「3DSをください」「『プチコン3号』をください」「お金はありません」 任天堂への直談判から始まった、ニンテンドー3DSを活用した授業づくりとは

大阪府立泉尾高等学校。大阪市大正区にある、創立90年以上を数える高校で、ニンテンドー3DSを用いたプログラミング教育が行われている。授業は3年生向けの選択科目「パソコン演習」だ。教材に相当するのが、スマイルブームが開発・販売する『プチコン3号 SmileBASIC』で、授業ではゲームのプログラムを横目で見ながら、ひたすら入力(写経)するのだという。

業界のレアキャラが『プチコン3号』で化学反応

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――スマイルブームと泉尾高校の関係はわかりました。一方で眞壁先生と泉尾高校の関係が今ひとつわからないのですが・……。眞壁先生はどういった経緯でオシロスコープソフトを作成されて、それが授業で使われるようになったのでしょうか? そもそも眞壁先生はなぜプログラミングができるんでしょうか?

眞壁先生:
えーっと、そこからですか。ひとことでいうと、子供の頃に「ファミリーベーシック(※)」で遊んでいたんですよ。

※1984年に発売された任天堂のファミリーコンピュータ周辺機器。BASIC言語でゲーム開発をすることが可能。

――あれ? そんな世代ですか?

眞壁先生:
ちょうど小学校高学年のころでした。まさに自分がファミコン世代なんですよ。

――ただ、普通は子供の頃の遊びで終わっちゃいますよね。なぜそれが今『プチコン3号』で、オシロスコープソフトを自作されるまでに至ったんでしょうか?

眞壁先生:
自分もプログラミングはしばらく止めていたんですよ。その後、大学で職を得て、学生にHTMLやCSSなどを教えるようになり、ソフトウェアの開発をしたいなという気持ちがありつつも、ちょっと敷居が高いなあと感じていました。VisualBasicも授業の片手間に勉強するには、ちょっと大変そうじゃないですか。ただ、たまたまDolby Japanに近藤広明さんという方がいて……。

――元カプコンで、CEDECの運営委員もされている近藤さんですよね。よく存じ上げています。

眞壁先生:
私が高校生の時に、近藤さんと私とあと二人でバンドを組んで、YAMAHA主催のサウンドコンテストに応募していたんですよ。そこで入賞させていただいて、小室哲哉、木根尚登、浅倉大介に実際に会ってきました。私が高校2年生で、近藤さんが専門学校生だったかな。

東北文教大学の教員である眞壁先生
東北文教大学の教員である眞壁先生

――そんなことがあったんですね。それからどうなったんですか?

眞壁先生:
その時はそれで終わって、私も大学に入って、近藤さんとも連絡をとることなく、すっかり忘れていました。そこから20年くらいたって、2年前にFacebookで近藤さんと繋がったんですよ。それで昨年の6月に、私が毎年情報教育系のイベントで上京するものですから、Facebookで東京にいると書き込んだら、近藤さんと「今日会うか!」という話になりまして。2015年6月4日に20年以上ぶりにお会いしました。飲み屋でつもる話がいろいろあったんですが、その最後に「8月に盛岡に行くので、よかったら顔を出さない? 佐野電磁さん(元ナムコで『リッジレーサー』『鉄拳』シリーズなどの音楽制作を担当した作曲家)も来るし」と言われまして。

――うわー、濃い面子ですね。

眞壁先生:
佐野さんには2008年にニンテンドーDS向けのシンセサイザーソフト『KORG DS-10』のイベントでお会いしていたんです。『DS-10』むけの作品を作って応募して、東京のクラブで演奏させていただきました。それが契機になって、佐野さんには2010年から毎年、山形まで来学していただいているんです。今年も学園祭に来ていただく予定です。

――そうした面子が昨年の8月にイベントで集まって。ちなみに、何のイベントだったんですか?

眞壁先生
特濃!ゲーム開発塾2015@盛岡」です。

――ああ、元CEDEC運営委員長をされていた、吉岡直人さんが旗振り役を務めている、アマチュアを対象とした技術カンファレンスですね。

眞壁先生:
東北でこんなに熱いイベントが行われていることに驚きまして、さっそく見学させていただきました。そこで『プチコン3号』をプラットフォームにして、盛岡のキャラクターを題材にゲーム開発の授業が行われていたんです。そこで小林さんにもお会いしました。

小林氏:
5日間講師で参加していました。だんだん繋がってきましたね。

眞壁先生:
その時、そういえば『プチコン3号』をダウンロードしたまま、触ってなかったことを思い出しまして。ちなみに『プチコン』シリーズはすべて購入して、そのままになっていました。

――そういう人、多いと思います。

眞壁先生:
ただ、参加者の熱気にあてられて、あらためて自分でも触ってみたら、なんとなくできそうな気がしたんですよ。それで8月から『プチコン3号』を触りはじめて、2週間でプロトタイプができて、2ヶ月でオシロスコープソフトが完成しました。

――そんなに早く完成するんですか? 子供の頃にファミリーBASICを触ったきりですよ?

