『俺の屍を越えてゆけ2』 「主人公」並び立たず

プレイヤーは2年足らずで寿命を迎えてしまう「短命の呪い」と子孫を残せなくなる「種絶の呪い」をかけられた一族となる。神々の力を借りて子供をなし、世代を重ねて力を蓄え、一族の呪いを断ち切ることが目的だ。

俺の屍を越えてゆけ2』はアルファシステム開発、Sony Computer Entertainment販売のRPGである。前作であるPS版『俺の屍を越えてゆけ』(以下『俺屍』)から15年、PSPで発売されたリメイク版から3年近くの時を経て、満を持しての新作発売となった。プレイヤーは2年足らずで寿命を迎えてしまう「短命の呪い」と子孫を残せなくなる「種絶の呪い」をかけられた一族となる。神々の力を借りて子供をなし、世代を重ねて力を蓄え、一族の呪いを断ち切ることが目的だ。

 

不変の楽しさとシステムの改良

ベースシステムは前作をほぼ踏襲している。ゲームは1か月の単位で進行し、その月ごとにダンジョンへおもむいて討伐、討伐に出さずに屋敷で訓練といった予定をこなして、一族のパラメータを成長させつつ「奉納点」を稼いでゆく。前述のとおり一族には「種絶の呪い」がかけられており通常の方法では子孫を残すことができないが、奉納点を支払って神々の力を借りて「交神」することで神との間に子供を授かることができる。奉納点に応じてバラエティ豊かな神々が御相手してくれるほか、交神する相手に応じて子供に「素質」が宿り、これは世代を重ねることで累積、あるいは変化してゆく。

「交神」を重ねて素質を伸ばし、討伐や訓練でパラメータを強化して一族を鍛え、最終的に呪いの元凶たる存在に戦いを挑むというゲームの骨格は本作でも健在である。

前作は「一族を鍛えてボスを討伐する」という大目的の提示こそあったものの、そのためにどうすればよいか、とくにゲーム開始直後のお作法がパッとわかりづらいという難点があった。漫然と遊んでいて”詰む”ようなシビアなゲームでもなかったが、一番最初の「遊び方」については少々不親切なところがあったように思う。

その点を反省してか、本作ではプレイヤーにかわって、ゲーム内のお世話役「コーちん」が、事前に決められる大方針にそった予定を提案してくれるようになった。

彼女がコーちん。序盤はとにかく進行をコーちんにぶん投げてしまって構わない。そのうち、とくに遠征先などは自分で選びたくなってくるだろうが、出発後にも行き先は変更してしまえる。
彼女がコーちん。序盤はとにかく進行をコーちんにぶん投げてしまって構わない。そのうち、とくに遠征先などは自分で選びたくなってくるだろうが、出発後にも行き先は変更してしまえる。

初心者向けのナビとしては非常に筋がよく、その月の達成目標(奉納点を稼ぐために特定の敵を討伐しよう、未入手の指南書を手に入れるためにここに行こう等)を提示してくれるほか、消耗品の補充や装備変更、パーティメンバーの調整から街への投資にいたるまで、それなりの合理性をもってこなしてくれる。最初の数か月の強制イベントもあわせてプレイすれば、本作の基本的なゲームの進め方は身につくようになっている。全部一括で決めてもらう方法だけでなく、いくつかの提案から気に入ったものを自分で選ぶ方法など、段階的に提案の内容をゆるめていくこともできる。前作の不親切さが嘘のようなシステムであり、本作の間口はこれで大きく広がっているといってよいだろう。

とはいえ限界はある。序盤や初プレイ次のナビとしては良いシステムなのだが、その序盤を過ぎてしまうと、提案の内容がいまいち現状にそぐわなくなってくる。消耗品の自動購入や道具袋の整理といった雑用だけ任せることもできるので、ゲームの進め方を理解したら早々に達成目標については聞き流すようにするのが無難かもしれない。

 

代償としての引き伸ばし

こうして親切になったシステム面であるが、おそらくはその代償として、本作は異常なまでの「引き伸ばし」の性質を具備するにいたった。それはシステムが快適になった分を相殺してあまりあるほどだ。

たとえばダンジョンである。本作は「全体的なダンジョンのエリア構造と、一部の重要エリアのマップは固定、それ以外の個々のエリア内の構造はセーブデータごとにランダム生成」という変わった方式を採用しており、ダンジョンの構造やマップそのものも前作に比べると大幅に広大に、そして複雑になっている。じつのところ、これが『俺の屍を越えてゆけ』というゲームのシステムとまったくかみ合っていない。

