『ゼンレスゾーンゼロ』を続けられている理由を自分で分析。「競合を回避した」「プレイ時間が短い」“からではない”、濃縮設計

本稿は「なぜ筆者が『ゼンレスゾーンゼロ』を楽しめているのか」を分析してみた記事である。

リリースから約半年が経とうとしている『ゼンレスゾーンゼロ』。筆者は本作をずっとプレイし続けているが、その理由を自分でもよくわかっていない。キャッチーなビジュアルや全体的にコンパクトな中身が目を引くが、決してそれだけではないだろう。単に「自社作品との競合を回避」したり「時間の争奪戦を避ける」工夫を取り入れたから、楽しめているわけでもあるまい。本稿は「なぜ筆者が『ゼンレスゾーンゼロ』を楽しめているのか」を分析してみた記事である。

「時間と体験を濃縮するゲームデザイン」

私が『ゼンレスゾーンゼロ』を継続してプレイしている理由としては、「ゲームをしたくない時に遊ぶゲーム」というポジションに収まっていることが大きい。というのも、自分は職業柄、ゲームを並行して複数本プレイしており、すると時々、ゲームに対して食傷気味になってしまうことがある。原稿のネタになるかなと、プレイ中にメモをとったり、仕事として締切に追われながら作品をプレイしていると、どうしても疲労が溜まってしまう。開発者の熱意が籠もった作品を受け止めるにあたって、必要な精神力が切れてしまうのだ。

しかしながら困ったもので、頭では暫く良いかなと思っていても、身体がゲームを求めてしまう。忙しくてクタクタだけども、濃い体験でガッツリ楽しみたい。『ゼンレスゾーンゼロ』はそんなニーズに合致した体験を提供してくれる作品なのだ。

この体験が成立している理由としては、本作において徹底された「時間と体験を濃縮するゲームデザイン」が挙げられる。1つのコンテンツを1プレイするにあたって、かかる時間が非常に少ないだけでなく、視覚と聴覚を中心に、印象的な心地よさを後味として残すことが強く意識されている。

たとえば、メインコンテンツである戦闘アクションにおいては、3Dエフェクトと効果音が絶妙なコンビネーションを見せるだけでなく、そもそもの攻略難易度がとても低い。基本的な戦闘アクションゲームであれば、まずプレイヤーに要求されるのは敵を観察する「守り」の態度である。しかし本作は防御用アクションが極めて強力なため、まず「攻める」ことが可能になっている。大抵の敵に対して「守る」時間が必要ないのだ。ここにアクセントとして「ダメージ量の視覚化」を加えることにより、「短い時間で大量に数字を出し続けている自分は、戦闘が上手い」という充実した爽快感をプレイヤーに認識させている。

物語体験では、進行テンポが非常に心地よいことが特徴となっている。本作は3Dモデルを採用しているタイトルでありながら、その動きを存分に活かせる「カットシーン」を多用しない。基本的には上半身部を写した会話劇で進行し、アクションシーンの多くはコミックをイメージさせるイラストを使って進行する。劇をスキップして内容の要約だけを読むことも可能だ。

つまり、プレイヤーが物語の進行速度をコントロールできる。カットシーンはどうしても「見終わるまでプレイヤーが拘束されてしまう」という点でテンポを損ねてしまう。しかしコミック調のイラストであれば、アクションを表現しつつ、静止画ゆえにいつまで絵を観るのかをプレイヤーがコントロールできる。3Dで描かれる風景との差別化を通じて印象的な体験にもなる。

また、キャラクターのバックボーンに関する情報解説を外部コンテンツへ委ねていることにも触れておきたい。本作はキャラクターを中心に物語が展開していくが、彼らの直接的な掘り下げを本編中にたいして行わない。動画配信サイトにて公開されている「人物紹介PV」を観ている前提で物語が進行する。(本編の後日談のような位置づけで、該当キャラのエピソードトークを提示する「エージェント秘話」はある)
PVに情報を詰め込むことで、コンテンツクリエイターを中心としたファンコミュニティの活性を促し、(ストリーマーによるPV鑑賞配信、という番組がすでに成立しているほどだ)そのぶん本編のボリュームカットと心地よい進行を両立するという、「予習復習」の形をした興味深い手法を採用している。自社作品である『崩壊:スターレイル』においてもこの手法は採用されているが、本作におけるPVへの依存度は非常に高い。5章ではPVのいち場面が作中に挿入された。そして、ここぞという場面で使われるカットシーンのクオリティは凄まじい。ゆえにプレイヤーの印象に強く残る。

既に充実しているエンドコンテンツ

とはいえ、こうした「手軽に味わえる印象的な心地よさ」や「プレイヤーが能動的にプレイ時間を短縮できる工夫」は、スキマ時間に楽しむインスタントな鑑賞形態とも言い換えることができ、「時間と体験を濃縮」という文言の説明には不十分だろう。濃縮などと謳うのだから、スキマ時間の中に、文句相応の濃い体験が用意されて然るべきだ。もちろん、『ゼンレスゾーンゼロ』はその点をしっかりと押さえている。先述した手法でもって、短時間で楽しめる豊富なエンドコンテンツを通じ、濃縮された作品の旨味を味わうことができる。

