『デス・ストランディング2 オン・ザ・ビーチ』レビュー。その姿は“『デス・ストランディング』Version2.0”と呼ぶに相応しい

その姿は『デス・ストランディング2』というよりか、“『デス・ストランディング』Version2.0”という呼び名が似合う。

前作が発売されたのは約6年前。広大なフィールドを舞台にするゲームに対する課題が浮き彫りとなる中、画期的な手法を携えて現れた『デス・ストランディング』は今もなお根強い人気を誇っている。そうして発売された続編は、前作の完成度を踏まえ、主にプレイフィールの改善に注力した内容へと仕上がっている。その姿は『デス・ストランディング2』というよりも、“『デス・ストランディング』Version2.0”という呼び名が似合う。

※本稿はソニー・インタラクティブエンタテインメントから提供されたレビュー用コード(PS5版)でのプレイにもとづき執筆。極力ネタバレには配慮しているが、注意して読み進めてほしい。



『デス・ストランディング』は何が面白かったのか

『デス・ストランディング2 オン・ザ・ビーチ』(以下『デス・ストランディング2』と表記)の内容は、『デス・ストランディング』のバージョンアップ版と呼べる内容に仕上がっている。よって、本作の内容について語る前に、まずは作品のベースとなっている前作の内容について触れなければならない。端的に述べよう。

そもそも『デス・ストランディング』の特徴は、「広大なフィールドを散策する」というデザインにおいて「直立二足歩行」をゲーム化したこと、そして、「見知らぬ他人が自分のプレイを快適にする」というシステムを導入したことにある。

「直立二足歩行」。重心の調整や、感覚器官による地形の判別。筋肉の躍動。身支度をして、目的地までのルート選択をする。普段の生活上、無意識下で行われている一連のシークエンスを分解、意識のもとに晒し、小さな成功体験の積み重ねに変換した。こうした動作は日常で行われるものゆえに、プレイヤーがゲームに没入し、肉体の成果に感動を覚えるのだ。しかしながら、人間の足のみで行ける場所には限界がある。それを超えるために存在するのが、手作りのアイテムやインフラ施設である。これは広大なフィールドのデザインをプレイヤーに委託するという形で、プレイヤーごとに適した体験内容を提供するという発想の転換が観られる。が、注目すべきはそこではない。自分が設置した施設が他プレイヤーの世界にも設置される。ここに『デス・ストランディング』の核がある。

「広大なフィールドの楽しみ方 をプレイヤーに任せる 」……文字通り捉えるなら、この仕様と「自分が設置した施設が他プレイヤーの世界にも設置される」仕様は相性が悪いはずだ。しかし、蓋を開けてみればそうではなかった。自分が困っている場所は同じく他人も困っているという繋がりがあったのだ。自分が立ち往生するだろうと予測した地点に、あらかじめ橋がかかっている。崖には登りやすいようはしごがかかっている。敵の存在を予告する看板が立っている。自分のゲームプレイを他人が快適にしていく。ゲーム化された直立二足歩行=リアルな自分自身の限界を、他人の手を握り、引っ張り上げてもらうことで突破する。ならばと自分も施設を建てる。この擬似的なマルチプレイこそ『デス・ストランディング』の特徴であり、醍醐味である。

デス・ストランディングVersion2.0

そして、『デス・ストランディング2』は前作から抜本的な変化は観られないものの、コンテンツ提供のアプローチを変えることで、遊びやすさを中心に進化を遂げ、続編として成立している。思うに、前作におけるコンテンツ提供のアプローチはかなり段階的な形式を採用していたように感じられた。ミッションをこなす⇢新しい人物に出会う⇢ゲームプレイが発展⇢ミッションをこなす、といった具合だ。この方式 は自然な形でのゲームチュートリアルとして機能していることはもちろん、ゲームプレイと作中のドラマがシナジーを形成するうえで一役買っている。

