一昨年の「E3 2015」にて、ゾンビサバイバルゲーム『DayZ』の生みの親として知られるクリエイターDean Hall氏が、PCとXbox One向けに発表した『ION』というタイトルを覚えているだろうか。このプロジェクトは、大規模オンラインシミュレーターとして立ち上げられ、スクリプトやクエストではなく物理学や化学に基づいた自然法則から宇宙を組み立てるというゲームデザインをテーマに掲げていた。しかし、発売時期も明かされないままに一切続報はなく、いつしか忘却の彼方へ消えていった。そんな中、実はもう誰も開発に着手していないことが、海外メディアの取材をとおして明らかになった。生まれる前から宇宙は無に帰していたのだ。
忘れ去られた巨大プロジェクトの末路
『ION』は、2003年のWindows向け見下ろし型ロールプレイングゲーム『Space Station 13』から影響を受けたMMOスペースシミュレーターとして、2015年6月にニュージーランドの開発スタジオRocketWerkzから発表された。同社を率いるクリエイターのDean Hall氏は、元ニュージーランド空軍所属の退役軍人であり、Bohemia Interactiveの軍事シミュレーター『ARMA 2』用のゾンビサバイバルMod「DayZ」の生みの親として知られる。後にBohemia Interactiveと正式に契約を結び、スタンダアローン版『DayZ』のプロジェクトリーダーとして採用された経歴を持つ。2014年に同社を離れ、新たにRocketWerkzを設立。「E3 2015」のMicrosoftプレスカンファレンスにて、ゲームエンジン「SpatialOS」を提供する英企業Improbableと提携して『ION』を共同開発することを明らかにした。
当時、Hall氏が「ゲームではないゲームを作りたい。宇宙そのものにしたい。スクリプトやクエストではなくて、物理学や生物学、化学の法則から成り立つ宇宙です」という想いを語っていたように、『ION』はプレイヤーたちが宇宙を創造し、そこで自ら生活し、そして自然の摂理に従い死んでいくという壮大なオンラインシミュレーターを目指していた。しかし、発売時期の発表はおろかゲーム内容に関する続報は一切なく、今でもプロジェクトの公式サイトは変わらぬままの姿で残っている。なお、RocketWerkzは現在までにVRタイトル『Out of Ammo』をリリースしているほか、昨年9月には中国の大企業Tencentによる出資で新作ゲームに着手していることを発表するなど、決してスタジオ自体の運営が停止しているわけではない。
業界メディアEurogamerの報告によると、壮大なプロジェクト『ION』は事実上の開発中止に陥ってしまったようだ。共同で開発を担当する予定だったロンドンのImprobable社は、Hall氏がニュージーランドへ帰ったことで疎遠になってしまったことに加えて、RocketWerkzが別のゲームタイトルに続々と着手し始めたこと、Improbable自身が本業のゲームエンジン開発に専念していることを理由に、いまのところ『ION』には携わっていないと断言している。現状では『ION』はおろか、そもそも自社でゲームソフトを開発する予定は一切ないとのことだ。
同様にEurogamerの問い合わせに答えたHall氏も、本人を含めてRocketWerkzは『ION』に一切着手していないことを明らかにした。同氏によると、昨年の8月から10月の間に活動拠点をニュージーランドへ移して以来、プロジェクトは事実上の開発中止状態にあるという。「IONに求められる技術のスケールを考えれば、Improbableのような企業の協力なくして実現はありえません。我々だけで作れる代物ではない」と説明している。つまるところ、開発が進展しないままにパートナーと疎遠になってしまったため頓挫してしまったというわけだ。まるで恋人が遠方へ転勤してしまったことで関係が自然消滅してしまった遠距離恋愛である。これまで正式に開発中止を発表しなかった理由について、知らせる価値すらなかったからだと、Hall氏は語る。
「そもそもRocketWerkzを設立したのは、色んなことに挑戦したいという考えからです。事業を始めて間もない頃は、どういうゲームを作りたいのか実験してみることが活動の一環でした。パートナーとの提携に注力したいのか、テクノロジーの提供元を探したいのか。最終的に、自社内で完結するプロジェクトに集中するという結論にいたったというわけです。私が満足できないものでユーザーからお金を取って反感を買うくらいなら、そもそも発売すらせずに反感を買ったほうが随分ましだと思います。それが最も重要な点ではないでしょうか」。確かに発表から何年もかけて誇大広告をアピールした後に期待外れの作品を世に送り出すよりは、忘れ去られたままはじめからなかったことにした方が、遺恨を抱かずに済むのかもしれない。ゲームではないゲームを作るつもりが、そもそもゲームにすらならなかったようだ。