『Fallout: New Vegas』ディレクター、「手動セーブ実装は間違いだった」と発言し議論呼ぶ。何度もやり直す“リセットプレイ” に一家言

『Pentiment』

『Fallout: New Vegas』などでゲームディレクターを務めたJosh Sawyer氏は9月18日、X上で「手動セーブを入れたのは間違いだった」といった趣旨の内容を発言。この発言は広く話題となり、ゲーム開発者も反応して大きな議論を呼んでいる。海外メディアTheGamerが報じている。

Josh Sawyer氏はアメリカのデベロッパー、Obsidian Entertainmentに在籍するゲームデザイナーだ。同氏は『Fallout: New Vegas』にてリードデザイナーやディレクターを務めたほか、『Pillars of Eternity』や『Pentiment』などでもディレクターを務めている。


そんなSawyer氏は9月18日、自身のXアカウントにて「手動セーブは間違いだった(Manual save games were a mistake.)」と投稿した。Sawyer氏が過去に手がけた2015年リリースの『Pillars of Eternity』や2010年に発売された『Fallout: New Vegas』では、オートセーブ機能がありつつも、任意の箇所での手動セーブもおこなえる方式となっている。自身の考えが変わった影響なのかは明言されていないものの、昔の作品では手動セーブも併用できる方式を採用していた傾向にあるようだ。

上記の投稿は、そうした過去の対応を自省した内容なのだろう。なお手動セーブが「間違い」だとする理由についてSawyer氏は、安らぎを与えてくれるが、“ゲーム精神(gaming spirit)”に良くない、との見解を示している。

この同氏の投稿は、「save scumming」を念頭に置いた投稿だと思われる。save scummingとは、手動セーブシステムを濫用することを指す。具体的には、重要な局面や、選択によって大きくストーリーが変わりうる場面の直前で、セーブをおこないプレイする。そして望ましくない結果が出た際にはセーブせずにリセットし、先ほどのセーブデータからゲームプレイを再開し、望みの結果になるようプレイする、という方式だ。Sawyer氏は、決断によって遭遇した結果の“良し悪し”ではなく、たとえ予想だにしないような出来事だったとしても、プレイヤーが選択をした結果を受け入れてほしい、と考えているのだろう。

実際、Sawyer氏がディレクターを務め、2022年にリリースした『Pentiment』は手動セーブを撤廃。セーブスロットは一つのみとなっており、オートセーブを採用している。同作のデザインには、そういった同氏の考えが反映されているのかもしれない。

『Fallout: New Vegas』


この投稿には多くの反響が集まっている。たとえば急用などにより突然ゲームをやめなくてはいけなくなった場合、手動セーブがないと進捗が失われてしまう、とするもの。ほかにもゲーム自体の不具合に遭遇し、セーブデータが破損してしまうリスクを回避するためのセーブも必要という立場から「やむを得ず必要になることがある」として手動セーブの併用を支持する人が多くみられる。

とはいえ、手動セーブがなく“ミスが取り返せない”ゲームの方がより印象に残るといった主張もなされ、賛否を問わず意見が寄せられている。また『Weird West』で知られる、WolfEye Studiosの社長を務めるRaphael Colantonio氏が「反対はしないが、自分はプレイヤーに遊び方を決めさせるようにしている」と意見を表明する場面も見られるなど、開発者も反応するほどの大きな話題となっている。


ちなみに、Sawyer氏の手がけるゲーム以外でも、任意の箇所での手動セーブ機能が取り除かれているゲームが存在する。一例としては『ライフイズストレンジ』や『Detroit: Become Human』、『The Cosmic Wheel Sisterhood』などが挙げられる。いずれもプレイヤーの決断が物語の進行において重要な意味を持つ作品だ。こうした対応はゲームに対する没入感を高めたり、プレイヤー自身がおこなった選択に責任を持たせたりする狙いもあるだろう。

Sawyer氏がそうした手動セーブ機能の是非について、「実装は間違いだった」とまで述べたため、ゲーム開発者も反応するなど、SNS上で耳目を集めたかたち。もちろんジャンルや目的としているデザインによっては、手動セーブの必要性が異なることもあり、一概にどちらの意見が正解と断じることはできない。しかしながらsave scummingを用いず、自分自身が下した決断に対して責任を持って向き合いつつプレイを進めていくというのも、「ゲーム内の選択」に対する付き合い方のひとつだろう。