今年も『アークナイツ』に心をめちゃくちゃにされてしまった――私が『アークナイツ』を完全に理解してから、まったくわからなくなるまで
私は今年も『アークナイツ』というゲームにハマっている。だが悲しいかな、自分の周りで遊んでいる人がおらず、好き語りができない。だからまたここで発散する。本稿はそういう趣旨の記事である。なお、本作が持つサービス運営型タワーディフェンスゲームとしての魅力は、以前書いた記事を参照してほしい。
※本稿には、『アークナイツ』におけるさまざまなコンテンツの核心的なネタバレが含まれている。留意して読み進めてほしい。
アークナイツ、完全に理解した
『アークナイツ』のストーリーが全然わからない……。昨年の冬、サイドストーリーイベント「孤星」を読み終えたあと、本誌に寄稿する記事を書きながら、しみじみそう思ったものである。本作は新資源に由来する不治の病と、それに伴って発生する社会問題の根絶を、物語における大目標に掲げているが、実際に取り上げられる話題は多岐に渡る。歴史的背景にもとづく社会的身分や、貧富の差にまつわる問題を取り上げるのはまだ理解できる。
肉体を改造された狩人たちが海産物の化け物と戦い続ける話があったり、上位存在と人間の関係性を描いた話がある。一方で「孤星」は宇宙開発と科学哲学に関する物語であった。あまりにも話題に統一感がなさすぎるように見える。語り口も特殊で、全体像の理解が難しい。
本作は時系列をバラバラにする形で物語を展開しているのみならず、物語の区分が非常に曖昧である。一般的な形態であれば、まず本編があり、“本編とはまた異なる特色を持った”外伝がある。しかし『アークナイツ』の場合は、本編、外伝という区分けがゲーム上こそあれ、実質的に存在していない。主人公であるアーミヤを中心とした物語が「メインテーマ」と呼ばれるだけであり、「サイドストーリー」の区分にある物語を通じて、大筋が進行することも珍しくない。サイドストーリー同士にも複雑な関係性があり、これが時系列を無視して展開される。
たとえば、先述した「孤星」を読むにあたって前提となる物語は、直接の前編にあたる「翠玉の夢」と公式漫画が1本ずつ。メインテーマに関しては最低限8章まで。できれば12章まで。欲を言えば8章から9章に向かう間に、外伝を3本ほど挟みたい。物語を1本読むうえで、ここまで前提情報を要求される作品は珍しい。さらに言えば、物語がメインではないゲームモードでも、本編に関わる重要な情報が開示されていく。『アークナイツ』では物語同士が複雑に絡み合い、一本の大きな河を形成しているのだ。この「プレイヤーを物語の大河に溺れさせる」という体験を成立させつつ、カジュアルにプレイできるゲームはそうそう無いだろう。
また、この方式を通じて、現在進行系にあるすべてのストーリーに関する謎の解明が自然と行われる。たとえば、新資源に由来する不治の病はどのような形であれ、いずれ解決されることが、本編以外のテキストにて示唆されている。しかし一向に完結する気配を見せない。『アークナイツ』が最終的に何を語りたいのか、まったくもってわからないままでいた。
それはある日のこと。本作の主人公「アーミヤ」の育成を進めていたときのことだ。ステータス強化アイテムである「モジュール」を解放すると、フレーバーテキストが開示される。彼女が持つ特殊能力が、遥か遠い過去にて考案された「文明の存続」計画によるものであると明らかになった。「宇宙」や「衛星」「亜空間」など、メインテーマを追いかけているだけでは縁遠い単語が並び、本作が描こうとする世界の広さに軽いめまいを覚えた。
そして同時に、気づいたこともある。「文明の存続」。『アークナイツ』は文明が存続していく様子を描写しようとしているのではないだろうか。前述した物語群はすべて、文明が存続していく過程を描いたものであるという点で共通している。世界の歴史や、文化の描写に並々ならぬ熱量を注いでいるのも、時間軸がバラバラな物語を展開しているのも分かる。存続という概念は、過去と未来、ありえたかもしれないifがあるからこそ成立し、すべては通過点だからだ。頭の中で、カチリとパズルが嵌まる音がする。このとき私は『アークナイツ』を完全に理解したのだった……。
アークナイツ、まったくわからない