というのは、『俺屍』のダンジョン攻略には時間制限があるからだ。ダンジョンに突入してから一定時間経つとゲーム内で1か月が経過してしまう。そして一族には寿命がある。設定的にもゲーム的にも無駄な時間などない身分なのに、やたらと広いダンジョンが、そのくせ妙にせまく見づらい足場が、画面切り替えのたびにランダムで復活する敵シンボルが、全力でプレイヤーの足を引っ張ってくる。

本作の「1年のうち決められたある月にかぎり、特定のダンジョンのある箇所(複数箇所の組み合わせからランダム)に到達するとボスマップ(百鬼祭り)出現」という仕組みも引き伸ばしに拍車をかけており、ここに「撃破しないと先に進めず、出現が一部ランダムの中ボス」までからむのでかなりのストレスになってしまう。

行く手を阻む錠前。鍵にはいくつかの種類があり、進行上必須なのは最初に必ず手に入る「黄色の鍵」だけなのだが、他の鍵の入手にかなりのランダム性があることと、鍵扉の迂回ルートの探索で余計な時間を使わされるのが厳しい。
行く手を阻む錠前。鍵にはいくつかの種類があり、進行上必須なのは最初に必ず手に入る「黄色の鍵」だけなのだが、他の鍵の入手にかなりのランダム性があることと、鍵扉の迂回ルートの探索で余計な時間を使わされるのが厳しい。

交神についても同様で、本作は「神が地上に下天して天界からいなくなる」というシステムが存在する。下天した神はダンジョンのいずれかの場所に中ボスとして陣取るようになるので、3回撃破して天界に戻さなければその神とは交神できない(戦闘は1か月に1回のみ可能)。これが防ぐ方法も前触れも存在しないじつに厄介な代物で、一族の育成計画を大幅に狂わせてくれる。3回撃破するということはそいつのために3か月費やすということであり、しかも下天判定がランダムのため、苦労して天界に叩き返した半年後には再度下天という笑えない事態が発生することもしばしばだ。街を発展させて神社を作り、目的の神をまつれば下天しづらくなるという要素があるようなのだが、私がプレイしているかぎり効果を実感できなかった。

足を引っ張るといえばバグも少なくはない。1度エンディングを見るまでに「ロード画面のまま帰ってこない」「ダンジョン内でギミックが反応しない」等、発生した時点で精神的につらいバグが散見された。こうしたバグはいまいち発生条件がしぼりこめず、長時間のプレイ時はわりとビクビクしながら遊んでいた。事実セーブデータが一度飛んだ。

バグはともかく、それ以外はいずれも前作にはなかった要素であり、追加されたギミックや仕組みがすべてプレイヤーに対する時間稼ぎのための存在になっているように感じ、プレイ中妙にダレるのはたしかである。これらの要素にプレイヤーに対するリターンが一切存在しないというのもそれに拍車をかけている。

システムが親切になりはしたものの、一方で前作で実現できていた操作ができなくなっている部分もそれなりにある。たとえば戦闘終了後に入手アイテムで持ち物があふれる場合「その場で使用して持ち物に空きを作る」行動を取ることができる。これは前作同様なのだが、その際パーティの詳細なパラメータを参照できなくなってしまった。百鬼祭り中など、まとまった数のステータス増強アイテムが手に入るタイミングがいくつかあるので、こういう時に少々不便だ。なにせ前作ではできたことである。インターフェイスに関しては前作に軍配が上がる点が少なくない。

 

本作における「主人公」

これまで書いてきた内容はすべてゲーム序盤から中盤にかけての内容だ。ゲーム中盤、プレイヤーがゲームに慣れてきて術も指南書もそろい始め、戦力の常勝を実感できるようになる頃、ゲーム側から一族にある異物が混入される。それが本作のキーキャラクターである「夜鳥子」だ。

中盤以降、本作は全てが夜鳥子というキャラクターを中心に回り始めるようになる。まず中盤以降はボス戦に挑むにあたり、夜鳥子のパーティ加入が必須となる。これは戦力的にという意味ではなく、夜鳥子がパーティにいないとボス戦をさせてもらえなくなるのだ。