たとえば、戦闘に関するエンドコンテンツはリリースより約半年にも関わらず、すでに複数種類実装されている。本作は手軽さを極めて重視する設計上、3Dアクションゲームとしては、「敵を倒す」以外の派手なアクションが用意されていないため、キャラクターを動かす体験のバラエティに乏しい。これを補っているのがそれぞれ異なる戦闘内容の評価軸を伴ったエンドコンテンツ群となる。複数の評価軸を設けることで、簡単な操作を維持しつつプレイの仕方をさまざまな形に矯正し、操作感の変化と達成感を生み出すというわけだ。

制限時間以内に敵を倒すコンテンツがある一方で、最大ダメージ量でスコアアタックを行うコンテンツがある。超強化された敵を倒し続けるコンテンツもあれば、ローグライトコンテンツも存在する。なかでも「迷いの地」というコンテンツは、3Dアクションゲームにも関わらず、キャラクターに専用アクションを追加していくという凄まじさだ。そしてこれらはすぐ1プレイが終わるという点で一貫している。

エンドコンテンツは何も戦闘だけではない。少しずつのプレイを通じ、キャラクターとの関係性を深めていくコンテンツや、収集要素もある。サブクエストも豊富だ。これらは本作の優れたモデリング技術を楽しんだり、報酬目当てでプレイするものではあるが、筆者としてはキャラクターやこの世界の新たな一面が垣間見える瞬間が嬉しい。

本作は「日常」をテーマの1つとしており、舞台である「新エリー都」を中心として、多様な背景を持つキャラクターたちの日常が複雑怪奇に絡み合う、群像劇が描かれる。物語を通して「世間体に囚われない多様な生き方」を提示する作品は、インディーズから大作まで、中国では珍しくないが、なかでも本作のユニークな点は、表と裏、光と影、映画と舞台裏、といった「2面性によるギャップ」を物語体験の節々に取り入れている点だろう。

ポップでビビットなビジュアルと、裏社会を描くメインストーリー。ヒロイックなキャラクターに、ハードな背景設定。『ゼンレスゾーンゼロ』は一見賑やかだが、苦労と欺瞞に満ちた世界のゲームだ。誰もが口にできない事情を抱えるなかで、細かなプレイを繰り返した末にふと魅せてくれる「推し」の心休めた表情や、本気の信頼は私達の情動を強く揺さぶってくる。匂わされる世界の未来とその深淵は、私達の嗅覚をくすぐってやまない。「短いプレイばかり」になる本作の仕様を「ログインの積み重ね」という体験に置き換えた、興味深いコンテンツデザインである。

『ゼンレスゾーンゼロ』は単に「自社作品との競合を回避」したり、「時間の争奪戦を避ける」工夫を取り入れた作品ではない。「時間と体験を濃縮するゲームデザイン」によって、プレイ時間が短く手軽であるというコンセプトを独特な体験に昇華させている作品の1つであると言える。

速戦即決フィードバック

しかしながら、『ゼンレスゾーンゼロ』はまだサービス開始から約半年しか経っておらず、それゆえに洗練されていない点もある。筆者としては、実装されるキャラクターが新たな操作感を提供するものではなく、攻略をひたすら楽にするキャラクターがほとんどという印象があったり(たとえばシーザーやここ最近の異常キャラのように、ゲームルールを破壊するキャラだけでなく、バーニスのように変則的なキャラクターを実装してほしい)、仕様の都合上、プレイヤーによって一方的に攻撃可能になりがちなボス戦の体験をもう少し豊かにしてほしい、という思いがある。

この他にもコミュニティからはさまざまな意見が寄せられているが、本作はその意見を反映させるスピードが尋常ではない。序盤のストーリーに大幅な改修を行ったことや、主人公以外のキャラクターを拠点で操作できるようにしたことは、素人目からしても驚異的である。「まず遊んでみてくれ!」という開発陣の叫びが聞こえてくるかのようだ。ならばその声に応えるのが人情というものだろう。この開発陣の態度は少なくとも筆者にとって、プレイを継続し続けるモチベーションの1つになっている。

筆者が本作を継続してプレイしている理由は以上となる。思い返せば『ゼンレスゾーンゼロ』にはじめて出会ったのは2023年の東京ゲームショウだったが、今もなお目が離せないのは、本作が持つ底しれぬ独特な魅力にほかならない。バージョン1.4を経てようやく「自己紹介」を終えた本編はもちろんのこと、疲れたときにでも遊べる「手軽さ」を軸に据えたゲームが、コンテンツの増加に伴い、いかに「難しく」なっていくのか、それとも「手軽」であり続けるのか。見届けてみたいという思いが強い。今後のアップデートが非常に楽しみである。

Takayuki Sawahata
Takayuki Sawahata

娯楽としてだけではなく文化としてのゲームを知り、広めていきたい。ジャンル問わず死にゲー、マゾゲー大好き。

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