大手ゲーム企業Activision Blizzardは、「ヘルスケアアプリ」で従業員の健康状態を把握する。精神衛生から妊娠中の健康管理まで

 

Activision Blizzardは従業員の健康管理の一環として、ヘルスケアアプリを活用している。これはThe Washington Postの記事にて触れられたもので、Gameindustry.bizがその概要を伝えている。The Washington Postの記事は、生理周期や妊娠期間中の健康管理を目的としたアプリケーションを配信しているOvia Health社を取り上げたもの。ユーザー数1000万人を超えるOvia Healthのような、女性向けのヘルスケアアプリの需要が増える中で、そうしたアプリの利用から得られるユーザーとしてのメリットと、ユーザー自身および子供のセンシティブな情報をアプリ提供者に受け渡すことのリスクを洗い出していく内容となっている。

 

身体情報という最高級の個人情報

Ovia Fertility & Cycle Tracker

Ovia Healthは個人向けのアプリ提供だけでなく、民間企業向けのプランも提供している。集積化かつ匿名化された従業員の健康情報を、社内の人事部がモニタリングするためのサービスだ。Activision Blizzardも、Ovia Healthのサービスを導入している企業のひとつである。従業員の健康状況を知り、従業員の健康改善ならびに医療コスト削減につなげることが狙いであるという。同社はOvia Healthに限らず、さまざまなサービスを併用して幅広い健康情報を集めているが、妊娠・出産に関わる分野は医療コストを測る上でもっとも高額かつ予測が難しいとされている。そのため、こうした女性向けのヘルスケアアプリは、ユーザーの健康管理という役割を果たすと同時に、雇用主や保険会社にとっての有益なデータならびにモニタリングツールとして重宝されている。

ユーザーの身体情報を引き出すヘルスケアアプリは、ユーザーの入力内容をもとに、情報をグラフとして見せたり、アプリによってはアドバイスを表示したりと、ユーザーのモチベーションを高めることで継続的な情報収集を目指している。それは結果的にユーザーの健康管理および健康課題・潜在的な発症リスクの発見にもつながる。手軽に使えることから、読者の中にも活用している方はいるだろう。今回取り上げられたOvia Healthも、妊娠・出産中の健康上のさまざまなリスクを下げる効果が期待されている。

Activision Blizzardは、不妊治療を受けていた従業員20人近くが、アプリを導入してから無事妊娠に至ったと説明している(もちろん、アプリを導入してから、というだけでアプリの効果であったのかは定かではない)。またOvia Healthを含め、Activision Blizzardが導入している健康プログラムの成果として、従業員一人あたり年間12万円の医療費削減を達成できたとのこと。こうした数字を用いて、アプリの導入が正当化されている。なお企業としての医療コスト削減につながるだけでなく、従業員の職場復帰までにかかる時間も予測できるようになるという。十分なデータが集まれば、福利厚生の変更を検討する際の資料としても活用できるだろう。

 

従業員の反応は「ビッグブラザー」から「従業員想いの企業」へと変化

Activision Blizzard従業員によるアプリの利用はあくまでも任意だという。やはりセンシティブな情報を扱うだけあって、強制となればかなりの反発を食らうだろう。インセンティブとしては、たとえばOvia Healthのアプリを利用している従業員であれば、1日1ドル分のギフトカードが支給される。

同社がこうした健康管理用のツールを活用し始めたのは、2014年から。当時は利用者の歩数や消費カロリーなどを記録するスマートウォッチFitbitの利用が推奨されていた。その後も同社はメンタルヘルスやダイエット、睡眠習慣、さらにはがん治療など、従業員の健康管理を強化すべく、さまざまな健康プログラムを取り入れてきたという。

Activision Blizzardにて、こうしたプログラムの導入を担当しているグローバル・ベネフィッツ部門のヴァイス・プレジデントMilt Ezzard氏は、従業員の反応が「おいおい、Activision Blizzardはビッグ・ブラザーじゃないか」から「なんだ、Activision Blizzardは私たちの生活を手助けするためのツールを用意してくれているんだ」へと変化していったと、The Washington Postに対し語っている。

 

1日1ドル、プライバシーとセキュリティという2つのリスク

Ovia Pregnancy

ユーザーの身体情報は究極の個人情報とも言われ、複数の情報が組み合わされば、その人の生活習慣はかなりのところ把握できるようになる。先述したOvia Healthのアプリであれば、懐妊しようとし始めた時期から、妊娠中の身体ケア状態、そして出産後の経過までを記録・管理できる。睡眠時間や食生活、体重、性交した日や回数、日々の体調までを細かく情報化。雇用主としては、そうしたデータの集積体として、従業員の生活傾向を知ることができる。またOvia Healthのアプリ内で表示される記事の閲覧数などから、企業の人事部としては従業員がどのような悩みを抱えていて、どのような相談が持ちかけられてきそうなのか、あらかじめ予測して準備することまで可能なのだ。