今年の『アークナイツ』はこの「文明の存続」というテーマにもっとも注力したシーズンだったように思う。故郷を飲み込む噴火の音と、新たな都市の産声がハーモニーを奏でるなか、世話になった故人と新たな世代が彼岸を超えて出会う「火山と雲と夢色の旅路」を皮切りに、「エニウェア族」と「サムウェア族」問題、ひいては現実が持つ強大な重力への抵抗を西部劇風味に描いた「ダーティーマネー」が続いた。「泣きたいときは泣けば良い。人は生まれてくる時、皆泣いているものだ。それは呼吸の第一歩だから」というセリフは、今でも心に残っている。田舎国家イェラグの発展を描く「銀心湖鉄道」や、神と呼ばれた人と、人になった神の関係を語った「懐黍離」もまた、文明が存続していく在り方を表現している。「樹影にて眠る」と統合戦略「探索者と銀氷の果て」は悪魔との生存競争という呪術的な題材を扱っているにも関わらず、その実態はハードSFという、本作ならではの内容である。
中でも「塔」がモチーフとして登場する3本の物語は読者の心を離さない、凄まじい没入感を誇り、長距離を疾走した後のような、息切れが交じる充実した読後感をもたらした。私の心をめちゃくちゃにしたのだ。最初の「塔」である「ツヴィリングトゥルムの黄金」は、3人の主人公による群像劇からスタートし、各々の現在から過去を乗り越え、世界の未来という1点に向かっていく、それこそ作中に登場する高塔のような構造をもった物語である。
本作は民族差別や社会階層間の断絶を取り扱っているが、それらに対するアプローチの1つとして、「世代交代」を採用している。若い人間が古き伝統を引き継ぎつつも、それを今に適した形に改良し、現状を改善していく。作中のキーキャラクターたちには「師匠」や「未練を残した者」が寄り添い、思いを託していく。逆に敵対者であったり、失敗者は後継者をとらず、すべてを抱え込み自滅しがちである。これを地道に繰り返した果てに、究極の世代交代である、「現文明」と「旧文明」の関係性を描いているのが『アークナイツ』の作品構成となっている。文明が存続するためには、文明そのものの代謝が不可欠であるという考え方だ。「ツヴィリングトゥルムの黄金」ではそれがことさらフォーカスされていたように思う。
中でも、文明の存続における感情と法のバランスに関する話は興味深いものがあった。万民の融和と団結に必要なのは、互いの態度を尊重できる強靭な精神力なのか、それとも感情を矯正する法なのか。多様性の許容を推し進める現代において、その姿を「建前社会」と形容する人がいる。誰もが少しずつ我慢をする社会であり、個々人の尊重ではないと主張する人がいる。しかしながら、建前に救われている人も大勢いる。私もその恩恵を受けている。たとえば、家族連れや老人、子どもに「邪魔だ」という本音を打ち明けてはいけない、という考え方は、社会によって形成された暗黙のルールである。ルッキズムの防止もそうだ。こうした感情を縛る暗黙知によって、人類が融和の状態にある、という観点も忘れてはいけない。ただ、他者に本音を打ち明け、承認されることで生まれる「自分は社会に大切にされている」という感覚は、集団に生きる人間に必須の栄養分である。感情と法。そのバランス。来る災厄を前に、万民が団結し、文明を存続させるため、『アークナイツ』はどのような答えを導き出すのだろうか。
2本目の「塔」である「バベル」は本編の直接的な前日譚であり、バベルの名が示す通り、失敗談でもある。本作がもつ悲劇的特徴の権化とも表現できるだろう。万人が協力して建てられた塔は、時代という名の強大な嵐に晒され、最後には神の一撃によって崩れ去った。本作の社会問題の象徴とも言える、被差別グループ「サルカズ」の境遇を克明に表現しつつ、彼らがなぜメインテーマで発生している戦争を始めたのか、なぜそれを止めることができなかったのかを描く。
「サルカズ」は『アークナイツ』の世界において、居場所を奪われた先住民という立ち位置でありながら、実態としては多民族グループでもあり、ゆえに世界的に行われている迫害に対して団結することが難しい。団結をしても失敗し離散を繰り返している状況にある。さらに言えば、迫害の影響で平均的な教育水準が極めて低く、就ける仕事は使い捨ての傭兵や殺し屋。明日の食事にありつける人がほとんどいない。一方で特殊な血筋に基づく貴族も存在し、彼らは一般市民とは隔絶した生活をしているため、社会階層間の断絶も発生している。「本の存在意義」が分からない市民がいる一方で、他国の一流企業や公的機関に勤めている貴族がいる。