その夜鳥子だが常時パーティに入れられるわけではなく、まず神との交神のように「奉納点」を支払って転生させる必要がある。そのうえで特定の月に開催される百鬼祭りを狙ってダンジョンに飛び込み、その足でボスを確実に討ち取らなければならない。失敗したら来年の百鬼祭りまで攻略が不可能になってしまう。そして一族と同じ呪いは受けているので、転生して2年足らずで死亡し、死亡したらまた奉納点を捧げて転生させて……中盤以降はこうしたプレイングをなかば強要される。

システム上ここまで夜鳥子が必須となる理由はもちろんある。それは本作の主人公は夜鳥子だからにほかならない。

断言するが、本作においてプレイヤーの一族は添えものだ。上記のように夜鳥子を強制させられるシステム変更も、シナリオ面もまた然り。夜鳥子の登場以降、本作のストーリーは夜鳥子を主人公として進行し始め、プレイヤー一族は進行上不要の存在となる。一族の宿敵であり、呪いをかけた張本人である安倍晴明との抗争も、本作のストーリーの真相の解明もすべて夜鳥子が中心として描かれているため、一族の存在が一気に希薄になってゆく。

夜鳥子自身も神との交神は拒否、パーティ隊長への任命不可など「一族としての扱い」はゲーム上できないようになっており、あくまでプレイヤー一族への協力者という立場をくずさない。そのくせ一族の記念写真や勇姿録、家系図にも記載されてしまい、そこには一族の衣装ではなくオリジナルのデフォルト衣装をまとった夜鳥子がコラ画像っぽく写り込んでいる。なんとも異物感あふれる存在になってしまった。

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夜鳥子がもたらしたもの

制作側の夜鳥子というキャラに対する思い入れや意気込みといった点はおいておく。それはゲームとしての本作とはなんの関わりもない。重要なのは夜鳥子というキャラクターが本作になにをもたらしたかということだ。

ゲームシステムの一部としての夜鳥子は、中盤以降のゲームプレイに変化をつけるペナルティキャラであると同時に、ゲーム内の中~長期目標を提示する存在であることがわかる。高めの奉納点はそれなりの期間をかけて貯めなさいということで中期目標たりうるし、つぎの百鬼祭りがこの月だから半年前のここで転生させて、全力育成して百鬼祭りに挑もう、もし駄目でも来年の時点では1歳6か月前後だから健康度不足の急死さえなければもう1度チャレンジできるだろう……と、夜鳥子ありきで逆算して長期的な予定を立てさせることで、終わりが見えてきてダレがちな中盤以降のゲームプレイに変化を付けたかったのだろうという発想は理解できる。

この点においては夜鳥子は確かに一定の役割を果たしているのではないかと思う。とにかく血を絶やさないように奉納点を効率よくためて、そのついでに雑魚を狩ってまだ見ぬ指南書や術を回収して……という作業は前作で散々こなした内容だからだ。それなら前作を遊べばよい、わざわざ新作でやる必要はない。夜鳥子というシステムからはそういう意図を感じる。がしかし、そのために本作は変えなくてもよかった所まで変えてしまったのではないだろうか。システムはこのままでかまわないにしても、プレイヤーへのつきつけかたがあまりにもひどすぎる。物語の中心をプレイヤー一族から奪い去る必要はなかったのではないだろうか。

 

夜鳥子が奪ったもの

前作『俺屍』はストーリーの中心にプレイヤー一族がいた。作中で描かれるすべての抗争はプレイヤー一族と宿敵によって演じられていたし、それをとりまく神々のあいだでの抗争はあくまでサイドストーリーで、ゲーム中で表に出てくることはなかった。私はその時々の討伐目標に向けて闘志を燃やすことができたし、敵で敵なりに一族に執着していた。そういうふうに描かれていた。

本作も中盤まではその構図になっていた。神々や環境こそ変わったものの、一族は一族のことだけ考えて晴明打倒を目指せたし、宿敵たる晴明の目も一族の方を向いていた。だから前作の延長線上にある本作の中盤までは非常に楽しいし、モチベーションも高まっていた。それなのにシナリオ・システム両面の主導権を、突如現れた夜鳥子という異物が奪い去ってしまう。しかも一族扱いはしてほしくないわりに、やたらと一族にからんでくる。いいから写真に写るな、せめて着替えろ、あと家系図の名前も消せ。

