新スタジオWhite Owlsを設立したSWERYインタビュー 「日本発で大人が楽しめるゲームを作りたい」

『レッドシーズプロファイル』や『D4』で知られる末弘秀孝ことSWERY氏。新スタジオWhite Owlsを設立し、独立という形でゲーム業界に復帰して再始動するという。そこで、療養中のこと、まだまだ明かせない新作ゲームのことなど、新スタジオにお邪魔してSWERY氏にインタビューし、話を聞いてきた。

2016年のゲームを振り返って

――『INSIDE』の名前が出ましたが、SWERYさんさんは海外のゲーム雑誌に毎年GOTYを寄稿されていますね。少しだけ2016年のゲームを振り返っていただきたいんですが、そこでの1位が『INSIDE』でした。

SWERY:
あれ、選ぶの大変なんですよ。10本選ぶには100本はやらなきゃいけない。それをさぼるとすぐに見抜かれますからね。ちなみにポリシーとしてはちゃんと自分のお金を払ったやつだけ載せています。『INSIDE』は凄かった。手触りもすごいし、ゲーム中にとある仕掛けがあるじゃないですか。でも彼らはそれをPRに一切利用しなかった。でもそれが口コミや雰囲気で知れ渡ったのは、めちゃくちゃ格好いいなと。

 
――『INSIDE』はどう解釈されますか?謎が多いゲームです。ある人はホロコーストといったり、僕は「E.T.」や「ボディ・スナッチャー」みたいな侵略系SFを思い出しました。

SWERY:
解釈ですか。僕は『INSIDE』のタイトルが意味するところがあると思ってて、あれ自体が誰かの頭の中の出来事とか、あれ自体が壮大な実験だとか、内向きのテーマだと思いました。主人公は弱すぎて、大人は暴力的で血も涙もないですよね。あのゲームって主観がないんです。主人公の主観だと思ってますけど、あるタイミングでその関係性も変わっていく。じゃあ主観は何かといったら、それはプレイヤー自身で、プレイヤーがどう画面を請け負っているのかがテーマなんだと思います。

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――ベスト3まで感想を聞いてみたいんですが、次に2位にあげている『アンチャーテッド4』で、ある意味では尖ったゲームではないので、選出がちょっと意外でした。

SWERY:
そうですか?だって凄いゲームじゃないですか。△ボタンを押しているだけでクリアできるゲームなんてないですよ(笑)。『D4』ってああいうエンタメをキネクトを使ってウィアードな形にやりたかったんです。『アンチャーテッド4』は、エンタメ方向の振り幅が凄くて、誰でも楽しめるんですよ。ゲームが下手な人がやってもクリアできるし、ヒヤヒヤできる。死んでも嫌な気分にならない。僕が作れないゲームですね。

 
――3位が『That Dragon, Cancer』で、これはさきほど話題にあがった信仰的なテーマがゲームで盛り込まれています。

SWERY:
このゲームは知らなかったんですけど、アメリカに行ったときにオキュラスのクリス・プルエットから、SWERYさんが絶対にやったほうがいいゲームがあるって言われてやったんです。見た目はうっすらしてるポリゴンなんだけど、あれほど心えぐられる話はなくて衝撃を受けました。『Firewatch』や『The Vanishing of Ethan Carter』とかの歩くだけでドラマティックになるウォーキング・シミュレーターっていうジャンルがありますが、上質な体験さえあれば、ゲームジャンルとして売ってもいい時代にはなっているのかなと。

 
――最後に『人食いの大鷲トリコ』をスペシャルチョイスとしていれています。トリコと擬似的に対話していく感じは、『レッドシーズプロファイル』のザックとけっこう共通している部分かなと。

SWERY:
『人食いの大鷲トリコ』はクリアしましたし、シンパシーを感じるとしたら、まさにそこですよね。画面の外の人物と画面の中の何かを繋ぎたいという気持ちがある。上田文人さんのゲームは『ICO』だったら手を繋ぐとか、『ワンダと巨像』だったら馬のアグロ。そういう繋がりを上田さんも意識されてるし、少なからず影響を受けているかもしれません。『D4』だったら、キネクトを使って画面の中を直接触れる。画面の中のキャラクターと外の世界を繋ぎたかったんです。