しかし、ゲームが進むたび快適になっていく、という方式 は、裏を返すと序盤のプレイが難しいということでもある。そのため、早期離脱者が多く出てしまったケースも聞き及んでいる。『デス・ストランディング2』ではこの対策として、いわゆる「チュートリアルステージ」をクリアした段階で、快適な配達に必要な道具があらかた揃うようになっている。比較的早い段階から、敵対集団への強襲、BTの討伐、車両を用いた快適な移動もバリバリこなせる。

この仕様に合わせて、依頼内容 も変化が見られる。配達にあたって、複数のルート形成が可能になっているほか、時間をかけての回り道を実現するために、荷物の耐久値が飛躍的に向上している印象だ。具体的には、敵対組織やBTの出現地帯、断崖絶壁を正面から突っ切る最短ルートを選ぶか、はしごやロープ、車両をつかう迂回路のうちどれを選択するか、というロケーションの登場が前作よりもわかりやすく散見される。もちろん、制限時間付きや壊れ物な荷物を通じて、ルート選択を限定的にしている依頼もある。視界に影響する昼夜の概念を導入したこともプレイヤーの選択を誘発するうえで有効に働いている。

つまり、前作では開発陣が提供したい意図を強調したゲームデザインを採用していたが、本作ではプレイヤーの発想と選択に任せたゲームデザインを採用している。離脱者対策として、フルコースの提供から、眼の前の料理を卓上調味料で味変するスタイルに変わったように感じた。また、移動をさらに多彩にする仕組みも増えた。本作にも国道建築やジップラインが続投するほか、貨物輸送用のモノレール建築も登場。擬似的なファストトラベルを実現する建造物や、同様の機能を持った温泉の掘削といった遊びもある。敵に向けてトンデモ兵器をぶっ放すのもいいが、巨大BTをキャプチャして戦わせるのも面白い。そして、これらの仕組みはおしなべて長時間の「寄り道プレイ」により獲得できるものだ。

本作では配達中の回り道が容易になったことに合わせて、長時間の寄り道プレイをかなり推奨している印象を受けた。依頼達成時に「サブの依頼もこなしてほしい」とNPCからよく言われたり、ゲーム進行中には「物語を進めて大丈夫か、やり残したことはないか」というメッセージをたびたび受け取ることになる。作中終盤の依頼は「どれだけ寄り道したのか」という成果が問われる内容になっている。寄り道するほど移動が多彩になっていくため、強制力を感じない程度に、プレイヤーへの動機づけは十分であり、ストーリー進行中でも、自然な形で寄り道することが可能だ。

一方で、この仕様を導入したことによる問題点も発生している。先述したように、本作は最初から基本的な遊びの内容を出し切り、その後の体験についてはプレイヤーの方針に任せている。言い換えると、「プレイヤーに任せても扱い切れるような遊びの内容にしている」。本作は最初のチュートリアルステージ以降、本作ならではの新しい入力体験を学習する機会がないのだ。新たに登場する武器や設備について何か専用の複雑な仕組みや入力を理解する必要はない。たとえば、グレネードと分裂ミサイルの使用に必要な入力内容は同じであり、画面に映る内容も投擲物を当てるという点で似ている。

さらに言えば、チュートリアルステージの内容は前作の復習という点に重きを置いている。『デス・ストランディング2』は新作にも関わらず、前作の経験があればクリアできてしまうゲームなのだ。ゆえに、ソロプレイ中、既視感を通じた退屈さを覚える場面がたびたびあった。

もちろん、この形態を採用している意味はある。ゲームシステムを流用することでプレイヤーへの学習負荷を下げ、途中離脱率を低くする狙いだ。そもそも前作から引き続き「直立二足歩行」のシステム自体が慣れるまで複雑に感じられるゆえの配慮もあるだろう。しかし体験の差別化という点で、演出描写が不十分である。基本的にこの形態を採用する作品はカットシーンの内容など、入力に関係ない点で差別化を図るものだが、本作のストーリーは意図的に前作へ寄せている部分があるため、十分な差別化が出来ているとは言えないのが現状だ。