小林氏:
できる人はできちゃうんですねえ。本人に地力があったというか……。

眞壁先生:
ニンテンドー3DSで佐野さんが開発された『KORG DSN-12』というシンセサイザーソフトに触発されました。『DS-10』の上位版で、上画面にオシロスコープを表示する機能が内蔵されていたんです。『DSN-12』で再生した音の波形がリアルタイムに表示されるというもので、ニンテンドー3DSの立体視機能を活かした、奥行きのあるオシロスコープソフトになっていました。確かにおもしろかったんですが、本体のマイクがありながら、外部の音を拾って波形を表示できなかったんですね。やっぱり自分の声の波形って、見てみたいじゃないですか。

――はいはい。

眞壁先生:
それで『プチコン3号』を使ったら、なんとなく作れそうな気がして。実際に作ってみました。

――そうした機能もあるんですか?

小林氏:
はい、マイクの音を拾って周波数変換をする命令が『プチコン3号』にはサポートされています。

――すごいなあ。そういったことがBASICでできちゃう時代なんですね。

小林氏:
もともと作っている人間が自分と同じく業界の30年選手で、ゲーム開発に必要な機能だけを選択してBASICの命令に落とし込んでいますので。ハードウェアの機能で使えるものは全部使うというのが開発コンセプトです。

眞壁先生:
8月は授業も無い時期だったので、どんどんおもしろくなっていって、集中して作っていました。それで2週間でプロトタイプができたんです。

――つまり、『プチコン3号』で本格的に作った初めてのBASICのソフトが、オシロスコープソフトだったんですね。

眞壁先生:
そうなりますね。

-――人間ってすごいなあ(笑)

徳留氏:
もう、笑うしかないですよね(笑)

――たぶん眞壁先生がレアキャラだと思うんですよ。でも、佐野さんといい、近藤さんといい、吉岡さんといい、もちろん小林さんもそうですが、レアキャラ同志が結びつくと、こんなにすごいことがおきるんですね(笑)

眞壁先生:
確かに、いま上げられた方々が一人でもいなければ、このオシロスコープソフトはこの世に生まれていませんでしたね。

 

いかに生徒の心に爪痕を残せるか

――それで、オシロスコープソフトができました。それがどういう経緯で泉尾高校で使われるようになったのでしょうか? それもまた謎すぎて……。

眞壁先生:
私の専門が教育工学なので、せっかくオシロスコープソフトを作ったのだから、学校現場で使って欲しいというか、使ってもらわないと研究にならないというか……。

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――たしかに。

眞壁先生:
とりあえず情報処理学会でソフトを開発したという論文を書いて、大学の紀要論文にも書きました。でも、それって単に「作りました」というだけなので。実際に使ってみて、本当に効果があるかは、誰も調べていないわけです。そのため今年度に入ってから、FacebookとTwitterで「使ってね」とことあるごとにアピールし続けました。そうしたら、今年の7月くらいに、泉尾高校から連絡がありまして。

――大見先生と眞壁先生はどのようにつながったんですか?

大見先生:
たぶん小林さん経由だったと思います。

――そうか、眞壁先生は「特濃!」で小林さんと知り合いで、「使って欲しい」アピールもされていたわけですね。それが小林さん経由で大見先生につながって……。

大見先生:
Facebookで眞壁先生が「シンセサイザーソフトを作ったので、学校現場で使って欲しい」と書き込みをされているのを見て。ちょうどうちにはニンテンドー3DSと『プチコン3号』が30セットありましたから。すでに僕の「パソコン演習」の授業でプログラミング教育に使っていましたが、もう少し校内で、いろんな先生に使ってもらいたいなあと思っていたんです。それで、食いついてしまいました。

――『プチコン3号』で作ったプログラムは共有できるんですよね。

大見先生:
はい、公開キーを教えていただいて、実際に触ってみて。これは理科の授業でやったことがあるけど、自分の専門分野ではないなと思いまして。それで、たまたま通りかかった森井先生に「これどう?」と見せまして。これを使って授業をやってみない? と聞いたら、「考えます」と言ってくださって。

森井先生:
そういうものが、あるんだったら、使っても良いかなあと。

森井先生 泉尾高校の教員である森井先生
泉尾高校の教員である森井先生

――もともとニンテンドー3DSを使った授業づくりには興味があったんですか?

森井先生:
去年赴任してきて、学校説明会などに出ると、ニンテンドー3DSを使った授業をしているという話を聞くわけです。でも、実際に自分は授業で使っていないんですよね。機材はあるのに、使えないままだったら、なんとなく嫌やなと思っていたんです。そんなころ、「理科でも『ニンテンドーDS教室』なら、Excelで問題を作ってドリル的に使える」という話を伺いまして、じゃあやってみるかと。それで去年の二学期から1年生を対象に、テスト前の演習などで使い始めたんです。

――どんな問題だったんですか?

