスシステムである。上で述べたバッドステータス群とはまた違う要素であるということに注意していただきたい。
物語の進行と共にプレイヤーが幾度となく挑むことになるクエストだが、マクロな観点からでは既存のオープンワールドRPGにおけるクエストのシステムと中身はそう変わらない。NPCから依頼を受け、世界をまわり事件を解決し会話の後に報酬をもらう。よくある「お使い」である。だが本作のお使いは一味違う。『キングダムカム』におけるクエストはプレイ中に発生するNPCとの会話のみならず「行動」によってさまざまな方向に分岐するのだ。
具体的に言うと、仮にA、B、Cというクエストが同時に並列して存在しているとする。本作ではAから攻略した場合、Bから攻略した場合、Cから攻略した場合で内容が大きく異なる展開を見せる、といったケースが多々存在する。また、本来紆余曲折を経て入手する重要アイテムを、スリやピッキングでキーパーソンから直接入手する、将来決闘で打ち倒す筈の相手を就寝中に暗殺するなどしてクエストそのものをスキップするなんてことも可能だ。もちろん時間帯やNPCの生存状況によって分岐する展開もある。「現実における問題解決の道筋は一つではない」というリアリティを演出するには非常に理にかなっているシステムである。
また、スタートからクリアまでに時間制限を設けているクエストも多い。この仕様は、クエストの背景にある物語にリアリティという説得力をもたせつつ、「大枠としての構造は変わらない」長時間のゲームプレイの中で緩急を生み出し、飽きが生まれることを阻害する工夫となっている。実装の是非に関しては、本作は予め高難易度ゲームであるということを謳っているため問題にはならない。
そして上記のようにクエストを多種多様な形で味わうには、ヘンリーの育成が不可欠。『キングダムカム』における成長要素であるPERKは、一方の能力を下げる代わりに一方の能力を上昇させるといった内容が多く、色々とズルができる犯罪関係の能力値は上げることが難しい仕様になっているため、自然とプレイヤー毎のヘンリーが生まれるようにギミックが組まれているのだ。バロメーターだけでなくヘンリーの身だしなみや護衛の存在といった周辺状況によって新たな選択肢が生まれるというのも興味深い。
幾万のプレイヤーから生まれたやヘンリーたちはそれぞれ異なる道を歩んでいく。本作のクエストはリアリティを体感するだけでなく、ロールプレイを奨励する仕様としても理にかなっているのである。
新章の幕開けか、それとも打ち切りか
降りかかる理不尽によって全てを失った一般人が、暗い復讐の炎を糧に成り上がる『キングダムカム』のストーリーは、題材こそ復讐譚の王道を往くものだが、肝心の内容に関しては尻すぼみという印象を拭えない。
中盤まではヘンリーの成長と共に、闇に蠢く陰謀にまつわる物語が小気味よく静かに展開し、真相へ向けて一歩一歩着実に前進していく高揚感が感じられる中身となっている。だが、「家族と復讐」という題材において大変重要となる、とある真実が判明する終盤以降は、敵味方共に人物描写が不足し駆け足気味。ヘンリーの現状に対する葛藤はないが故にテーマは薄れて行き、バックボーンが上手く語られない黒幕はキャラクターとして魅力に欠ける。
簡潔に言うと、物語が尺の都合で収まりきらなかったであろう開発事情が露骨に表面化してしまっている。よくまとめたというより、なんとか間に合わせた、という内容であった。主人公周りの登場人物は個性豊かで魅力的であり、中盤までは、倫理や文明が未だ発展途上にある、中世ヨーロッパという舞台をフルに生かした歴史ドラマとして稀有で良質な作品だというのに非常に残念である。
こだわりとツメの甘さで出来た箱庭
物語の土台となるグラフィックに関しては、現地視察のみならず衛星写真まで用いるという徹底的なこだわり様というだけあって文句のつけようが無い出来。文字通り青々と生い茂る森林や、ボロボロに解れた布地、鎧の鋼に石材で組まれた城壁など、テクスチャ再現のクオリティには目をみはるものがある。
建物内のインテリアに関しても力が入っており、特に筆者のお気に入りは「便所」。
正直、中世欧州の町並みというのは、これまで沢山のハイ・ファンタジー作品に慣れ親しんできた私には興味深くも別段新鮮な光景として映るものではなかった。さらに言えば、日本人である私(海外渡航経験無し)にとって外国の町並み・生活というのはいくら精巧に作られていても外国という時点で浮世離れした御伽噺なのだ。リアリティなど微塵もない。だが町中や施設にぽつんと存在する汲取式便所の存在は、遠く離れた世界の実在を、私の胸元へぐっと引き寄せる。着飾ったあの貴族もあの騎兵もここで用を足すのか、男女の区別は無いのか、ドアが無いから部屋中匂いが酷そうだなという汚らしい下品な妄想は、0と1の世界に私達の世界と地続きな接続点をもたらし、NPCを生きた存在に変えた。リアリティが生まれたのである。
実際、本作のNPCひとりひとりには時間のながれに沿った行動パターンが組まれており、生きた社会がそこに在るかのような感覚をプレイヤーに抱かせてくれる。『キングダムカム』の世界は決して雄大とは言えず、加えて特徴あるオブジェクトが多くあるわけでも無いため、世界そのものを周遊する楽しみも薄い。しかし、一度世界に降り立てば、制作にかけた熱量とこだわりの大きさは至る所からひしひしと伝わってくるだろう。
しかしここにも残念な点が一つ。この美しさが原因で、最悪まともにゲームが遊べなくなる不具合が存在するのだ。通常版のPlayStation 4で本作を遊ぶと、ローディングに時間がかかるばかりか、基本的にグラフィックの読み込みがゲームプレイの進行に対して間に合わない。特にリアルタイムレンダリングを行うカットシーンに関しては酷いもので、ムービ中に最悪ゲームがフリーズする。本作を快適に遊ぶにはSSDやPS4 Proの使用、もしくはPC版の購入を検討した方がいい。コンシューマ対応を行うにあたってこういったチューニングが十全になされていないというのは、非常にもったいない。
非現実に現実の要素を持ち込むことで、作品の受け取り手に対し、深い没入感や、センセーショナルなインプレッションを与えようとする試みは古今東西あらゆるメディアにおいて行われてきた。その歴史の中で、この『キングダムカム』という作品は、惜しくも失敗という位置に落ち着いてしまった。
Warhorse Studiosが寄り添うべきは、彼ら自身の内にある「現実」では無く、プレイヤーひとりひとりの内に広がる「現実」であった。リアリティの在り処を見失い、フィクションという前提すら忘れてしまった結果、生命の息吹で溢れかえるはずだった世界は、「ごっこ遊び用のミニチュア」のまま終わってしまったのだ。