『崩壊:スターレイル』が、ターン制コマンドバトルでなければならなかった理由。『原神』とはそっくりでも、与えられた使命は大きく違う

『原神』と『崩壊:スターレイル』、両者の姿と作品の核はまるで双子のように似通っている。なぜ、すでに人気を獲得している作品と中身がそっくりなゲームをHoYoverseからもう1本出す必要があったのか。考えていこう。

HoYoverseによる新作RPGであり、「崩壊」シリーズの最新作でもある『崩壊:スターレイル』が配信され現在人気を博している。だが蓋を開けてみれば、その中身が同社の人気タイトルである『原神』と酷似していることに気づく。多様な装備品と戦闘用スキルの成長で構成されたキャラクターの育成システムや、さまざまな登場人物と莫大な背景情報のシナジーでもって形成される壮大な物語。そして「結果」ではなく「過程」を楽しむ特異性。戦闘システムにターン制のコマンド入力方式を採用していることを除けば、『原神』と『崩壊:スターレイル』、両者の姿と作品の核はまるで双子のように似通っている。ではなぜ、すでに人気を獲得している作品と中身がそっくりなゲームをHoYoverseからもう1本出す必要があったのか。この事実にはどういった意味があるのか。本稿は『崩壊:スターレイル』が生まれた理由とそれがもたらす影響について考察するものである。


「結果」だけでなく「過程」を楽しむソーシャルゲーム


まず前提として、『原神』と『崩壊:スターレイル』。両者に共通している部分について説明しておこう。それは「結果」ではなく「過程」を楽しむソーシャルゲームであるということだ。ソーシャルゲームというジャンルはゲームを媒介としてプレイヤーがコミュニティを形成し、作品情報の交換などを通じたコミュニケーションを楽しむことが醍醐味のひとつである。そしてコミュニケーションにはプレイヤーお手製の同人作品のほかに、ゲーム内における「結果」が媒体として用いられる傾向にある。ガチャで高レアリティのキャラクターを入手した/できなかった。高難易度のエンドコンテンツを攻略した/できなかった。などといったものだ。このやったか/やらなかったかという情報は、他者を褒め称える行為を通じて、コミュニティの賑わいをより大きいものにする。裏を返せば成し遂げられず讃えられないプレイヤーが存在することを通じ、集団に疲弊と軋轢を生んでしまう。

だが『原神』は、そして『崩壊:スターレイル』はゲーム内に広大なフィールドを用意し、「移動」という「過程」を設けた(『崩壊:スターレイル』の方が幾分閉じた世界ではあるが)。その道程には多種多様なフレイバーがテキストの形をとりながら漂っており、多くのパーソナルな情報やチャームポイントを抱えたキャラクター達と豊かなシナジーを形成した。「特定のキャラクターが、特定の場所を歩き回っている」ということに価値をもたせたのだ。たとえば、一線を退いた武人のキャラクターに、かつて彼が活躍した戦場を歩き回らせる。それだけでコンテンツが成立する。この「過程」は達成までのハードルが非常に低く、よってシェアがしやすい。コンテンツへの参入障壁の低さは、集団における疲弊と軋轢を緩和し、コミュニティへの話題の提供を促す。


「過程」は「移動=動作」であり、動画を主軸としたSNSがユーザーに流行していることもシナジーの形成に一役買っている。ゲームの中にTikTokやInstagramへのシェア機能がデフォルトで付属されているのが象徴的だ。また、この「過程」に価値をもたせたことは、キャラクターに設けたレアリティに対する偏見を無力化し、ゲームの攻略可能性にとどまらない新たな価値を付加している。つまり、ハズレが無いガチャを作り出すことに成功したということだ。『原神』が人気と高い売上を維持し続けている理由のひとつと言えるだろう。