森井先生:
いわゆる「復習プリント」的な扱いですね。実際、うちの学校の生徒たちだと、復習プリントを作って配っても、一部の生徒が友達の答えを丸写しするくらいで、たいていノートに挟んだまま忘れられてしまうんですよ。それだったら『ニンテンドーDS教室』を使って、テスト前にやらせたほうがいいだろうと。実際、生徒たちも珍しがって、触ってくれますしね。

大見先生:
実際に『ニンテンドーDS教室』は、今でも多くの授業で使われているんです。

――そういった下地があった中で、オシロスコープソフトを見せられたわけですね。

森井先生:
そうですね。そういうものがあるんだったら、使わないのはもったいないと思ってしまうタイプなので。そういった、何か特別な教材を活かした授業作りについては、前の学校でも結構やっていました。使って減るもんじゃないですしね。

――オシロスコープソフトを触って、すぐに授業設計のアイディアは浮かびましたか?

森井先生:
wikiに上がっていたマニュアルを見て、ソフトを触りながら授業設計を考えました。むしろ生徒に一人一台ずつニンテンドー3DSを渡して、うまく授業が成立するかが心配でした。使ってみせるだけなら簡単ですが、生徒に触らせるとなると、話は別ですからね。ただ、そこは実際にやらせてみて考えようと。

――ただ、実際問題としてそんなに簡単に、既存の授業内容に組み込めるものなんでしょうか? 自分も学生時代に教員免許を取ろうとして、教育実習に行きまして、そこで「授業づくりって、けっこう大変だぞ」と感じたのを覚えています。実際、自分は教員免許をとることなく、現在にいたるわけですが。

森井先生:
とりあえず「やります」と言ったからには、やらなあかんやろうと。

――いやいや、現場の先生が「やります」といっても、学校側から「だめです」と言われたら、話が進まないじゃないですか。

大見先生:
そこは、たぶん僕のプレッシャーですね(笑)。僕が「やって!」とお願いしたので、「ノー」と言えなかったんじゃないかと。

森井先生:
教員採用試験をパスするまえに、国立の学校で期限付講師をしていたことがあるんです。そこでは常勤・非常勤をとわず、いろいろな先進的な取り組みがあり、現場の教員がやらなければいけない環境におかれていました。そういった経験もあったので、慣れていたというか。その時と比べれば、今回は自分一人で授業内容を考えて、やればいいだけの話でしたから、気が楽でした。1クラスだけですし、自分の授業ですし。

――首席もやれと言っているし、機材もあるし、音波の授業もあるし、あとはやるだけだと。それは楽でしたね。

森井先生:
……(無言)。

――言葉がつまった(笑)。

眞壁先生:
たしかに、あとづけで何かを授業に組み込むって難しいんですよ。学校は最初に年間計画を立てるので、それに沿って授業を進めるはずなんです。一方で私は大学の側の立ち場だから、研究のために授業の案を作っては、同じように授業実践を学校にお願いしたことが何回かあるんですが、やっぱり成功しないんですね。「検討してみます」と言われて、そこから先は音沙汰がない、という事態を何度も経験しています。そういう意味で、今回は使っていただけただけでありがたかったんですよ。

――それは泉尾高校の特殊性に起因する要素なんでしょうか?

眞壁先生:
やっぱり校長先生がすばらしいですね。「やれ!」の一言という。

大見先生:
眞壁先生が仰られるとおり、年間計画で本来は授業がきっちり決まっているんですよ。だから、途中からニンテンドー3DSを使った授業を組み込むというのは、なかなかできないんです。

――やっぱり。

大見先生
ただ、いかに子供たちの記憶に爪痕を残せるかを考えたとき、自分が楽しい、おもしろいと思える授業をやらないと。『プチコン3号』を入れたのも、そういう思いからでしたし。理科という授業の中で、森井先生がどう考えられているのかはわからないんですが、とりあえず実験と思ってやってくれはったらと。これで何か感じられることがあったら、それだけで良いですし。森井先生の授業の今後のたしにもなればいいですし。そしてなにより生徒らが「僕もやりたい」「私もやりたい」と広がっていけばいいし。

 

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Kenji Ono
Kenji Ono

1971年生まれ。関西大学社会学部卒。「ゲーム批評」(マイクロマガジン社刊)編集長などを経てフリーランスのゲームジャーナリスト。GDC、E3をはじめ、国内外のゲームイベントへの取材・レビュー・インタビュー記事、書籍執筆、講演など、幅広く活動している。NPO法人IGDA日本名誉理事・事務スタッフ。主な書籍に「ゲーム開発者が知るべき97のこと②」(編著)がある。

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