オリンピック競技にビデオゲーム採用すべき 元Blizzardの『World of Warcraft』開発者が語る
肉体と集中力の限界に挑戦し、たがいをたたえ合うスポーツの祭典「オリンピック」。苦難を乗りこえ栄光を勝ちとる競技者の姿には毎度心を打たれるが、この身体能力の祭典に”電脳の世界”が参入することは可能なのだろうか。海外のビデオゲーム開発者Rob Pardo氏が、オリンピック競技にビデオゲームを採用すべきとの意見を伝えている。
スポーツの定義が広がりつつある
Rob Pardo氏は、世界でもっともプレイヤー数が多いMMO-RPG『World of Warcraft』のリードデザイナーを長年務めてきた人物だ。米国の開発スタジオBlizzard EntertainmentのCCO(Chief Creative Officer)として今年7月まで在籍していた。Blizzardは『World of Warcraft』だけでなく、リアルタイムストラテジーにおける代表的な競技用ゲーム『StarCraft』の開発元でもある。Pabro氏は、『StarCraft』の開発にもデザイナーとして参加している。
BBCのラジオ番組 5 Liveに対し、Pardo氏は「ビデオゲームは多くの観客を集めるスポーツに位置づけられている」とコメント。「e-Sports(競技ビデオゲーム)のオリンピック参入には、もっともな理由がある」と続け、スポーツの定義が広がりつつあるとの考えを示した。
もしe-Sportsがオリンピックに登場すれば、テレビの前の視聴者たちはどのような点に注目すべきなのだろうか。Pardo氏は、e-Sportsの戦いではプロのゲーマーたちが登場し、彼らの知識や技能が激しくぶつかり合うと伝える。競技者たちは素早い反射神経で競い合い、即座に決断を下さなければならない。「彼らが1分間に下す決断は300回を間違いなく超えている」とPabro氏は注目ポイントを話す。
ただ文化的な面で見ると、長い歴史を持つ身体的スポーツと、新参のe-Sportsが同等に見られるかどうかには不安が残る。Pardo氏は、「スポーツをどう定義するかという段階に差し掛かっている」と語る。「スポーツを”多大な身体能力を発揮するもの”だと定義したいのなら、ビデオゲームはスポーツであるはずだという意見に賛成することは難しいだろう。だが、すでにオリンピックにあるほかの競技を見ると、私はそのような定義に疑問を感じ始めるんだ」と伝えている。
確かに身体能力よりも集中力が必要とされ、年齢を重ねても厳しいトレーニングを重ねることで活躍できる競技は存在する。マウスやスティックを操作する指先の器用さと、多大な集中力が必要なe-Sportsも、同種のスポーツであると捉えることができるかもしれない。
とはいえ、もしオリンピックに『Counter-Strike』や『Dota 2』が登場しても、一般の視聴者はチーム競技などと同じ”スポーツ”として見ることができるだろうか。身体的スポーツのファンがe-Sportsを「スポーツだ」と認めなければ、オリンピック競技に採用されることは難しい。少なくとも、定義だけでなく文化的にe-Sportsが拡大し、社会全体で定着する必要がある。
ビデオゲーム、ほかのマインドゲームと比較し”視覚的”
ここ近年のe-Sprtsでは、『Counter-Strike』といったFPSや『StarCraft』などのRTSに続き、Dota系やMOBAと呼ばれるジャンルが新たなシーンを巻き起こしている。Valveの『Dota 2』は、PCゲーム市場最大のプラットフォームSteamにてもっともプレイされているゲームだ。同社主催の世界大会「The International」では、毎回数百万ドルの賞金総額が発表されている。今年夏の「The International 4」では1000万ドルを突破し、優勝チームには約500万ドルが与えられた。『Dota 2』と双璧をなすRiot Gamesの『League of Legends』では、今年1月にデイリープレイヤー2700万人に到達したと発表された。1日に2700万人のプレイヤーが『LoL』にアクセスしており、最大で750万人が同時にプレイしている。e-Sportsが根付いていないと言われる国内でも、ここ数年の『ストリートファイターIV』を中心とした格闘ゲームシーンの復活は記憶に新しい。
ビデオゲームを”マインドスポーツ“として考えると、先輩に「チェス」の存在がある。チェスは1927年から「チェス・オリンピアード」と呼ばれる大会を開催(近年は2年に一度)している。スポーツとして扱われることが多いものの、いまだにオリンピック競技としては認められていないのが現状だ。Pardo氏は、ビデオゲームにグラフィックスの利点があることを強調し、視覚的によりわかりやすい競技であることを強調している。