この「過程」に価値を付与することだけでなく、冒頭で述べたとおり、システム周りも『原神』と『崩壊:スターレイル』は似通っている。だが『崩壊:スターレイル』には『原神』と明確に異なる点が存在する。戦闘システムが「ターン制のコマンドバトル」であるということだ。そしてこれは現在におけるゲームデザインの流行から外れているシステムでもある。さらに言えば、フィールドデザインについて、オープンワールドではなく箱庭型を採用したことで、体験のスケールはダウンしているようにも思える。なぜ『崩壊:スターレイル』は、『原神』のゲームデザインをそのままスライドせず、似せるにとどめたのか。どうして縮小化ともとれるデザインをあえて組み込んだのか。それにはゲームの普及に伴って再び注目されることになったある問題が関係している。

『原神』と似て非なる理由 愛されるために生まれてきた


ゲームを遊ぶには才能や鍛えた身体能力が必要である。これは運動競技や学問の習熟に才能や鍛えた能力が必要であることと同義だ。作品ごとに異なるインターフェースに順応しなければならず、ハードウェアや作品ごとに異なる入力体系をマスターしなければならない。さらにゲームは異なるジャンルを混ぜ込んだ複合芸術でもあるため、ジャンルごとに対応した能力が必要とされる。レトリックが重要な作品であれば文章の読解力が必要であり、リズムゲームを楽しむには音感が必要である。アクションゲームであれば反射神経や臨機応変な対応力が試されることになる。このほかにも、3D酔いや色覚異常など、身体的な事情でもゲームを快適に遊ぶことは難しくなる。アクセシビリティに関するサポートの発展を通じて、これらの問題は改善の兆しを見せている。それでもゲームは今もなお、ジャンルやシステムによっては人を選ぶ娯楽となる側面がある。

一方で、スマートフォンを通じたゲーム体験や、ストリーマー文化の発展によって、ゲームに対する認知度は向上し、ゲーマー層は広がり続けている。それに伴い「買ったゲームがクリアできない」という問題も増えた。「高難易度アクションゲームがクリアできないので低難易度を実装してほしい」といった話題を聞いたことがある人は多いだろう。つまり、アクションを採用しているからゲームを遊べない。オープンワールドを採用しているから遊べない人は存在する。『原神』を遊びたいが『原神』だから遊べないという人は必ず存在するのだ。

そこで生まれたのが共通した体験の核をもち、似て非なる姿をした『崩壊:スターレイル』である。だが待ってほしい。『原神』と『崩壊:スターレイル』の違いは主に戦闘システムである。つまり、「ターン制のコマンドバトルを導入するとプレイヤーの裾野が広がる」ことを意味している。これは一体なぜなのか。その理由はターン制のコマンドバトルがゲームデザインのトレンドを外れてなお未だに採用され続けていることに理由がある。


ターン制のコマンドバトルはコンピューターゲーム黎明期から存在するゲームシステムであり、今もなお愛されているシステムである。同時に、開発技術の発展に伴い、表現上の理由からシステムを採用する絶対的な理由がほとんど失われているシステムでもある。たとえば『ポケットモンスター』シリーズはターン制のコマンドバトルを採用し続けているが、そこに物語や世界観との相関は存在しない。本来の描写としてはアニメーション作品の方が近いと考えられる。国内外で高い評価を得た『ペルソナ5』も同様だ。ターン制のコマンドバトルを採用する必然性は作品の中に存在しない。つまり、ターン制コマンドバトルは、ゲームの設定やストーリーから切り離された存在で、ある意味では没入感を削ぎかねない。

ではなぜ採用されるのか。それは消費者が求めている、もしくは開発者が採用したいからだ。本来ゲームシステムは表現における手段のひとつでしかないが、ターン制のコマンドバトルという手段は目的に先立つ。つまりターン制のコマンドバトルは開発者、そして消費者に愛されているから採用されるのである。

ターン制のコマンドバトルと愛が結びつく理由については――プレイヤーがゲームスピードを完全にコントロールできるという特徴もあるが――昔遊んだ経験値を流用しやすいという点が大きい。かつて『ドラゴンクエスト』や『ファイナルファンタジー』『ポケットモンスター』を遊んだ経験がそのまま通用する。通用するように作られている。常に変化を標榜するゲーム業界の中で、変化に乏しいことに由来した安定感、安心感こそターン制のコマンドバトルが愛される由縁であり、作品が愛されるために採用される理由になっている。


