「キノピオの頭部は本体なのか、被り物なのか」海外にてキノピオの“頭”をめぐる調査と議論が繰り広げられる
海外にて、キノピオの頭部をめぐる議論が交わされている。火付け役となったのは海外メディアDorklyによる記事だ。これまでキノピオの正体にまつわる議論は、国内外でも展開されていた。しかし『スーパーマリオ オデッセイ』におけるキノピオは、不可解な行動を繰り返しており、プレイヤーをさらなる混乱へ陥れた。Dorklyはそうした長年の謎を解決すべく、「キノピオの頭部」における研究を始めた。なお、この記事には一部『スーパーマリオ オデッセイ』のネタバレが含まれているので、未クリアのプレイヤーは注意してほしい。
キノピオの頭部は被り物だよ説
Dorklyはまず、キノピオの頭部は被り物である可能性に言及している。もっとも古い資料となるのが、アメリカ向けに放映されたテレビ番組「The Super Mario Bros. Super Show!」。1989年に放映が始まったこの番組にてキノピオは、頭部のキノコ状のものを外し、パラシュートのように活用している。任天堂が直接手がけた作品ではないという点で、正史とするかは悩むところではある。このほかにも被り物である可能性を示唆する資料は数多く存在する。
たとえば、『スーパーマリオ 3Dワールド』では青色のキノピオがプレイアブルキャラクターとして使用できるが、キノピオにてブーメランフラワーを取得すると「ブロス風」のキノピオになる。頭にはヘルメットを被っているが、このヘルメットは普段の頭部より小さい。つまり、普段の斑点型の頭部は付け替え可能であることを裏付けているというわけだ。ほかにもシリーズ作品には『ペーパーマリオRPG』の「キノシコワ」を代表に、前髪を伸ばしているキノピオ系のキャラクターが存在する。こうした髪型は頭部の下より生えてきており、やはり頭部が被り物であることをにおわせている。
さらには日本のWikipediaのキノピオのページでは「キノコの笠のような帽子をかぶっているのが特徴的である。」と記述されている。Wikipediaは一般ユーザーでも編集できるようなページであるので真偽はさておき、同ページに記されていることから「キノピオは帽子を被っている」と認識する国内ユーザーは多いと考えられるだろう。
キノピオの頭部は体の一部だよ説
旧作の資料を参照すると、キノピオの頭部は被り物であることが有力だ。しかしながら、最近の作品はというと、むしろ体の一部であると示唆している。『スーパーマリオ オデッセイ』でのキノピオの言動を見てみよう。たとえば、同作のキノピオが、BGMのクイズをマリオに問いかけるという奇妙なシーンがクリア後にある。このキノピオは頭部にヘッドホンをかぶせており、音楽を聴いている。被り物の上から曲を楽しむのは非合理的である。この斑点の頭部が体の一部であり、聴覚の機能を有しており、それゆえにヘッドホンを上からかけていると考えるべきだろう。
— Marc P.I. (@iammarcpi) October 29, 2017
また同じくクリア後には、キノピオたちがさまざまな被り物を見せびらかすシーンがある。頭部が被り物だとすると、やはり被り物の上から被り物をかぶるという奇妙なシチュエーションが生まれてしまう。『スーパーマリオ オデッセイ』においては、キノピオの頭部は体の一部であると示唆する資料がいくつか存在するのだ。Dorklyは、さらにその他キノピコの髪型の構造などを支持する材料として挙げ、「キノピオの頭部は体の一部だよ」説を有力としている。
さらにYouTubeユーザーShesez氏はこの意見に強く同意する。氏はもっとテクニカルな部分から「キノピオの頭部は体の一部だよ」説をアプローチ。歴代のさまざまな3D表現を用いた「マリオ」作品に登場するキノピオの頭部のポリゴンの内部を調査した。いずれの作品でもキノピオの頭部の内部は空洞になっているほか、顔面と頭部がつながっていることを指摘。
さらには、『マリオパーティー4』では、ほかの被り物や背負っているキャラクターのポリゴンの内部は内部構造が細かくレンダリングされていることに対し、キノピオはやはり空洞。キノピオの頭部が被り物ではないとあらためて立証された形だ。レンダリングの手間を省くために帽子であるという表現を簡略化している可能性もあるが、技術的な観点でいえばShesez氏の述べるように、「キノピオの頭部は体の一部だよ」が有力となる。
結論を述べると、「キノピオの頭部は体の一部だよ」説がより優勢となっている。ただ、最新作である『スーパーマリオ オデッセイ』を論拠としている点では、次なる新作が発売され、そこでのキノピオの頭部次第ではこの状況が大きく変わることも大いに考えられ、余談を許さない状況だ。任天堂が回答するまでは、あくまで優勢であっても仮説の域を出ない。
整合性を考えれば、キノピオの頭部に一貫した設定は存在せず、作品ごとに頭部の扱いが違うと推測することもできるが、情熱的な検証の前にはそんな冷めた意見を言うのは野暮だろう。作品を追うごとにかわいらしさを増すキノピオに対しては、今後研究対象としての好奇のまなざしが向けられることが予想される。