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外の世界と大人向きのゲーム

――その点、外の世界を繋ぐ『レッドシーズプロファイル』のザックは素晴らしかったです。

SWERY:
ありがとうございます。主人公のヨークがザックに話しかけるというアイディアは第一稿からすでに出たんですが、今の製品版のオチはなくて、これはダメだと。知らない町、知らない事件を、知らない主人公が解決しただけだから、そこではさきほど言った繋がりという部分がない。だからそのあたりを共同脚本の合田健二と一緒に叩き直しました。

 
――他にもザックというギミックは、主人公が知らない土地に来た孤独感や距離感を表現するためにも有効だったと、SWERYさんは以前言っていましたね。

SWERY:
実際、アメリカの田舎町に取材に行ったときにいろんな違和感を感じたんです。中でもアジア人が町の写真撮りに来てるって、町中の噂になったこととかありました。次の日、ガソリンスタンドでインタビューしたら「お前らやっとここにも来たのか」って言われて驚きましたね。そういう田舎町ならではの感覚を入れたかったんですよ。そのために主人公に共感して、プレイヤーが一緒に違和感を感じてくれるようにザックが一役買ってくれたと思います。ちなみに、これは初めて言うかもしれませんが、もともとオープンワールドはやりたかったんですけど、期間や予算の関係で一度は妥協して、建物の中とマップ移動だけの規模でやろうと思ってた時期がありました。要するにフィールドがなかったんです。でもアメリカの田舎町に取材に行ったときに、あのすべてが遠い距離感を表現するためにはオープンワールドをやはりやらなきゃなと決意が固まった。それで帰ってからみんなを説得して、オープンワールドになりました。オープンワールドを組み込んだのはアクションを組み込んだよりも後ですからね。

 
――『レッドシーズプロファイル』はアクションが批判されましたが、僕は当初の純粋なアドベンチャーよりも、今のアクション・アドベンチャーになって正解だったと思います。

SWERY:
僕もそう思ってますよ。アクションをいれなかったら、ただ点と点を移動するだけのゲームになってしまう。アクションが入れることによって能動的な選択肢ができたのがすごく良かったなと。

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――一方で『D4』はリニアなところがありますね。

SWERY:
『D4』はデイビッド・ヤングの引き篭もりを表現したかったんです。引き篭もりの箱庭があの部屋にあって、あそこがフィールドだと思って表現しています。そこから『レッドシーズプロファイル』の建物や常世にあたるさまざまな場所に飛んで行くイメージですね。グリーンベイルが凝縮されて、あの部屋にあるわけです。

 
――『D4』はポイント&クリックアドベンチャーといってもいいと思うんですけど、これは海外の市場を意識されてですか?

SWERY:
キネクトでアドベンチャーゲームを作ろうとデザインに悩んでいたときに、一人でシアトルに出張して、マイクロソフトのキネクトを作っている人たちとか、キネクトを使っているゲームデザイナーさんにヒアリングをしたんです。どういう部分が難しいとか苦労したとか聞いていたときに、ポイント&クリックアドベンチャーを豪華にすることができそうかな?と閃いたんです。それをキネクトを経験したあるゲームデザイナーに話したら、それは盲点だったと驚いてくれた。じゃあ試してみる価値があるなと思いました。

 
――ゲームの『ウォーキング・デッド』もポイント&クリックの進化系ですが、『D4』はそれとはまた全然違う独自のポイント&クリックの進化系を示していて、従来のポイント&クリックをどこまで意識していたのか疑問だったんですが、明白に意識されていたんですね。

SWERY:
それこそ、『D4』のプリプロダクションはXbox360で作ってましたから、『ウォーキング・デッド』がでるより前です。飯野賢治さんの『Dの食卓』ってポイント&クリックの3D版じゃないですか。その延長のイメージがあるんです。『Dの食卓』、『D2』、D3を飛ばしての『D4』……ではないんですけど、『Dの食卓』はいいサンプルケースとしてありました。

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――それはとても興味深い話ですね。ちなみにSWERYさんの思春期にはアドベンチャーゲームやられてたんですか。

SWERY:
ポイント&クリックはあんまりやっていなかったですね。『スナッチャー』とか『ポートピア』とか『オホーツク』かのアドベンチャーゲームの名作はやっています。小さいときは『アイスクライマー』と『バルーンファイト』。いつも挙げてるベストです。