そんな彼らが10年、20年先の未来を見据えた政策……他国との融和を狙う組織「バベル」の想いを退け、来るかも分からない明日を勝ち取るため侵略戦争を選び、虐殺を通じて安全圏を獲得するため団結していく過程は、まったくもって他人事とは思えなかった。愚かであるとも思えなかった。本作がサービスを開始してからの約5年間、サルカズたちへの差別描写はアイテムのフレーバーテキストなど至るところに挿入されており、彼らの抱く怒りや悲しみをプレイヤーが理解できるようになっているからだ。同時に、こうしたムーブメントは現実でも発生している。そして何より、彼らの背中を押し、バベルを破壊したのはプレイヤー自身であった、という真実は、以前から匂わされていたとはいえ、単なるやるせなさ以上の感情を筆者にもたらした。身体が泥になったような感覚に見舞われ、読後数十分はその場から動けなかったことを覚えている。
そして最後の塔、メインテーマ14章「慈悲光塔」は「バベル」より続く因縁に決着をつけ、「ツヴィリングトゥルムの黄金」が描いた未来へと向かう、「現在」にそびえ立っている塔である。模範軍によってもたらされたヴィクトリアの輝きや、サルカズの古き王と若きプリンスの激闘、騎士の降臨と籠の鳥の覚醒、感染者保護にとどまらない社会福祉の概念に目覚めようとしているレユニオン、そしてターラーの独立宣言など、9章から13章に至るまで、溜まりに溜まったエネルギーが作中の至るところで大爆発を起こしていたのが14章であった。
なかでも筆者としては、14章のクライマックスをハイライトとして挙げたい。「インターステラー」や「インセプション」「ソラリス」など、往年のSF作品のオマージュを交えながら描かれる世代交代劇は、恩師を超える、名前を頂く、遺言を伝えるといった個人的なやりとりでありながら、約5年分の物語体験(ウィシャデルについては原点が『ドールズフロントライン』の没キャラにあったこと)を前提とすることで、物語のターニングポイントとして、非常に壮大な体験に仕上がっている。
かつてプレイヤーは神としてバベルを破壊したが、建設者である悪魔の長……魔王「テレジア」は神と刺し違え、結果、神はただの人に還った。やがてプレイヤーは次代の魔王「アーミヤ」の味方をする。悪魔の狡猾な試みは成功したのだ。「人間には生まれ持った気質があり、少なくともあなたは根っからの善人である」というメッセージをプレイヤー全員に伝えるやり方は、悪魔らしく非常にズルいと思う。「とはいっても、ドクター(プレイヤー)みんなに言ってるんでしょ?」と思いつつも、冷えた世の中に温かな優しさを感じて嬉しいものだ。思い返せばこのゲームを遊び始めた頃、作中の世界に関してかなり悲観的であった。「いずれ滅びても仕方ない」と。バベル時代のドクターと同じ心境にあったわけだ。しかし数年間プレイを継続し、前進し続ける世界を目にしたことで、「なんとかなるかもしれない」という希望に転じた。運営型の形態を活かしたデザインであり、途方もないやり方であるとも言える。
ただ、ゲームをプレイしていく途中で大きな疑問も覚えた。本作は世代交代を通じた文明の存続の果てに、現文明と旧文明の関係性がある。素直に今後の展開を予想するならば、両文明の対立が描かれることになるだろう。来る滅びの災厄を前に、現文明は団結を模索し、旧文明は情報の海中にある天国を提案してきた。人間讃歌を唄い続ける本作において、この対立構造になるのは理解できる。
ただ、社会問題の解消を大目標に掲げているであろう『アークナイツ』が、ここに来て文明同士の対立と滅ぼし合いを行うのだろうか。災厄を回避するために、生きるために、旧文明との協力は叶わないのだろうか。14章のエピローグにて、プレイヤー以外にも旧文明の生き残りがいるのではないかと推測されていたが、関連作品である『アークナイツ:エンドフィールド』の主人公「管理人」に、亜人の特徴が見られないのはなぜか。なんだあの最新ティザーPVの内容は。『アークナイツ』、やっぱり何もわからない……。
とはいえ、明日を願う方舟の航行は続く。今年描かれた物語も、3本の塔も、単なる通過点でしかない。私は、本作がもつ作品構成――物語の海を旅し、神話や武侠小説、ドキュメンタリーからハードSFまで、さまざまなジャンルの島々を渡っていく――を非常に美しいと感じていると同時に、その航海図の広さに恐ろしさを感じている。前回のティザーの回収に約3年かかっているが、このサーガははたして完結するのかと。しかしいまさら降りる気はそうそうない。まだ早いことは自覚しているが、HyperGryphとYostarへ。来年もよろしくお願いします。