この「前作から体験の差別化が足らない」という問題点をカバーするのが、他プレイヤーの環境に擬似的な干渉をするマルチプレイ要素である。自分のゲームプレイを他人が快適にしていく、という現象は、変化内容が予測できない分、プレイヤーへの十分な刺激を逐次提供してくれている。自分の限界を他人が押し上げるという構造は、本作でも引き続き、独自の強みとして健在である。本作が長時間プレイを推奨しているのは、この変化に遭遇させやすくする意図もあるだろう。

結論として、『デス・ストランディング2』のゲームシステムはコンテンツ提供のアプローチを変更することで、プレイヤー早期離脱の対策のみならず、前作以上の「自由度」を提供している。これを通じて、長時間のプレイを誘発し、作品の隅々まで遊ばせるための自然な動機づけを行うことに成功している。肝心要の面白さについては、本作独自の内容が提供されているわけではないが、前作から引き続き、ソーシャルストランドシステムを通じたゲームプレイの予期せぬ変化によって担保されている。根本的な面白さを変えずに作品を進歩させる、続編らしい内容だと言える。

GENEとMEMEの狭間で

本作のストーリーについてはネタバレ防止の観点から多くを語ることはないが、サムとルーという家族の関係性にフォーカスした、続編らしい内容に仕上がっている。前作においては「繋がり」を人間の業、宿命と捉え、それは人間を窮地から引き上げるものでもあり、首を絞めるものでもあるということを、最初から最後まで語りあげていた。人は生まれながらにして家族や友人、地域社会など、様々な関係性の中に存在するとはよくいったものだ。

そして『デス・ストランディング2』では繋がりの構成要素について終始語るものとなっている。遺伝子的に構築される繋がり。暴力によって形成される繋がり。文化的な活動の伝承を通じて形成される繋がり。人は繋がるしかない生き物だが、ベストな繋がり方は存在するはずだ。それは縄で縛られるような、棒で脅迫されるような一方的な繋がりではなく、互いに手を結び合う握手であるはずなのだ。人は誰しも、自らのGENEと背負うMEMEの狭間に魂の荒野を抱えている。その荒野を家族と呼べる他人の力を借りながら踏破していく。その先に明日があると信じて……。

語り口についても続編らしい変化が導入されている。本作は自由度を重視したゲームプレイ方式を提供していることを特徴としているが、ストーリー展開に関してもその意図は反映されている。先述したように、前作では「ミッションをこなす→新しい人物に出会う→ゲームプレイが発展→ミッションをこなす」というゲームフローを採用していた。つまり、カットシーンが挿入される頻度が多かった。本作ではストーリー進行とキャラクター掘り下げの時間がある程度、切り離されている(一部キャラクターは時間があるときに拠点で観られる形式になっている)。また、前作から続投している人物の紹介についてはほとんどない。これによって、ゲーム進行のテンポについてはある程度改善されている。ただ、『デス・ストランディング2』の内容は極めて前作ありきの内容になっているため、可能な限り『デス・ストランディング』をプレイした後に遊んでほしいタイトルである。あらすじを確認できる機能はあるが、前作をプレイした経験が直接本作の物語体験に影響する内容である。

総じて、『デス・ストランディング2』は、進歩したゲームシステムや、前作から一歩踏み込んだ内容を語るストーリーの導入といった、前作から着実なバージョンアップを遂げた作品となっている。筆者としては、本作ならではの新しい体験 をもう少し得ることができればとは思うが、前作の完成度を考慮すると、この具合に収まったのも納得している。

社会の断絶や主義思想の違いが繋がることを通じて浮き彫りとなり、繋がることの是非が問われている昨今。この状況に合わせる形で、既存の規範から脱出する手段として、ゲームが注目される事例は珍しくなくなった。本作はその象徴たる作品と言えるだろう。平たく言えば、プレイ後に親類や友達へ「いつもありがとう」と連絡を取りたくなる、そんなゲームである。

Takayuki Sawahata
Takayuki Sawahata

娯楽としてだけではなく文化としてのゲームを知り、広めていきたい。ジャンル問わず死にゲー、マゾゲー大好き。

記事本文: 290