 
――SWERYさんが現在作られてるゲームと『アイスクライマー』と『バルーンファイト』が直結していない感じがします。

SWERY:
そうですね。小さいときにやったゲームのシンプルなルールがあり、SNKでのアクションの手触りや作法が修行となって、それに思春期にどっぷり浸かっていた映画・ドラマの世界がミックスされて、コンシューマーで自分のスタイルが見えてきたって感じですかね。

 
――どんな映画を見られてましたか?ちなみに好きな映画監督は。

SWERY:
多すぎていえないですけど、子どもの頃はジャッキー・チェンですね。80年代はキャメロン・クロウの青春映画を見てました。それにテリー・ギリアム、ブライアン・デ・パルマ、デヴィッド・リンチ、コーエン兄弟、タランティーノ、アキ・カウリスマキ。決められないですよね。

 
――アキ・カウリスマキの名前が出てきましたが、90年代はミニシアター全盛期ですね。

SWERY:
でも大学ではみんながミニシアターって言ってたときに、僕はひとりで「ツイン・ピークス」って言ってました。

 
――日本ではブームがありましたが、大学では「ツイン・ピークス」のブームなかったですか。

SWERY:
大学ではデヴィッド・リンチなんて「浅い」みたいな風潮で、90年代にはメジャーすぎて「普通やん」って言われましたね。

 
――「ツイン・ピークス」は『レッドシーズプロファイル』に限らず、今のゲームや海外ドラマの影響が凄いですね。さきほどのGOTYでSWERYさんが12位にあげていた『Virginia』もそうですし。

SWERY:
ビデオゲームの人たちが再現できないものを再現しようとしているとしているんでしょうね。

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――『Virginia』ですが、このゲームが影響を公言している『トゥルー・ディテクティブ』やドラマ版『ファーゴ』はご覧になられましたか?

SWERY:
もちろん、どちらも見てます。『トゥルー・ディテクティブ』はシーズン1が特に凄いですよね。マシュー・マコノヒーのあの怪演、ウッディ・ハレルソンがちょっとまとも側をやってて、あそこのキャスティングも絶妙だなと。だんだん仮定が崩れだすあたりで、そのキャスティングの意味もわかる。『ファーゴ』はシーズン1・2とも見てますが、シーズン2が凄かったですね。キルスティン・ダンストが映画でいうウィリアム・H・メイシーですよね。ここでおばちゃんになったキルスティン・ダンストを持ってくるかとやられましたね。

 
――SWERYさんの『レッドシーズプロファイル』も『D4』もそうですけど、『ファーゴ』や『トゥルー・ディテクティブ』みたいなエッセンスを楽しめる、数少ないゲームだと思います。

SWERY:
ありがとうございます。大人が楽しめるゲームって日本では少ないじゃないですか。なぜか日本では大人になったらゲームは卒業しなきゃいけない文化になっている。僕は自分が楽しめるゲームは海外のゲームが多かったから、日本発で大人が楽しめるゲームを作りたいと昔から思っていました。

 
――あとSWERYさんのゲームは、ヒロインが陵辱されて酷い目にあいますよね。日本のゲームのみならず、世界レベルでもちょっと凄まじい描写です(笑)。

SWERY:
あのキャラクターの口ぶりからしたらレイプされているんでしょうね。ほんとにごめんなさいという感じですよね(笑)。冬虫夏草ってあるじゃないですか。昆虫に卵を植えつけて成長するキノコなんて、めちゃくちゃ恐いなと。それを表現したかった。あと赤い木の下に死体が埋まってたら恐いなと思って、レッドツリーが出てきた。そういう発想ですよね。

 
――ゲーム業界を変えたいというが最初の発言で出ましたが、つまり大人向きのゲームを作るべきだと。

SWERY:
他にも、ゲームやったら頭が悪くなるとか、そういう風潮をゲーム業界から率先して変えなきゃいけないと思って入れ込んでいたんですよね。ただ考え方が変わって、求めている人たちが楽しめるゲームを作ろうと、独立して今に至るという感じですね。

