『あつまれ どうぶつの森』のしずえは、そろそろ“身の上話”を控えるべきなのか。日々のしずえトークをめぐる議論勃発
『あつまれ どうぶつの森』の一日は、しずえの呼びかけから始まる。案内所のしずえが日付と時間を知らせたのち、イベント内の告知や雑談を展開し、今日も一日がんばりましょうと締める。このシーンは、案内所が増築してから、一日の始まりに必ず挿入される定番シーンである。発売から2か月以上が経過した今、この朝のシーンを改善する要望が一部ユーザーから寄せられており、Redditにて議論が勃発している。
きっかけとなったのは、「しずえはなぜ実際に起きていることを報告してくれないの?」というスレッドだ。スレッド主は具体的な実装例とあげながら、しずえに報告してほしい内容を列挙している。たとえば今晩にはフーコが出るだとか、レックスやジャスティン、ローランがきたことや、つねきちの来訪を知らせるべきではないかと訴えかけている。この意見については、賛同多数。一方でしずえのあり方を問う意見も寄せられ議論はヒートアップ。1000件近いコメントが寄せられ、意見がかわされているのだ。
しずえは、シーズンのイベントについては、基本的に告知してくれている。釣り大会やイースターイベント。そしてどうぶつの誕生日についても知らせてくれる。島内で大きな動きがあった時も、なんらかのコメントを出してくれる。しかし、島への来訪者については、基本的に初回のみ反応してくれるが、以降は告知対象にはならない。スレッド内では、つねきちやゆうたろうは“こっそり”イベントなので別として、それ以外の来訪者は告知をいれるべきなのではないかという意見に、もっとも支持できる意見として5800件以上の賛成が寄せられている。
「身の上話」はもう聞きたくない
このスレッドでは、告知不十分への不満と並行して、しずえへの批判がもうひとつ寄せられている。それは彼女の「身の上話」である。朝の告知では、大きな報告がない際には、曜日についての感想や自身の身の上話が、しずえから語られる。曜日話については、とばしすぎないようにといった配慮や、折返しだから頑張りましょうといった一般的な世間話。そして身の上話というと、しずえが昨日見たバラエティ番組の感想や、両親とビデオチャットをした報告など。ちょっとしたパーソナルな話を交えたのち、自分語りをしたことを恥ずかしがりつつ、告知は終わる。
この身の上話そのものは、かわいらしいと感じる人が多いだろう。話の後には必ず「自分の話をしてしまってお恥ずかしい」というコメントが添えられており、ほどよい“わきまえ”がある。また上記の話以外にもクロスワードが解けた話や占いの運勢がよかったという話など、バリエーションは幅広い。しかしながら、同スレッドではこの話を“無駄な時間”と批判する意見が飛び交っている。「毎日毎日靴下を見つけた話を聞かされ、来訪者について報告しない意味がわからない」という厳しい意見にも2000件の賛成が寄せられているほか、「彼女が昨日見た映画の感想を聞くのに40秒とられる必要性が感じられない」といった同様の批判が寄せられている。
では、しずえの身の上話は最初から無駄であるとされていたのかというと、そういうわけでもないだろう。「ああいうテキスト(身の上話)が『どうぶつの森』をかわいらしくしているんだろう」という反論についても出てきている。ただし、「最初はそうだったが、毎日聞かされるとうんざりしてくる」という旨の意見が意見として寄せられている。また身の上話も同じ話題になりがちで、結果的に彼女が生き物ではなくBOTであるように感じてしまうという感想もあがっている。
落ち着いてきた生活が引き起こす不満
このタイミングで、朝の告知についての批判が出てくるのは、ある意味では必然だろう。『あつまれ どうぶつの森』では、徐々に日常からイベントが減ってきているからだ。イベントが少ないというのは、行事が少ないことを意味しているわけではない。プレイヤーが一通りのイベントをこなしてきたので、ゲームとして落ち着いてきたのだ。案内所の新設や、島民の呼び込み、島の評判の星上げ。しずえの告知はゲーム上の進行イベントによるものも含まれており、ゲームを進めていけば自然とその報告回数は減っていく。ある程度のところまで進めているならば報告すべきことは減っていき、結果としてしずえの身の上話の回数が増えるのだ。一方で、プレイヤーにとって重要な「来訪者についての報告」がなければ、情報として薄い上に何度も聞いている身の上話の存在意義について疑問が呈されるのは自然なことだろう。毎日遊ぶライブ型のゲームだからこそ生まれる不満なのだ。
Redditユーザーが意見していたように、しずえの身の上話は本作における重要なフレーバーテキストでもある。一見どうでもいい話であったとしても、彼女の両親とのビデオチャット報告と、その後の照れ顔。そして最後に見せる彼女の笑顔は、『あつまれ どうぶつの森』を始めるにあたってプレイヤーをリラックスさせる効果や、ゲームのペースをスローダウンさせる意義を与えている。またしずえトークについては、「苦痛といえるほど長いか」という点は検討の余地がある。あの部分をカットするという案が出ようものならば、反対意見が殺到するのは想像に易い。しかしながら「キュートな身の上話」は、より重要である来訪者の不在や、話そのものが何度も繰り返されることにより、「無駄話」という位置づけに変化しつつあるという現象は、毎日遊ぶユーザーにとって理解できるものだろう。
『どうぶつの森』シリーズは、意図的にプレイヤーに制約を課す作品でもある。合理性のための改善には、そこまで積極的ではないということだ。本作と同じく野上恒氏がプロデューサーを務める『スプラトゥーン』シリーズの冒頭告知(ハイカラニュース)は、賛否両論ありながら最後までカットされなかったことを考えると、しずえの話がカットされることはまずないだろう。しかしながら、身の上話について煩雑さを感じるプレイヤーが増えてきたのも事実。改善案として、彼女が身の上話を控えずとも、来訪者の報告が入るようになれば、批判は収まっていくだろう。単純に頻度が下がれば、身の上話が疎まれる機会も減ると予想できる。
『どうぶつの森』シリーズの運用については、合理化と世界観のバランスを考慮して改善を進めてきた任天堂。『あつまれ どうぶつの森』においても、テキストやバランス調整など幅広いアップデートが重ねられている。しずえはこのまま身の上話を続けていくのか。もしくはより幅広い話題を提供してくれるようになるのか。生活ゲームとして今後も変化が生まれていく『あつまれ どうぶつの森』の毎日のワンシーンに注目していきたい。