本作からの新要素として、子供はゲーム的な素質パラメータの他に、人間の親と交神相手の神の外見をある程度受け継いで生まれてくる(そのために3Dグラフィックになったとのこと)。家族っぽさ、一族っぽさを深める素晴らしいギミックであると感じるが、何やら異分子が……
本作からの新要素として、子供はゲーム的な素質パラメータの他に、人間の親と交神相手の神の外見をある程度受け継いで生まれてくる(そのために3Dグラフィックになったとのこと)。家族っぽさ、一族っぽさを深める素晴らしいギミックであると感じるが、何やら異分子が……

ここで夜鳥子が主人公として、語り部として相応しいキャラクターならいくらか希望もあったのかもしれないが、シナリオが進むにつれ彼女は暗黒面ばかりがあらわになってゆく。すくなくとも感情移入できるようなキャラではなく、それどころか夜鳥子の敵対者に対する同情の念すら感じてしまう。そんな夜鳥子とそのドラマを、作中のメインストーリーラインでは誰もとがめたりしてはくれない。ストーリー面でも感情面でもひたすら置き去りにされるのがプレイヤー一族の運命である。

そのおいてけぼり感はラストバトルからエンディングで頂点に達してしまう。エンディングは長く苦しかった夜鳥子からの解放の時ではあるが、同時にシナリオ上は呪いからの解放でもあるため、それはそれで「その後」を遊ぶ動機とするには弱いのである。

 

差別化の果て

前作の延長線上にある序盤から中盤までのゲームプレイは非常に楽しかったし、外見遺伝のシステムなどは私のようなゲーム内キャラに思いいれてロールプレイするタイプのプレイヤーにはたまらない要素だった。しかし、細かいバグやインターフェイスの劣化もさることながら、プレイヤーの足を引っ張りプレイ時間を引き伸ばす、本作の新要素がことごとく『俺の屍を越えてゆけ』というタイトルに私が求めるものとかみ合っておらず、結果的に眉間に皺を寄せながらクリアすることになってしまった。

製作側が前作の魅力を理解していなかったわけではない。むしろ前作を知りつくしていたからこそ、序盤から中盤にかけて「前作における肝の部分」へ丁寧に足枷をつけていくような展開を盛り込めたのだと思う。ダンジョンの複雑化、交神の大幅な自由度減退、そして夜鳥子。どれもプレイヤーのゲーム攻略、あるいは攻略計画を真正面から粉砕する内容であり、前作プレイヤーほど「引っかかる」点である。しかも回避方法は存在しない。

問題はそうした要素を、本作が『俺の屍を越えてゆけ』というタイトルである必要性が危うくなるレベルまで踏み込ませてしまったことだ。私は本作の中盤以降を遊んでいるあいだ、どうにも「俺屍の続編」というふれこみをダシにべつのゲームを遊ばされているような違和感をぬぐい去ることができなかった。製作者が実現したかったのはプレイヤー一族の物語を遊ばせることではなく、夜鳥子の物語を描くことだったのではないだろうか。そして夜鳥子の物語を描く舞台装置として『俺の屍を越えてゆけ』というガワが選ばれた。そうした印象すらうけてしまう。

夜鳥子がいなくなるクリア後が本番という声もあるようだが、そのクリア後として用意されたゲームプレイ自体が私の眼には魅力的に映らない。本編中あれほど苦しめられた下天神の追っかけをまだ続けようという気にはならないし、ストーリー上の悲願そのものは達成されてしまっているのでモチベーションも上がらない。

私の一族の物語が『俺の屍を越えてゆけ2』というゲーム上で紡がれることはもはや無いだろう。私が望むか望まないかにかかわらず、本作に一族の居場所は用意されていないのだから。せめてもう少しプレイヤーを尊重する演出でフォローがなされていたのなら、そう思わずにはいられない。

Rokurou Eyama
Rokurou Eyama

ビデオゲームとアメコミとバイク(盗難被害遭遇済)をこよなく愛する30台前半。レトロゲームも最新ゲームも等しく同じ大切なプレイ対象である。

幼少期に出会った『マーブルマッドネス』の衝撃でビデオゲームに目覚め、なぜか実家に転がっていたMSX2+に親しみ、バーチャルボーイに立体視の未来感を植えつけられゲーム人格が形成されていった。STGからRTSまでどんなジャンルも遊んでみるが女の子がいっぱい出てくるゲームは苦手。

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