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過去と現代――大阪芸術大学と大阪電通大での活動

――根本的なところを聞いていいですか。そもそもなぜ「SWERY」なんでしょう。

SWERY:
SWERYは大学の頃のあだ名なんですよね。昔のゲーム業界って本名が禁止だったりするんです。ゲームのクレジットには偽名を使うのが主流で、ヘッドハンティングとかあったので本名が書けない。じゃあSWERYでいいやと。そこからずっとですね。

 
――前にインタビューでSWERYさんの大学が大阪芸大の映像学科という話がありましたが、実は僕もそうなんです。僕が大学に入ったときは鳥居元宏先生から、今の大森一樹先生にちょうど学科長が変わったあたりです。中島貞夫先生は大学院に居られました。

SWERY:
そうなんですか。僕のときの学科長は佐々木侃司先生でした。大学の面接が鳥居先生でしたね。ちなみに鳥居先生の筆名は飛鳥ひろしなんですよ。中島先生は僕はシナリオのコースを見てもらってて、卒業のときにシナリオを中島組に誘われたんですよ。

 
――それはどんなシナリオを書いたんですか?ヤクザものですか?

SWERY:
いやファンタジーものでした。ちゃんと分厚いものを書いて、就職決まってるの?中島組でいきおいのある若手が欲しいんだけど修行しないか?って聞かれて、「いえ、修行は大丈夫です」って断りました。

 
――それって何年ごろですか?

SWERY:
96年ですね。

 
――中島先生もギリギリ映画を撮っておられた頃ですね。去年、久々に映画を撮っておられました。「時代劇は死なず ちゃんばら美学考」という時代劇ドキュメンタリー。

SWERY:
当時の中島先生は「極道の妻たち」シリーズを撮り終えて、たまに映画を撮るくらい。映像学科の1回生のときに、他の学科の人たちを呼んで作品の上映会を開くじゃないですか。その司会を僕がやって、中島先生の前で中島先生の物真似をしたことがあります。ハゲのカツラかぶって、腕毛として白い綿を付けて、生徒に向かって「お前ら、これがデビュー作かもしれないけど、俺も昔は温泉こんにゃく芸者っていうのデビュー作は「くノ一忍法」(※)っていうすっげぇくだらない映画なんだよ」って物真似を本人がいる前で延々としました。※その手のジャンルの先駆けとされ、映画自体も高く評価されている。

 
――巨匠になんていうことを(笑)。それは反骨精神なんですか?

面白いかなと思ったんですよね。すっごい怖かったですが(笑)。そういう時代でした。

 
――中島先生は菅原文太や松方弘樹のヤクザ映画を撮られた東映を代表する監督ですが、実はインテリなんですよね。東大でギリシア悲劇を研究していたとか。

SWERY:
そうそう(笑)。めちゃくちゃ凄い人。そんな人の前で物真似しちゃいました。芸大は行ってたけど、あんまり真面目でもなくて、裏山の池で釣りばっかりしてました。もとは映画監督・映画脚本志望だったんですけど、芸大に入った瞬間に映画コースの熱量がすごいっていうのがあって。日本の映画はこうじゃなきゃいけない、とか凄い人たちがいっぱいいたんですよ。しかもこのとおりにやらなきゃいけないと、レールが敷かれてる気がして、僕はもっと自由に作りたいなと思いました。それでいつの間にか広告に流れて、3回生ぐらいからCGコースに行って、Amigaとリンクスっていう、ポリゴンを初めて描けるようなPCにハマって、そこからはCGで広告作ってました。たぶんそこでCGに触れる機会があったんで、結局ゲーム業界に行くことになったんでしょうね。ちなみに卒業制作のCMは学科長賞を取って家にありますよ。でもちょっとズルなところがあって、みんなは真面目にCMを作ってたんですが、僕はモンティ・パイソンが好きだったんで、売れないようなもの、例えばバーチャル仏壇とか、バーチャルヨーヨーとか、手袋してゴーグルをかけたら、ヨーヨーができる、そういうCMを撮りました。ちょっと裏技的な感じがしますね。ただ今になって思えばちょうど、VRがきてるから、この会社で本当にバーチャルヨーヨー作ろうかな(笑)。自分へのアンサー的な、ね。

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――大阪芸術大学と今はつながりは?