企業におけるHR部門の効率化という側面から捉えると、こうしたアプリの利用からは明確な効果が期待できるだろう。ただし、従業員側としてはプライバシーやセキュリティといったリスクを背負うことは避けられない。従業員のセンシティブな情報を雇用主が閲覧できてしまうというプライバシーの問題については、先述したようにOvia Healthでは情報の匿名化を図っていることが反論として挙げられている。またActivision Blizzardの場合、平均して約50人の従業員が同時期に妊娠・出産期間に入ることから、匿名化された情報を分析しても個人を特定できないようになっているという。とはいえ、Activision Blizzardのような巨大企業ではなく、従業員数が少ない企業で導入されれば、ある程度は個人を特定し得るだろう。

情報漏洩というセキュリティ面でのリスクとも無縁ではない。2016年にはGlowという生理周期管理用アプリが、セキュリティの脆弱性により、ユーザーの情報に簡単にアクセスできてしまっていたという事例が発生している(The Washington Post)。また最近では同様の女性向けアプリFloが、Facebookに個人情報を共有していたことが発覚し、問題となった(The Wall Street Journal)。

このように従業員は、1日1ドルのギフトカードのかわりに、プライバシーとセキュリティという2つのリスクを背負うことになる。ただ、従業員の健康管理に役立っているという点は事実なのだろう。企業としては医療コストが減り、従業員としては個人の健康向上の手助けとなる。その確かな実感が双方にあるからこそ、企業の取り組みとして定着しているのではないだろうか。ただ、はたして企業のHR部門が、健康データを適切に分析し、正しい結論を導き出せるのか、という点には疑問が残る。

 

デスマーチと戦うゲーム業界の健康管理

従業員の健康管理。その取り組みがフィーチャーされる機会は増えつつある。日本においては経済産業省と東京証券取引所が「従業員の健康管理を経営的な視点で考え、戦略的に取り組む上場企業」を選定する「健康経営銘柄」を発表している。また今年3月には、日本ユニシスが画像分析AIを活用したヘルスケアアプリにより、東京メトロ従業員の健康状態を把握し、体調改善を図る実証を開始すると発表している(PR TIMES)。このような従業員の健康管理を意識した「健康経営」という言葉を耳にする機会が増えたと実感している方もいるのではないだろうか。

国家として一応は健康的な働き方を促進する動きを見せているとはいえ、ゲーム業界という単位で見ると、国内外問わず、劣悪な労働環境や集中的な長時間労働(Crunch)に関する報道がもはや日常茶飯事のように飛び込んでくる。先日には『Anthem』の開発期間中、BioWareにてストレスを起因とした休職者が続出したことが報じられた(関連記事)。報道後にはBioWareのゼネラル・マネージャーであるCasey Hudson氏が、労働環境の改善が必要な状態にあることを認めるメッセージを発信していた。たびたび海外メディアのインタビューにて、AAA級タイトルの開発におけるCrunchの問題に触れてきたAmy Hennig氏も、Crunchが業界内で大きな課題となっていると発信し続けている。またHennig氏は、過酷なスケジュールが続くAAA級タイトルを離れてインディーゲームやカジュアルゲームに移っていった人たちをたくさん知っており、現代の開発体制は持続可能なものではないとも語ってきた(関連記事)。2018年の大ヒット作『レッド・デッド・リデンプション2』においても、一部のスタッフは集中的な長時間労働を経験したと報じられ注目を浴びた(関連記事)。

もちろんそうした長時間労働は健康被害を招く。またAmy Hennig氏が語るように、ゲーム業界においては、優秀な人材が燃え尽きてしまい、業界を去ったり、長期休暇を取るケースが多く、人材流出や過酷な労働環境は課題として存在し続けている。『The Last of Us』や『Uncharted』シリーズに関わってきたNaughty Dogの元ディレクターBruce Straley氏も、『Uncharted 4』の開発におけるストレスとプレッシャーが原因で退社および長期休暇入りを決意したと語っていた(Kotaku Splitscreen)。

適切なマネジメントを筆頭とした根本的な問題解決が不可欠ではあるが、それをサポートする形で従業員の健康負担を軽減するためのプログラムを活用するというのは、ひとつの有効な手だろう。特に膨大な人数の従業員を抱えているActivision Blizzardのような巨大企業ともなれば、データ化された、効率的な人材・コスト管理が求められてくる。だが、そうした新しい取り組みには、メリットだけでなくリスクも伴うことを念頭に置いておかねばならないだろう。

先述したActivision BlizzardのEzzard氏は、Ovia Healthのようなプログラムは、競争の激しい業界の中で勝ち抜いていくこと、そして優秀な女性従業員の流出を防ぐことに貢献していると語っている。従業員としてはプライバシーやセキュリティ面でのリスクがありつつも、「健康改善」「任意参加」という名目のもと個人情報を受け渡し、企業成長に貢献しているヘルスケアアプリ。Activision Blizzardのような大企業が長期スパンで成果をあげれば、その採用例は業界内で増えていくのかもしれない。