総じて『崩壊:スターレイル』は『原神』ではすくいきれなかった層を取り込むため、より多くの人に愛されるため生まれてきたゲームだと言えるだろう。『原神』と共通項を多く設けつつ、ターン制のコマンドバトルや、アクション要素を取り払う箱庭型のフィールドデザインを採用したことは、より幅広い消費者の需要に応え、より多くの寵愛を受けるために役立っている。そして『崩壊:スターレイル』の登場は、ゲームというコンテンツがまだ人を選ぶ娯楽である事実を浮き彫りにしている。

なお、文中で『原神』との差別点であると指摘したターン制のコマンドバトルについて、体験の肝となる部分は『原神』とほぼ同じであるということを言及しておきたい。外観としてはリアルタイム制を変則的な形で導入した戦闘形態ではあるが、キャラクター間のロールや敵味方の属性シナジーを駆使して戦わなければ攻略は難しくなっている。これは『原神』も同様であり、改めて『崩壊:スターレイル』の存在意義がよく分かるデザインであると言える。

ターン制のコマンドバトルは愛され続けるのか


そんな本作の登場に伴い、筆者にはふたつの懸念が湧いた。ひとつ目は、『崩壊:スターレイル』は長期運営の形をとっているが、ゲーマーの世代交代に対応できるのかということだ。ターン制のコマンドバトルを採用する『崩壊:スターレイル』は、愛されるために生まれてきたゲームである。そしてその愛の根源はゲームスピードの遅さに由来する遊びやすさ以上に、消費者がもつ過去の経験に依存している。だが現代において、ゲームデザインにおけるトレンドは、ゲームルールの理解=面白さの理解までに時間がかかるジャンルではなく、直感的な入力が即座に画面上へ反映され、すぐ面白くなるアクションゲームである。それこそ『原神』のような3Dアクションゲームであるといえよう。スマートフォンに対応した『原神』ライクな作品は続々と登場しているし、コンシューマーゲームにおける大型タイトルにおいても、たとえばターン制コマンドバトルの大家である『ポケットモンスター』シリーズの最新作が自由自在に移動可能なオープンワールドを取り込んでいる。

さらに言えば、現代の若いゲーマーはこのトレンドが直接、自身のゲーム経験における原体験となっている可能性が高い。つまり、かつての『ドラゴンクエスト』や『ファイナルファンタジー』が、現代のゲーマーにとって『マインクラフト』や『フォートナイト』『原神』になっているのではないかということだ。今後本作が長期運営を続けるとして、アクションゲームに慣れ親しんでいる人たちに、ゲームテンポがスローペースな本作は、グローバルにヒットし続けることが可能なのだろうか。

ふたつ目についてはひとつ目に関連する形で、本作に限らずターン制のコマンドバトルは愛され続けることができるのかという懸念である。ターン制のコマンドバトルは需要ありきのシステムである。ゲーム経験における原体験が世代とともに入れ替わる中で、ターン制のコマンドバトルを取り入れるアドバンテージがやがて失われ、消滅するのではないか。


これらの懸念に対する筆者の今後の推察としては、本作がマルチプラットフォームかつ基本プレイ無料のビジネスモデルを採用していることが、良くも悪くも結果をもたらすと考えている。若い人たちが最初に触れるターン制のコマンドバトルが『崩壊:スターレイル』になり、『崩壊:スターレイル』を遊んだ経験が、さらなるターン制のコマンドバトルを組み込んだゲームを呼び込む鍵になるだろうという可能性だ。

一方で、無料でこれだけのクオリティを誇る作品が登場したという事実は、今後大作に求められるクオリティの基準をさらに引き上げることになる。比較されることを嫌い、同系統の作品が作られなくなっていくのだろうか。それともゲーム業界に多大な影響を及ぼした先達のように「スターレイル」ライクが登場していくのだろうか。とはいえ、『崩壊:スターレイル』号は始発駅を発車してまだ間もない。本作がどこへ向かい何を成すのか。今はまだ注意深く見守っていこうと思う。



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Takayuki Sawahata
Takayuki Sawahata

娯楽としてだけではなく文化としてのゲームを知り、広めていきたい。ジャンル問わず死にゲー、マゾゲー大好き。

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