SWERY:
今はないですね。大学だと大阪電通大によく行ってますよ。電通大の生徒さんと教授、あと映像制作会社のギャラクシーオブテラーと僕とで、VRで学生がやりたいことを一緒に研究しているんです。月に一回チェックしにいったり、僕が機材を手配しながら、学生と一緒にVR作品を作っています。ついこのあいだ学生の子が『God of Money』っていう群集にお金をばらまくと群集が爆発しで死んでいく謎のVRゲームを作ったんですよ。それをネットで発表したり、そういうのを作っていって、今度のビットサミットを目指して、学生が本気になって一緒にがんばっているところですね。学生さんと映像作家さんが手探りでVRを作ってるのを、僕がプロデュースの形で楽しんでるプロジェクトですね。けっこう発想が凄くて、FF15で剣を投げたらそこにワープするキャラがいるじゃないですか。あれを見て、何日か後にそれをVRの一人称視点で再現するのを作ってきたりとか。すごいなぁと。

 
――『ディスオナード』のブリンクの強化版みたいですね。

SWERY:
そうそう。学生さんとかどれが本当に面白いのかわからなかったりするから、それを煮詰めていったらいいよってアドバイスしています。これはこれで大事なプロジェクトとしてしっかりやっていますし、僕も勉強になります。

 
――将来的にVRのゲームはWhite Owlsで作りたいですか。

SWERY:
もちろんやりたいですが、今、作るとなるとクライアントさんが要望する下請けになってしまう。こういうのをVRでやりませんか?的な。なので自分のオリジナルの企画持ち込んで作るのはほぼほぼ不可能な時代だと思ってます。なので、もう少し機が熟すのを待とうかなと。その間に学生さんとのVRのコラボを続けて知識を蓄えておきたいなと。あ、このプロジェクトはホームページにも載せていますよ。これが新しいホームページです。

 

White Owlsのホームページがオープン

――(White Owlsホームページを見て)このプロフィール写真は遠くてみたらチャップリンで、近くで見たら亡命貴族みたいですね(笑)。こっちの写真のこの刺青はペイントですか?

SWERY:
ペイントです。芸大の同級生で本物の彫り師になった人がいるんです。2か月か3か月待ちぐらいのやり手で、そんな人に8時間ぐらいかけて書いてもらいました。でも、今はもうないです。あの状態で流石にお寺の仕事はできないので(笑)。でもすごくいいデザインだと思うので、今度、この刺青のTシャツとか作ってみようかな。

 
――シャラポワもいます。

SWERY:
そう、彼女は弊社のPRマネージャーですから。ホームページでPR担当者からの挨拶をクリックすると、シャラポワの声も再生されます。そのうちカレンダーとかシャラポワのグッズを作ったり、よかったらファンのみなさん買ってください。彼女も喜びます。折角だからWhite Owlsではマーチャンダイジングとかいろいろやってみたいですね。何せ自由ですからね。ゲーム制作もクライアントさんと組もうとしているものもありますし、自分のとこでやろうとしているプロジェクトがあったり、いろいろ種をまいてます。

 
――それでは最後にファンに向けてコメントをよろしくお願いします。

SWERY:
長い間、病気の件でみなさんには本当に心配をおかけして、その間もいろいろとメッセージ頂いて本当に励みになりました。そのメッセージのおかげで、くじけそうになったときも助けられたました。みなさんの期待を裏切らないようにいい作品を作れるように、いい会社にしたいと思います。応援よろしくお願いします。

I Love You All!!
2017/1/16 SWERY

 

[聞き手: Koji Fukuyama]
[写真: Mon Gonzalez]

Koji Fukuyama
Koji Fukuyama

小学2年生のときに、『ドラゴンクエスト5』に出会い、「ゲームは、ゲーム独自の手法を使って人間のドラマや物語を伝えることができる」ということに衝撃を受けました。そこから一貫して、ストーリーメディアとしてのゲームに注目しています。

同時に中学生から映画を浴びるように見始め、西部劇やホラー、SF映画など、アメリカの古典的なジャンル映画をとくに偏愛しています。

オールタイムベストゲームは『この世の果てで恋を唄う少女YU-NO』。このゲームで感じた面白さや感動を再び体験するために、ずっとゲームを続けています。

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